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20.思うようにいかない

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 イヴリンは社交界デビューを華々しく果たし、エヴァは満足した。きっと翌日から婚約の申し込みが殺到するに違いない。そう思っていたのに子爵家と男爵家からのパッとしない話が二件だけだった。何がいけなかったのか分からない。落胆を滲ませながらもいい婿を探そうと手を尽くしたがなかなか決まらない。

 薄っすらその理由には気付いていた。エヴァは貴族として生きてきた経歴があるがイヴリンは生まれたときは平民だった。プライドの高い貴族はたとえ侯爵家の婿入りでも元平民であったということで難色を示す。揉み手ですり寄ってくるのは下位貴族のぼんくらな子息たちで貴族としての義務も碌に果たさないくせに気位だけは一人前の阿呆ばかりだ。そんな男はイヴリンに相応しくない。

 侯爵家の婿になれるというのに相手はなかなか見つからず難航した。イライラと焦る中、あるお茶会で伯爵夫人に問いかけられた。

「そういえばカーソン侯爵家にはもう一人お嬢さまがいらっしゃったわよね?」

「ジリアンのことですか? あの子は両親を亡くしたショックで部屋からほとんど出て来なくなってしまいました。ゆくゆくは相応しい家に嫁がせたいと思っていますが、このままでは難しくて……」

 エヴァは憂いを滲ませ嘆息した。伯爵夫人は大仰に驚く。

「もう四年も経つのにまだ立ち直れていないのですか? イヴリン様の婚約者探しに力が入るのは分かりますが、ジリアン様を放置するのはさすがに薄情ではありませんか? やはりカーソン夫人とは血が繋がっていないから、仕方がないのかしら」

 伯爵夫人が首を傾げながら言うと同席していた婦人方も同意する。

「いえ、ジリアンも夜会にそろそろ出席させるつもりで今準備をしていますの。ただ本人は社交界から長く離れていたことで尻込みしてしまって」

「まあ、そうなのですね。ジリアン様にお目にかかれる日も近そうね。楽しみだわ」

「ええ」

 伯爵夫人が余計なことを言ったせいでエヴァはジリアンを夜会に出さなければならなくなった。その為にドレスやアクセサリーまで揃えるのだ。余計な出費に頭が痛い。あの子のためにお金なんて使いたくなかったのに。だが、イヴリンとの差が明らかだとエヴァの評判が悪くなる。

(でも、ちょうどいい機会かもしれないわ)

 いつまでも使用人として働かせるのも悪くないが、万が一そのことが露見するリスクを考えればどこかに嫁に出す方がいい。一見人も羨むような、実は最悪の嫁ぎ先でもあれば一番いいのだが。

 エヴァは侍女長にジリアンのメイド服を用意した時の採寸を参考にドレスを注文した。それなりのデザインを選ぶ。アクセサリーもカーソン侯爵家の娘に相応しく値段もイヴリンと同等もしくはそれ以上のものにした。ジリアンが結婚すればドレスも宝石も売ってしまえばいい。一時の経費だと割り切ることにした。

 ジリアンを夜会に出せばあっという間に話題になった。ジリアンは母親に似て美人だ。その上引きこもりの娘が出て来たのだから興味を引くのだろう。だがすぐに婚約の打診が来るとは思っていなかった。しかも格上の公爵家の三男だ。彼は実家から子爵位をもらいジリアンを嫁に迎えたいという。なぜ打診がイヴリンではないのか?! イヴリンと結婚すれば侯爵家に婿入りできるのに、ジリアンを選ぶという内容の手紙に怒りが湧き出る。

 元々ジリアン自身に結婚相手を決めさせるつもりはなかったので、即座に断った。代わりにイヴリンはどうかと勧める。返事は公爵家主催の夜会で二人と顔を合わせてから決めたいとの回答が来た。
 公爵家の夜会でヒューゴは最初にジリアンにダンスを申し込んだ。可哀そうなイヴリンが歯を食いしばって俯いている。エヴァも不安に駆られたが、二人のダンスが終わるとヒューゴはすぐに笑顔でイヴリンに手を差し出す。イヴリンは輝くような笑みを浮かべその手を取る。

(ああ、これならきっと大丈夫だわ)

 エヴァが胸を撫でおろしていると、ホールでジリアンが見知らぬ男と踊っていた。

(あれほど勝手な行動は慎むように言っておいたのに!)

 どうせ上手く断れなかったのだろうと思ったが、ジリアンの顔を見てはっとする。頬を染めうっとりと男を見るその瞳は恋をしているとすぐに分かる。屋敷でメイドとして働いていたのにいつの間に? ダンスが終わり壁側に移動する二人の元へ足早に近づく。すぐに引き離さなければ醜聞になる。それにジリアンが幸せになることを許すつもりもなかった。

「ジリアン。そちらはどなた?」

 叱責を滲ませるような厳しい声が出る。

「カーソン侯爵夫人。初めまして、グリーン商会のリックと申します。いつもご利用ありがとうございます」

 男は礼儀正しく腰を折り名乗った。

「グリーン商会? ああ、バナンのワインを注文している……そう、そうなのね……」

 そんなところで接点があるなんて考えもしなかった。

「ジリアンに何か用でも? この子はまだ婚約者がいないので平民と懇意にしているなどと噂が立つと迷惑するのよ」

「それは配慮が足りませんでした。私はただ彼女のルビーのネックレスが素晴らしいものなので、お話をお聞きしたいと思いお声をかけさせて頂いたところです。厚かましくもダンスまでお誘いしてしまい申し訳ございません」

 ジリアンがこの男に好意を抱いているのは明らかだがこの男の感情は読めなかった。ただ、もう二人を合わせてはいけないことだけは分かっている。ジリアンが使用人としてお使いに出ていることを吹聴されれば厄介だ。他人の空似だと誤魔化すには社交界は醜聞好きが多すぎる。

「ジリアン。あなたは先に帰りなさい。私たちは公爵ご夫妻と大切な話があります」

「はい。伯母様」

 エヴァはイライラしながらジリアンの後姿を見つめる。平民と恋仲などと噂でも立ったら厄介だ。しかも知り合うきっかけはメイドとして働かせたことによる出会いなのだ。深呼吸をして冷静さを取り戻す。このあと公爵夫妻と話をすることになっている。エヴァもイヴリンもヒューゴとの婚約を望んでいる。今独身男性の中でも一等、見た目も爵位も望ましい。何としても上手くいかせたい。

 幸い公爵夫妻はイヴリンを嫌ってはいないようなので、なんとか納得してくれた。
 あとはジリアンをどうするか……。ジリアンにもヒューゴ以外にいくつか打診が来ているが、子爵家や男爵家などの嫡男からだった。爵位は劣るがどこの家も裕福で誠実そうな人柄の男性だ。それではジリアンは普通に幸せになってしまう。出来ればジリアンを社交界に出したがらないような狭量な男性がいい……。

 自分がこの家に来るまでの苦労を思えばそれを奪ったジリアンがやすやすと幸せになることを許せない。

(メイドの生活では甘やかしすぎたかしら。最初から追い出した方がよかったのか……。それでは世間的に私たちが悪者になってしまう)

 エヴァは今届いているジリアンへの婚約の申し込みは全て断った。なかなか納得出来そうな嫁入り先は見つからない。イヴリンが結婚するまでにジリアンを追い出したいと考えているその時、突然都合のいい縁談が舞い込んできた。それはドレス工房の女主人が持ってきた話だった。

「なんでも隣国の伯爵子息のお相手が見つからないそうで、いい人がいたら紹介して欲しいと言われているのです」

「どんな方なの?」

 なんでもその家は金持ちなのだがその子息はケチで傲慢で横暴、なにより女性に対し束縛が激しい男だそうだ。そんな男に嫁ぎたいと思う女性はいないだろう。この話の最も都合がいいのは隣国ということだ。ジリアンが結婚したあと接触しなくて済む。お金持ちなのは気に入らないが、あからさまに酷い家に嫁がせてはエヴァが非難されかねない。

「まあ、多少性格に難があってもお金に苦労しない家に嫁げるというのはいいことだわ。ぜひその話を仲立ちして下さる?」

 エヴァはその話を進めたいと頼んだ。数日後にその伯爵家の使いの男がやって来た。その男は一見すると盗賊の親玉のようだった。大きな体に人相の悪そうな顔で怪しそうだが正式な伯爵家の手紙を携えていた。
 伯爵家としてはぜひジリアンを嫁に欲しいと言う。バナンも了承したのでどんどん話を進め、異例ではあるが婚約と同時に婚姻誓約書も発行し受理してもらえるように手続きをした。ジリアンの署名は手を怪我をしているからと代筆で行いなんとか整えることが出来た。
 あとはジリアンを送り出し、そのあとは隣国の伯爵子息に見初められ幸せな結婚をしたと社交界で触れ回ればエヴァが厄介払いをしたと思われることはないだろう。

 その伯爵家ではよほどジリアンを逃したくないのだろう。支度金といってかなりの金貨を渡してきた。できればすぐにでも迎え入れたいとそうそうに迎えが来た。
 最後の餞別だと新しいワンピースを用意しジリアンに着せる。これでエヴァの憂いは無くなる。ジリアンを送り出した日はカーソン侯爵家の新しい門出となった。

 ジリアンが隣国へ嫁いでいって一カ月が経った頃、弁護士が訪ねてきた。

「私とカーソン侯爵様との契約期間が満了したのでお伝えに参りました」

「延長してやってもいいが?」

 バナンが鷹揚に告げる。

「いえ、イーゴン様も亡くなりジリアン様も嫁がれましたので私の仕事は終わったものだと思っています」

「そう、それより鉄道株はどこに保管しているの? コピーを見つけたけど証書が見つからないわ」

 エヴァは屋敷の金庫に二十年以上前に購入された鉄道株のコピーを見つけていた。当時、鉄道を引くために出資者を募っていたが、人気がなかったことを覚えている。だから安く手に入れたはずだ。結果的に鉄道が通るようになると人気が出て今では価値が高騰している。その利益は大きなものだ。この屋敷に来た時はすぐに必要がないと思って証書について確認しなかった。弁護士が保管していると思っていたからだ。たがイヴリンが結婚すれば式のためにお金がかかるし敷地に別邸を建てて、そこでエヴァはバナンと暮らそうと計画している。弁護士がやめるのなら返してもらわなければならない。

「そんなものがあったのか?」

 バナンが弁護士に問いかける。

「証書はありません。その権利は二十一年前に売ってしまっていますから。コピーだけが残っていたのでしょう」

「嘘でしょう? お前、それを勝手に売って懐に入れたのではないの?」

 弁護士は緩く首を振り否定する。

「あの証書は二十一年前はほとんど価値がありませんでした。イーゴン様のご友人が借金で苦しんでいるイーゴン様のために高額で買い取ったのです。結果的に何十年もかけて価値が上がったのでそのご友人は損失にはなりませんでしたが。コピーがあったのはきっとイーゴン様がご友誼を忘れないために取っておいたのでしょう」

「待て! 借金とは何のことだ?」

「私も知らないわ」

「お二人は二十一年前の帳簿はご覧になっていませんでしたか? 当時の借金とその返済方法についても記載されていたはずです。二十一年前、領地で大災害がありその復興のための借金です。その金策で当時のカーソン侯爵様は心労で体を壊されました。屋敷や爵位を手放す覚悟もされていたようでした。イーゴン様は家を出るつもりで財産を蓄えていましたが、そのすべてを家のために使ったのです。それでも足りなかったのでイーゴン様のご友人が鉄道の投資証券と引き換えに半分以上を肩代わりしたのです。それは慈善に等しかった。それでもまだ残った借金もありました。当時の侯爵様の治療費や屋敷の維持もあり厳しい状態がずっと続いていたのです」

 弁護士の話にバナンは青ざめた顔で呆然としている。

「領地がそんなことになっていたなんて、私は聞いていない……」

「イーゴン様は借金まみれの状態ではバナン様にカーソン家を渡せないとおっしゃられていました。返済が済んでからバナン様に爵位を返したいと、ご家族たちは質素な暮らしをしていました。ジリアン様は両親が忙しく寂しくしていられました。ようやく落ち着いてやっとバナン様に爵位を返せると会いに行く途中で馬車の事故に遭いお二人は帰らぬ人となったのです」

「そ、そんな事情……私は聞いていない……イーゴンは爵位惜しさに私に渡さなかったのではないのか?」

「いいえ、イーゴン様は借金を整理したら一刻も早くバナン様に爵位を渡し、自分は商会を再度立ち上げバナン様を支えたいとおっしゃっていました」

「イーゴンはそんなに苦労していたのか。それなら私は間違っていたことになる――――。何も知らず援助の金を受け取りのうのうと暮らしていた。ああ、許してくれ。イーゴン、イーゴン……」

 バナンは頭を抱え項垂れた。エヴァはそんなことよりも当てにしていた鉄道株のお金がなくなってしまったことがショックだった。
 これからイヴリンの結婚式が控えている。大規模な式を計画していたがあれがないとなると――――。ジリアンの結婚相手からもらった支度金はまだ手を付けていないのでそれを取っておくしかない。
 今まではそれなりに領地から収益が上がっていたので今すぐ困窮することはないが、生活水準を下げることを考慮したほうがいいかもしれない。よりによって今年は領地が天候不良で赤字になりそうだと報告を受けている。

「没落? それだけは絶対に嫌よ!!」

 二度も貴族から平民になるなどいい笑いものだ。せっかく手に入れた貴族としての生活を手放すことなど考えたくない。エヴァはこの先のことを考え目の前が暗くなった。




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