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2.その思いは胸に秘めて
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ジリアンはグリーン商会の店の横で立ち止ると手櫛で髪を整えた。薄汚れたメイド服はどうにもならないのでせめて皺を伸ばす。彼に会える日は無意識にしてしまう行動だ。息を吸い込み少し笑みを浮かべ商会の扉を開ける。
「こんにちは。カーソン侯爵家の者です。ワインを取りに来ました」
「アン。こんにちは。準備してあるよ。さあさあ、奥で休んでいってちょうだい。今日も暑いわね。それにしてもカーソン侯爵家はこんな重い物を女の子に取りに来させるなんて随分と冷たいね。普通なら下男が来るか、配達を頼むのにねぇ」
ジリアンは毎週ここにワインを受け取りに来ている。ダイナの言葉に同意するわけにもいかず苦笑いを浮かべた。
「これも私の仕事ですから。でも、ありがとうございます。お邪魔します」
店番のダイナに勧められ店の奥にある事務所に向かう。彼女はいつもジリアンを労い休憩させてくれる。もちろん本来ならお使いに出たメイドが油を売っていいはずがないのだが、少しだけと心で言い訳をして甘えさせてもらう。
「やあ、アンさん。お疲れ様。今お茶を入れるから座って」
「こんにちは。リックさん。ありがとうございます。少しだけ休ませて頂きますね」
「今日は暑いからジュースにしようか。オレンジは好きかい?」
「はい、好きです」
店先から奥の事務所に入れば白いシャツに黒のスラックス姿のリックが笑顔で迎えてくれた。彼は背が高くスラリとした体で肉体派というよりと文官という雰囲気だ。長い金髪を後ろで一つに結んでいる。少し垂れた目にすっと通った鼻筋の甘い顔の美男子だ。彼はグリーン商会で経理を担当している。リックは事務所に備え付けられた冷蔵庫からジュースの瓶を取り出すとグラスに注いだ。
ジリアンはいつものようにソファーに腰かけて待つ。リックはジリアンと自分の前にグラスを置くとソファーに腰を下ろした。
「今年の夏は随分と暑いね。アンさんは体調を崩したりしていないかい? カーソン侯爵家での仕事が辛いようなら遠慮なく相談して欲しい。私に出来ることならいくらでも力になるよ」
「はい。ありがとうございます。でも大丈夫です。このお使いだって苦にはならないわ。確かにワインは重いけど体力をつけることができるし、なによりダイナさんやリックさん会えますから」
今年の夏は例年よりも気温が高い。今日は特に天気が良く日差しが強いので心配してくれたのだろう。その暑さの中、カーソン侯爵邸よりかなり歩くグリーン商会まで徒歩でお使いを命じるカーソン侯爵を彼は良く思っていないのだ。ジリアンはグラスに手を伸ばし口を付けた。
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
よく冷えたオレンジジュースは酸味があってさっぱりとしている。ここまで歩いてきて喉が渇いていたのでゴクゴクと飲み干す。
「とても美味しいです」
リックはニコニコとその様子を眺めている。喉が渇いていたとはいえ一気に飲んでしまったことが途端に恥ずかしくなる。それを誤魔化す為にさりげなく室内を見回す。棚や机の上はいつも通り綺麗に整頓されている。テーブルの中央に飾られている花瓶の花はガーベラだ。鮮やかに咲いて目を楽しませてくれる。
「それはよかった。もう一杯飲むかい?」
「いえ、充分です。ごちそうさまでした。飲み逃げみたいですけど私もう帰りますね」
リックは眉を下げ表情を曇らせる。
「まだ来たばかりじゃないか。私はアンさんとゆっくり話がしたい。それに先日の話、気持ちは変わらないかい? 私はいい加減な気持ちでアンさんに告白したんじゃない。本気だ」
ジリアンは一瞬息を止めた。先日、リックが結婚を前提に付き合わないかと告白してくれた。でも断ったのだ。後ろ盾のないただのメイドが大商会で経理を任されている将来有望な男性に相応しいとは思えない。それに彼に話せない事情がありお付き合いを受け入れることが出来ないのだ。
「ごめんなさい。リックさんの気持ちは本当に嬉しいのですが、お受けできません」
リックは切なげにジリアンを見つめるとふっと笑みを浮かべ肩を竦めた。
「私は諦めが悪いんだ。アンさんに大嫌いだ、顔を見たくないと言われるまでは簡単には諦めないよ?」
「リックさん……」
嘘でもそんな言葉は言いたくない。ジリアンは未練を断ち切るようにソファーから立ち上がり、暇を告げる。
「では、帰りますね」
「アンさん気を付けて。本当は馬車で送って行ってあげたいのだが……」
「お気持ちだけで。では失礼します」
両腕にワインの入った袋を抱え歩き出す。チラリと振り返ればリックが見送ってくれていた。角を曲がる前に笑顔で会釈をする。彼は手を振ってくれた。
ジリアンは真夏のジリジリと焼け付く太陽の下を黙々と歩き帰路に着く。日差しが肌に刺さるように痛い。商会に向かうときはリックの顔を見られるという高揚感で暑さも気にならなかったが、帰りは体力を奪われる。告白を断った罪悪感と彼に悲しそうな顔をさせてしまったことに胸が痛む。
ジリアンは彼が好きだ。そう伝えることが出来たら未来を共に歩むことができるのだろうか。いいや、きっとそれは叶うことのない夢物語だ。
別れ際の彼の心遣いを思い出す。炎天下の中歩いて屋敷に戻ることを心配してくれた。その気持ちだけで自分は幸せになれる。多くを望んでは駄目だ。
以前、彼は女の子がワインの瓶を持って歩くのは大変だからとカーソン侯爵邸まで馬車で送ってくれたことがあったが、それを侯爵夫人に見咎められ罰を与えられた。その事実を直接伝えたことはないが彼はそれを察しているようで、その後は無理に送るとは言わない。
そのかわり屋敷で困ったことがないかと聞いてくれる。彼ならば自分が助けてと言えばその手を差し出してくれるだろう。でもそれは彼を破滅へと導くことになる。だから決して口にしてはいけないのだ。
「こんにちは。カーソン侯爵家の者です。ワインを取りに来ました」
「アン。こんにちは。準備してあるよ。さあさあ、奥で休んでいってちょうだい。今日も暑いわね。それにしてもカーソン侯爵家はこんな重い物を女の子に取りに来させるなんて随分と冷たいね。普通なら下男が来るか、配達を頼むのにねぇ」
ジリアンは毎週ここにワインを受け取りに来ている。ダイナの言葉に同意するわけにもいかず苦笑いを浮かべた。
「これも私の仕事ですから。でも、ありがとうございます。お邪魔します」
店番のダイナに勧められ店の奥にある事務所に向かう。彼女はいつもジリアンを労い休憩させてくれる。もちろん本来ならお使いに出たメイドが油を売っていいはずがないのだが、少しだけと心で言い訳をして甘えさせてもらう。
「やあ、アンさん。お疲れ様。今お茶を入れるから座って」
「こんにちは。リックさん。ありがとうございます。少しだけ休ませて頂きますね」
「今日は暑いからジュースにしようか。オレンジは好きかい?」
「はい、好きです」
店先から奥の事務所に入れば白いシャツに黒のスラックス姿のリックが笑顔で迎えてくれた。彼は背が高くスラリとした体で肉体派というよりと文官という雰囲気だ。長い金髪を後ろで一つに結んでいる。少し垂れた目にすっと通った鼻筋の甘い顔の美男子だ。彼はグリーン商会で経理を担当している。リックは事務所に備え付けられた冷蔵庫からジュースの瓶を取り出すとグラスに注いだ。
ジリアンはいつものようにソファーに腰かけて待つ。リックはジリアンと自分の前にグラスを置くとソファーに腰を下ろした。
「今年の夏は随分と暑いね。アンさんは体調を崩したりしていないかい? カーソン侯爵家での仕事が辛いようなら遠慮なく相談して欲しい。私に出来ることならいくらでも力になるよ」
「はい。ありがとうございます。でも大丈夫です。このお使いだって苦にはならないわ。確かにワインは重いけど体力をつけることができるし、なによりダイナさんやリックさん会えますから」
今年の夏は例年よりも気温が高い。今日は特に天気が良く日差しが強いので心配してくれたのだろう。その暑さの中、カーソン侯爵邸よりかなり歩くグリーン商会まで徒歩でお使いを命じるカーソン侯爵を彼は良く思っていないのだ。ジリアンはグラスに手を伸ばし口を付けた。
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
よく冷えたオレンジジュースは酸味があってさっぱりとしている。ここまで歩いてきて喉が渇いていたのでゴクゴクと飲み干す。
「とても美味しいです」
リックはニコニコとその様子を眺めている。喉が渇いていたとはいえ一気に飲んでしまったことが途端に恥ずかしくなる。それを誤魔化す為にさりげなく室内を見回す。棚や机の上はいつも通り綺麗に整頓されている。テーブルの中央に飾られている花瓶の花はガーベラだ。鮮やかに咲いて目を楽しませてくれる。
「それはよかった。もう一杯飲むかい?」
「いえ、充分です。ごちそうさまでした。飲み逃げみたいですけど私もう帰りますね」
リックは眉を下げ表情を曇らせる。
「まだ来たばかりじゃないか。私はアンさんとゆっくり話がしたい。それに先日の話、気持ちは変わらないかい? 私はいい加減な気持ちでアンさんに告白したんじゃない。本気だ」
ジリアンは一瞬息を止めた。先日、リックが結婚を前提に付き合わないかと告白してくれた。でも断ったのだ。後ろ盾のないただのメイドが大商会で経理を任されている将来有望な男性に相応しいとは思えない。それに彼に話せない事情がありお付き合いを受け入れることが出来ないのだ。
「ごめんなさい。リックさんの気持ちは本当に嬉しいのですが、お受けできません」
リックは切なげにジリアンを見つめるとふっと笑みを浮かべ肩を竦めた。
「私は諦めが悪いんだ。アンさんに大嫌いだ、顔を見たくないと言われるまでは簡単には諦めないよ?」
「リックさん……」
嘘でもそんな言葉は言いたくない。ジリアンは未練を断ち切るようにソファーから立ち上がり、暇を告げる。
「では、帰りますね」
「アンさん気を付けて。本当は馬車で送って行ってあげたいのだが……」
「お気持ちだけで。では失礼します」
両腕にワインの入った袋を抱え歩き出す。チラリと振り返ればリックが見送ってくれていた。角を曲がる前に笑顔で会釈をする。彼は手を振ってくれた。
ジリアンは真夏のジリジリと焼け付く太陽の下を黙々と歩き帰路に着く。日差しが肌に刺さるように痛い。商会に向かうときはリックの顔を見られるという高揚感で暑さも気にならなかったが、帰りは体力を奪われる。告白を断った罪悪感と彼に悲しそうな顔をさせてしまったことに胸が痛む。
ジリアンは彼が好きだ。そう伝えることが出来たら未来を共に歩むことができるのだろうか。いいや、きっとそれは叶うことのない夢物語だ。
別れ際の彼の心遣いを思い出す。炎天下の中歩いて屋敷に戻ることを心配してくれた。その気持ちだけで自分は幸せになれる。多くを望んでは駄目だ。
以前、彼は女の子がワインの瓶を持って歩くのは大変だからとカーソン侯爵邸まで馬車で送ってくれたことがあったが、それを侯爵夫人に見咎められ罰を与えられた。その事実を直接伝えたことはないが彼はそれを察しているようで、その後は無理に送るとは言わない。
そのかわり屋敷で困ったことがないかと聞いてくれる。彼ならば自分が助けてと言えばその手を差し出してくれるだろう。でもそれは彼を破滅へと導くことになる。だから決して口にしてはいけないのだ。
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