上 下
12 / 13

12.愚かな男の過ち(アドリアン)

しおりを挟む
 婚約解消の手続きのために来たシエナとウラリーのいる部屋から悲鳴が聞こえた。慌てて駆け付け部屋に入ればそこで二人は向かい合っていた。

「た、助けて! アドリアン様!」

 シエラは短剣を振り上げウラリーは怯えながら後ずさりをしていた。

「シエナ! 何をしている。今すぐその短剣を捨てるんだ!!」

 シエナは首を傾げ静かに私に向かって笑いかけた。その表情は儚く消えてしまいそうだった。

「シエナ。そんなことをしたら君を捕えなくてはならない。今ならなかったことに出来る。だからその短剣を私に寄こせ!! お願いだ!!」

 私の制止する声にシエナは静かな微笑みで返した。

「さようなら。殿下」

 その言葉に目を瞠り絶句した。
 シエナは悲しそうな顔を向けると一瞬の躊躇いもなく自分の胸を短剣で刺した。そのまま床に倒れるとあっというまに床に血だまりが出来る。
 その胸元からは真っ赤な血が止まることなく溢れ出す。まさかそんなことをするとは考えもしなかった。

「シエナ! しっかりしろ! 誰か医者を!! シエナ死ぬな。私をおいて逝かないでくれ! 君を愛してる、君だけを愛しているんだ。シエナ……頼む……目を、開けてくれ。シエナ……シエナ……」

彼女から返事はない。

「シエナ。愛しているんだ。だから死なないでくれ!! シエナ!!」

 シエナの顔は青ざめ体は冷たくなっていく。それなのに口には静かな笑みを浮かべている。私が似合っているといった淡い色の口紅がよく映えて残酷なほど美しい。

 駆け付けた医者は手遅れだと首を振る。信じられなかった。いつだって死と隣り合わせにいたのは私で、シエナは私にとって生の象徴だった。シエナが私より先に逝くはずがない。

「シエナ! シエナ! 目を開けてくれ。頼む……、お願いだ……」

 足元は彼女の血で染まる。抱きしめているシエナの体が冷たくなっていく。どれほど呼んでも彼女の瞳が開くことはなかった。
 
 ―――― シエナをわたしがころしてしまった。



 ランドロー公爵は彼女の遺体を公爵邸に引き取ると速やかに葬儀を済ませた。自死は罪とされているので表向きは病死と公表された。彼女を慕うものは多く、その悲しみは深い。

「すまない。公爵。私のせいで……」

 涙を流す私に公爵はただ表情を変えることなく言い捨てた。

「いいえ、これはシエナをあなたの婚約者にした私の罪です」

 その言葉は何よりも私の胸を抉った。これこそが責め苦だった。だが当然だ。公爵にとってこの婚約は何の利益もなかった。それでも婚約を許してくれたのに手酷く裏切ってしまった。彼の心情は私より悲痛なものだろう。愛するたった一人の娘をこんな形で失ったのだ。私はこれ以上詫びの言葉を言えなかった。その権利すら持ちえなかった。私が彼女をここまで追い詰めてしまった。

 私は抜け殻になった。こんなことになるのなら健康にならなければよかった。そしたらシエナと二人いつまでも慈しみ合い寄り添って生きることが出来た。たとえ私の時間に限りあってもそれこそが幸せなはずだった。
 
 私は間違えたのだ。地位を諦め宰相を拒みシエナだけを選べばこんなことにならなかった。だが王太子であることを捨てた自分に存在価値があるとは思えなかった。それが怖く、また健康になり王太子としての仕事ができるようになりいずれ王になれる、諦めていた全てが手に入ると欲をかいたせいで私は最も大事な心から愛する人を失ったのだ。シエナも公爵も私に見返りを求めなかったのに彼女の献身を踏み躙り傷つけ悲しませた。私はシエナに一言も説明をしていなかった。それは不本意な噂を肯定したも同然だった。それを信じ失意のまま逝かせてしまった。

 私は秘密裏に王弟である叔父上に連絡を取った。
 そして宰相を失脚させるための助力を願った。国内で宰相に対抗できる力を持つのは彼だけだった。もし失敗して殺されても私に悔いはない。この時になって気付いたが宰相は私がいなくなればどのみち権力を失う。私の次に王位継承権を持つのは従弟だ。王弟である叔父上は大公となったときに継承権を放棄している。叔父上と宰相は仲が悪いから同じ神輿を担くことはないだろう。私がいなければ宰相が自分の駒に出来る王子がいなくなる。もっと早くそのことに気付けば逆に脅すことが出来たかもしれないが、私はシエナを失うかもしれない恐怖で考えが至らなかった。私は何も見えていなかった。
 
 その後、叔父上の手を借りて調べた結果、オジェ男爵が酔っ払って「自分の娘は本当は聖女じゃない。だが上手くいった」と言っていたという証言を聞き、急ぎ男爵領に向かい厳しく尋問した。そして真実を知る。
 
 私の病が回復したのは神でも聖女の力でもなく異国から取り寄せた薬のおかげだった。私は幼稚な嘘に踊らされたのだ。生まれてきた時から私を苦しめ続けた病気があまりにも呆気なく完治したことで神の奇跡を信じてしまったが、異国ではこの病気の研究が進んでいてすでに特効薬があったのだ。騙された己の滑稽さに笑いたくなる。

 私はその場で男爵を切り捨てたかったが、この男の持っていた薬で治ったことは確かだ。公正な裁きにかけることにした。そして神殿と宰相が癒着している証拠を手に入れたので公表して宰相と神官長を更迭し加担した者たちを捕らえた。
 私は自分以外の最後の罪人に会いに行った。それでも会うまでは彼女を僅かながらに憐れんでいた。もし彼女が最初から正直に薬のことを話していれば、謝礼を受け取り穏やかな生活を続けていたはずだった。ひとつの嘘を切っかけに宰相たちに利用されてしまったのだと。

「アドリアン様。私たちの結婚式はどうなっていますか?」

 能天気にも私に笑顔で問いかけるウラリーに堪えられなくなり大笑いした。この女には罪の意識が全くない。シエナは死んでしまったというのにそれを悼む心もないのだ。自分の望みを叶えることだけにしか興味がないらしい。神殿や宰相に利用されたことに対しての憐れみの気持ちは霧散した。

「はっはははははは」

「アドリアン様?」

「ウラリー、本気で言っているのか? 私はお前と結婚しない」

「う、うそ、だって宰相も神官も大丈夫だって。アドリアン様も正妃にするって言ってくれたわ。私を愛してくれているのでしょう?」

 私は凶悪なほどの殺意を行動に移さないように耐えた。帯剣していれば抜刀していただろう。侮蔑と憎悪が体中を支配する。

「愛? ふざけるな。お前を愛したことはない。宰相に脅されていなければ正妃にするなどと言わなかった。それにオジェ男爵から本当のことを聞いた。お前は聖女じゃない。神の話は嘘で私には病に効く薬を飲ませただけだと。お前たちは王家と民衆をたばかった。すでに神官は捕らえ宰相は更迭した。男爵は捕らえて牢にいる。お前も罪人だ。病気を治してもらったことだけは感謝しているが罪は罪だ。そのままにはしておけない」

「なっ、なんで、嫌よ。私は聖女よ! 神殿も認めたのよ!」

「神殿は聖女の認定を誤りだと取り消した。お前はもう聖女ではない」

「そんな…………」

「連れて行け」

「待って!アドリアン様。アドリアン様は私を好きでしたか? 愛してくれていましたか?」

 必死に縋る声に心が冷えていく。まだこの女は世迷言を言うのか。愛しているはずがない。「殺したいほど憎んでいる」心の中でそう返した。
 
 私はこの後、王太子を降り王位継承権も放棄する。従弟を次の王太子にすることが今回叔父上に手を借りる条件だったからだ。シエナの死の事実以外のことを全て公表する。そして神殿や男爵に騙された愚かな男として私は人々に嘲笑されるのだろう。

 最も重い罪を犯した私に裁きを下す者がいない。シエナを殺してしまったのにその罪を贖うすべが分からない。もう、私には何も残っていない。思い出すのは彼女のことだけだった。



 シエナ。愛している。もし時間を巻き戻せるなら、もう一度やり直せるのなら次は決して間違えない。必ず君だけを選ぶ。
 たとえ私が病気のままで君にとっての荷物であったとしてもシエナを離さない。王になれなくてもいい。健康になれなくてもいい。私にはシエナだけだ。

 私は彼女から貰った指輪を久しぶりに指に嵌めた。以前ウラリーがその指輪に意味はあるのかとしつこく問いかけるので煩わしくなって指から外しネックレスに通して身につけていたのだ。今の自分はこの指輪を嵌める資格がないことは分かっていたがこれだけは手放せない。これはシエナの想いが籠った私への贈り物だった。
 胸の中には贖うことの出来ない悔恨と彼女への愛が沈殿し積もっていく。

 シエナ、「これからも君だけを愛している」私は嗚咽を堪え震える唇で指輪にそっと口付けた。

 愚かな男の呟きは無様に消えてなくなった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完結)婚約破棄から始まる真実の愛

青空一夏
恋愛
 私は、幼い頃からの婚約者の公爵様から、『つまらない女性なのは罪だ。妹のアリッサ王女と婚約する』と言われた。私は、そんなにつまらない人間なのだろうか?お父様もお母様も、砂糖菓子のようなかわいい雰囲気のアリッサだけをかわいがる。  女王であったお婆さまのお気に入りだった私は、一年前にお婆さまが亡くなってから虐げられる日々をおくっていた。婚約者を奪われ、妹の代わりに隣国の老王に嫁がされる私はどうなってしまうの?  美しく聡明な王女が、両親や妹に酷い仕打ちを受けながらも、結局は一番幸せになっているという内容になる(予定です)

愛のない貴方からの婚約破棄は受け入れますが、その不貞の代償は大きいですよ?

日々埋没。
恋愛
 公爵令嬢アズールサは隣国の男爵令嬢による嘘のイジメ被害告発のせいで、婚約者の王太子から婚約破棄を告げられる。 「どうぞご自由に。私なら傲慢な殿下にも王太子妃の地位にも未練はございませんので」  しかし愛のない政略結婚でこれまで冷遇されてきたアズールサは二つ返事で了承し、晴れて邪魔な婚約者を男爵令嬢に押し付けることに成功する。 「――ああそうそう、殿下が入れ込んでいるそちらの彼女って実は〇〇ですよ? まあ独り言ですが」  嘘つき男爵令嬢に騙された王太子は取り返しのつかない最期を迎えることになり……。    ※この作品は過去に公開したことのある作品に修正を加えたものです。  またこの作品とは別に、他サイトでも本作を元にしたリメイク作を別のペンネー厶で公開していますがそのことをあらかじめご了承ください。

婚約解消は君の方から

みなせ
恋愛
私、リオンは“真実の愛”を見つけてしまった。 しかし、私には産まれた時からの婚約者・ミアがいる。 私が愛するカレンに嫌がらせをするミアに、 嫌がらせをやめるよう呼び出したのに…… どうしてこうなったんだろう? 2020.2.17より、カレンの話を始めました。 小説家になろうさんにも掲載しています。

──いいえ。わたしがあなたとの婚約を破棄したいのは、あなたに愛する人がいるからではありません。

ふまさ
恋愛
 伯爵令息のパットは、婚約者であるオーレリアからの突然の別れ話に、困惑していた。 「確かにぼくには、きみの他に愛する人がいる。でもその人は平民で、ぼくはその人と結婚はできない。だから、きみと──こんな言い方は卑怯かもしれないが、きみの家にお金を援助することと引き換えに、きみはそれを受け入れたうえで、ぼくと婚約してくれたんじゃなかったのか?!」  正面に座るオーレリアは、膝のうえに置いたこぶしを強く握った。 「……あなたの言う通りです。元より貴族の結婚など、政略的なものの方が多い。そんな中、没落寸前の我がヴェッター伯爵家に援助してくれたうえ、あなたのような優しいお方が我が家に婿養子としてきてくれるなど、まるで夢のようなお話でした」 「──なら、どうして? ぼくがきみを一番に愛せないから? けれどきみは、それでもいいと言ってくれたよね?」  オーレリアは答えないどころか、顔すらあげてくれない。  けれどその場にいる、両家の親たちは、その理由を理解していた。  ──そう。  何もわかっていないのは、パットだけだった。

あなたの妻にはなりません

風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。 彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。 幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。 彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。 悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。 彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。 あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。 悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。 「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

【完結】私を裏切った最愛の婚約者の幸せを願って身を引く事にしました。

Rohdea
恋愛
和平の為に、長年争いを繰り返していた国の王子と愛のない政略結婚する事になった王女シャロン。 休戦中とはいえ、かつて敵国同士だった王子と王女。 てっきり酷い扱いを受けるとばかり思っていたのに婚約者となった王子、エミリオは予想とは違いシャロンを温かく迎えてくれた。 互いを大切に想いどんどん仲を深めていく二人。 仲睦まじい二人の様子に誰もがこのまま、平和が訪れると信じていた。 しかし、そんなシャロンに待っていたのは祖国の裏切りと、愛する婚約者、エミリオの裏切りだった─── ※初投稿作『私を裏切った前世の婚約者と再会しました。』 の、主人公達の前世の物語となります。 こちらの話の中で語られていた二人の前世を掘り下げた話となります。 ❋注意❋ 二人の迎える結末に変更はありません。ご了承ください。

やり直し令嬢は本当にやり直す

お好み焼き
恋愛
やり直しにも色々あるものです。婚約者に若い令嬢に乗り換えられ婚約解消されてしまったので、本来なら婚約する前に時を巻き戻すことが出来ればそれが一番よかったのですけれど、そんな事は神ではないわたくしには不可能です。けれどわたくしの場合は、寿命は変えられないけど見た目年齢は変えられる不老のエルフの血を引いていたお陰で、本当にやり直すことができました。一方わたくしから若いご令嬢に乗り換えた元婚約者は……。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

処理中です...