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11.裏切り者(アドリアン)

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 常に死と隣り合わせで熱を出す度にこのまま眠ったらもう二度と目を覚まさないのかもしれないと怯えながら生きてきた。
 それが全快したのだ。こんなに短期間であっけなく。自分でも信じられないが神のお告げでウラリーが聖女だと言われればそうかも知れないと思ってしまった。

 私は病が治ったことでシエナを幸せにできる自信を得た。王太子ではあるが病弱な体では王位に就くことも世継ぎを望むのも難しかったが解決したのだ。自分の人生を諦めずにすむ。シエナとの未来を望むことが出来る。私は浮かれて自分の置かれている立場を正しく認識できていなかった。

 自分の王太子としての地位は砂上の楼閣のように不確かなものだと気づきもせず意気揚々と公務に望んだ。これからはシエナに頼んでいた公務も私が行うので彼女の負担を減らすことが出来る。何よりも二人で外出することが出来るようになる。夜会のダンスだって今までは見ているだけだったがシエナの手を取り踊れるのだ。早く練習して彼女と踊りたい。いつか元気になったらやろうと言っていたシエナとの沢山の約束を思い出す。

 だがまずは片づけなければならないことがある。神官長と話をすれば神殿はウラリーを聖女として認定したいと言い出した。神殿に勢いをつけたいのだろうが多大な権力は持たせたくない。だが彼女は男爵令嬢だし、治療の奇跡を起こせるのは一回だけだと言っていたので宣伝材料くらいにしかならないだろうと許可をした。

 その後は約束通りウラリーに王都の案内をした。といってもほぼ外出できなかった私こそ観光しているようなものだった。街を歩きながら「シエナ」と話しかけたくなるが同行者はウラリーだ。初めての散策がシエナではないことに落胆する。だがこれは仕方がないと諦めた。時折街で見かけた可愛い小物などを買い、後で詫びの手紙と一緒にシエナに届けさせることにした。

 ウラリーは観劇を強請ったがそれは断った。正装して劇場へエスコートをする初めての相手はシエナと決めている。それにウラリーから感じる思慕に応えることはないので気付かない振りをした。ウラリーは恩人ではあるがそれ以上の存在には成り得ない。

 翌日以降は護衛の騎士に彼女の相手を任せた。ウラリーに感謝はしているが私にも仕事がある。早く一人前になってシエナを安心させたい。
 宰相から次々と渡される書類の山を処理しながら、今までどれだけ彼女に負担をかけていたのかと反省した。早く終わらせてシエナとの時間を取り戻したい。そう思っていたがいつまで経っても仕事は増えるばかりだった。その上、地方で橋の崩落があり私が指揮を任された。慣れない対応に時間を取られ増々シエナに会いに行けない。それに私は病気が治ったといっても体力がない。長時間の公務の後に時間を作る余裕もなかった。

 私は心の中で謝りながらシエナから贈られた指輪に口付ける。シエナを恋しく想う時に無意識にしてしまう癖だった。

 忙しい合間にウラリーからは会いに来てほしいとの伝言が何度も来る。私は彼女だけに構っていられるほど暇ではない。彼女は男爵領にいるときは純朴で健気な女性だったが王宮で過ごすうちに身の程を弁えない発言をするようになった。我儘な振る舞いに侍女たちも眉をひそめている。そろそろ注意するべきかと考え始めた。確かに神殿はウラリーを聖女として認定したがあくまでお飾りの存在だ。彼女自身に権力は生じないし、私もそれを容認するつもりはない。

 なによりも私はシエナのことが気がかりだった。頻繁に手紙や贈り物をしているが彼女から一向に返事がこない。今までにない反応に困惑するが私がウラリーの相手をしていたことを怒っているのかもしれない。なんとか仕事の調整をしてランドロー公爵邸に行こうとしたが、先触れの手紙には断りの言葉が書かれていた。
  
 私は不安になり始めた。これほど顔を合わせないのは婚約して以来初めてだ。シエナに何かあったのだろうか。不安にさせているだけならば先にウラリーの縁談をまとめてしまえばいい、そう思ってウラリーに複数の貴族子息の釣書を差し出せば「結婚して欲しい」と言われた。彼女の正気を疑った。彼女は恩人であるが身分差もあるし何より私はウラリーを愛していない。
 彼女に話を聞けば宰相がウラリーに何かを吹き込んだようだが最初は信じられなかった。宰相は病弱な私を支え続けてくれていた味方だと思っていた。

「宰相。どういうことだ。ウラリーに何を吹き込んだ? 私の妃になるのはシエナだけだ。他の女性など考えられない」

「私は長年あなたを支えてきた。役立たずの王太子殿下をね。せっかく健康になったのだからそろそろ私に恩を返して頂きたい。聖女は頭が悪いから御しやすい。その聖女を私の養女に迎えあなたの妃にすれば私は王族の外戚となれる。まさかこんな幸運が降って湧くとは人生とは分からないものだな」

「外戚? なにを……」

「あなたが生まれ後に体が弱いと分かった時の私の落胆が分かりますか。私に娘はいないがあなたに年の近い姪がいたのであなたと婚姻させるつもりだった。その為に忠臣として仕えてきたのに、生まれた王子は早死にするだろうと言われ失望しましたよ。次代は王弟殿下のお子になり権力が完全にあちらに移ってしまう。だが今回殿下が健康になりちょうど聖女を連れて戻ってきた。姪はすでに嫁いで私には駒がなかったので助かりました。これからも私が殿下を支えて差し上げます。だから聖女と結婚しなさい。ランドロー公爵は力があるのでシエナ嬢が正妃では邪魔になる」

「そんなこと認めない!」

「もう遅い。あなたと聖女の仲睦まじい噂は市井に流れ民は二人の婚姻を期待しています。民は聖女と殿下が愛し合っていると信じていますよ。神殿も私を支持すると約束してくれている。それに最近シエナ嬢と連絡ができていないでしょう? 殿下の回りは私の配下で固めている。シエナ嬢はあなたが裏切ったと思いさぞやガッカリしているでしょうね?」

「私がシエナを裏切った? そんな事実はない……」

 頭の中が蒼白になる。

「事実など、どうでもいいのです。皆が何を事実だと思っているかが大事なのです。たとえ捏造したものでも信じてしまえばそれこそが事実になる」

「駄目だ。シエナを手放すことなど出来ない……」

「殿下。どうしてもシエナ嬢を手元に置いておきたいなら妾にしなさい」

「ふざけるな。シエナは公爵令嬢だ。妾になど出来るはずがない。ランドロー公爵だって許さない。しかもウラリーが正妃だと? そんなこと誰も認めるはずがない」

「妾が嫌ですか? それなら譲歩して側妃にしましょう。まあ、家族思いの公爵は反対するでしょうがそれでもシエナ嬢が欲しいなら王命を出すしかありません。陛下にお願いしてください。殿下、一応言っておきますが陛下に言って私を排除するのは無理ですよ。国政の殆どを今私が掌握している。天秤にかければ陛下であっても殿下に諦めるように言うでしょうね。あなたには私という後ろ盾しかないのです。次の王になりたかったら私の言うことを聞くしかないのですよ。分かったら早く聖女に求婚してください」

 宰相が部屋を出ていくと私は近くにあった花瓶を床に叩きつけた。やり場のない怒りに頭を掻きむしる。
 私は井の中の蛙だった。宰相の手のひらで踊らされてそれに気づきもしなかった。私は公務と言っても内政に関わることばかりで社交や派閥関係に疎かった。公の場に長い時間いることに体が耐えられなかったからだ。宰相の表面の顔だけを信じて嵌められた。これでは王家は宰相の傀儡に過ぎない。

 シエナはどうしているのだろうか。私が裏切ったと恨んでいるのか……。心変わりしたと失望しているのだろうか……。
 
 宰相の言った通り私の回りは彼の手のもので固められていた。私が送ったはずの贈り物も手紙も全て止められ、また彼女から私に宛てられた手紙も取り上げられていた。私はずっと宰相に監視されていたのだ。そして私を追いつめるために流された噂を払拭できるだけの手段を私は持っていなかった。
 
 私の選択肢は宰相の言うことを聞くか王位を諦めるかだ。私は健康になったことで王太子であることも王になることも諦められなかった。

 結局、私は宰相が望むとおりにウラリーを正妃にすることにした。苦々しく思いこれ以降彼女を呼び捨てにしたがそれは親愛ではなく嫌悪感からだった。彼女は私に愛されて当然という態度を取り宰相に利用されていると気づかず私の妃になると喜んでいる。これほど愚かな女がシエナを差し置いていずれ王妃になる? 考えるほど頭がおかしくなりそうだった。
 
 数日後、シエナに婚約解消と側妃になるよう告げた。シエナの顔はみるみる青ざめていった。よりによって愛する女性に私は何という仕打ちをしているのか。だが私の後ろに控える従者も宰相手の者だ。誤解を解くことも脅されている真実を告げることは出来なかった。私は自分の地位のために婚約解消を求めておきながらシエナが婚約解消に応じないことに喜びを感じていた。どうあっても私の妻はシエナ以外に考えられない。ところが宰相は容赦なく脅してきた。

「早急にシエナ嬢と婚約を解消し聖女と婚約をしてください。王弟殿下があなたを廃嫡に追い込む行動を起こす可能性があるのです」

 私には打つ手がなく宰相の指示通りに公爵邸を訪れシエナに再度婚約解消を迫った。そして愛称を呼ぶことを禁じた。そのときのシエナの悲痛な瞳が、戦慄く唇が私の心を責め立てているように見えた。私はこの瞬間、間違いなくシエナを裏切っていた。私は地位を捨てるべきだったのにその最後のチャンスを手放してしまった。

 何度も心の中でシエナに詫びた。私を「王太子殿下」と呼ぶシエナの声に絶望を感じた。彼女の柔らかい声で「リアン様」と呼ばれるのがたまらなく好きだったのに。
 私はあまりにも無力だ。そうするうちに最悪の事態が訪れた。
 
 私は王太子であっても平民以上に無力でそして愚かな男に過ぎなかったのだ。



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