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5.私は悪役令嬢なのですか?

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 私はお茶会からどうやって屋敷に戻ったのか記憶がない。
 それほど話の内容がショックだった。アドリアン様はウラリー様を正妃に迎え私を側室にするとおっしゃった。頭の中が混乱してグチャグチだ。お互いが唯一の存在だと思っていたのは私の思い上がりだったのだろうか。

 こんなことアドリアン様らしくない。本来の彼だったらもしウラリー様に心変わりをしたとしてもきちんと私に謝罪をして婚約解消を求めるはずだ。それなのに一方的に婚約を解消した上で側妃になれというなんて信じられない。私は夫を誰かと共有することに耐えられない。
 せめて相談して欲しかった。全てを決定事項のように告げられて私はどうしたらいいの。

 健康な体を手に入れた途端に彼は人の気持ちを考えない傲慢な人になってしまった。

 私は彼の顔を見たくなくて翌日から王城に行かず公務の手伝いを辞めた。実際、まだ婚約者のうちからするには多すぎる仕事量だった。ほとんどがアドリアン様の処理するべきものだ。だから彼が健康になった今、私が仕事を放棄しても咎められる筋合いはない。
 父にはアドリアン様から告げられた内容を全て伝えた。そしてしばらく屋敷で考えたいと頼んだ。父はそれを受け入れそっとしておいてくれた。

 一週間が経った頃、父の不在時にアドリアン様が訪ねて来た。王族を追い返すこともできず、私に気をつかって取り次げない執事が気の毒で、仕方なくアドリアン様と面会をした。愚かにも私はこの時、心のどこかで婚約解消の撤回を期待していた。「愛しているのはシエナだけだ」そう言って欲しかった。

「よかった、シエナ。元気そうだね。その、婚約解消のことは考えてくれているだろうか? 公爵に聞いたら保留にすると言われてしまったが、父上からは許可をすでに貰っている」

 アドリアン様からは私の望む言葉はなかった。再び絶望に突き落とされる。藁にもすがるような期待は一瞬で消えた。心がカラカラに渇き息苦しい。膝の上の手をぎゅっと握り感情を抑える。そうしなければ泣き叫びそうだった。だって彼は私に死刑宣告をしたのも同然だ。彼の中で婚約解消は揺るがないのだ。それでも私は最後の抵抗で質問した。

「リアン様。お聞きしたいのですが、私との婚約を解消してもウラリー様は男爵令嬢です。あなたの正妃になることは難しいのでは?」

 自惚れではなく身分も知識も教養も私の方が相応しいはずだ。

「ああ、それなら問題ない。宰相がウラリーを養女に迎え後見することになった。それでウラリーとの婚姻が済み次第、シエナのことを側室として迎えるつもりでいる」

 私の気持ちを置き去りに話を進めるこの人は、本当に私の愛したアドリアン様なのだろうか。もう何も信じられない。

「そうですか」

「それと……すまないが今後はリアンと呼ばないでほしい。ウラリーが嫉妬しているんだ」

 私は息を呑んだ。彼は私のたった一つの大切な特権を取り上げた。私にとっての心の拠り所を。二人が婚約を結んですぐに彼は「リアンと呼んでほしいと」言った。私がそう呼べば頬を染め嬉しそうに笑って下さった。この国でリアン様と呼べるのは私だけ、国王両陛下でさえ呼ばない愛称を呼べる、そのことを私がどれほど誇らしく思っていたかあなたは知らない。これは私にとって決別の言葉に等しかった。

「畏まりました。王太子殿下」

 そう呼べばアドリアン様は酷く傷ついた泣きそうな顔をする。自分から言っておいて随分と勝手なことだ。ふと視線を彼の手元に落とす。彼の指に以前私が贈った指輪がないことに気付いた。いつから外してしまっていたのだろうか。ああ、もう彼の心に私はいない……。

「殿下、婚約解消の手続きは少し待って頂けますか。私は殿下の婚約者として5年以上過ごしてきました。気持ちの整理をつける時間が欲しいのです」

「分かった。落ち着いたら連絡をくれ。待っている。その、出来るだけ早くしてほしい」

 その言葉に私の心は凍り、そしてバラバラに砕けた。私は動揺と悲しみを隠したまま返事をする。彼を支える為に身につけた貴族の仮面が皮肉なことに今役に立った。

「ええ。分かりました」

 窓から殿下の乗る馬車が去っていくのを見る。私の心は虚ろだった。
 彼を思い支え寄り添った月日や思い出は彼の中では塵に等しいようだ。私は自分の存在の軽さに自嘲した。視界が滲み瞳から涙が流れ落ちる。
 
 家人は気をつかって私の耳に入れなかったので知らなかったが、巷には噂が流れていた。知らないのは私くらい有名だったらしい。王太子殿下と公爵令嬢の婚約は愛のない政治的なもので、殿下が真実に愛するのは男爵令嬢だ。彼女は奇跡の治癒の力で殿下の不治の病を治し奇跡を起こした聖女に等しい存在で、二人は真実の愛で結ばれているのだと言われている。そして婚約者の公爵令嬢は二人を妨害する存在……。きっとアドリアン様はこの噂を意図的に流したに違いない。私をそこまで貶めるというのか。

 貴族はウラリー様との婚約に賛否あるが平民の中ではロマンスに感動し歓迎ムードだ。これでは私はまさに悪役令嬢ではないか。

 私は彼から愛されていなかった。もうその事実を受け入れるしかないのだ。それならば全てを終わりにしよう。一度、決心してしまえば憑き物が落ちたように冷静になれた。

 帰宅した父に今後の相談をした。父は全てを受け入れてくれた。
 そして10日後にウラリー様を交えて3人でお話がしたいとアドリアン様に手紙を送った。彼からはすぐさま返事が来た。
 そして約束の日が来た。私は目を閉じ覚悟を決め王城へ向かう。心の中はとても静かだった。
 私はとても美しく装って城に向かった。彼が白い肌にとてもよく似合っていると言ってくれた薄紅の口紅を引いている。

 私はアドリアン様の婚約者として最後の舞台へ向かう。そっと短剣を隠し持って…………。


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