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1.「さようなら、殿下」

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 ウラリー様が楽しそうに私に話しかけてくる。

「ねえ。シエナ様。私たち仲良くやっていきましょう? 私、自分が王太子妃になるには能力が不足していることを理解しているんです。だから私はアドリアン様の隣で社交に注力する。シエナ様には側妃としてそれ以外の公務の全てをお願いしたいの」

 彼女は何か勘違いをしている。社交は王太子殿下の隣で笑っているだけでは務まらない。相手によって相応しい話題と振る舞いを求められる。半端な知識や教養では対応できない。

「そして彼の子を産むことに専念するわ。私健康には自信があるのよ。だから元気な世継ぎを産んでみせる。3人でも4人でもたくさん! ああ、そうなると私が国母になるのね。素敵だわ! アドリアン様とシエナ様のお二人は身分の釣り合いを考えただけの政治的な婚約者なのでしょう? 愛がないならシエナ様はアドリアン様と夫婦として過ごす必要はないものね?」

 彼女はなんて残酷なの。私には子供を産むなというの? それに私がアドリアン様を愛していないと勝手に決めつけないで。私は幼い頃から愛し愛される夫婦になることに憧れてずっと彼を支えて心を尽くしてきたのに、全てを諦めろと? 

「シエナ様は今までのようにお仕事を頑張ってくれればいいわ。シエナ様にとってお仕事こそが生きがいだと王宮のみんなから聞いているのよ」

 仕事が生きがい? 違う!! 私は王太子殿下の婚約者として必死に努力してきただけ。体の弱い彼の仕事の負担を減らすにはその分の公務を私が引き受けるしかなかった。

「私が王太子妃でシエナ様が側妃。役割が明確できっと上手くやっていける。だから―――」

 彼の妻に、たった一人の妻になるのだと信じて生きてきたのに側妃? 公務を担うためだけの存在? 愛もなくただ利用し使い捨てられるような? そして私から彼を奪ったあなたと仲良くしろと言うのね。

 私は隠し持っていた短剣を手に取りウラリー様の前に掲げた。さっきまで笑顔で話をしていたウラリー様が短剣を見てヒッっと引き攣るような悲鳴をあげた。

「ど、どうして? うそ……誰か、誰か助けて!!!」

 ウラリー様は私が彼女を害すると思ったのね。とっさにそう判断できるようなことを私にした自覚があるのでしょう? それなのに仲よくしようなどとよく言えたわね。私は笑いそうになるのをグッと堪えた。

 バタン!! 

「ウラリー、どうした?」

 今はまだ私の婚約者であるアドリアン王太子殿下が血相を変えて駆け付けた。きっとウラリー様を心配しているのだろう。

「た、助けて! アドリアン様!」

 アドリアン様は目を瞠り私が手に短剣を握っていることに気付くと焦り出した。

「シエナ! 何をしている。今すぐその短剣を捨てるんだ!!」

 彼は動揺を露わにしながらも私に向かってその短剣を渡せと手を伸ばしてくる。彼は何か捲し立てているが私の頭の中には入ってこなかった。
 ただ彼のその様子は苦しそうで思わず大丈夫ですよと安心させてあげたくなる。でも出来ない。私の心は決まっている。もう迷いはなかった。
 
 私の大好きだったアドリアン様の綺麗な碧い瞳を見つめそっと微笑んだ。
 最後は笑顔でお別れしましょう。アドリアン様、あなたは私が恋をして心からの愛を捧げた人。でも、もう、あなたへの想いを終わりにします。

「さようなら。殿下」

 もう、私はあなたの愛称を呼ぶことは出来ない。だってあなたが呼ぶなと言ったから。婚約した頃、愛称の「リアン」で呼んでほしいとはにかみながら言ってくれたあなたはいなくなってしまった。

 私は短剣を両手で持ち思い切り自分の心臓めがけて突き立てた。刃が胸に沈んでいけば真っ赤な血が溢れ出す。私はその場に崩れ落ちた。そして奥歯を噛みしめれば口内に鉄の味とも何とも言えぬ苦みが広がる。

 アドリアン様が私を抱き締めて名前を呼んでいる。もう愛していない女のためになぜ泣くの? 彼の首にかけられたネックレスが視界に映る。そこには私が贈った指輪がついていた。祈りを込めた指輪……。その指輪は捨てたのではなかったの? どうして? 
 疑問が浮かぶのにもう思考する力は残っていなかった。私の視界は黒い闇に覆われ閉ざされていった。
 
 意識が消えるその間際に聞こえたのはウラリー様の悲鳴と、アドリアン様の私の名前を呼び続ける悲痛な叫び声だった。 


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