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11.お姉様の独り言(アデラ)
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アデラはヴァネッサに本を借りようと部屋を訪ねた。ノックをしようとしたら扉が少し開いていることに気付く。
「あなたが早く結婚してくれないと……私の初恋は終わらないみたい……」
隙間からヴァネッサの小さな独り言が聞こえた。アデラは慌てて踵を返し自分の部屋に戻った。
「お姉様の初恋……きっとウエーバー公爵子息様のことだわ。だからお姉様はなかなか婚約者を決めなかったのね」
以前、買い物に出たアデラとヴァネッサが雨に降られて困っているところを、馬車で屋敷まで送ってくれたのがウエーバー公爵子息オーディスだった。馬車の中で二人は柔らかい雰囲気で会話をしていた。お姉様が大好きなアデラはすぐにヴァネッサが彼に特別な感情を持っていることに気付いた。お礼にお茶に誘うとヴァネッサはいそいそとお茶を準備しに行った。アデラは待っている間にオーディスと話しをした。オーディスは目尻を下げ楽しそうにお姉様を褒めちぎっていた。最初はニコニコと聞いていたが段々腹が立ってきた。
(あなたより私の方がお姉様の素晴らしさを知っているわ。自分こそ理解者のような発言は許せない。図々しい人ね!)
アデラはオーディスをライバル視した。
ヴァネッサがオーディスに出したお茶はヴァネッサがお小遣いで買った高級な茶葉でとっておきの物だ。気合の入りようが窺える。なんとなくアデラは敗北を感じた。悔しい……。心の中でギリギリと歯ぎしりをした。
アデラはじっくりと二人の様子を眺める。特にオーディスを注意深く観察したが、彼もまたヴァネッサに明らかに想いを寄せているようだった。
(二人は両想い……)
アデラはお姉様を取られる寂しさを感じながらもヴァネッサが幸せになれるのなら、二人を応援しようと思った。何をするとか具体的なことはまったく考えてはいなかったが。ところが……学園を卒業してもオーディスはお姉様に求婚しに来なかった。
(我が家では身分が釣り合わないと考えているのかしら? 実は高慢な人? でもお姉様がそんな男に心を寄せるとは思えない。それならヘタレなのかしら。そうであればお姉様を任せられない。所詮はその程度の男ってことね!)
ちなみにアデラは将来冒険者になるつもりだ。きっかけは小さい頃にお姉様がプレゼントしてくれた冒険者の絵本が面白かったから。
あの頃、アデラはお姉様に王子様が令嬢を見染めるお話の絵本を寝る前に読んでもらっていた。アデラはあの絵本がつまらなかったのだ。女の子は待っているだけで幸せになる。そんなの面白くない。だから寝る前に読んでもらうと最初の三ページくらいで眠りに落ちる。
お姉様はあの絵本がお気に入りでいつもうっとりと読んでくれていた。本当は最後までお姉様の読んでくれる声を聞いていたかったが、いい子守唄すぎて無理だった。しばらくすると絵本を読んでもらわなくても眠れるようになったので、絵本はお姉様にあげることにした。そのお礼にもらった絵本は冒険者が活躍するお話でアデラのお気に入りになり、そして将来の夢になった。
アデラはこの世界で一番お姉様が大好きだ。理由? そんなのお姉様がアデラのお姉様だからに決まっている。理屈ではないのだ。
小さい頃、両親が二人にリボンを買ってきた。ピンクと水色、ヴァネッサは先に選ばせてくれようとしたがアデラは首を横に振り聞いた。
「おねえちゃまはどっちがいい?」
「じゃあ、ピンクにするわ」
「それならアデラもピンクがいい!」
お姉様とお揃いのリボンを付けられる! と喜んだ。ところがお姉様は少しだけ残念そうに水色にすると言い出した。
「えっ?! じゃあ、アデラもみずいろがいい!」
「それならピンクも水色もアデラにあげるわ。それでいい?」
どうしてそうなっちゃうの?
「ちがうの! ちがうの!」
「困ったわ……」
お姉様を困らせたいわけじゃない。アデラはお姉様とお揃いのリボンを着けたかっただけなのだ。でもヴァネッサは同じものを着けてくれるつもりはないようで悲しくなった。アデラとは違う色を選ぼうとする。両方なんていらないのに。上手く説明できないことがもどかしかった。
「……おねえちゃまは、どっちがいいの?」
「ピンクにしようかな?」
「じゃあアデラ、みずいろにする!」
「えっ? ピンクじゃなくていいの?」
「うん」
前にドレス工房の人がお姉様には青系が似合うと言ったので、お姉様はいつも青色を選ぶようにしているが、本当はピンク色が好きなことに気付いていた。アデラはお姉様とお揃いでないのなら何色でもいい。もしくはリボンなんかいらないし。
お姉様はピンクのリボンを嬉しそうに髪に結わいていた。その姿にアデラは満足した。でも決して外では着けない。似合っているのに自分には似合っていないと思い込んでいる。ドレス工房の人、許さない!
アデラが八歳の時、母の知り合いの子爵家にお姉様と一緒にお茶に招かれた。
その日は両親におねだりして誂えたお姉様と一緒のデザインのドレスを着ていた。色もオフホワイトでお揃い! アデラは嬉しくてウキウキと足取り軽くお茶会に向かった。
ところがお茶会主催主の娘アリーナは、私たちのドレスを見ると顔を引き攣らせた。アリーナのドレスもオフホワイトだったのだ。さらに私たちのドレスの方がレースがたっぷりとついて可愛らしい。嫉妬したのだ。アリーナは手を滑らせた振りをしてお姉様のドレスにわざとお茶を溢した。溢した瞬間ニヤリと笑ったのをアデラは見ていた。アデラは憤慨したが、悪意を疑いもしないお姉様はあっさりと許してしまった。お姉様が止めなければきっとアデラはアリーナを突き飛ばしていただろう。
(せっかくお姉様と同じドレスだったのにシミになってしまった……悲しい。もう着られなくなっちゃう。シミ、落ちるかな。難しそうだな。お姉様もしょんぼりしている。アリーナ様、許さない!! 私が地獄に落とす!)
アデラの思考は少々過激だ。冒険者の絵本を読んで以降、冒険ものの小説をたくさん読むようになった。大抵主人公は平民で作品によってはスラングが出てくる。さすがに令嬢が使ってはいけない言葉だと分かっているので口には出さないが心の中では使っている。
二週間後、再び子爵邸を訪れた。アリーナはお姉様にプレゼントを用意すると言っていた。アデラはアリーナの言葉を信用していない。お姉様はお友だちになれると楽しみにしているがアデラは阻止する気満々だ。まずはアリーナが用意したプレゼントの中身をお姉様が受け取る前に確認する!
アデラはお母様とお姉様が挨拶をしている隙に、アリーナのもとへ行った。アリーナはお庭で綺麗な箱を持って上機嫌で座っていた。
「アリーナ様。もしかしてそれはお姉様へのプレゼント?」
「ええ。そうよ」
「中身はなに?」
「まあ。アデラ様は下品ね。プレゼントの中身を先に訪ねるなんて無粋っていうのよ」
アリーナは大人ぶって言った。アデラはスタスタとアリーナのところへ行くとその箱を取り上げた。
「なっ!!」
アリーナは焦っている。箱を持つとカサカサと音がする。アデラは確かめるために箱を開けた。すると横でアリーナが「ひっ」と引き攣れた声をあげた。
箱の中には……生きているトカゲが入っていた。アデラとトカゲは目が合った。可愛い! トカゲは瞬きをすると箱からタッ! と飛び出してどこかに行ってしまった。アデラは冒険者になるのでトカゲくらいでは驚かない。でもきっとお姉様だったら悲鳴を上げて涙目になっていた。アデラはそっと箱を閉めるとアリーナを半目で睨んだ。
「アリーナ様はトカゲをお詫びの品として贈るの? よほど下品だわ」
「……」
その時お姉様の声がした。
「アリーナ様。アデラ、何をしているの?」
アデラはとっさに箱を後ろに隠した。お姉様がこのことを知ったらきっと悲しむ。だって昨日の夜、お姉様はアリーナとお友達になれると喜んでいた。アリーナはお姉様のドレスだけでなく気持ちまで踏み躙ったのだ。アデラは報復すると心に誓った。そのアリーナは青ざめた顔で地面を見つめている。
「お母様たちがあちらでお茶を用意して待っているから早くいらっしゃい」
お姉様は何事もなかったように屋敷の中に戻って行ったが、たぶんアデラが箱を持っているのを見てしまった。明らかに悲しそうな表情だった。アデラは悲しくなった。お姉様はいつだって自分の気持ちを押し殺してしまう。貴族は、淑女はそうしなければならないと思っている。
(ああ……きっとアリーナ様がお姉様ではなく私にプレゼントを渡したと誤解している。違うけれど本当のことを知ったらもっと傷つくよね。黙っていよう)
お姉様は落ち込むと一度トイレに行くから今ならお姉様に知られないままお母様に報告できると判断し、トカゲの入っていた箱とアリーナを連れてお母様のところに行った。そしてトカゲの箱のことを涙ながらに訴えた。(もちろん涙は演技だ)
「でもこのことはお姉様には内緒にして。お母様。お願い」
「分かったわ。アデラ。いい子ね」
アリーナは涙目で子爵夫人は真っ青な顔で謝っている。トカゲは庭師に頼んで捕まえたと白状した。お母様はスッと表情を消して温度を感じさせない声で言った。
「子爵夫人。あなたの家と我が家は縁がなかったようですね。夫にもそう伝えておきます」
(お母様ったら冷酷な雰囲気が格好いいわ!)
子爵夫人は弁解しようと口をはくはくしているが、お母様の迫力に言葉が出ない。
お姉様が戻るとお母様は私とお姉様を連れて屋敷に戻った。
お姉様は「今来たばかりなのにもう帰るのですか?」と不思議そうにしていたけれど、お母様はいい笑顔で頷いた。夕食はお姉様とアデラの好物がたくさん並んでいた。お母様が気を遣ってくれたのだ。
子爵家と我が家には事業提携の話が出ていた。お母様や私たちが子爵夫人やアリーナと仲良くなってから父親同士が本格的な話を進める予定だったそうだ。(お父様は素晴らしい人だけどお人好しなところがあるので、我が家の最終的な決定権はお母様が握っている)
というわけでこの話はなくなった。なくなったところで我が家に不利益はない。困るのは子爵家だけなので問題ない!
アデラは回想から戻ると心を決めた。
とにかくお姉様は貴族として、伯爵家を継ぐ長子としての行動を最優先にする。その結果、初恋を諦めてしまった。お姉様は爵位を継ぐことに使命を感じている。でもそのせいで幸せになれないなんて嫌だ。お姉様の努力はウエーバー公爵家に嫁ぐことでも活かせる。オーディスと結婚しても無駄にはならない。問題は我が家だ。アデラに爵位を継げる能力さえあれば、お姉様の背中を押してあげられる。
「とはいえ学園を卒業してから一年……二人とも拗らせすぎなのでは? お互いが婚約者を決めることもできないなんて。諦めきれないなら掴みにいけばいいのに」
オーディスは女性たちに人気でお見合いの打診がすごいことになっていると聞く。それなのにすべて断り恋人も作らず浮名も流さない。密かに男性の恋人がいると囁かれている。(お姉様はこの噂を知らない)オーディスもお姉様と同じ理由で婚約者を決めていないのなら、アデラに出来ることがきっとある!
アデラは愛するお姉様のために一肌脱ぐことにした。
「あなたが早く結婚してくれないと……私の初恋は終わらないみたい……」
隙間からヴァネッサの小さな独り言が聞こえた。アデラは慌てて踵を返し自分の部屋に戻った。
「お姉様の初恋……きっとウエーバー公爵子息様のことだわ。だからお姉様はなかなか婚約者を決めなかったのね」
以前、買い物に出たアデラとヴァネッサが雨に降られて困っているところを、馬車で屋敷まで送ってくれたのがウエーバー公爵子息オーディスだった。馬車の中で二人は柔らかい雰囲気で会話をしていた。お姉様が大好きなアデラはすぐにヴァネッサが彼に特別な感情を持っていることに気付いた。お礼にお茶に誘うとヴァネッサはいそいそとお茶を準備しに行った。アデラは待っている間にオーディスと話しをした。オーディスは目尻を下げ楽しそうにお姉様を褒めちぎっていた。最初はニコニコと聞いていたが段々腹が立ってきた。
(あなたより私の方がお姉様の素晴らしさを知っているわ。自分こそ理解者のような発言は許せない。図々しい人ね!)
アデラはオーディスをライバル視した。
ヴァネッサがオーディスに出したお茶はヴァネッサがお小遣いで買った高級な茶葉でとっておきの物だ。気合の入りようが窺える。なんとなくアデラは敗北を感じた。悔しい……。心の中でギリギリと歯ぎしりをした。
アデラはじっくりと二人の様子を眺める。特にオーディスを注意深く観察したが、彼もまたヴァネッサに明らかに想いを寄せているようだった。
(二人は両想い……)
アデラはお姉様を取られる寂しさを感じながらもヴァネッサが幸せになれるのなら、二人を応援しようと思った。何をするとか具体的なことはまったく考えてはいなかったが。ところが……学園を卒業してもオーディスはお姉様に求婚しに来なかった。
(我が家では身分が釣り合わないと考えているのかしら? 実は高慢な人? でもお姉様がそんな男に心を寄せるとは思えない。それならヘタレなのかしら。そうであればお姉様を任せられない。所詮はその程度の男ってことね!)
ちなみにアデラは将来冒険者になるつもりだ。きっかけは小さい頃にお姉様がプレゼントしてくれた冒険者の絵本が面白かったから。
あの頃、アデラはお姉様に王子様が令嬢を見染めるお話の絵本を寝る前に読んでもらっていた。アデラはあの絵本がつまらなかったのだ。女の子は待っているだけで幸せになる。そんなの面白くない。だから寝る前に読んでもらうと最初の三ページくらいで眠りに落ちる。
お姉様はあの絵本がお気に入りでいつもうっとりと読んでくれていた。本当は最後までお姉様の読んでくれる声を聞いていたかったが、いい子守唄すぎて無理だった。しばらくすると絵本を読んでもらわなくても眠れるようになったので、絵本はお姉様にあげることにした。そのお礼にもらった絵本は冒険者が活躍するお話でアデラのお気に入りになり、そして将来の夢になった。
アデラはこの世界で一番お姉様が大好きだ。理由? そんなのお姉様がアデラのお姉様だからに決まっている。理屈ではないのだ。
小さい頃、両親が二人にリボンを買ってきた。ピンクと水色、ヴァネッサは先に選ばせてくれようとしたがアデラは首を横に振り聞いた。
「おねえちゃまはどっちがいい?」
「じゃあ、ピンクにするわ」
「それならアデラもピンクがいい!」
お姉様とお揃いのリボンを付けられる! と喜んだ。ところがお姉様は少しだけ残念そうに水色にすると言い出した。
「えっ?! じゃあ、アデラもみずいろがいい!」
「それならピンクも水色もアデラにあげるわ。それでいい?」
どうしてそうなっちゃうの?
「ちがうの! ちがうの!」
「困ったわ……」
お姉様を困らせたいわけじゃない。アデラはお姉様とお揃いのリボンを着けたかっただけなのだ。でもヴァネッサは同じものを着けてくれるつもりはないようで悲しくなった。アデラとは違う色を選ぼうとする。両方なんていらないのに。上手く説明できないことがもどかしかった。
「……おねえちゃまは、どっちがいいの?」
「ピンクにしようかな?」
「じゃあアデラ、みずいろにする!」
「えっ? ピンクじゃなくていいの?」
「うん」
前にドレス工房の人がお姉様には青系が似合うと言ったので、お姉様はいつも青色を選ぶようにしているが、本当はピンク色が好きなことに気付いていた。アデラはお姉様とお揃いでないのなら何色でもいい。もしくはリボンなんかいらないし。
お姉様はピンクのリボンを嬉しそうに髪に結わいていた。その姿にアデラは満足した。でも決して外では着けない。似合っているのに自分には似合っていないと思い込んでいる。ドレス工房の人、許さない!
アデラが八歳の時、母の知り合いの子爵家にお姉様と一緒にお茶に招かれた。
その日は両親におねだりして誂えたお姉様と一緒のデザインのドレスを着ていた。色もオフホワイトでお揃い! アデラは嬉しくてウキウキと足取り軽くお茶会に向かった。
ところがお茶会主催主の娘アリーナは、私たちのドレスを見ると顔を引き攣らせた。アリーナのドレスもオフホワイトだったのだ。さらに私たちのドレスの方がレースがたっぷりとついて可愛らしい。嫉妬したのだ。アリーナは手を滑らせた振りをしてお姉様のドレスにわざとお茶を溢した。溢した瞬間ニヤリと笑ったのをアデラは見ていた。アデラは憤慨したが、悪意を疑いもしないお姉様はあっさりと許してしまった。お姉様が止めなければきっとアデラはアリーナを突き飛ばしていただろう。
(せっかくお姉様と同じドレスだったのにシミになってしまった……悲しい。もう着られなくなっちゃう。シミ、落ちるかな。難しそうだな。お姉様もしょんぼりしている。アリーナ様、許さない!! 私が地獄に落とす!)
アデラの思考は少々過激だ。冒険者の絵本を読んで以降、冒険ものの小説をたくさん読むようになった。大抵主人公は平民で作品によってはスラングが出てくる。さすがに令嬢が使ってはいけない言葉だと分かっているので口には出さないが心の中では使っている。
二週間後、再び子爵邸を訪れた。アリーナはお姉様にプレゼントを用意すると言っていた。アデラはアリーナの言葉を信用していない。お姉様はお友だちになれると楽しみにしているがアデラは阻止する気満々だ。まずはアリーナが用意したプレゼントの中身をお姉様が受け取る前に確認する!
アデラはお母様とお姉様が挨拶をしている隙に、アリーナのもとへ行った。アリーナはお庭で綺麗な箱を持って上機嫌で座っていた。
「アリーナ様。もしかしてそれはお姉様へのプレゼント?」
「ええ。そうよ」
「中身はなに?」
「まあ。アデラ様は下品ね。プレゼントの中身を先に訪ねるなんて無粋っていうのよ」
アリーナは大人ぶって言った。アデラはスタスタとアリーナのところへ行くとその箱を取り上げた。
「なっ!!」
アリーナは焦っている。箱を持つとカサカサと音がする。アデラは確かめるために箱を開けた。すると横でアリーナが「ひっ」と引き攣れた声をあげた。
箱の中には……生きているトカゲが入っていた。アデラとトカゲは目が合った。可愛い! トカゲは瞬きをすると箱からタッ! と飛び出してどこかに行ってしまった。アデラは冒険者になるのでトカゲくらいでは驚かない。でもきっとお姉様だったら悲鳴を上げて涙目になっていた。アデラはそっと箱を閉めるとアリーナを半目で睨んだ。
「アリーナ様はトカゲをお詫びの品として贈るの? よほど下品だわ」
「……」
その時お姉様の声がした。
「アリーナ様。アデラ、何をしているの?」
アデラはとっさに箱を後ろに隠した。お姉様がこのことを知ったらきっと悲しむ。だって昨日の夜、お姉様はアリーナとお友達になれると喜んでいた。アリーナはお姉様のドレスだけでなく気持ちまで踏み躙ったのだ。アデラは報復すると心に誓った。そのアリーナは青ざめた顔で地面を見つめている。
「お母様たちがあちらでお茶を用意して待っているから早くいらっしゃい」
お姉様は何事もなかったように屋敷の中に戻って行ったが、たぶんアデラが箱を持っているのを見てしまった。明らかに悲しそうな表情だった。アデラは悲しくなった。お姉様はいつだって自分の気持ちを押し殺してしまう。貴族は、淑女はそうしなければならないと思っている。
(ああ……きっとアリーナ様がお姉様ではなく私にプレゼントを渡したと誤解している。違うけれど本当のことを知ったらもっと傷つくよね。黙っていよう)
お姉様は落ち込むと一度トイレに行くから今ならお姉様に知られないままお母様に報告できると判断し、トカゲの入っていた箱とアリーナを連れてお母様のところに行った。そしてトカゲの箱のことを涙ながらに訴えた。(もちろん涙は演技だ)
「でもこのことはお姉様には内緒にして。お母様。お願い」
「分かったわ。アデラ。いい子ね」
アリーナは涙目で子爵夫人は真っ青な顔で謝っている。トカゲは庭師に頼んで捕まえたと白状した。お母様はスッと表情を消して温度を感じさせない声で言った。
「子爵夫人。あなたの家と我が家は縁がなかったようですね。夫にもそう伝えておきます」
(お母様ったら冷酷な雰囲気が格好いいわ!)
子爵夫人は弁解しようと口をはくはくしているが、お母様の迫力に言葉が出ない。
お姉様が戻るとお母様は私とお姉様を連れて屋敷に戻った。
お姉様は「今来たばかりなのにもう帰るのですか?」と不思議そうにしていたけれど、お母様はいい笑顔で頷いた。夕食はお姉様とアデラの好物がたくさん並んでいた。お母様が気を遣ってくれたのだ。
子爵家と我が家には事業提携の話が出ていた。お母様や私たちが子爵夫人やアリーナと仲良くなってから父親同士が本格的な話を進める予定だったそうだ。(お父様は素晴らしい人だけどお人好しなところがあるので、我が家の最終的な決定権はお母様が握っている)
というわけでこの話はなくなった。なくなったところで我が家に不利益はない。困るのは子爵家だけなので問題ない!
アデラは回想から戻ると心を決めた。
とにかくお姉様は貴族として、伯爵家を継ぐ長子としての行動を最優先にする。その結果、初恋を諦めてしまった。お姉様は爵位を継ぐことに使命を感じている。でもそのせいで幸せになれないなんて嫌だ。お姉様の努力はウエーバー公爵家に嫁ぐことでも活かせる。オーディスと結婚しても無駄にはならない。問題は我が家だ。アデラに爵位を継げる能力さえあれば、お姉様の背中を押してあげられる。
「とはいえ学園を卒業してから一年……二人とも拗らせすぎなのでは? お互いが婚約者を決めることもできないなんて。諦めきれないなら掴みにいけばいいのに」
オーディスは女性たちに人気でお見合いの打診がすごいことになっていると聞く。それなのにすべて断り恋人も作らず浮名も流さない。密かに男性の恋人がいると囁かれている。(お姉様はこの噂を知らない)オーディスもお姉様と同じ理由で婚約者を決めていないのなら、アデラに出来ることがきっとある!
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