漁村

ジョン・グレイディー

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第九章

夕陽は海の中で眠る

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 男は布団から出ると弁当を作り出した。

 パックご飯を電子レンジで温め、縮緬雑魚をまぶし、おにぎりを2個作り、卵3個にマヨネーズを入れ、塩を振り、玉子焼きを拵えた。

 おにぎりと玉子焼きをサランラップに包み、竿ケースのポケットに押し込んだ。

 男は道具一式を右肩に掛け、小屋を出た。

 午後5時半

 西の空にはオレンジ色に焼けた夕陽が山に隠れようとしていた。

 漁村も眠る用意をしていた。

 左上に見える国道162号線に車のライトが見え隠れするが何故か走行音は聞こえて来なかった。

 前に見える船泊りの港も人影はなく、数隻の漁船が大人しくロープに繋がれ、
 時折り、海面に浮かぶ発泡スチロールの杭が船に挟まれ、「ギィーギィー」とゆったりとした音を響かせ、
 恰も漁船達がこっくりこっくりといびきを描きながら寝入っているかのようであった。

 男は確実に誰も居ない白灯台の防波堤へと向かった。

 男が白灯台の袂に着き、釣り竿を出そうとした時、

 静寂に包まれる漁村を起こすかのように、遠くの外海から「ポコポコ」と漁船のエンジン音が聞こえて来た。

 男はその音の方を見遣ると操舵室のない船外機を付けた小舟が海の上に止まっているようゆっくりと此方に向かって来ていた。

 潮風に乗せられて小舟の船外機が吐く軽油の匂いが先に港に到着し、遅れて小舟が凪の海を滑るように男の居る白灯台を回り込み、港に戻った。

 小舟は器用に狭い漁港を旋回し、バックで接岸すると、年老いた漁師が防波堤との接道に降り立ち、杭にロープを掛けて、小舟を固定した。

 男は小舟をじっと見ていた。

 すると小舟から降りた年老いた漁師が男に声を掛けて来た。

「あんた、良いの上げたんやろ!

 やるわぁ~」と

 男はここに来て初めて地元の漁師に声を掛けてもらい嬉しかった。

「でも、一杯だけですから。」と自重気味に返事をした。

 年老いた漁師は片脚を引き摺りなら男の側に近寄り、

「火を貸してくれんかい?」と

 煙草を口に咥えながら男に頼んだ。

 男は年老いた漁師に此方も脚を引き摺りながら近寄り、ジッポで火を付けてあげた。

 男もショート・ホープを咥え、火を付けた。

 年老いた漁師は男が置いてある杖を見ながら、

「ワシも脚、悪いんや!年でなぁ!膝が痛くて痛くてなぁ!」と膝をさすりながら嘆くと、

「そこの向こう側の藻の中、おるんやな!アオリイカなぁ!

 いやぁ、ワシも時々、そこを覗いてみるんやけんど、なかなか、食わんかったわ!

 餌木で食わせたんやろ?」と男に聞いて来た。

「これです。この鰯の餌木に食いましたよ。」と

 男がロッドに装着しかかった餌木を年老いた漁師に見せた。

「ちょっと貸してみぃ!」と漁師は餌木を掴み取り、まじまじとそれを見遣った。

「ほんまや!ここ、頭に噛みついとるわ!

 鰯の青か~、そうかぁ~」と言いながら男に餌木を返した。

 そして、年老いた漁師は、にっこり笑い、

「今夜も頑張りなはれ!」と言い、帰って行った。

 男はその漁師の名前を聞こうかと思ったが、目の前に停泊している小舟の横腹に「正栄丸」と書かれているのを見て、声をかけるのをやめた。

 男はつくづく、この地域の人達の優しさを感じていた。

 確かに新参者の噂が飛ぶように行き交う閉鎖的な面はあったが、男にはその事が温かく感じてならなかった。
 
 日本海に迫り出した寂れた漁村

 この集落はそっと優しく男を受け入れつつあった。

 年老いた漁師が軽トラに乗り、漁村を出て行った。

 すると、その代わりに一台の黒いSUVの車が漁村の坂を降って来た。

 男は夕餉のおにぎりを食べながら、その黒いSUVをじっと見遣っていた。

 黒いSUVは男のバラック小屋の前の船泊りに停車した。

 車からはキャップを被った女性が降りて来た。

 男は例の釣り人だと思った。

 その女性はやはりこの前の釣り人と同じく黒のジャンバーにジーンズの出立ちで、ロッドと手持クーラーを両手に提げて、防波堤を白灯台の反対方向の右側の田烏方面へ歩いて行った。

 男は暫し女を見遣っていたが、その姿が見えなくなったので、海の方に向き直り、この日、1回目のキャスティングを行った。

 時刻は午後6時を回っていた。

 三月中旬を過ぎると日も長くなり、西の小山に隠れようとしていた夕陽が小山の峰を滑るように堕ちながらも、しぶとく、その姿を海に映していた。

 丁度、引き潮の潮変わり

 次第に、辺りの海辺にゆっくりと波音が響き出し、確かに潮が動き出したことを男に知らしめた。

 男に3回目のキャスティングで当たりが来た。

 昨夜ほどの大物ではないが、800gはありそうな良い型のモイカを釣り上げた。

    釣り開始10分での釣果は順調そのものであった。

 男は夕闇が指すまでは虎模様の赤の餌木が良いことが分かった。

 男は日没まで急いでキャスティングを繰り返した。

 だが、なかなか2回目の当たりは来なかった。

 男はどうせ今日はこれから明け方までやるつもりでいたことから、

 忙しくしていたキャスティングをやめて、腰を下ろし、自分を落ち着かせるよう、弁当の玉子焼きを口にした。

 男は玉子焼きを食いながら、左方向を見遣ると昨夜は気付かなかった小さな砂浜が広がっており、その先の水面は水瓶の中の水のように静止していた。

 その時、男の真後から、

「綺麗…」と声がした。

 男が振り返ると、あの若い女性の釣り人が水面に映る夕陽を見つめていた。

 男も夕陽が映る水面を見遣った。

 西の小山の峰を滑り落ちた夕陽は潮止まりの水瓶の静水、水面の鏡に姿を映し、微かに揺れながら、空よりも海の中を橙色に照らしていた。

「海の中で寝ているみたい。」

 釣り人がまた呟いた。
 

 

 

 

 

 

 

 
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