最後のリゾート

ジョン・グレイディー

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第九章

ウィルスと神

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 次の日、彼は妻と都立総合病院の循環器系のエコー検査の待合室に居た。

 彼はウィルスに感染した時、異常に高い血圧値を記録し、入院中から投薬治療を開始したが、それでも通常の血圧値には戻らず、退院時の診察では特に下の血圧値が高いことから、

 医者からは、ウィルスにより腎臓動脈血栓の可能性が高いとされ、今日、腎臓の検査が予定されていた。

 退院後も投薬治療を継続したが、やはり、下の血圧値は110を上回っていた。
 
 職場復帰が近づくにつれ、彼は仕事のことよりも腎臓の障害を心配していた。

 しかし、今は全く違う不安が彼の頭の中を駆け巡っていた。

 彼は腎臓障害をある意味で期待していたのだ。
 重篤な病状となり、苦しみ、踠き、そして死に近づくことにより、彼女の側に行きたいと願っていたのだ。

 鬱はさっさと彼を裏切り、彼に苦しみをそんなに与えず、彼から早々に去ろうとしている。

 彼にとって、腎臓障害は最後の切り札なのだ。

 その思いの中、昨日の妻の皮肉、「ウィルスのお陰よ」と言った言葉が、どうも気になってしょうがなかった。

 そう、彼は嫌な予感を感じていた。
 ウィルスが、彼の苦しみ、死への希望を再度、邪魔するのではないかと、検査目的と真逆の考えを巡らせていた。

 そんな一抹の不安を抱えながら、彼はエコー検査室に入っていった。

 技師は彼に仰向けになり、上着を胸の上まで捲るように指示をした。

 そして、技師は彼の内蔵の画像をモニターに映しながら、特定の場所が映ると担当医の指示どおり、彼に息を止めさせ、鮮明に映るその内蔵の画像をコピーし、保存していった。

 エコー検査は20分ほどで終わり、技師は症状については何も言わず、彼の担当医の診察室の場所を案内した。

 彼と妻は担当医の診察室の前の待合椅子に腰掛け、案内板を見て、彼の番号が表示されるのを待った。

 この総合病院は、この夫婦がウィルス感染により1か月ほど入院隔離されていた病院であり、ウィルス感染用に都が指定した病院であった。

 そのためか、待合席に座る人々から全く話し声はなく、しーんと静まりかえっていた。

 30分は待ったであろうか。やっと、彼の番号が案内板に表示され、診察室のドアが開き、診察を受け終わった患者が出てきた。
 続いて看護師が彼の名前を確認して、部屋の中に案内した。

 担当医は高齢の老人であった。
 パソコン画面に鼻がくっ付くかのように前屈みになり、彼のエコー写真をじっと見ていた。

 彼が診察用の丸椅子に座ると。
医者は徐に彼の方を向き、血圧はどうですか?と聞いた。

 彼は、上の血圧は140台に戻ったが、下の方は、なかなか110を切らないと答えた。

 医師はまたパソコンの画面を見て、今度は何かの数字を見て、彼に言った。

 退院する時に採取した血液には異常はありませんでした。
 そしてこう続けた。

 今日のエコー検査の結果ですが、腎臓に流れ込む血管には異常は見られませんでした。
 
 ですがねぇ~、と言いかけ、

 彼の隣に座っている妻を見ながらこう言った。

 腎臓の中に石がありました。と

 そして彼の方を向き、彼に尋ねた。
 
 貴方、左腰、尾骨の上辺り、ちくりと痛む箇所、ありませんか?と

 彼は自身の左腰、尾骨の辺りを手で押してみたが痛みはなかった。
 続いて、その上辺りをぎゅっと掌で握ると微かに痛みを感じた。

 彼は首を傾げ、再度、尾骨の辺りに掌を下げ、強く握ってみたが痛みはなかった。

 彼の様子を観察していた医者は、自身で触診をしようともせず、

 まだ、痛みはないと思いますよ。

と、腕組みをし、自信ありげにそう言った。

 彼は、はぁーと一言だけ応え、首を傾けた。

 医者は、この時を待ってましたとばかりに得意げにパソコン画面に映し出された彼の腎臓の写真にボールペンの頭を刺し、

 この黒い点ですと言った。

 彼と妻は、一応、その箇所を覗き込み、分かったように頷いたものの、本当はよく分かっていなかった。

 医者はそれを見透かしたように、ボールペンの頭を写真に押し付けたまま、小さな円を描き、説明を始め出した。

 これ、この黒いの、小っちゃい点、見えますか?

 これ、小っちゃい石なんです。

 これがもう少し大きくなるとね、腎臓が吐き出しちゃって、尿管に行くんですよ。

 そして尿管結石となってね、凄い痛みが出るんですよ。

 痛みが教えてくれれば良いうちでね、
 痛みもなく尿管に石があるまま放置しておくと、腎臓機能が低下し、腎臓癌になっちゃうんです。

 正に早期発見ですよ!

とあたかも自分のお手柄のように言い切った。

 ここで普通は、患者がお礼を言う所、彼はそれを省略するかのように医者に質問した。

 石を取るには、手術が必要となるのですか?と

 医者は即答した。

 手術は必要ありません、こんな小っちゃいのは、薬で溶かしますよと

 そして、医者は遂に、彼にとっては、ダメ押しとなるフレーズを発した。

 彼が一番聞きたくなかった、あのフレーズを

 まぁ~、このウィルス感染者指定病院の医師が言うのも変ですが、

 「ウィルスのお陰」

 で早期発見できたのかもしれません!と

 「ウィルスのお陰か」

 彼の口から自然と言葉が漏れた。

 妻は上機嫌となり、
 ほら、私が言ったでしょ、
 「ウィルスのお陰」
 ってねと言いながら彼の左肩を軽く叩いた。

 彼は無表情のままであった。

 彼の笑顔を期待していた医者は、解せない表情を浮かべたが、ハッと気づき、こう付け加えた。

 そうそう、血圧異常の原因ですが、
 おそらく、ウィルス感染による過度のストレスから生じているものと思われます。

 また、血圧障害はね、上はすぐ良くなるが、下はなかなか戻りにくい傾向があるんですよ。

 薬を飲み続ければ、元に戻ります。と慌てて、説明を付け加え、

 そして、妻に向かって、
 石を溶かす薬と血圧の薬を出しておきます。

 それから~、奥さん、食事は塩分控え目で頼みますよ!

 と落ちを言うかの如く真顔で言った後、ハアハアハア~と体を揺すりながら笑った。

 妻も笑いながら医者にお礼を言った。

 彼もお礼を言い、立ち上がり、診察室を出た。

 妻が彼に言った。

 良かったね。これで安心。
 じゃぁ、私は昼からパートがあるから、そっちに向かうからね。

 一人で薬貰えるでしょ。
 じゃあね~と手を振り、
 病院出口に向かった。

 彼はもう何も考える気力が無くなったのを感じた。

 あたかもAIロボットが動いているように、淡々と会計を済まし、処方せんを貰い、病院前の薬局に行き、薬を貰い、
 そして、駅に向かって歩き始めた。

 彼は歩きながら徐に携帯のメールを確認した。

 会社社長からメールが届いていた。 

 「辞職を撤回していただき、ありがとうございます。安心しました。
 治療に専念するようお願いします」 
 と言った内容であった。

 彼は昨夜、心療内科の医者からの指示どおり辞職の撤回を社長宛にメール送信していた。

 何が安心しましただよ!俺のことではなく、自分のことで安心しただけじゃないか!

 俺に辞職されると、
 ウィルス感染者に辞職されると、 
 自分の管理手腕、情勢把握が問われるから、ホッとしたんだろうよ!
と彼は憎々しくそのメールをゴミ箱Boxに移動させた。

 そして、彼はウィルスに失望した。

 日本全国で約40万人の人が感染し、約6000人の人が亡くなっている現在、

 連日、まるでウィルスが神の如く、病気を治してくれたなどと戯言を言われた奴は俺ぐらいなもんだと、白々と感じた。

 彼には、勝負札が無くなった。

 そして、彼は決意した。

 ウィルスは、俺が悪戯に時を伸ばすことを止めに来たのか!

 分かったよ!

 あの真相を告白するよ。

 告解するよ。

 だが、1つ神に聞いて置くことがある!

と独り言を言いながら駅に向かった。
 
 彼が行く次の目的地は教会であった。
 
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