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第七十一章

逃げない事

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「そうですか…、ジョンは戻らないと…」

 バーハムはそう言うと目を閉じ、天を仰いだ。

 そして、ビリーにこう問うた。

「浩子のことは何か言ってませんでしたか?」と

 ビリーはそっと所長を見遣った。

 所長はビリーの視線を避けるよう下を向いた。

 ビリーは「ふっと」一つ溜息を吐き、こう言った。

「本音は言いませんでした。ただ…」

「ただ?」

「ただ、今の彼は頑なに浩子さんを避けていることは確かです。」

「……………」

 ビリーは言葉を選びながら、ジョンの言葉をこう代弁した。

「彼曰く、今の彼のままでは浩子さんと一緒に居ても浩子さんを不幸にしてしまうだけだと。

 自分自身の存在が分からないんだと。

 そう言っていました。」

 バーハムは目を閉じたまま、今度は下を向き、こう嘆いた。

「やはり、ジョンは先を急いでいるのか…」と

 ビリーはまた所長の方を見遣った。

 ビリーの視線を感じ取った所長は仕方なく前を向き、こう言った。

「最初、彼と話した時、彼は死に急いでいるように見えましたが、ゆっくり話すうちに彼は理解したと思います。」と

 バーハムはそれを聞き、目を開くと、所長の方へ身を乗り出し、こう問うた。

「ジョンは何を理解したのですか?」と

 所長は一言こう答えた。

「死は神のみが知り得ること。」と

 バーハムは「そうです。」と所長に相槌を打ち、

「そうですか…、良くぞ話してくれました。」と言い、胸元でゆっくりと十字を切り、そして所長を見遣り、次に所長が述べる言葉を待った。

 所長は自身はこれ以上言うことはないかのようにビリーを見遣った。

 バーハムも祖母もビリーへ視線を移した。

 ビリーは2人の顔を見遣り、意を決してこう語った。

「私達も結果だけを言うためにわざわざここまで来たのではありません。

 私達が感じたジョンを伝えに来ました。

 浩子さんにこうお伝えください。

 ジョンは今尚、心の底から浩子さんを求めています。

 私はこう思います。

 ジョンに生きる希望を与えることができるのは浩子さんだけだと…、そう思います。」と

 それを聞いた所長は『うん!』と頷くと、バーハムと祖母を見遣り、こう付け加えた。

「ジョンは私に泣きながらこう言いました。『自分自身が分からない。』と。また、こうも言ってました。『自分は幸せになってはいけない。』と。

 彼は今真っ暗な闇の中をまさに暗中模索の状態で彷徨っています。

 暗闇の中で目を閉じて歩いています。

 決して明るい方へ行かないように…

 暗闇で生まれ育った心には太陽が眩しすぎるのです。

 浩子さんという太陽を彼は直視できないのです。

 幸せのオーラに手を翳してしまい、また、同じ穴に潜ってしまう…。

 居座り慣れた暗闇にね。

 彼は暗闇の出口である死へ逃げているんです。

 彼は人生を逃げてる!」と

 その時、祖母が所長の最後の単語『逃げてる』にこくりと頷き、そしてゆっくりとこう語った。

「2人はどちらも揃って逃げてるんです。

 浩子も逃げてるんです。

 医師は浩子にこう助言しました。

『ジョンさんを忘れるために憎みなさい。』と

『貴女を裏切った人を嫌いになって当然だ。』と

 私は心を病んだ浩子にとってそれはそれで良いかも知れないと思いましたが……………、それは一時的なものに過ぎないのです。それは自身の心を誤魔化すことにしかならないのです。

 いずれ浩子は感じ戻るのです。

『私の一番大切な人は誰か…、それは間違いなくジョン・ブラッシュだ』と

 あの2人は愛の道中で手を離してしまい、道に迷っているだけなのです。

 迷ったら人生の谷へ降らず、山へと登れば良いのです。

 頂きに登れば次という場面が見えるのです。

 私も思います。

 逃げては駄目だと。そう思います。」と

 所長は祖母の口元を見遣っていた。

 日本語の分からない所長ではあったが、祖母の表情からインスピレーションを感じ取ると、バーハムへ視線を向けた。

 バーハムはその期待に応え、所長とビリーへ祖母の言葉を通訳した。

 所長はそれを聞き、祖母の方を見遣り、

「『頂きを登れば次が見える。』か!

 俺がジョンに言いたかったことはそのフレーズそのものだ。」と言い、いきなり祖母の手を握り、大きく頷いた。

 ビリーはバーハムを見遣り、こう問うた。

「この話は浩子さんに伝えても大丈夫ですか?」と

 バーハムは『うーん』と唸り、祖母の方を見遣り、ビリーの問いを通訳した。

 祖母はビリーと所長を見遣り、こう言った。

「逃げない!私達も逃げては駄目なんです!あるがままの事を伝えて下さい!」と

 
 
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