67 / 75
第六十七章
殺戮の傷跡
しおりを挟む
翌朝、テントを撤収した4人は二手に別れ、それぞれ目指す方向へと歩き始めた。
別れ際、所長がジョンの背中に向かって、こう言った。
「神父さんよ、先を急ぐ時は遠くを見るなよ。」と
ジョンは振り返り、所長を見遣った。
所長はジョンに近づき、
「一旦立ち止まり足元を見直すことを忘れるな。」と言い、握手を求めた。
ジョンも自然と手を伸ばし、握手に応じると、
「貴方の言葉の意味は分かっています。」と答えた。
所長は頷き、ジョンの肩をポンポンと軽く叩き、
「それなら良い。」と一言述べると、獣道へ向かうビリーの後を追った。
ジョンは2人の後ろ姿に一礼をすると、登山道で待っているマリアの元へゆっくりと歩いて行った。
マリアがジョンに問うた。
「所長は何を言ったの?」
ジョンは所長の方を振り返り、こう答えた。
「『死に急ぐな。』って」
マリアはそうと頷き、ジョンを見つめた。
ジョンは言葉を付け足した。
「あの人の心は今もイラクの砂漠の中だよ。
あの人が言いたいのは、無闇に死ぬなということだ。
それは分かった。」と
マリアはそれを聞き、微笑むと、何も言わず、ホイラー山を見遣り、歩き始めた。
所長がビリーに追いつくと、ビリーが所長に尋ねた。
「奴に何て言ったんですか?」と
所長は一言こう答えた。
「死にたいのはこっちの方だ!と奴に言ってやったよ!」と
それを聞き、ビリーはニヤリと笑いながら、
「でも所長!獣道でくたばるのはやめにしましょうね。」と言い、先へ足を進めた。
所長は歩きながら心の中でこう呟いていた。
『神父さんよ!急ぐなよ。そして諦めるなよ。
死にたいのはお前だけじゃないんだ。俺も死にたいんだよ。
幼子を何百人も撃ち殺したこの愚かな俺様が先に死ななければならないんだ。
死ぬのはお前じゃない!』と
そう思う所長の脳裏には青白い眼光が睨みを効かせていた。
暗闇のイラク砂漠を直走る子供らの姿は赤外線スコープの中からは幽霊のように青白く浮かんでいた。
全神経を集中し狙い撃ったはずの子供らの顔は全く記憶にはなく、スケールアップされた眉間とその両脇で青白く光る眼光のみが、今尚、所長の心にナイフのように突き刺さっていた。
『ここで獣の餌になるわけにはいかない。あの子らを殺して生き延びた命だ。無駄には死ねない。そうだ!神父さんよ!お互い無駄には死ねないんだ!』と思い直し、
「ぶっ放しながら駆け抜けるぞ!」と叫び、ビリーを追い越し、先頭に立って獣道へと入って行った。
ジョンとマリアが進む小径は高原から森林へと次第に変化していった。
小径の地面には松ぼっくりが何個か転がっていた。
マリアがそれを一つ拾い上げ、
「松の実、栗林も沢山あるわ。熊が居るかも。」と
2人は森が深くなる前に地図を広げ、現在地とホイラーピークへの分岐点を確認した。
「此処から登り道で5km程よ。1時間で行けるわ。」とマリアが言った。
「森の中を出来るだけ早く抜けないと。」とジョンがライフル銃の弾倉を確認しながらポツリと言った。
2人が保持している弾は残り僅かであった。
2人は銃を構えながら、足取りを早めて行った。
前方のホイラー山から太陽が顔を出し、柔らかい朝日を森の中に染み込ませ始めた。
茶色から緑色に変わりつつある木々の枝葉が朝露を輝かせていた。
地面は平らな土面から石の階段へと変わり、この小径が登山道であることが明白に認識されると、2人の緊張も和らいでいった。
暫く行くと前方に案内板が見え始めた。
「あそこよ!分岐点は!」とマリアが指差した。
分岐点の案内板は『左矢印がホイラー山、右矢印がホイラーピーク』と明認していた。
マリアはふぅーと一息付き、
「ここまで来たらもう大丈夫!」と安堵の笑顔を見せた。
「ここからホイラーピークの街まではどのくらい掛かるの?」
「そうねぇ…、10kmぐらいだから、昼までには着くわ。」
先の見えた2人の足取りは尚更軽くなった。
2人が分岐点を右に降ると、森林が消え失せ、前方が開けていった。
道は小径から車道へと変わり、道幅は広く、路面も舗装されていた。
ジョンがマリアに尋ねた。
「ホイラーピークには誰か知り合いが居るのかい?」と
マリアは首を横に振り、
「誰も居ないわ。」とだけ答え、下を向いた。
そして、こう言った。
「『時が止まった街』なの。30年前の白人至上主義者との戦いで焼け野原となったままなの。」と
そして、次第に開けていく前方を見遣り、
「ほら。見えるでしょう。黒焦げの瓦礫の街が…」とジョンに囁いた。
カードレールの隙間から瓦礫の山が見え始めた。
ジョンは息を呑んだ。
それは街ではなかった。
墓石群が崩れ果てた墓場のように思えた。
そして、近づくにつれ、殺戮の全貌がまじまじと迫って来た。
本来、真っ白な漆喰壁の家々は竈門のように黒焦げに染まり、瓦礫が所狭しと山崩れのように辺りを領していた。
2人は行き止まりの車道まで辿り着くと、崖道に尻を着けて滑り降りるように降って行った。
マリアは黒焦げの2本の門柱の前で立ち止まると下を向き十字を切った。
ジョンはマリアに問うた。
「ここが街のメインストリートかい?」と
マリアは何も答えず頷くと、門柱を潜り、瓦礫の道をゆっくりと進んだ。
ジョンはマリアに続いた。
ジョンは途中、瓦礫の道を挟む廃墟の家壁の前で立ち止まり、言葉を失った。
遠くから茶色に見えた家壁は間近に見ると赤かった。
「血の跡…」
ジョンは思わず囁いた。
マリアが振り返りこう言った。
「惨劇の傷跡はそのままにしておくのよ。」と
そして、マリアは壁に近づき赤茶色の壁に耳を当て、こう言った。
「皆んな忘れないから…、何があったのか…、決して忘れないから…」と
30年前、白人至上主義者らに捕まった住民らは、男も女も、老人から子供まで、この真っ白であったはずの漆喰の壁に後ろ向きに立たされ、頭を撃ち抜かれた。
眉間から迸る血潮は見る見るうちに壁を赤く染め、頭部を撃ち抜いた弾丸は蜂の巣のように壁に穴を開けた。
最期の言葉を述べる猶予さえも与えられず、恰も家畜を屠殺するがの如く軽々しく命を奪われた罪なき人々。
悔恨の叫び声は、崩れかけた家壁の中に血潮と一緒に染み込んでいた。
マリアは其れ等、声なき声に暫し耳を傾けるのであった。
別れ際、所長がジョンの背中に向かって、こう言った。
「神父さんよ、先を急ぐ時は遠くを見るなよ。」と
ジョンは振り返り、所長を見遣った。
所長はジョンに近づき、
「一旦立ち止まり足元を見直すことを忘れるな。」と言い、握手を求めた。
ジョンも自然と手を伸ばし、握手に応じると、
「貴方の言葉の意味は分かっています。」と答えた。
所長は頷き、ジョンの肩をポンポンと軽く叩き、
「それなら良い。」と一言述べると、獣道へ向かうビリーの後を追った。
ジョンは2人の後ろ姿に一礼をすると、登山道で待っているマリアの元へゆっくりと歩いて行った。
マリアがジョンに問うた。
「所長は何を言ったの?」
ジョンは所長の方を振り返り、こう答えた。
「『死に急ぐな。』って」
マリアはそうと頷き、ジョンを見つめた。
ジョンは言葉を付け足した。
「あの人の心は今もイラクの砂漠の中だよ。
あの人が言いたいのは、無闇に死ぬなということだ。
それは分かった。」と
マリアはそれを聞き、微笑むと、何も言わず、ホイラー山を見遣り、歩き始めた。
所長がビリーに追いつくと、ビリーが所長に尋ねた。
「奴に何て言ったんですか?」と
所長は一言こう答えた。
「死にたいのはこっちの方だ!と奴に言ってやったよ!」と
それを聞き、ビリーはニヤリと笑いながら、
「でも所長!獣道でくたばるのはやめにしましょうね。」と言い、先へ足を進めた。
所長は歩きながら心の中でこう呟いていた。
『神父さんよ!急ぐなよ。そして諦めるなよ。
死にたいのはお前だけじゃないんだ。俺も死にたいんだよ。
幼子を何百人も撃ち殺したこの愚かな俺様が先に死ななければならないんだ。
死ぬのはお前じゃない!』と
そう思う所長の脳裏には青白い眼光が睨みを効かせていた。
暗闇のイラク砂漠を直走る子供らの姿は赤外線スコープの中からは幽霊のように青白く浮かんでいた。
全神経を集中し狙い撃ったはずの子供らの顔は全く記憶にはなく、スケールアップされた眉間とその両脇で青白く光る眼光のみが、今尚、所長の心にナイフのように突き刺さっていた。
『ここで獣の餌になるわけにはいかない。あの子らを殺して生き延びた命だ。無駄には死ねない。そうだ!神父さんよ!お互い無駄には死ねないんだ!』と思い直し、
「ぶっ放しながら駆け抜けるぞ!」と叫び、ビリーを追い越し、先頭に立って獣道へと入って行った。
ジョンとマリアが進む小径は高原から森林へと次第に変化していった。
小径の地面には松ぼっくりが何個か転がっていた。
マリアがそれを一つ拾い上げ、
「松の実、栗林も沢山あるわ。熊が居るかも。」と
2人は森が深くなる前に地図を広げ、現在地とホイラーピークへの分岐点を確認した。
「此処から登り道で5km程よ。1時間で行けるわ。」とマリアが言った。
「森の中を出来るだけ早く抜けないと。」とジョンがライフル銃の弾倉を確認しながらポツリと言った。
2人が保持している弾は残り僅かであった。
2人は銃を構えながら、足取りを早めて行った。
前方のホイラー山から太陽が顔を出し、柔らかい朝日を森の中に染み込ませ始めた。
茶色から緑色に変わりつつある木々の枝葉が朝露を輝かせていた。
地面は平らな土面から石の階段へと変わり、この小径が登山道であることが明白に認識されると、2人の緊張も和らいでいった。
暫く行くと前方に案内板が見え始めた。
「あそこよ!分岐点は!」とマリアが指差した。
分岐点の案内板は『左矢印がホイラー山、右矢印がホイラーピーク』と明認していた。
マリアはふぅーと一息付き、
「ここまで来たらもう大丈夫!」と安堵の笑顔を見せた。
「ここからホイラーピークの街まではどのくらい掛かるの?」
「そうねぇ…、10kmぐらいだから、昼までには着くわ。」
先の見えた2人の足取りは尚更軽くなった。
2人が分岐点を右に降ると、森林が消え失せ、前方が開けていった。
道は小径から車道へと変わり、道幅は広く、路面も舗装されていた。
ジョンがマリアに尋ねた。
「ホイラーピークには誰か知り合いが居るのかい?」と
マリアは首を横に振り、
「誰も居ないわ。」とだけ答え、下を向いた。
そして、こう言った。
「『時が止まった街』なの。30年前の白人至上主義者との戦いで焼け野原となったままなの。」と
そして、次第に開けていく前方を見遣り、
「ほら。見えるでしょう。黒焦げの瓦礫の街が…」とジョンに囁いた。
カードレールの隙間から瓦礫の山が見え始めた。
ジョンは息を呑んだ。
それは街ではなかった。
墓石群が崩れ果てた墓場のように思えた。
そして、近づくにつれ、殺戮の全貌がまじまじと迫って来た。
本来、真っ白な漆喰壁の家々は竈門のように黒焦げに染まり、瓦礫が所狭しと山崩れのように辺りを領していた。
2人は行き止まりの車道まで辿り着くと、崖道に尻を着けて滑り降りるように降って行った。
マリアは黒焦げの2本の門柱の前で立ち止まると下を向き十字を切った。
ジョンはマリアに問うた。
「ここが街のメインストリートかい?」と
マリアは何も答えず頷くと、門柱を潜り、瓦礫の道をゆっくりと進んだ。
ジョンはマリアに続いた。
ジョンは途中、瓦礫の道を挟む廃墟の家壁の前で立ち止まり、言葉を失った。
遠くから茶色に見えた家壁は間近に見ると赤かった。
「血の跡…」
ジョンは思わず囁いた。
マリアが振り返りこう言った。
「惨劇の傷跡はそのままにしておくのよ。」と
そして、マリアは壁に近づき赤茶色の壁に耳を当て、こう言った。
「皆んな忘れないから…、何があったのか…、決して忘れないから…」と
30年前、白人至上主義者らに捕まった住民らは、男も女も、老人から子供まで、この真っ白であったはずの漆喰の壁に後ろ向きに立たされ、頭を撃ち抜かれた。
眉間から迸る血潮は見る見るうちに壁を赤く染め、頭部を撃ち抜いた弾丸は蜂の巣のように壁に穴を開けた。
最期の言葉を述べる猶予さえも与えられず、恰も家畜を屠殺するがの如く軽々しく命を奪われた罪なき人々。
悔恨の叫び声は、崩れかけた家壁の中に血潮と一緒に染み込んでいた。
マリアは其れ等、声なき声に暫し耳を傾けるのであった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説


【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

だいたい全部、聖女のせい。
荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」
異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。
いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。
すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。
これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる