上 下
61 / 75
第六十一章

ピンク色の怪物

しおりを挟む
 ジョンとマリアは獣道に入り、左方向のホイラー山の登山口を目指した。

 馬を引きながら一歩一歩先へ進むにつれて、小径から差し込んでいた陽光の日差しは消え失せ、辺りは漆黒の暗闇へと変貌した。

 2人はリュックから懐中電灯を取り出し、灯りを付けたが、足下のほんの2、3メー先しか灯りは届かなかった。

 馬の息づかいが徐々に荒くなり、手綱からも馬の心臓の鼓動が振動として伝わって来た。

 ジョンは懐中電灯を口に咥え、ライフル銃を脇に挟み、手綱を引きながら前へと進んだ。

 マリアはピストルを構え、後方を注意しつつ、後ろ歩きで続いて行った。

 ジョンは半日で獣道を抜ける計画は正に取らぬ狸の皮算用の如く難しく感じた。

 しかし、この漆黒の暗闇の中、居れば居るほど生存率が低くなることは火を見るよりも明らかであった。

 今は兎に角、馬を落ち着かせ、相手であるピューマの出方を伺うしかないとも思った。

 どれくれらい前へ進み、どのくらい時間が経ったのかさえ、見当もつかなかった。

『グジュ、グジュ』と

 辺りから聴こえる音は2人と馬がぬかるんだ地面に踏み込む足音のみであった。

 2人の間に会話も無かった。

 視線は足下を照らす灯りを注視し、両耳の神経は両脇の森の中へ研ぎ澄まされ、口を開く余裕は全く無かった。

 ジョンが急に立ち止まった。

 マリアは覚悟したように前方へピストルを向けた。

 ジョンが初めて口を開いた。

「足跡だ…、それもかなり大きい足跡だ…」と

 マリアも懐中電灯で照らされた足跡を見に前に行き、

「こんな大きい足跡、今まで見たこともないわ。」と呟いた。

 四つの爪が赤土に粘土細工のように浮かび上がっていた。

 ジョンが先に行こうと馬の手綱を引こうとしたが、馬は微動だにしなかった。

「行くんだ!ベガ!さぁ、行くんだ!」

 ジョンが手綱を必死に引っ張っても馬は動かず、荒い鼻息を吐くばかりであった。

 仕方なくライフル銃で馬の尻を叩くも、馬は後脚で泥を蹴り、暴れ出した。

 マリアが言った。

「近くに居るのね。」と

 2人は両脇の茂みを懐中電灯で照らし、銃を構えた。

 その時、2人の耳に聴こえてきた。

 暗黒の底から湧き上がるような、唸り声が。

「何処だ!何処に居る!」とジョンが囁きながらライフル銃を構える。

 マリアもピストルを構えるが、ピストルを持つ手は恐怖で震えていた。

 突然、馬が嘶き、立ち上がると手綱を握るジョンに対し前足で威嚇を始めた。

 ジョンは堪らず手綱を離すと、馬は暗闇の中へ走り出した。
 
「ベガ!待って!」と叫ぶが、馬の足音はどんどん小さくなった。

 ジョンとマリアは馬を追うよう暗闇の中を走った。

 その時、前方の暗闇の中から馬の物凄い悲鳴が響き渡って来た。

「くそぉ!やられた!」とジョンは言うと、

 忍足で前へと向かった。

 段々と馬の断末魔の悲鳴と猛獣の獰猛な唸り声が聴こえて来出した。

 懐中電灯の光はまだ地面だけを照らしている。

 ジョンもマリアもこれ以上、近付きたくはなかった。そして、猛獣による殺戮の現場を見たくはないと思った。

 馬の断末魔の悲鳴は、最早、餌としての肉の塊に移り変わる合図のようにも聴こえてきた。

 2人が慎重に一歩一歩、前へ進むと、懐中電灯の光の先に暗闇で輝く2つの目が此方を睨んでいた。

 その瞬間、ジョンは暗闇で光る目に向かってライフル銃を一発、二発、発砲した。

『ドギュンー、ドギュンー』と

 暗闇の中に銃声がこだまし、硫黄の匂いが辺りに立ち込めた。

「やったの?仕留めたの?」

 マリアが尚も震える手でピストルを構えながらジョンに聞いた。

「分からない!」とジョンは一言答えると、ライフル銃を構え、一歩一歩、前へ進んだ。

「あっ!」とジョンは叫んだ。

 懐中電灯の光は血溜まりの中、ヒクヒクと痙攣し、絶命しかかっているベガの姿を照らした。

「ピューマは居ない!逃げられた!」とジョンは言い、馬に駆け寄った。

 馬は喉元から『ドクドク』と血飛沫を上げていた。

 マリアも恐る恐る、馬に近づき、殺戮の現場を懐中電灯で照らした。

「一撃でやられているわ。かなり大きいピューマよ!」

「見ろ!頸椎も咬まれてる!」

 ジョンとマリアは馬から鞍とリュックを引き離した。

 そして、ジョンは既に虫の息である馬の眉間をライフル銃で撃ち抜いた。

 そして、ジョンは言った。

「ピューマはまだ近くに居る。獲物を取り返そうと暗闇に潜んでいる。」と

 マリアは慌ててピストルを構えた。

 その時、獰猛な唸り声がした。

「居るわ!まだ、ここら辺に居るわ!」

「何処だ!何処に居るんだ!」

「見えない!でも、聴こえる、唸ってる!」

「くそぉ!何処だ!」

 ジョンとマリアはパニック状態になった。

 ジョンとマリアは馬の遺体に身を寄せ、姿の見えない唸り声へ銃を構えた。

 心臓の鼓動が早まり、『ドクン、ドクン』と脈を打った。

 左右、前方、後方を懐中電灯で照らすが、唸り声の正体の姿は見えない。

「狙っている!来るぞ!」

「見えないわ!何処から来るの!」

 2人は固唾を飲んで身構えるが、ピューマはなかなか姿を見せない。

 膠着状態が続いた。

 マリアが言った。

「馬から離れましょう!ピューマは馬を取り戻そうとしているのよ!」

「分かった。そっと前に進むんだ。俺は後ろを、君は前を頼む。」

 ジョンとマリアが馬の遺体からそっと立ち上がった、その時であった。

 頭上から獰猛な雄叫びが響いた。

「上だ!」

 ジョンとマリアは上を見た!

 暗闇の中に星のように光る眼が見えた。

 懐中電灯で照らそうとした瞬間、頭上の枝葉が擦れたような音がした。

 ジョンには見えた。

 大きなピンク色の怪物が、四つ脚を大きく広げ、スローモーションのように降りかかって来た。

 ライフル銃を撃つ間も無く、大きなピンク色の怪物はジョンに獰猛な牙を剥いた。

 ジョンはライフル銃を盾に身構えるが背一杯だった。

「ジョン!、ジョン!」とマリアは叫び、暗闇で格闘する物音にピストルを向けるが、ジョンが離れないと引き金は引けなかった。

「マリア!構わない、撃てぇ!」と

 暗闇からジョンの叫び声がするがマリアには撃てなかった。

 ジョンは必死にライフル銃の銃身で猛獣の顎を避けようとするが、鋭い前足の爪はジョンの肩に食い込んでいた。

 マリアはどうすることもできず、その場にへたり込んでしまい、

「ジョン!、ジョン!」と叫びながら、暗闇にピストルを向けるだけであった。

 ジョンの顔に猛獣の涎が滴り落ちる。

「くそぉ!動けない!くそぉ!」

 ジョンは良い方の右足で猛獣の腹を蹴り上げた。

 その反動で猛獣の前足の爪がジョンの肩から外れた。

 ジョンは急いで身体を翻し、猛獣に向けてライフル銃を構えたが、その時既に、猛獣は助走を付けて飛びかかろうとしていた。

「駄目だ!間に合わない!」

 ジョンが目を瞑ろうとした瞬間、

『ドギュン!』と

 後方の暗闇から銃声が響き渡った。

 それと同時にジョンの顔に血飛沫が降り注いだ。

 ジョンが恐る恐る目を開くと、真横に頭が破裂したピューマがどっさりと横たわっていた。

 ジョンは慌てて後方の暗闇を見た。

 後方の暗闇から2つの光が揺れながら近づいて来た。

「大丈夫か!マリア!」

 それはビリーの声であった。
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

貴方を捨てるのにこれ以上の理由が必要ですか?

蓮実 アラタ
恋愛
「リズが俺の子を身ごもった」 ある日、夫であるレンヴォルトにそう告げられたリディス。 リズは彼女の一番の親友で、その親友と夫が関係を持っていたことも十分ショックだったが、レンヴォルトはさらに衝撃的な言葉を放つ。 「できれば子どもを産ませて、引き取りたい」 結婚して五年、二人の間に子どもは生まれておらず、伯爵家当主であるレンヴォルトにはいずれ後継者が必要だった。 愛していた相手から裏切り同然の仕打ちを受けたリディスはこの瞬間からレンヴォルトとの離縁を決意。 これからは自分の幸せのために生きると決意した。 そんなリディスの元に隣国からの使者が訪れる。 「迎えに来たよ、リディス」 交わされた幼い日の約束を果たしに来たという幼馴染のユルドは隣国で騎士になっていた。 裏切られ傷ついたリディスが幼馴染の騎士に溺愛されていくまでのお話。 ※完結まで書いた短編集消化のための投稿。 小説家になろう様にも掲載しています。アルファポリス先行。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...