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第五十七章

『喜悦の声音は森の中へ』

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 ジョンとマリアはカーソンの原生林の森へ分け入って行った。

 地面は緩やかな登りの勾配となっており、枯れ枝や落ち葉が堆積しぬかるんでいた。上空からは微かに日光が注ぎ込み、辺りは薄らと霧が立ち込めていた。

 馬は一歩づつゆっくりと闊歩し、途中、途中で大木の根元に生えてる苔を舐めた。

 辺りに聞こえる音は2人と馬が踏み締める足音だけであったが、時折、姿の見えない野鳥の囀りが聴こえていた。

 森に分け入った当初、2人は硬く銃を握り、引き金に指を掛けていたが、次第に銃口は下を向き、2人の表情からも緊張が解け始めた。

 小1時間、森の奥へ進んで行くと、明らかに森林の表情が異なり始めた。

 人の手が全く入っていない原生林から枝打ちの施された杉林が出没し始めた。

 密集していた木々も一定間隔の空間を保ち、勾配も緩やかになり始めた。

 ジョンとマリアは馬に乗り、上空の陽射しを見遣ると、幾分、馬を急がせた。

 緊張の解けたマリアが初めて口を開いた。

「良かった。父の言っていたとおり、この林は明らかに人の手が加わっているわ。」と

 ジョンも辺りを見渡し、

「杉の木の幹の太さがそれぞれ異なってる。
 ほら、あそこを見てごらん。老木が伐採され、その隣に植林されている若い木がある。
 明らかに人工林だよ。」と杉林に安堵感を抱いた。

 マリアは森林保安官であったが、ジョンの森林への目の付け所に感心した。

『ジョンは神父を辞めて正解よ。やっぱり、ジョンには先住民の血が流れているのよ。自然の中のジョンは生き生きしてるわ。』

 マリアはそう思うとジョンとの出会いを神に感謝した。

『神は本当に私の希望を叶えてくれました。誰にも言ったことがない私の夢を…。勇者との愛の契りを…。神に感謝いたします。』と

 そして、マリアはこう願った。

『神様…、私は、このままで良いのです。この原生林の中で構いません。いや、この原生林の中が良いのです!

 誰も邪魔しない、2人だけの森が良いのです。

 先に進まなくても…、このままが良いのです。』と

 マリアがジョンの背中に顔を埋め、そう願っていると、

「あれだ!マリア、見えたよ!小径があるよ!」とジョンが叫んだ。

 前方に杉林の隙間から道らしき空間が出現した。

 ジョンは馬を急がせた。

 木々の消えた空間へ登り降りると、そこは両脇を御影石で固め、森林との明瞭な境界を造成した小径であった。

 2人は馬から降りると、地面に地図を広げ、現在地を確認した。

 マリアは方位磁石を取り出し、小径の右方向が北であることを確かめ、獣道までの距離を地図上に指を当て換算した。

「此処から右へ約30kmで獣道の中程に突き当たるわ。」

「馬に乗って半日ぐらいか。」

「うん!獣道を抜けるのにも半日くらいね。」

「順調に行けば、明後日には登山口に辿り着く!」

「順調に行けばね!」

 2人は再び馬に乗って小径を右へと北上した。

 小径の両脇は一定間隔で御影石が埋められており、小径への森の侵食を食い止めていた。

 両脇の杉林も枝打ちが施された形跡が窺え、上空は開けており、地面には燦々と陽光が降り注いでいた。

 暫く行くと両脇の森林は杉林から竹林へと変わり、左側に立て看板が見えた。

「湧水?」

「うん、湧水所と書かれているわ。」

「左へ降った所みたいだね。」

 左側に短い下り坂が造られていた。

 2人は馬を引きながら下り坂を降りると、崖に竹筒が突っ込まれ、それから水が流れ落ち、地面の水場はセメントで枠が形どられていた。

「此処はプロブロ族の休憩地だったんだ。」

「うん。見て!あそこ、竈門もあるわ!」

 湧水所は3坪ほどの広さであったが、水もあり、食事を作る炊事場もあった。

 時刻は午後4時を回っていた。

 森の中の夕暮れは早い。

 2人は此処でキャンプを設営することにした。

 ジョンが薪を集めようと斧を持つと、マリアはジョンにそっとライフル銃を渡した。

「そうだね。この前襲われたばかりだからね。用心しないとね。」とジョンは苦笑いを浮かべた。

「私は馬の側に居るわ。一番狙われるのは馬だからね。」

 マリアはそう言うとピストルホルダーをジーンズにぶら下げ、馬を水場の杭に繋いだ。

 ジョンは向こう側の竹林の先へ降り、幹の細い杉の木を斧で切り倒し、枝打ちをし、焚き木を集めた。

 時折、風音に揺れる木々のざわつきを警戒し、ライフル銃を握ったが、あの時とは違い、辺りの見通しは良かった。

 ジョンが薪木を運んで来ると、マリアが腰に手をやり、リュックの中を見ながら、

「食料がないわ。調達しないと…」と嘆いた。

「ピストルを貸してくれ。」

「狩をするの?」

「ライフル銃は万が一の護身用だ。狩はピストルでするよ。」

 マリアはピストルホルダー一式をジョンに渡した。

 ジョンはホルダーからサイレント用の筒を取り出し、銃身に装着した。

「そっか!発砲すると勘付かれてしまうもんね!」

 ジョンはそうだと頷き、今度は左側の竹林へと入り込んで行った。

 マリアはもう心配しなかった。

『勇者の血が覚醒している…、そんな気がするわ。

 ヒグマの怪物をナイフ一刀で突き殺した『ロビン・フッド』の血が…』

 マリアはジョンの後ろ姿を見ながら、『ランチェス・デ・タオス』の夜を思い出した。

『私を抱いてくれた。愛しの勇者が抱いてくれた…、優しく…、そして、あんなにも激しく…』

 その時、マリアはこの旅を終えるのが急に怖くなった。

『ジョン…、離れないでね…、お願い…、私から離れないでね。』

 そう、マリアは心の中で願うのであった。

 ジョンは竹林をゆっくり進み、杉林に出ると上空を見遣り、耳を澄ました。

 すると、時折、鳥の囀りが聴こえて来た。

 囀りの聴こえる方向には椋の木の大木が大きく枝葉を延ばしていた。

 ジョンは椋の木の幹へそっと忍び寄り、上を見上げたが、鳥の姿は見えなかった。

『見えない鳥では狩にならない。』と諦めかけた時、

 目の前の草むらを飛び跳ねる物体が目に入った。

『うさぎだ!』

 ジョンはピストルを構えると、草むらと草むらとの隙間の空間を狙った。

『今だ!』

 うさぎが草むらから飛んだ瞬間、『シュッ』とサイレント銃の筒から音が漏れた。

 ジョンが草むらに近寄ると1羽のうさぎが横たわっていた。

 ジョンはうさぎを掴むと腹を裂き、腑を取り出し、出来るだけ遠くに放り投げた。

『1羽で十分だ。深入りすると、またヘマをしてしまう。』

 前回の熊のこともあり、ジョンは早々と狩を終え、キャンプ地へ戻って行った。

「凄い!もう捕えたの!」

 マリアはジョンの腰紐にぶら下がったうさぎを見て喜んだ。

「私が料理するからね。プロブロ族は料理は女の仕事だからね。」と言い、

 マリアは慣れた手捌きでうさぎの毛をむしり取った。

 日が暮れ、宵闇が辺りを囲んで行った。

 焚き火にはうさぎのもも肉が『ジュージュー』と肉汁を滴らせていた。

 ジョンは念の為、馬のロープを目一杯伸ばし、馬の可動範囲を広げてあげた。

「そろそろ、いいみたい。」

 マリアが竹串に刺したうさぎのもも肉を取り分けた。

「うん!美味い!」

「うん!美味しいわ!お肉は久しぶりね!」

 2人はこの何日間、携帯食ばかりであったことから、うさぎの肉は尚更、美味しく感じた。

 2人は食べ終わると焚き火が消えないよう薪を足し、テントに入った。

 マリアが準備したシュラフは一つだけだった。

 マリアは照れながら服を脱ぎ、シュラフに入ると、ジョンに手を差し伸べた。

 ジョンも服を脱ぎ、ピストルとライフル銃を掴み、シュラフに入って行った。

 ジョンはマリアに手枕をしてあげると、マリアはジョンの胸に顔を埋めた。

 ジョンは言った。

「君はピストルを枕元に置いておくんだよ。

 僕はライフルを此処に据えて置くからね。」と

 そう言うと、ジョンはマリアの枕の下にピストルを差し込み、身体の横にライフル銃を寝かせた。

 ライフル銃の銃身がマリアの裸体に心地よい冷感を伝えた。

「安全装置はしているの?」

「ああ、大丈夫だよ。ちゃんとしているよ。」

「それなら良かった…」

 マリアはそう言うとライフル銃に両腿を押し付けながら、ジョンの身体を胸から下へと唇でなぞって行った。

 そして、ジョンに甘い眼差しを向け、こうお願いした。

「また、抱いて…、お願い…」と

 ジョンはマリアが両腿で挟んだライフル銃をゆっくりと引き抜くと、マリアの身体は弓形にのけ反った。

 ジョンは目を瞑り半開きに開いた唇を振るわさせているマリアの表情を見ると、疾風の囁きが一瞬頭をよぎった。

『浩子も死にたがってる。浩子も消えたがってる。』

 ジョンは心で謝った。

『浩子、ごめんよ。僕はもう君の所へ戻れない所まで来てしまった。ごめんよ。』

 そして、浩子の愛を、心の愛も、肉体の愛も、全ての愛を消滅させるかのよう、

 眼前の女体へ身体を預け、強く、激しく、抱き続けた。

 カーソンの深い森の中に、声を殺し咽び泣く、喜悦の声音が漏れ始めて行った。

 
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