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第四十五章
あの子は『女神』
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バーハムは昨夜遅くサンタフェのホテルに着き、今朝早く起きるとホテルのロビーで時計を見遣っていた。
バーハムはホテルの時計が午前9時を指すと、電話BOXに入り、サンタフェの森林保安官事務所に電話をした。
「はい、此方、サンタフェ森林保安官事務所です。」
電話口から女性の声がした。
「マリア保安官はいらっしゃいますか?」
「どちら様でしょうか?」
「ジョン・ブラッシュの件でお世話になりましたバーハムと申します。」
「本日、マリア・ディアスは休暇で不在です。」
「そうですか…」
当てが外れたバーハムは、電話を切るとロビーに戻り、思案した。
そして、このままホテルに居ても仕方がないと思い、取り敢えず、保安官事務所に行って、事情を話そうと思った。
バーハムはホテルを出て、タクシーを拾うと保安官事務所に向かった。
「マリア、掛かってきたわ。貴女の言ってたバーハムという人から。言われたとおり居ないと言ったわ。」
「ありがとう。」
そう言うと、マリアは席を立った。
ビリーが言った。
「何処に行くんだい?厩舎か?」
マリアは何も言わず事務所を出て行った。
ビリーはマリアが出て行くと、受付の者に言った。
「居留守を言うのはもうやめとけ。」と
受付の者は神妙な顔付きで頷いた。
ビリーはマリアの行動に不快感を感じていた。いや、ジョンに対しても嫌悪感を抱いていた。
『先住民の絆か、俺には分からないが。ただ、此処は保安官事務所だ。マリアの私欲に利用されるのは俺は我慢できない。
況してや、あの青年神父!
母親の遺骨を探しているかどうかは知らないが、俺は奴が嫌いだ。
あの浩子という健気な少女を簡単に捨てやがって!
奴が助かったのは、あの少女のお陰だ!
俺は理不尽な奴は嫌いだ。』と
そして、ビリーの脳裏には浩子の姿が浮かんできた。
『「分からないのか?助けに来たんだ!もう大丈夫だ!ライフルを離すんだ!」
俺がそう叫んでもあの子はライフルを握りしめていた…、腫れ上がった手で…、18歳の少女が、ライフルを…100発も撃ち続けて…、
奴を何とか助けようと…』
そして、ビリーは憤慨した。
『奴は碌でもない!何様だ!神父様か!いや、神父も辞めちまって、マリアに拾われ馬番か!
お似合いだ。
奴にあの子は勿体ない。
愛する人を裏切る奴は地獄に堕ちろ!』と
その頃、マリアはジョンの居る小屋に車を飛ばし向かっていた。
『思ったより早かったわ。もう来るなんて…、急いでジョンを動かさないと。』
マリアは小屋に着くと、階段を駆け上り、ドアを開けた。
小屋の中にはジョンの姿はなかった。
マリアは厩舎に向かった。
厩舎にもジョンの姿はなかった。
マリアは『ベガ』も居ないことに気づいた。
『もしかして、ジョンは馬に乗って…』
マリアはそう思い、車に乗ると放牧地へ急いだ。
『やっぱり…、居たわ。』
放牧地の柵の中に芦毛に跨ったカウボーイ姿のジョンが居た。
マリアが叫んだ。
「ジョン!電話があったわ!バーハム神父から、電話があったわ!」と
ジョンはそれを聞くと馬から降りて、マリアの方に左脚を引き摺りながら歩いて来た。
「大丈夫なの?杖は突かずに?」とマリアが心配そうに尋ねた。
「大丈夫さ。痛いだけだ。脚は動く。」とジョンは平然とそう答えた。
マリアはジョンに見惚れながら感じていた。
『ジョンは強い…、あれ程の大怪我だったのに、もう杖なしで歩くなんて…、間違いないわ。ジョンにはロビン・フッドの血が流れている。これでタオスに行けるわ。』と
この頃、既にマリアはジョンを愛していた。そして、自らも父親にジョンと会って欲しいと願っていた。
父親が唯一尊敬していたナバホ族の勇者『ロビン・フッド』の血を受け継いだこの男が、自分が愛する男であると、そう父親に言いたかったのだ。
見惚れてるマリアにジョンが言った。
「バーハム神父から電話か。ならば、直に此処にやって来る。」と
マリアは『あっ』と我に返り、慌ててこう言った。
「そうなのよ!急ぎましょう!タオスに行くのよ!私が案内するから。」と
ジョンは言った。
「タオスの君の家かい?
そうだと、君に迷惑をかけることになる。」と
マリアは笑って答えた。
「もう十分迷惑を掛けてるわよ!最後まで付き合うわ。」と
そして、保安官らしくこうも言った。
「私の家に行けば、此処に居るのと同じ。直ぐに足が付くわ。私、見当があるの。私に任せて!」と
マリアとジョンは小屋に戻ると荷物をまとめ、車に乗り込んだ。
ジョンが『ベガ』も連れて行けないかとマリアに聞いた。
マリアは暫し考え、『分かった』と言うと、ピックアップトラックの荷台に『ベガ』を誘導した。
そして、マリアとジョンはタオスへ向かった。
バーハムは保安官事務所に着いた。
事務所に入り、「先程電話した者です。マリア保安官と連絡を取りたいのですが。」と受付の者にそう言った。
受付の職員は「少々お待ちください。」と告げると席を立ち、事務所に入って行った。
暫くすると、ビリーが出て来た。
「貴方は此間の保安官さん、確かビリー・ハンセンさん。」
「ええ、此間はどうも。バーハムさん、此方へ」
ビリーはバーハムを控室に通した。
バーハムは椅子に座ると事情を説明しようとした。
「実は…、ブラッシュが戻って来なくて…」と
ビリーは、直ぐ様こう言った。
「彼はサンタフェに居ます。」と
「ご存知なんですか?」
「知っています。」
そう言い切ったビリーをバーハムは見て感じた。
『この男の眼差しには『怒り』の色が見える。良いか悪いか…』と
暫し沈黙が続いた後、ビリーが口を開いた。
「あの少女は失望していませんか?」と
バーハムはビリーの意外な質問に戸惑った。そしてこう思った。
『そうだった。この保安官は浩子の行動に凄く感動していた。もしかしたら力になってくれるかもしれない。』と
そう思うとバーハムは、ビリーの問いに素直に答えた。
「失望という程度ではありません。失意のどん底というか、生気を失ってしまったというか…、とても心配しております。」と
ビリーは『やはり』という感で頷き、こう言った。
「ブラッシュさんの関係については、保安官としての任務は完了してます。
今ある問題については、個人の問題となっています。」と
バーハムは勇気を持ってこう尋ねた。
「それは承知しております。ハンセン保安官、いや、敢えてビリーさんと呼ばせてください。
ビリーさん!保安官としてではなく、ビリーさんに個人としてお尋ねしてもよろしいですか?」と
ビリーは即答した。
「そのつもりです。僕はあの浩子という少女の為になるのであれば協力します。」と
バーハムは『ふっと』と一息吐き、ビリーにお礼を言い、改めて尋ねた。
「個人の問題となっていると仰いましたが、それは、ジョンとマリアさんの個人的な関係ということですか?」と
ビリーは『そう』と頷いた。
バーハムは踏み込んで尋ねた。
「ジョンはマリアさんと一緒に居るのですね?」と
ビリーは『そう』と頷いた。
その瞬間、バーハムの脳裏に浩子の言葉が浮かんだ。
『もし、ジョンが彼女と一緒に居たならば、ジョンのこと諦めます。』
その時の浩子の泣顔を思い出すと、バーハムは下を向いてしまった。
そして、暫し思慮した後、恐る恐るこう問うた。
「2人は付き合っているという事ですか?」と
ビリーはその問いには正確に答えず、こう答えた。
「マリアが彼を匿っています。」と
バーハムは更に問うた。
「マリアさんと一緒に住んでいるのですか?」
「いえ、彼は保安官事務所の厩舎の小屋に身を寄せています。日常の生活はマリアが面倒を診ています。」
バーハムはそれを聞いて一先ず安心し、ビリーに頼んだ。
「そこに連れて行ってください!」と
ビリーは少し間を置いて、こう答えた。
「もう、そこには居ないかもしれません。」と
「えっ?」
「貴方から電話があった時、マリアは此処に居たのです。居留守を使ったのです。そして、直ぐに何も言わずに出て行きましたよ。」
バーハムは少し感情的にこう言った。
「保安官が居留守を使うなんて!」と
ビリーは冷静に謝罪して、こう説明した。
「バーハムさんの仰るとおりです。マリアの行動は保安官としては有るまじきものです。それについては同僚として謝罪します。
ただ、先に言ったとおり、今ある問題は個人の問題となっています。それも男女の問題に。」と
バーハムは「そうでした」と頷き、感情的に発言したことをビリーに謝罪した後、こう尋ねた。
「既に厩舎に居ないとしたら、2人は何処に向かったのですか?」と
ビリーは答えた。
「それは分かりません。私が知ってるのはブラッシュさんが厩舎の小屋に居るという事までです。」と
バーハムは「そうですか…」と一言呟き、天を仰いだ。
暫くするとビリーがこう尋ねた。
「あの子は何を望んでますか?」と
バーハムは天を仰ぎながらこう答えた。
「浩子はもう察してますよ。あの子は感受性の高い子です。
ただ、こう言ってました。」
「ただ?」とビリーが聞き直すと、
バーハムはビリーに顔を向けると、こう言った。
「ただ、もし、ジョンがマリアさんと一緒に居たならば、浩子はジョンのことを諦めると。
そう言っていましたが…」と
バーハムは途中で言葉を切り、ビリーを見遣ると、言わんとすることをビリーに促した。
ビリーはバーハムの思うとおりの言葉を述べた。
「あの子は諦めない。」と
バーハムは『そう』と頷き、こう言った。
「私はね。浩子は『聖母マリア様』の生まれ変わりではないかと思う時があるんです。
あの子の優しさ…
全てを包み込むような優しさ…
あの子は全てを許します。
ジョンのことも必ず許します。
だから、あの子の今ある望みは、
『全てを受け入れた上でジョンを愛する。』
そういう望みを心の底で抱いているのではないかと感じています。」と
ビリーも追随してこう言った。
「私はあの子の心の強さを感じました。
『最後の最後まで諦めない心の強さ』を。
あの子は決して諦めたりはしないと思います。」と
バーハムはしっかりと頷き、ビリーにこう言った。
「私は、こんな形で終わって欲しくないと願っているのです。
ジョンの為にも浩子の為にも
もう一度、2人を引き合わせてあげたいと思っています。」
ビリーの眼差しは、また、『怒り』のものに変わり、強い口調でこう言った。
「彼の為ですか!あの子を簡単に捨てたあの男の為ですか!」と
バーハムは、やはりビリーがジョンに対して嫌悪感を抱いていることに間違いないと確信した。
そして、ビリーに対して一定のジョンという人間を説明しておく必要があると思った。
バーハムはビリーに話した。
「ジョンは…、不幸の塊なんです。産まれてから今日に至るまで、差別と中傷の渦の中で生きて来たんです。
1967のリンチ事件はご存知ですか?」
ビリーはこくりと頷いた。
バーハムはそれを確認して、話を続けた。
「ジョンはリンチで焼き殺された男の胎児であり、産み落とされたのは岩山の谷底、まるでコヨーテの餌になる為生まれて来たような赤子、そして、母親の遺体の下で泣き叫んでいました。
そして…、僅か6歳で自殺を試みました。
その時、ジョンが私に言った言葉、今でも忘れません。
『僕の血は悪魔の血が流れている。』
6歳の子供ですよ…
それからも『リンチで殺された先住民の混血児』と差別され続け…」
バーハムは話が長くなったので、此処で一旦話を切り、ビリーの顔を見遣った。
バーハムと目が合ったビリーが言った。
「構いません。続けてください。」と
ビリーの視線から嫌悪感が消え失せているのをバーハムは感じ、バーハムは思った。
『この保安官、この男なら2人を救ってくれるかもしれない。』と
そう思ったバーハムは意を決してビリーに告白した。
「ジョンは死のうとしています。自分のアイデンティティを知った上で死のうとしています。
だから、ジョンは浩子の前から姿を消したのです。」と
ビリーは『はっ』と驚いた表情でこう呟いた。
「自殺願望が消えてないのか、彼の心から…」と
バーハムは『そう』と頷いた。
ビリーはバーハムの皺だらけの落ち窪んだ目を見てこう言った。
「そうであれば、急いだ方が良いですね。」と
バーハムは頷き、ビリーの落ち着いた眼差しに一部の望みを見た。
そして、バーハムはビリーに藁を掴む思いで尋ねた。
「ビリーさん、何か心当たりがあるんですか?」と
ビリーは慎重に言葉を選びながらこう言った。
「これはマリアの個人情報にも関する事ですので他言は控えるようお願いします。」と
バーハムはしっかり頷いた。
ビリーはそれを確認して続けた。
「これから申す事はあくまでも私の推測です。」と
バーハムは「構いません。」と答えた。
ビリーは声を静めて話した。
「マリアはプロブロ族の酋長の娘なんです。」と
バーハムは『あっ』と声を上げそうになったが、ビリーに話の続きを勧めた。
ビリーはこう説明した。
「マリアは言ってました。ナバホ族とプロブロ族は関係が悪化したと。その理由がナバホ族が勇者を見捨て、その妻であるプロブロ族のシスターの行方についても口を閉ざしたからだと。
当初、マリアは彼がナバホ族の子孫でプロブロ族を探している事を知ると、彼には絶対に協力しないと言ってました。
しかし、彼がナバホ族の勇者とシスターの息子と知り、マリアは一転して、彼に協力するようになって行きました。
あなた方がシアトルに戻った後、毎日、彼を見舞いに行ってました。
そして、彼が退院すると、内の所長に頼み込み、当面の居住用に厩舎小屋を用意するほど、彼に入れ込むようになっていました。
そして、今日です。
貴方からの電話を確認すると急いで行き先も言わず出て行きました。
恐らく、貴方から電話あれば、次の行動を取る用意がされていたと思います。
彼が望むプロブロ族に、そう、酋長であるマリアの父親に会わせるための行動がね。
マリアの父親はタオスに居るとのことです。
よって、2人の向かった先はタオスかと推測します。」と
バーハムは聴き終えるとビリーに頼んだ。
「もし、マリアさんの行き先がお分かりになれば、私に連絡していただけませんか?」と
ビリーはそっと頷き、こう答えた。
「分かりました。私に少し時間をください。マリアの行き先を調べてみます。分かり次第、連絡しますから。」と
バーハムはビリーの手を握り何度も何度もお礼を言った。
ビリーはバーハムを見送り、事務所に戻ると机の引き出しから空薬莢を取り出した。
そう、その空薬莢は浩子がSOSで撃ち続けたライフルのものであった。
ビリーは浩子の行動に心を打たれ、一つ持ち帰っていたのだ。
ビリーは掌で空薬莢を転がしなが心の中で呟いていた。
『あの子は死に急ぐ奴をあんなに一生懸命助けたのか…
あの子は奴には勿体ない。
死にたい奴は死なせておけば良いのに…、
しかし、あの子は『女神』だったな。
俺とは違うわけか。』
そう呟き終わると、ビリーは仕方なく腰を上げ、マリアの車に無線を掛けた。
バーハムはホテルの時計が午前9時を指すと、電話BOXに入り、サンタフェの森林保安官事務所に電話をした。
「はい、此方、サンタフェ森林保安官事務所です。」
電話口から女性の声がした。
「マリア保安官はいらっしゃいますか?」
「どちら様でしょうか?」
「ジョン・ブラッシュの件でお世話になりましたバーハムと申します。」
「本日、マリア・ディアスは休暇で不在です。」
「そうですか…」
当てが外れたバーハムは、電話を切るとロビーに戻り、思案した。
そして、このままホテルに居ても仕方がないと思い、取り敢えず、保安官事務所に行って、事情を話そうと思った。
バーハムはホテルを出て、タクシーを拾うと保安官事務所に向かった。
「マリア、掛かってきたわ。貴女の言ってたバーハムという人から。言われたとおり居ないと言ったわ。」
「ありがとう。」
そう言うと、マリアは席を立った。
ビリーが言った。
「何処に行くんだい?厩舎か?」
マリアは何も言わず事務所を出て行った。
ビリーはマリアが出て行くと、受付の者に言った。
「居留守を言うのはもうやめとけ。」と
受付の者は神妙な顔付きで頷いた。
ビリーはマリアの行動に不快感を感じていた。いや、ジョンに対しても嫌悪感を抱いていた。
『先住民の絆か、俺には分からないが。ただ、此処は保安官事務所だ。マリアの私欲に利用されるのは俺は我慢できない。
況してや、あの青年神父!
母親の遺骨を探しているかどうかは知らないが、俺は奴が嫌いだ。
あの浩子という健気な少女を簡単に捨てやがって!
奴が助かったのは、あの少女のお陰だ!
俺は理不尽な奴は嫌いだ。』と
そして、ビリーの脳裏には浩子の姿が浮かんできた。
『「分からないのか?助けに来たんだ!もう大丈夫だ!ライフルを離すんだ!」
俺がそう叫んでもあの子はライフルを握りしめていた…、腫れ上がった手で…、18歳の少女が、ライフルを…100発も撃ち続けて…、
奴を何とか助けようと…』
そして、ビリーは憤慨した。
『奴は碌でもない!何様だ!神父様か!いや、神父も辞めちまって、マリアに拾われ馬番か!
お似合いだ。
奴にあの子は勿体ない。
愛する人を裏切る奴は地獄に堕ちろ!』と
その頃、マリアはジョンの居る小屋に車を飛ばし向かっていた。
『思ったより早かったわ。もう来るなんて…、急いでジョンを動かさないと。』
マリアは小屋に着くと、階段を駆け上り、ドアを開けた。
小屋の中にはジョンの姿はなかった。
マリアは厩舎に向かった。
厩舎にもジョンの姿はなかった。
マリアは『ベガ』も居ないことに気づいた。
『もしかして、ジョンは馬に乗って…』
マリアはそう思い、車に乗ると放牧地へ急いだ。
『やっぱり…、居たわ。』
放牧地の柵の中に芦毛に跨ったカウボーイ姿のジョンが居た。
マリアが叫んだ。
「ジョン!電話があったわ!バーハム神父から、電話があったわ!」と
ジョンはそれを聞くと馬から降りて、マリアの方に左脚を引き摺りながら歩いて来た。
「大丈夫なの?杖は突かずに?」とマリアが心配そうに尋ねた。
「大丈夫さ。痛いだけだ。脚は動く。」とジョンは平然とそう答えた。
マリアはジョンに見惚れながら感じていた。
『ジョンは強い…、あれ程の大怪我だったのに、もう杖なしで歩くなんて…、間違いないわ。ジョンにはロビン・フッドの血が流れている。これでタオスに行けるわ。』と
この頃、既にマリアはジョンを愛していた。そして、自らも父親にジョンと会って欲しいと願っていた。
父親が唯一尊敬していたナバホ族の勇者『ロビン・フッド』の血を受け継いだこの男が、自分が愛する男であると、そう父親に言いたかったのだ。
見惚れてるマリアにジョンが言った。
「バーハム神父から電話か。ならば、直に此処にやって来る。」と
マリアは『あっ』と我に返り、慌ててこう言った。
「そうなのよ!急ぎましょう!タオスに行くのよ!私が案内するから。」と
ジョンは言った。
「タオスの君の家かい?
そうだと、君に迷惑をかけることになる。」と
マリアは笑って答えた。
「もう十分迷惑を掛けてるわよ!最後まで付き合うわ。」と
そして、保安官らしくこうも言った。
「私の家に行けば、此処に居るのと同じ。直ぐに足が付くわ。私、見当があるの。私に任せて!」と
マリアとジョンは小屋に戻ると荷物をまとめ、車に乗り込んだ。
ジョンが『ベガ』も連れて行けないかとマリアに聞いた。
マリアは暫し考え、『分かった』と言うと、ピックアップトラックの荷台に『ベガ』を誘導した。
そして、マリアとジョンはタオスへ向かった。
バーハムは保安官事務所に着いた。
事務所に入り、「先程電話した者です。マリア保安官と連絡を取りたいのですが。」と受付の者にそう言った。
受付の職員は「少々お待ちください。」と告げると席を立ち、事務所に入って行った。
暫くすると、ビリーが出て来た。
「貴方は此間の保安官さん、確かビリー・ハンセンさん。」
「ええ、此間はどうも。バーハムさん、此方へ」
ビリーはバーハムを控室に通した。
バーハムは椅子に座ると事情を説明しようとした。
「実は…、ブラッシュが戻って来なくて…」と
ビリーは、直ぐ様こう言った。
「彼はサンタフェに居ます。」と
「ご存知なんですか?」
「知っています。」
そう言い切ったビリーをバーハムは見て感じた。
『この男の眼差しには『怒り』の色が見える。良いか悪いか…』と
暫し沈黙が続いた後、ビリーが口を開いた。
「あの少女は失望していませんか?」と
バーハムはビリーの意外な質問に戸惑った。そしてこう思った。
『そうだった。この保安官は浩子の行動に凄く感動していた。もしかしたら力になってくれるかもしれない。』と
そう思うとバーハムは、ビリーの問いに素直に答えた。
「失望という程度ではありません。失意のどん底というか、生気を失ってしまったというか…、とても心配しております。」と
ビリーは『やはり』という感で頷き、こう言った。
「ブラッシュさんの関係については、保安官としての任務は完了してます。
今ある問題については、個人の問題となっています。」と
バーハムは勇気を持ってこう尋ねた。
「それは承知しております。ハンセン保安官、いや、敢えてビリーさんと呼ばせてください。
ビリーさん!保安官としてではなく、ビリーさんに個人としてお尋ねしてもよろしいですか?」と
ビリーは即答した。
「そのつもりです。僕はあの浩子という少女の為になるのであれば協力します。」と
バーハムは『ふっと』と一息吐き、ビリーにお礼を言い、改めて尋ねた。
「個人の問題となっていると仰いましたが、それは、ジョンとマリアさんの個人的な関係ということですか?」と
ビリーは『そう』と頷いた。
バーハムは踏み込んで尋ねた。
「ジョンはマリアさんと一緒に居るのですね?」と
ビリーは『そう』と頷いた。
その瞬間、バーハムの脳裏に浩子の言葉が浮かんだ。
『もし、ジョンが彼女と一緒に居たならば、ジョンのこと諦めます。』
その時の浩子の泣顔を思い出すと、バーハムは下を向いてしまった。
そして、暫し思慮した後、恐る恐るこう問うた。
「2人は付き合っているという事ですか?」と
ビリーはその問いには正確に答えず、こう答えた。
「マリアが彼を匿っています。」と
バーハムは更に問うた。
「マリアさんと一緒に住んでいるのですか?」
「いえ、彼は保安官事務所の厩舎の小屋に身を寄せています。日常の生活はマリアが面倒を診ています。」
バーハムはそれを聞いて一先ず安心し、ビリーに頼んだ。
「そこに連れて行ってください!」と
ビリーは少し間を置いて、こう答えた。
「もう、そこには居ないかもしれません。」と
「えっ?」
「貴方から電話があった時、マリアは此処に居たのです。居留守を使ったのです。そして、直ぐに何も言わずに出て行きましたよ。」
バーハムは少し感情的にこう言った。
「保安官が居留守を使うなんて!」と
ビリーは冷静に謝罪して、こう説明した。
「バーハムさんの仰るとおりです。マリアの行動は保安官としては有るまじきものです。それについては同僚として謝罪します。
ただ、先に言ったとおり、今ある問題は個人の問題となっています。それも男女の問題に。」と
バーハムは「そうでした」と頷き、感情的に発言したことをビリーに謝罪した後、こう尋ねた。
「既に厩舎に居ないとしたら、2人は何処に向かったのですか?」と
ビリーは答えた。
「それは分かりません。私が知ってるのはブラッシュさんが厩舎の小屋に居るという事までです。」と
バーハムは「そうですか…」と一言呟き、天を仰いだ。
暫くするとビリーがこう尋ねた。
「あの子は何を望んでますか?」と
バーハムは天を仰ぎながらこう答えた。
「浩子はもう察してますよ。あの子は感受性の高い子です。
ただ、こう言ってました。」
「ただ?」とビリーが聞き直すと、
バーハムはビリーに顔を向けると、こう言った。
「ただ、もし、ジョンがマリアさんと一緒に居たならば、浩子はジョンのことを諦めると。
そう言っていましたが…」と
バーハムは途中で言葉を切り、ビリーを見遣ると、言わんとすることをビリーに促した。
ビリーはバーハムの思うとおりの言葉を述べた。
「あの子は諦めない。」と
バーハムは『そう』と頷き、こう言った。
「私はね。浩子は『聖母マリア様』の生まれ変わりではないかと思う時があるんです。
あの子の優しさ…
全てを包み込むような優しさ…
あの子は全てを許します。
ジョンのことも必ず許します。
だから、あの子の今ある望みは、
『全てを受け入れた上でジョンを愛する。』
そういう望みを心の底で抱いているのではないかと感じています。」と
ビリーも追随してこう言った。
「私はあの子の心の強さを感じました。
『最後の最後まで諦めない心の強さ』を。
あの子は決して諦めたりはしないと思います。」と
バーハムはしっかりと頷き、ビリーにこう言った。
「私は、こんな形で終わって欲しくないと願っているのです。
ジョンの為にも浩子の為にも
もう一度、2人を引き合わせてあげたいと思っています。」
ビリーの眼差しは、また、『怒り』のものに変わり、強い口調でこう言った。
「彼の為ですか!あの子を簡単に捨てたあの男の為ですか!」と
バーハムは、やはりビリーがジョンに対して嫌悪感を抱いていることに間違いないと確信した。
そして、ビリーに対して一定のジョンという人間を説明しておく必要があると思った。
バーハムはビリーに話した。
「ジョンは…、不幸の塊なんです。産まれてから今日に至るまで、差別と中傷の渦の中で生きて来たんです。
1967のリンチ事件はご存知ですか?」
ビリーはこくりと頷いた。
バーハムはそれを確認して、話を続けた。
「ジョンはリンチで焼き殺された男の胎児であり、産み落とされたのは岩山の谷底、まるでコヨーテの餌になる為生まれて来たような赤子、そして、母親の遺体の下で泣き叫んでいました。
そして…、僅か6歳で自殺を試みました。
その時、ジョンが私に言った言葉、今でも忘れません。
『僕の血は悪魔の血が流れている。』
6歳の子供ですよ…
それからも『リンチで殺された先住民の混血児』と差別され続け…」
バーハムは話が長くなったので、此処で一旦話を切り、ビリーの顔を見遣った。
バーハムと目が合ったビリーが言った。
「構いません。続けてください。」と
ビリーの視線から嫌悪感が消え失せているのをバーハムは感じ、バーハムは思った。
『この保安官、この男なら2人を救ってくれるかもしれない。』と
そう思ったバーハムは意を決してビリーに告白した。
「ジョンは死のうとしています。自分のアイデンティティを知った上で死のうとしています。
だから、ジョンは浩子の前から姿を消したのです。」と
ビリーは『はっ』と驚いた表情でこう呟いた。
「自殺願望が消えてないのか、彼の心から…」と
バーハムは『そう』と頷いた。
ビリーはバーハムの皺だらけの落ち窪んだ目を見てこう言った。
「そうであれば、急いだ方が良いですね。」と
バーハムは頷き、ビリーの落ち着いた眼差しに一部の望みを見た。
そして、バーハムはビリーに藁を掴む思いで尋ねた。
「ビリーさん、何か心当たりがあるんですか?」と
ビリーは慎重に言葉を選びながらこう言った。
「これはマリアの個人情報にも関する事ですので他言は控えるようお願いします。」と
バーハムはしっかり頷いた。
ビリーはそれを確認して続けた。
「これから申す事はあくまでも私の推測です。」と
バーハムは「構いません。」と答えた。
ビリーは声を静めて話した。
「マリアはプロブロ族の酋長の娘なんです。」と
バーハムは『あっ』と声を上げそうになったが、ビリーに話の続きを勧めた。
ビリーはこう説明した。
「マリアは言ってました。ナバホ族とプロブロ族は関係が悪化したと。その理由がナバホ族が勇者を見捨て、その妻であるプロブロ族のシスターの行方についても口を閉ざしたからだと。
当初、マリアは彼がナバホ族の子孫でプロブロ族を探している事を知ると、彼には絶対に協力しないと言ってました。
しかし、彼がナバホ族の勇者とシスターの息子と知り、マリアは一転して、彼に協力するようになって行きました。
あなた方がシアトルに戻った後、毎日、彼を見舞いに行ってました。
そして、彼が退院すると、内の所長に頼み込み、当面の居住用に厩舎小屋を用意するほど、彼に入れ込むようになっていました。
そして、今日です。
貴方からの電話を確認すると急いで行き先も言わず出て行きました。
恐らく、貴方から電話あれば、次の行動を取る用意がされていたと思います。
彼が望むプロブロ族に、そう、酋長であるマリアの父親に会わせるための行動がね。
マリアの父親はタオスに居るとのことです。
よって、2人の向かった先はタオスかと推測します。」と
バーハムは聴き終えるとビリーに頼んだ。
「もし、マリアさんの行き先がお分かりになれば、私に連絡していただけませんか?」と
ビリーはそっと頷き、こう答えた。
「分かりました。私に少し時間をください。マリアの行き先を調べてみます。分かり次第、連絡しますから。」と
バーハムはビリーの手を握り何度も何度もお礼を言った。
ビリーはバーハムを見送り、事務所に戻ると机の引き出しから空薬莢を取り出した。
そう、その空薬莢は浩子がSOSで撃ち続けたライフルのものであった。
ビリーは浩子の行動に心を打たれ、一つ持ち帰っていたのだ。
ビリーは掌で空薬莢を転がしなが心の中で呟いていた。
『あの子は死に急ぐ奴をあんなに一生懸命助けたのか…
あの子は奴には勿体ない。
死にたい奴は死なせておけば良いのに…、
しかし、あの子は『女神』だったな。
俺とは違うわけか。』
そう呟き終わると、ビリーは仕方なく腰を上げ、マリアの車に無線を掛けた。
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