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第三十九章
神はイエスから太陽に変わる
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早朝、朝日が昇る頃、ジョンは病院の屋上に居た。
ジョンは北東に聳え立つホイラー山の山頂から顔を覗かせ始めた太陽を見遣り、胸元から『牙』の飾りを取り出し、それを太陽に翳すと瞑想を始めた。
この瞑想はジョンが松葉杖で歩けるようになってから毎朝行う儀式となっていた。
腕の傷は既に完治し、左脚の感覚も戻りつつあった。
ジョンの瞑想はホイラー山を『神の山』と崇め、朝日を浴びながら万物の根源である太陽の出生を神に感謝するものであった。
祈りの小道具は十字架から首飾りの『牙』へと変わり、崇める神もイエス・キリストから太陽へと推移していた。
ジョンは誰に教えられた訳でもなく、先住民の唱える呪文の如く、太陽に向かい願いを唱えた。
『一刻も早く、この左脚が治りますように。願わくば、神の山ホイラー山に登ることができるよう、私に力をお与えください。』と
この文言を何度も何度も太陽に向かって唱えるのであった。
この頃、ジョンは既に決意を固めていた。
カトリック教の神父という仮面は脱ぎ捨て、ナバホ族勇者の血を継承し、真のアイデンティティを探求しようと。
そのことは、空白であった未来の枠に『幸福』という2文字ではなく『不幸』という2文字を当て嵌めることでもあった。
イエス・キリストの求める『安息と平穏な日々』ではなく、戦士の求める『恐怖と勇気の闘い』へジョンの潜在意識は傾倒していた。
神父を辞めることは、浩子を生涯の伴侶として迎える婚姻の要件としてではなく、真のアイデンティティを探す上で、自ずと脱ぎ捨てた『偽りの仮面』そのものであった。
ジョンは悲劇の当事者の立ち位置に再び戻ることを願っていた。
『父や母は凄惨な悲劇の死を遂げても、今尚、伝説としてその存在は語り継がれている。
自分だけのうのうと生き残り、挙げ句の果てに幸せになりたいなど、イエスは許すであろうが、太陽は決して許さない。
苦悶の道を歩み続けることが俺に課せられた『運命』であり、それに敢えて抗う必要はなく、今、己の想う心に従えば良いのだ。
俺は幸せにはなりたくない、
早く死にたい。
それが己の想う心だ。
もし、許されるのであれば、父と母の生きた証を知りたい…
それだけだ。』
そうである。ジョンの脆弱な本能が、心の隅に埋没していた自殺願望を、再び浮上させようとしていたのだ。
今、ジョンの心の映写機が映し出す画像には、浩子の姿は何処にもなかった。
奇しくもこの日は浩子の神学校の入学式であった。
浩子がシアトルに戻ってから、ジョンからの連絡はなかった。
浩子も過酷な旅の疲れが出たのか、体調を崩し、寝込んでしまっていた。
入学式が近づいた3月下旬に祖母がシアトルに駆け付けてから、幾分、体調が回復し、それから慌しく入寮等の手続きに追われ、今日を迎えていた。
浩子はジョンから連絡がないことについて、気にしない素ぶりを周りに見せていたが、内心、気が気ではなかった。
毎夜見る夢には必ずジョンが現れて来る。
しかし、見る夢は浩子の潜在意識を如実に反映していた。
…………………………………………
『神秘の湖』の続編ような美しい映像が繰り広げられる。
浩子はその映像を甘美な想いに浸りながら見続ける。
そして、夢の途中でいつも気付くのである。
『私は見てる側?』と
無情にも映像は止まらない。
ジョンの傍には、いつも女性が見える。
『あれは私?でも、私はここに居る。あそこには居ない。』
浩子は夢中でジョンの傍に行こうと身体を動かそうとするが金縛りにあったように身体は動かない。
浩子が踠けば踠くほど、映写速度は早まり、画像の展開は先へ先へと送られる。
やがて、夢の映写機はジョンと女性に焦点を絞り、ズームカメラのように2人を大きく映し始める。
浩子は踠くのをやめて、固唾を呑んで映像を見守る。
そして、映像の中の女性が自分でないことを認識した段階で、浩子は目を閉じる。
『やめて!見たくない!映像を止めて!』
浩子は夢の中で叫び続ける。
…………………………………………
夢見の悪さからか、精神は擦り減り、自らジョンに連絡するという意欲は湧いて来なかった。
浩子はひたすら受け身のまま、毎日ジョンからの電話、手紙を待ち続けた。
そして、毎晩、何も音沙汰が無かった事実に向き合い、そして落胆し、また、あの悪夢の映像を見るのであった。
この日も浩子の顔色は病み上がりのように土色で唇も枯渇し萎んでいた。
ジョンとの経緯を知らないバーハムと祖母はまだ旅の疲れが残っているのだろうと特段心配はしていなかった。
3人はバーハムが運転する車で神学校へと向かった。
車中、祖母とバーハムが何気なく話し始めた。
「残念ですね。今日この日にブラッシュ神父様が居ないのは。」と
「本人が一番残念がっていますよ。」と
「でも、大事に至らなくて良かったですね。」
「ええ、ほんとそうですよ。彼も少し休んだ方が良いのかも知れません。」
浩子はその会話に加わることなく車窓から過ぎ去るシアトルの街並みをぼんやりと眺めていた。
神学校に到着し、3人は入学式の会場へ向かった。
会場前の受付で浩子がサインをし、資料を貰い、浩子は新学生の席に座り、バーハムと祖母は列席者の席に座った。
バーハムは祖母に、ジョンの件で校長にちょっと会って来ると言い、席を立った。
バーハムが校長室に向かう廊下を歩いていると、此方に早足で職員が近づき、
「バーハム神父、お探ししていました。校長がお会いしたいそうです。」と息を切らしてそう言うと、バーハムを校長室に案内した。
バーハムも『丁度校長に挨拶がしたく出向くところだった』と深く考えず職員にそう言うと、
職員は「校長が急ぐようにと…」と言い、先を急がせた。
バーハムが校長室に入ると、校長が席から立ち上がり、バーハムを来客ソファーに案内し、校長はバーハムの隣に座り、腕時計を見ながらこう言った。
「バーハム神父、あまり時間はないのですが、一つお耳に入れて置きたくて。」と
バーハムは恐らくジョンの事だろうと思い、さりげなく耳を傾けた。
校長は背広の内ポケットから一通の封書を取り出すと、バーハムに手渡した。
「これは?」とバーハムが問うと、
「何もお聞きになさってはおりませんでしたか?」
「何を?」
「ブラッシュ神父の辞意についてです。」
バーハムは「そんな馬鹿な」と言い、慌てて、口の開いた封書から中身を取り出した。
中身はジョンから提出された神学校講師の辞表届であった。
辞表届を握るバーハムの手は震えていた。
「いつ届いたんですか?」
「今さっきです。バーハム神父が本日お見えになると聞いていましたので、取り急ぎ、お知らせしたく。」
「分かりました。これはまだ本部には?」
「まだです。バーハム神父にお話してからと思いまして。」
「ありがとうございます。これは一旦、私に預からせてください。」
「そうして頂くと幸いです。お願いします。」
「私がサンタフェで会った時は、辞意を考えている様子は全くなかったのだが…」
「此方も急ぎません。ブラッシュ神父が完治されてからの赴任で構いませんので、本人にその旨お伝えしていただければ。」
「分かりました。私が責任を持って対処します。ご迷惑をお掛けします。」
バーハムは校長室を出ると、廊下に立ち止まり腕時計を見た。
バーハムは今すぐにでもサンタフェの病院に電話を掛けたい気持ちで一杯ではあったが、式開始まで10分しかなかった。
バーハムは『今話してどうなる事でもない』と思い直し、会場へ向かい直した。
会場の席に座ると祖母が『もう直ぐ始まりますよ。』と和かに声を掛けてきた。
バーハムも和かに頷き、浩子の方に顔を向けた。
だか、バーハムの頭の中はジョンの事で一杯であった。
『ジョン…、急にどうしたんだい?だから言ったのに、『知らなくて良いこともある』と。
おい、ジョン!まさか君はイエズス会も退会する気じゃ?
ジョン…、決断は急ぐと誤るんだ!
ジョン…、無茶だけはしないでくれ!』
バーハムはまるで電話で話しかけるよう心の中で話し続けていた。
ジョンは北東に聳え立つホイラー山の山頂から顔を覗かせ始めた太陽を見遣り、胸元から『牙』の飾りを取り出し、それを太陽に翳すと瞑想を始めた。
この瞑想はジョンが松葉杖で歩けるようになってから毎朝行う儀式となっていた。
腕の傷は既に完治し、左脚の感覚も戻りつつあった。
ジョンの瞑想はホイラー山を『神の山』と崇め、朝日を浴びながら万物の根源である太陽の出生を神に感謝するものであった。
祈りの小道具は十字架から首飾りの『牙』へと変わり、崇める神もイエス・キリストから太陽へと推移していた。
ジョンは誰に教えられた訳でもなく、先住民の唱える呪文の如く、太陽に向かい願いを唱えた。
『一刻も早く、この左脚が治りますように。願わくば、神の山ホイラー山に登ることができるよう、私に力をお与えください。』と
この文言を何度も何度も太陽に向かって唱えるのであった。
この頃、ジョンは既に決意を固めていた。
カトリック教の神父という仮面は脱ぎ捨て、ナバホ族勇者の血を継承し、真のアイデンティティを探求しようと。
そのことは、空白であった未来の枠に『幸福』という2文字ではなく『不幸』という2文字を当て嵌めることでもあった。
イエス・キリストの求める『安息と平穏な日々』ではなく、戦士の求める『恐怖と勇気の闘い』へジョンの潜在意識は傾倒していた。
神父を辞めることは、浩子を生涯の伴侶として迎える婚姻の要件としてではなく、真のアイデンティティを探す上で、自ずと脱ぎ捨てた『偽りの仮面』そのものであった。
ジョンは悲劇の当事者の立ち位置に再び戻ることを願っていた。
『父や母は凄惨な悲劇の死を遂げても、今尚、伝説としてその存在は語り継がれている。
自分だけのうのうと生き残り、挙げ句の果てに幸せになりたいなど、イエスは許すであろうが、太陽は決して許さない。
苦悶の道を歩み続けることが俺に課せられた『運命』であり、それに敢えて抗う必要はなく、今、己の想う心に従えば良いのだ。
俺は幸せにはなりたくない、
早く死にたい。
それが己の想う心だ。
もし、許されるのであれば、父と母の生きた証を知りたい…
それだけだ。』
そうである。ジョンの脆弱な本能が、心の隅に埋没していた自殺願望を、再び浮上させようとしていたのだ。
今、ジョンの心の映写機が映し出す画像には、浩子の姿は何処にもなかった。
奇しくもこの日は浩子の神学校の入学式であった。
浩子がシアトルに戻ってから、ジョンからの連絡はなかった。
浩子も過酷な旅の疲れが出たのか、体調を崩し、寝込んでしまっていた。
入学式が近づいた3月下旬に祖母がシアトルに駆け付けてから、幾分、体調が回復し、それから慌しく入寮等の手続きに追われ、今日を迎えていた。
浩子はジョンから連絡がないことについて、気にしない素ぶりを周りに見せていたが、内心、気が気ではなかった。
毎夜見る夢には必ずジョンが現れて来る。
しかし、見る夢は浩子の潜在意識を如実に反映していた。
…………………………………………
『神秘の湖』の続編ような美しい映像が繰り広げられる。
浩子はその映像を甘美な想いに浸りながら見続ける。
そして、夢の途中でいつも気付くのである。
『私は見てる側?』と
無情にも映像は止まらない。
ジョンの傍には、いつも女性が見える。
『あれは私?でも、私はここに居る。あそこには居ない。』
浩子は夢中でジョンの傍に行こうと身体を動かそうとするが金縛りにあったように身体は動かない。
浩子が踠けば踠くほど、映写速度は早まり、画像の展開は先へ先へと送られる。
やがて、夢の映写機はジョンと女性に焦点を絞り、ズームカメラのように2人を大きく映し始める。
浩子は踠くのをやめて、固唾を呑んで映像を見守る。
そして、映像の中の女性が自分でないことを認識した段階で、浩子は目を閉じる。
『やめて!見たくない!映像を止めて!』
浩子は夢の中で叫び続ける。
…………………………………………
夢見の悪さからか、精神は擦り減り、自らジョンに連絡するという意欲は湧いて来なかった。
浩子はひたすら受け身のまま、毎日ジョンからの電話、手紙を待ち続けた。
そして、毎晩、何も音沙汰が無かった事実に向き合い、そして落胆し、また、あの悪夢の映像を見るのであった。
この日も浩子の顔色は病み上がりのように土色で唇も枯渇し萎んでいた。
ジョンとの経緯を知らないバーハムと祖母はまだ旅の疲れが残っているのだろうと特段心配はしていなかった。
3人はバーハムが運転する車で神学校へと向かった。
車中、祖母とバーハムが何気なく話し始めた。
「残念ですね。今日この日にブラッシュ神父様が居ないのは。」と
「本人が一番残念がっていますよ。」と
「でも、大事に至らなくて良かったですね。」
「ええ、ほんとそうですよ。彼も少し休んだ方が良いのかも知れません。」
浩子はその会話に加わることなく車窓から過ぎ去るシアトルの街並みをぼんやりと眺めていた。
神学校に到着し、3人は入学式の会場へ向かった。
会場前の受付で浩子がサインをし、資料を貰い、浩子は新学生の席に座り、バーハムと祖母は列席者の席に座った。
バーハムは祖母に、ジョンの件で校長にちょっと会って来ると言い、席を立った。
バーハムが校長室に向かう廊下を歩いていると、此方に早足で職員が近づき、
「バーハム神父、お探ししていました。校長がお会いしたいそうです。」と息を切らしてそう言うと、バーハムを校長室に案内した。
バーハムも『丁度校長に挨拶がしたく出向くところだった』と深く考えず職員にそう言うと、
職員は「校長が急ぐようにと…」と言い、先を急がせた。
バーハムが校長室に入ると、校長が席から立ち上がり、バーハムを来客ソファーに案内し、校長はバーハムの隣に座り、腕時計を見ながらこう言った。
「バーハム神父、あまり時間はないのですが、一つお耳に入れて置きたくて。」と
バーハムは恐らくジョンの事だろうと思い、さりげなく耳を傾けた。
校長は背広の内ポケットから一通の封書を取り出すと、バーハムに手渡した。
「これは?」とバーハムが問うと、
「何もお聞きになさってはおりませんでしたか?」
「何を?」
「ブラッシュ神父の辞意についてです。」
バーハムは「そんな馬鹿な」と言い、慌てて、口の開いた封書から中身を取り出した。
中身はジョンから提出された神学校講師の辞表届であった。
辞表届を握るバーハムの手は震えていた。
「いつ届いたんですか?」
「今さっきです。バーハム神父が本日お見えになると聞いていましたので、取り急ぎ、お知らせしたく。」
「分かりました。これはまだ本部には?」
「まだです。バーハム神父にお話してからと思いまして。」
「ありがとうございます。これは一旦、私に預からせてください。」
「そうして頂くと幸いです。お願いします。」
「私がサンタフェで会った時は、辞意を考えている様子は全くなかったのだが…」
「此方も急ぎません。ブラッシュ神父が完治されてからの赴任で構いませんので、本人にその旨お伝えしていただければ。」
「分かりました。私が責任を持って対処します。ご迷惑をお掛けします。」
バーハムは校長室を出ると、廊下に立ち止まり腕時計を見た。
バーハムは今すぐにでもサンタフェの病院に電話を掛けたい気持ちで一杯ではあったが、式開始まで10分しかなかった。
バーハムは『今話してどうなる事でもない』と思い直し、会場へ向かい直した。
会場の席に座ると祖母が『もう直ぐ始まりますよ。』と和かに声を掛けてきた。
バーハムも和かに頷き、浩子の方に顔を向けた。
だか、バーハムの頭の中はジョンの事で一杯であった。
『ジョン…、急にどうしたんだい?だから言ったのに、『知らなくて良いこともある』と。
おい、ジョン!まさか君はイエズス会も退会する気じゃ?
ジョン…、決断は急ぐと誤るんだ!
ジョン…、無茶だけはしないでくれ!』
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