『愛の霊感』〜風と共に祈りを〜

ジョン・グレイディー

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第三十八章

胸騒ぎは嵐のように

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 マリアはサンタフェの保安官事務所に戻った。

 ビリーが声を掛けた。

「ブラッシュさんの聴取は出来たかい?」と

 マリアは報告書をビリーに渡した。

 ビリーは報告書に目を通しながら、

「やっぱり、斧で熊を退けたんだ。」と呟いた。

「やっぱり?」

「いや、さっき、カーソン森林管理署から現場検証の連絡があったんだ。

 ブラッシュさんを襲ったのは雌のハイイログマで体長が2mを超えていたそうだ。

 既に絶命しており、胸元に斧が突き刺さっていたんだって。」

「2mも!大きわね。」

「そうなんだ。ハイイログマとしては大型だ。

 そして、この報告書どおり、足跡の痕跡から、至近距離で襲いかかったみたいだ。

 よく、ライフルも無く、斧で退けられたもんだよ。

 それも斧は携帯用の小型の斧らしいよ。

 森林管理署も驚いていたよ。」

 マリアはビリーの話を聞きながら、昔、父が話していたロビン・フッドの伝説話を思い出していた。

『勇者はたった1人悪魔の口から入り込み、暗闇の中、悪魔の心臓にナイフを突き刺す』
 
 そして、マリアはビリーに言った。

「ジョンはただの神父じゃないの、ロビン・フッド、勇者の息子なの。」と

「ロビン・フッド?勇者?」

「ナバホ族の戦士よ。白人至上主義者とのホイラーピークの戦いにナバホ族から1人で参戦した伝説の戦士、そして、1967年のリンチ事件で焼き殺された男よ。」

「そうか、あの青年神父には勇者の血が流れているのか。」

 ビリーは納得したように頷きながらマリアの報告書を読み直した。

 ビリーはふと思い出したようにマリアに尋ねた。

「マリア、頼まれたのかい?彼に?」

「うん、頼まれたわ。」

 それを聞いたビリーは何も言わず、マリアの肩を優しく「ポンポン」と叩くと、自分の席に座った。

 マリアは少し拍子抜けな感がし、ビリーに確認の催促をした。

「その続きは聞かないの?
私が彼にどう回答したとか…」と

 ビリーはコーヒーを一口飲み、こう答えた。

「君は彼を『ジョン』って呼んでる。それが答えさ。」と

 マリアは少し顔を赤らめながら、にっこり笑って頷いた。

 マリアは報告書を見直しながらジョンとの病室での会話のやり取りを思い出していた。

『彼との駆け引きは、完全に私の負け。

 私を怒らせ、焦らし、そしてなだめる。

 彼は、私が次に何を言うか全てお見通しなの。

 彼の発する言葉は、まるで主の御言葉のように、私の欲する言葉そのものなの。

 私は彼の掌の中で踊っていただけ。

 深く冷たい、時に優しく輝く、あの漆黒の瞳。

 あの瞳に私は丸裸にされたようなもの。

 そして、勇者の伝説と同じ、獣を倒す勇気。

 間違いなく、彼は勇者ロビン・フッドの承継者…

 私は到底敵わない…

 ジョン、貴方は強いわ。

 私は貴方の味方になるわ。』

 マリアは、父が物語っていた『勇者』と『女神』の伝説をジョンの放つオーラに見出していた。
~~~~~~~~~~~~~~ 
 次の朝、浩子とバーハムは空港に向かうタクシーの中に居た。

『本当のジョンはそんなこと思ってない!』

 浩子は、昨日、ジョンに叫んだ事を気にしていた。

『ジョンがあんなこと言い出すから…、私も…、
 でも、このまま離れるのは…』と

 バーハムが暗い表情の浩子を見遣り、

「どうかしたのかい?浩子?浮かない表情して?」と声を掛けた。

 浩子はバーハムに頼んだ。

「神父様、ちょっとだけ、病院に寄って貰ってもよろしいですか?」と

 バーハムは腕時計を見て、

「あまり時間はないが、少しだけなら大丈夫だろう。私はタクシーに居るからね。」と言い、タクシーを病院へ向かわせた。

 浩子はタクシーから降りると急いでジョンの病室へ向かった。

 階段を昇りながら浩子は心の胸騒ぎを感じていた。

 浩子は昨日の事以上に、ジョンがうわ言のように『マリア、マリア』と呟いた事に気を止めていた。

『あの女性の保安官、マリアさん。
とっても綺麗で優しくて…、ジョンのお母さんと同じ名前…  

 そう…、そうよ、ジョンはお母さんの夢を見てたのよ!

 でも、昨日…、私の出た後、2人は何を話したんだろう?』と
 
 浩子はそんな不安を抱きながら、ジョンの病室に入ろうとした。
 
 病室のドアが少し開いていた。

 浩子は何気にノックしようと中を覗いた。

『あっ』と浩子は声を出しかけた。

 病室にはマリアの姿があった。

 ジョンは笑いながらマリアと話していた。

「カトリック教徒はイエスの『祈りの言葉』を一番大事にするんだ。」

「プロテスタントは『モーゼの十戒』よ!」
 
「では仕方がない、『モーゼの十戒』を特別に教示するよ。」

「神父様はお優しい。」

「神父様と言わない約束だろ!」

「はいはい、神父様」

 ジョンとマリアは笑い合った。

 その時、ジョンが病室のドアに人影を感じ、

「どうぞ!」と声を掛けた。

 ドアは開かず、逆に閉まり、ドアの前から足音が遠ざかって行った。

 ジョンは看護師だと思い、気にせずマリアとの会話を続けた。

 浩子は目に一杯の涙を溜めて、タクシーに戻って来た。

 バーハムが浩子に「どうしたんだい?」と聞くが、浩子は何もありませんと言い、口を閉ざした。

 飛行機の時間もあり、バーハムはタクシーを空港に向かわせた。

 浩子の心の中は嵐の如く揺れ動いていた。

『どうしてマリアさんが居るの?

 私じゃなく、どうしてマリアさんが座っていたの?

 今日のジョンは笑っていた…

 私には見せない笑顔…、

 マリアさんには笑って…

 私は入れなかった…、ジョンに近づくことが、どうしてもできなかった。』

 浩子は暫し揺れ動く心の胸騒ぎと葛藤を続けたが、

 やがて、浩子は心の中で少しため息を吐き、『私、少し疲れた…』と心に囁いた。

 そして、心配するバーハムに笑顔を向けてこう言った。

「何でもありません。私、大丈夫です。  
 シアトルに帰ったら神学校の準備をしなくちゃ!」と

 バーハムもにっこり笑って頷いた。

 浩子は本当は分かっていた。

 タクシーに乗り、飛行機に乗り、ジョンの傍から遠ざかれば遠ざかる程、胸騒ぎの嵐が強まることを。
 
 
 
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