『愛の霊感』〜風と共に祈りを〜

ジョン・グレイディー

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第十五章

奇跡の演奏

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「エントリーナンバー17、ヒロコマツバラ、課題曲を選択してください。」

「バッハの『マタイ受難曲』でお願いします。」

 今、浩子はシアトル神学校のチャペル大講堂のパイプオルガンの前に座っている。

 ジョンとの特別講義を始めてから、丸1年が経ち、遂に最終科目であるパイプオルガンの実技試験が始まろうとしていた。

 大講堂の扉の外には、ジョン、バーハム神父、祖母の姿もあった。

 浩子は「ふぅー」と大きく深呼吸をすると、ゆっくりと鍵盤を奏で始めた。

 浩子が奏でる音響は、深々とした冷気が漂う大講堂の空気を動かし始める。

 扉の隙間から風達が入り込んで来た。

 そして、オルガンの響を大講堂の隅々まで風達が運んでくれた。

 試験官達の表情に驚きの色がみえはじめた。

「素晴らしい!こんな音響は聞いたことがないよ。」

「そう!音響がこんなに木霊するのは、初めてだ!」

「おいおい、彼女のオルガンに、誰かスピーカーをつけたのかい?」
 
「何故だ。どうして、こんなに音が通るんだい!誰か教えてくれよ!」

 浩子の演奏が終わった。

「パチパチ…パチパチパチパチ!」

 試験官達から異例の拍手が起こった。

 浩子は、パイプオルガンがある最上階から、祭壇のイエス・キリストの十字架に向けて一礼をし、階段をゆっくりと降りて行った。

 浩子が試験官達の前に来ると、再び、試験官達が拍手をした。

 大講堂の扉が開かれ、バーハム神父、ジョン、祖母が入ってきた。

 試験官の1人がバーハム神父に握手を求めた。

「バーハム神父、素晴らしいです。
浩子の演奏は奇跡です。あんな響を私は今まで聴いたことはありませんでしたよ!」

「言ったでしょう。『奇跡が起こる』と。

 感性が見えない力になり、空気を動かすのです。」

「その通りですよ…、マタイの受難が…、心に届いて…」と、

 1人の試験官は目に涙を溜めていた。

 ジョンは浩子を抱き寄せ、浩子のオデコに額を付けて、

「やったね!浩子、流石だよ。」と言い、浩子のオデコに祝福のキスをした。

 バーハム神父は、試験官達と握手をした後、祖母の背中に腕を回し、祖母を講堂の外にエスコートしながら、

「貴女が言ってたとおり、浩子には『奇跡』を起こす力がありますよ。
 神学校の実技試験で、こんなに賞賛されたのは、おそらく、浩子が初めてでしょう。」

「バーハム神父様、本当にいろいろとありがとうございます。

 今日の演奏もバーハム神父様が久住で教えてくださったお陰です。」

「いえいえ、私は小さい浩子がオルガンの椅子に座るのを手伝ったくらいしかしていません。

 全て浩子の天性の才能です。」
 
「確かに、あの子には、見えない力、そう…、敢えて言うならば、

『感性を風に乗せて…』

 そんな感じの才能と言うか、見えない力があるように、私は感じていました。」

「『感性を風に乗せる』ですか。

 なるほど、私にも分かるような気かまします。」

 バーハム神父と祖母に続いて、ジョンと浩子も、試験官と握手をし、講堂を後にした。

 その時、試験官の1人がジョンに言った。

「ジョン神父、貴方のお帰りも待ってますよ!

 この奇跡の少女と共に戻ってくるのを!」

 ジョンは一礼をし、浩子をエスコートしながら講堂の扉をゆっくりと閉めた。

 そして、改めて浩子を抱き寄せ、

「浩子!もう合格だよ。聞いたかい?

『奇跡の少女』と共にって、

 合格だよ!

 やったねぇ!」

「うん!なんだか分からないけど、上手くいったのね…」

「そうさ!完璧さ!」とジョンは浩子の頭をポンポンと軽く叩いた。

「浩子!学科も大丈夫そうだし、今日の演奏ならば、シアトル神学校が貴女を離すことはありません。」と、

 バーハム神父も浩子にお墨付きを与えた。

 そして、バーハム神父は浩子とジョンの間に割り込み、交互に2人を見比べながら、

「いいですか。2人でここまで頑張って来たのです。
 後は私に任せてください。

 浩子、貴女の合格発表は来月の3月14日です。
 そして、4月1日には入学です。

 ジョン、君のシアトルへの異動も4月1日です。
 
 ですから、2人はこのまま、シアトルに留まったらどうですか?」

「えっ!いいんですか?久住の教会は、」

「私も卒業式が…」

と、2人が嬉しさ反面、現実を口にすると、

 祖母が浩子に言った。

「浩子、卒業式は私が代わりに行っておくよ!

 実はねぇ、旅費が勿体無いからね。私からバーハム神父様に相談しておいたのよ。

 試験が上手く行った場合、浩子の滞在をね。」

 バーハム神父がジョンに言った。

「ジョン、君は浩子の身元引受人になるからね。

 君の着任も4月1日だ。

 そこで、久住の教会には君の後継者を早めに赴任させるよう本部に頼んであるんだよ。
 
 どうせ1ヶ月そこらのことです。大丈夫ですよ。」

「おばあちゃんは?」

「私は帰りますよ。タックルと馬達が待ってるからね。」

 バーハム神父が2人の顔をゆっくりと覗き込みながら、

「どうですか?他に質問はありませんか?」と笑いながら言うと、

 2人は交互にバーハム神父に抱きつき、

「ありがとうございます!」とお礼を言った。

   その夜は、バーハム神父の家で浩子の慰労会が行われた。

 食事をしながら、バーハム神父が今後の段取りを説明した。

「2人は4月までこの家で暮らしてください。

ジョンの部屋は2階の部屋です。

浩子の部屋は、あちらの客間です。

それから、ジョン!

君の異動先は既に決まってます。本部の神学校の講師です。」

「そう思いましたよ。先ほどの試験官が『待ってる』って言ってましたからね。」

「そして、浩子!

浩子は、4月から神学校の寮に入ることになります。

身の回りの必要な物は全て完備されています。特段、準備する物はありません。」

「浩子、何か必要な物があったら連絡してね。送るからね。」

「バーハム神父、僕の住居も神学校の寮になるのですか?」

「そうです。ジョンには講師用の宿舎が割り当てられます。浩子が入居する寮の隣ですよ。」

 それを聞くと、ジョンと浩子は、テーブルの下で手を握り合った。
 
 そして、バーハム神父は徐に立ち上がると、ポケットに手を突っ込み、そして、取り出した車のキーをジョンに放った。

 慌てて、ジョンはキーを掴んだ。

 バーハム神父がにっこり笑い、ジョンに言った。

「私から息子へのプレゼントです。

 よくここまで、立派になりました。

 ジョン、あの車を君に渡すよ!

 『フォードのジープ』だ!

 そして、この1か月は、浩子と一緒に旅行でもして、アメリカに浩子を馴染ませてください。

 君は浩子の保証人だからね。」

「本当にありがとうございます。

何から何まで、そして、車まで!」と、

 お礼を言いながら、ジョンは小走りに、庭にあるジープを見に行った。

 浩子も大喜びで後に続いた。

 ジョンと浩子はジープに乗った。

「凄いよ!浩子!ジープだぜ!これなら、ロッキー山脈でもユタの砂漠でも、何処でも行けるさ!」とジョンが浩子に言うと、

 浩子は直ぐ様、こう言った。

「私、ジョンの生まれ故郷に行ってみたい。」と

 ジョンは頷き、そして、窓を開け、

「ありがとう浩子。行ってみるか!僕が生まれた谷へ!

 そして、浩子を紹介するよ!

 僕の友達にね!」と言いながら、

 指を舐め、そして、腕を窓の外に翳し、指の先で感じ取ろうとした。

 ジョンの唯一の友達である『谷の風』の感覚を。


 
 

 
 
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