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第三十二章
山小屋の悲劇
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2人は『神秘の湖』を出発し、
予定どおりニューメキシコ州のサンタフェへ向かった。
森林道は、両脇に椋や牧の木といった落葉樹も混じり、その枝葉がトンネルのように道に覆い被さり、陽射しを遮っていた。
ジョンは馬を急がせた。
出来れば、今夜の野営地は峠を越えた標高の低い地点に設定したいと考えていた。
馬は薄暗い森林のトンネルをひたすら進んで行った。
やがて、道は登り一辺倒となり、道路傍には積雪の跡が見られ、馬の鼻息も白くなった。
ジョンは途中、自分の着ている革ジャンで後ろに跨る浩子を包み込むように覆った。
浩子はジョンの背中にぴったりと身体をくっ付けた。
景色の変化の無い森林道は単調であり、距離的な感覚は麻痺してしまい、どれだけ進んだか検討が付かなかった。
ジョンは時折り腕時計を見遣り、馬の速度を勘案し、大体の進んだ距離を把握した。
そして、進み具合を確認すると、更に馬を急がせた。
浩子も寒々とした辺りの雰囲気から観光気分は遠に吹き去り、ジョンの背中に顔を埋め、何も喋らなかった。
暫く進むと、段々と森林のトンネルの屋根は薄くなり、木漏れ日が差し込み出した。
浩子は少し安堵したようにジョンに話しかけ始めた。
「この辺が1番高いのかなぁ?」
「恐らくそうだと思う。僕の計算だと20kmは進んでいる。もうすぐ峠を越えるはずだよ。」
「良かった。」
「寒くないかい?」
「うん!大丈夫!冬の山道も久住で慣れてるから!これくらい平気よ!」
「そっか!」
ジョンも浩子の元気な声を聞いて安心した。
馬も道が明るくなるに連れて、歩様を軽快に進め出した。
そして、右へ道なりに登り進むと、いきなり前方が開けた。
「わぁ!凄い!」と浩子が声を上げた。
「やっと着いたよ。此処が峠の頂上だ!」とジョンは言い、馬を停めた。
眼前には大自然の織りなす大パノラマ映像が広がっていた。
左方面はカーソン国有林の渓谷が続いており、右方面は雪化粧をしたホイラー山が悠然と姿を現していた。
そして、前方には、遥か彼方に空と同化したメキシコ湾が薄らと見え、その下方には大地の亀裂のようにリオ・グランデ川が海に向かって流れていた。
2人はこの大観峰を見遣りながら馬を進めて行った。
すると、左手に展望台が設置された小さな広場が見えて来た。
2人は広場で馬から降りると展望台の観光案内板に目を通した。
「現在地は此処だ。丁度、カーソン国有林地帯のど真ん中だ。」
「標高800mだって!久住と同じだよ!」
「今、丁度、正午だ。此処からは下りになるから、夕方には、この山小屋までは行けると思う。」
「山小屋?そこで泊まれば、キャンプしなくて済むよね。」
「山小屋なら安全だ。」
「うん!」
ジョンは観光案内板のホイラー山を指差し、こう言った。
「こんなに遠回りしたんだ。ホイラーピークの山道が通れれば、直で行けたのに。」と、
浩子は言った。
「でも、そのお陰で『神秘の湖』に行けたから、良かったのよ!」と
ジョンも『そうだ』と頷きながら、次の行程であるサンタフェからホイラー山への道筋を指で辿り、
「やはり、一旦、サンタフェに降りて、再度、リオ・グランデ川を登り直し、この辺りで支流を左りに登るとタオスだ。そこから、ホイラー山の頂上を目指す。」
「タオスから頂上までの道は大丈夫かしら?」
「うん、この案内板からすると『登山道』って記されてるから大丈夫だと思うよ。でも…」
「でも…?」
「かなりの日数が必要だ。問題はリオ・グランデ川の支流からタオスまでの道だよ。」
「渓谷の中を登るんだ。こりゃ、大変だね~。」
「サンタフェで、装備品を準備し直さないとね。」
2人は案内板を見終わると、再び、馬に跨り、今夜の宿泊地である山小屋を目指した。
道路は一転した。
陽射しを遮っていた木々の枝葉は消え去り、道路両脇は茂みの無い針葉樹の林道となり、太陽は2人の頭上に姿を現していた。
道路傍の積雪は、燦々と注ぐ太陽光線に照らされ、雪水となり、道路に染み込むよう流れ出していた。
そして、所々に出来た水溜りで小鳥達が水浴びを業していた。
馬は小鳥達を邪魔せぬよう水溜りを避けて通り、行きよりも軽快な足取りで林道を降って行った。
浩子はジョンに革ジャンを後ろから着せ直してあげ、一緒に手綱を持つと、
「ジョン、飛ばして!、もっと、ベガを飛ばして!」と叫んだ。
「よし!ベガ、行くぞ!」とジョンはベガの両腹を足で叩いた。
馬はジェットコースターのように一直線の坂道を突っ走った。
「あっ、街が見えるよ!」と浩子が叫んだ。
前方の景観は、空と海と大地といった大雑把な油絵から、精巧な風景写生画と進化を遂げていた。
「サンタフェの街並みだ!」
「とっても近くに見えるね!」
「そう見えても、まだまだ50km先だけどね。」
「えっ、まだそんなにあるの~」
「そうだよ。」
ジョンは馬の速度を落とし、腕時計を見て、
「でも、山小屋はもう直ぐだ!」と言い、左前方を注意しながら馬をゆっくり進めた。
「あった!あそこよ!」と浩子が指差した。
コッテージのような造りの山小屋であった。
2人は馬から降りると山小屋に近づき、出窓から中を覗いた。
「誰も居ないねぇ。」
「裏に回ってみよう。」
2人は馬を引きながら山小屋の裏に回った。
裏にはテラスがあり、何箇所かバーベキュー用のテーブルが備えられていた。
2人は、取り敢えず、表に戻り、馬を玄関門の杭に繋ぎ、玄関ドアをノックした。
中からの応答はなかった。
「営業してないのかな?」
「貼り紙も何も無いね。」
ジョンは小屋のノブを引いてみた。
「あっ、開いたよ!」
「入ってみる?」
「うん!」
2人はゆっくりと中に入って行った。
小屋の中は薄暗く、よく見えなかった。
浩子が玄関ドアの横にある何個かのボタンを押してみた。
「電気は来てないみたい。」
ジョンは出窓の扉を開き、小屋の中に光を入れた。
「綺麗じゃない?」
「暖炉もあるよ!」
「此処に泊まる?」
「キャンプして怒られるよりマシだよ!」
「そうね!鍵は掛かってなかったもんね!」
2人はこの山小屋で宿泊することにした。
ジョンは、馬を裏の炊事場に連れて行き、水が出ることを確認すると、バケツに水を汲み馬に飲ませた。
馬が飲み終えると、ロープを伸ばし、馬を放した。
馬は小屋の側に生えてる草をむしって食べ始めた。
ジョンは小屋の中を整理している浩子に、
「薪になりそうな木を切ってくるよ!」と言い、斧を持ち、小屋の前の杉林の中に入って行った。
杉林の中は緩やかな登り斜面となっており、雪解け水で地面がぬかるんでいた。
ジョンがふと踏み込んだ足元を見ると、動物の足跡が残っていた。
ジョンは朝方の森林保安官の言葉を思い出し、熊かも知れないと思い、用心の為、ライフルを取りに戻ろうかと一瞬思い巡らしたが、その足跡が小さいものであったことから、おそらく鹿か猪だろうと高を括った。
ジョンは切りやすい杉の木に目星を付け、斧で木を切り倒し、適当な長さに枝木等を切り揃え、持てるだけ持つと小屋に戻ろうとした。
その時だった。
10mぐらい先からガサガサと物音がした。
ジョンが其方を見遣ると、重なり合った倒木の隙間から黒い固まりが出入りしているのが見えた。
ジョンは目を凝らして見た。
『小熊だ!』
黒い物体はハイイロクマの子供であり、2頭で遊んでいるようであった。
ジョンは瞬時に『マズイ』と思った。
『小熊の側には必ず母親が居るはずだ。』と
ジョンは小熊達を驚かせないよう、抱えていた枝木を足元にゆっくりと下ろし、そっと立ち去ろうとした。
その瞬間であった。
小熊達が遊んでいる倒木の先の藪の中から、大きなハイイロクマが猛然とジョンに襲いかかって来た。
ジョンが『はっ!』と身構えた時には、熊は既にジョンに飛び掛かろうとしていた。
ジョンは咄嗟に持っていた斧を熊に目掛けて投げた。
斧は熊の胸元辺りに吸い込まれるように命中したが、熊の突進は止まらず、ジョンは熊に押し倒された。
ジョンは無意識に両腕で顔を防御したが、熊の鋭い爪が両腕に食い込んだ。
ジョンは夢中で熊の胸元を蹴り上げると、熊は唸りながら仁王立ちとなり、今度はジョンの左足の大腿部に噛みついた。
ジョンは熊の顔を右足で何度も何度も蹴り上げると、熊はやっとジョンの足から口を離した。
熊はもう一度仁王立ちをし、唸り声を上げた。
ジョンは足を引き摺るよう這いつくばって逃げようとした。
しかし、熊は獰猛な唸り声を上げ、ジョンの足を咥えた。
ジョンはまた熊の顔を蹴り上げた。
ジョンは段々意識が朦朧として行くのを感じながらも熊を睨みつけた。
すると急に熊も胸元を気にするよう胸元を舐めながら、ゆっくりと後退りした。
そして、一定の距離を保つとジョンに向かい仁王立ちし、雄叫びを上げた。
熊の胸元には斧が突き刺さっていた。
熊は、懸命に前脚で斧を取ろうとしたが、斧の刃は胸元深く突き刺さっており、取れなかった。
熊はよろよろと歩きながら藪の中に消えて行った。
既に小熊達の姿もなかった。
「何?あの声は?」
山小屋に居る浩子にも最後の熊の雄叫びが聞こえて来た。
浩子が慌てて山小屋を出ると、炊事場に居る馬がいななき、何度も躓き上がり暴れ出していた。
浩子は叫んだ。
「ジョン!何処にいるの?ジョン!」と
ジョンの返事はなかった。
浩子は無我夢中で森の中に駆け込んだ。
ぬかるんだ地面に足を取られながらも何とか斜面を登り切ると、前方に枝木の束が散らばっているのが見えた。
浩子は急いで駆け寄った。
『ひっ!』と浩子の身体中に戦慄が走った。
枯木の束の辺りに大量の血痕が落ちていた。
「ジョン~!ジョン~!」と浩子は泣きながら叫び、血痕の跡を辿った。
そして、浩子の視界に血塗れで杉の木にもたれかかっているジョンの姿が入った。
『あぁ~!ジョン!』
浩子は両手で顔を覆い、声にならない声を上げながら、ジョンに近寄った。
ジョンの左太腿からはどくどくと血が吹き出し、顔や腕も泥と血に塗れていた。
浩子は瞬時にジョンが熊に襲われたことを悟った。
浩子が「ジョン!大丈夫!ジョン!」と呼びかけるが、ジョンの意識は既になかった。
浩子は『早く此処から出ないと』と冷静さを取り戻し、ジョンの両肩に腕を回し、引き摺るように引っ張った。
そして、何とか山小屋まで運び、ジョンを床に寝かせ、出血の酷い太腿の傷口の上をロープで止血し、泥と血で塗れた顔と腕を水で拭いた。
ジョンの呼吸があることを確認し、何度も「ジョン!しっかりして!ジョン!」と声を掛けるが、ジョンの意識は戻らなかった。
『助けを呼ばないと、このままじゃぁ、死んでしまう。』
そう思った浩子は馬に乗って助けを呼びに行こうかとも考えたが、
『ジョンを1人にしておくと、また、熊が襲ってくるかも知れない。』と思い躊躇した。
『時間がない!早くしないと…、出血多量で…』と焦る気持ちを抑え、浩子は頭を巡らした。
『そうだ、森林保安官!』と浩子は閃き、
ライフルと銃弾一箱を持って小屋の外に出ると、
映画やテレビの見様見真似でライフルに弾を装填した。
そして、空中に向かって発砲した。
『ドギュンー』と銃声が森林や渓谷に響き渡った。
『神様、お願いします。ジョンを助けてください。銃声が誰かに届きますようお願いします。』
そう祈りながら、浩子は天に向けてライフルを撃ち続けた。
予定どおりニューメキシコ州のサンタフェへ向かった。
森林道は、両脇に椋や牧の木といった落葉樹も混じり、その枝葉がトンネルのように道に覆い被さり、陽射しを遮っていた。
ジョンは馬を急がせた。
出来れば、今夜の野営地は峠を越えた標高の低い地点に設定したいと考えていた。
馬は薄暗い森林のトンネルをひたすら進んで行った。
やがて、道は登り一辺倒となり、道路傍には積雪の跡が見られ、馬の鼻息も白くなった。
ジョンは途中、自分の着ている革ジャンで後ろに跨る浩子を包み込むように覆った。
浩子はジョンの背中にぴったりと身体をくっ付けた。
景色の変化の無い森林道は単調であり、距離的な感覚は麻痺してしまい、どれだけ進んだか検討が付かなかった。
ジョンは時折り腕時計を見遣り、馬の速度を勘案し、大体の進んだ距離を把握した。
そして、進み具合を確認すると、更に馬を急がせた。
浩子も寒々とした辺りの雰囲気から観光気分は遠に吹き去り、ジョンの背中に顔を埋め、何も喋らなかった。
暫く進むと、段々と森林のトンネルの屋根は薄くなり、木漏れ日が差し込み出した。
浩子は少し安堵したようにジョンに話しかけ始めた。
「この辺が1番高いのかなぁ?」
「恐らくそうだと思う。僕の計算だと20kmは進んでいる。もうすぐ峠を越えるはずだよ。」
「良かった。」
「寒くないかい?」
「うん!大丈夫!冬の山道も久住で慣れてるから!これくらい平気よ!」
「そっか!」
ジョンも浩子の元気な声を聞いて安心した。
馬も道が明るくなるに連れて、歩様を軽快に進め出した。
そして、右へ道なりに登り進むと、いきなり前方が開けた。
「わぁ!凄い!」と浩子が声を上げた。
「やっと着いたよ。此処が峠の頂上だ!」とジョンは言い、馬を停めた。
眼前には大自然の織りなす大パノラマ映像が広がっていた。
左方面はカーソン国有林の渓谷が続いており、右方面は雪化粧をしたホイラー山が悠然と姿を現していた。
そして、前方には、遥か彼方に空と同化したメキシコ湾が薄らと見え、その下方には大地の亀裂のようにリオ・グランデ川が海に向かって流れていた。
2人はこの大観峰を見遣りながら馬を進めて行った。
すると、左手に展望台が設置された小さな広場が見えて来た。
2人は広場で馬から降りると展望台の観光案内板に目を通した。
「現在地は此処だ。丁度、カーソン国有林地帯のど真ん中だ。」
「標高800mだって!久住と同じだよ!」
「今、丁度、正午だ。此処からは下りになるから、夕方には、この山小屋までは行けると思う。」
「山小屋?そこで泊まれば、キャンプしなくて済むよね。」
「山小屋なら安全だ。」
「うん!」
ジョンは観光案内板のホイラー山を指差し、こう言った。
「こんなに遠回りしたんだ。ホイラーピークの山道が通れれば、直で行けたのに。」と、
浩子は言った。
「でも、そのお陰で『神秘の湖』に行けたから、良かったのよ!」と
ジョンも『そうだ』と頷きながら、次の行程であるサンタフェからホイラー山への道筋を指で辿り、
「やはり、一旦、サンタフェに降りて、再度、リオ・グランデ川を登り直し、この辺りで支流を左りに登るとタオスだ。そこから、ホイラー山の頂上を目指す。」
「タオスから頂上までの道は大丈夫かしら?」
「うん、この案内板からすると『登山道』って記されてるから大丈夫だと思うよ。でも…」
「でも…?」
「かなりの日数が必要だ。問題はリオ・グランデ川の支流からタオスまでの道だよ。」
「渓谷の中を登るんだ。こりゃ、大変だね~。」
「サンタフェで、装備品を準備し直さないとね。」
2人は案内板を見終わると、再び、馬に跨り、今夜の宿泊地である山小屋を目指した。
道路は一転した。
陽射しを遮っていた木々の枝葉は消え去り、道路両脇は茂みの無い針葉樹の林道となり、太陽は2人の頭上に姿を現していた。
道路傍の積雪は、燦々と注ぐ太陽光線に照らされ、雪水となり、道路に染み込むよう流れ出していた。
そして、所々に出来た水溜りで小鳥達が水浴びを業していた。
馬は小鳥達を邪魔せぬよう水溜りを避けて通り、行きよりも軽快な足取りで林道を降って行った。
浩子はジョンに革ジャンを後ろから着せ直してあげ、一緒に手綱を持つと、
「ジョン、飛ばして!、もっと、ベガを飛ばして!」と叫んだ。
「よし!ベガ、行くぞ!」とジョンはベガの両腹を足で叩いた。
馬はジェットコースターのように一直線の坂道を突っ走った。
「あっ、街が見えるよ!」と浩子が叫んだ。
前方の景観は、空と海と大地といった大雑把な油絵から、精巧な風景写生画と進化を遂げていた。
「サンタフェの街並みだ!」
「とっても近くに見えるね!」
「そう見えても、まだまだ50km先だけどね。」
「えっ、まだそんなにあるの~」
「そうだよ。」
ジョンは馬の速度を落とし、腕時計を見て、
「でも、山小屋はもう直ぐだ!」と言い、左前方を注意しながら馬をゆっくり進めた。
「あった!あそこよ!」と浩子が指差した。
コッテージのような造りの山小屋であった。
2人は馬から降りると山小屋に近づき、出窓から中を覗いた。
「誰も居ないねぇ。」
「裏に回ってみよう。」
2人は馬を引きながら山小屋の裏に回った。
裏にはテラスがあり、何箇所かバーベキュー用のテーブルが備えられていた。
2人は、取り敢えず、表に戻り、馬を玄関門の杭に繋ぎ、玄関ドアをノックした。
中からの応答はなかった。
「営業してないのかな?」
「貼り紙も何も無いね。」
ジョンは小屋のノブを引いてみた。
「あっ、開いたよ!」
「入ってみる?」
「うん!」
2人はゆっくりと中に入って行った。
小屋の中は薄暗く、よく見えなかった。
浩子が玄関ドアの横にある何個かのボタンを押してみた。
「電気は来てないみたい。」
ジョンは出窓の扉を開き、小屋の中に光を入れた。
「綺麗じゃない?」
「暖炉もあるよ!」
「此処に泊まる?」
「キャンプして怒られるよりマシだよ!」
「そうね!鍵は掛かってなかったもんね!」
2人はこの山小屋で宿泊することにした。
ジョンは、馬を裏の炊事場に連れて行き、水が出ることを確認すると、バケツに水を汲み馬に飲ませた。
馬が飲み終えると、ロープを伸ばし、馬を放した。
馬は小屋の側に生えてる草をむしって食べ始めた。
ジョンは小屋の中を整理している浩子に、
「薪になりそうな木を切ってくるよ!」と言い、斧を持ち、小屋の前の杉林の中に入って行った。
杉林の中は緩やかな登り斜面となっており、雪解け水で地面がぬかるんでいた。
ジョンがふと踏み込んだ足元を見ると、動物の足跡が残っていた。
ジョンは朝方の森林保安官の言葉を思い出し、熊かも知れないと思い、用心の為、ライフルを取りに戻ろうかと一瞬思い巡らしたが、その足跡が小さいものであったことから、おそらく鹿か猪だろうと高を括った。
ジョンは切りやすい杉の木に目星を付け、斧で木を切り倒し、適当な長さに枝木等を切り揃え、持てるだけ持つと小屋に戻ろうとした。
その時だった。
10mぐらい先からガサガサと物音がした。
ジョンが其方を見遣ると、重なり合った倒木の隙間から黒い固まりが出入りしているのが見えた。
ジョンは目を凝らして見た。
『小熊だ!』
黒い物体はハイイロクマの子供であり、2頭で遊んでいるようであった。
ジョンは瞬時に『マズイ』と思った。
『小熊の側には必ず母親が居るはずだ。』と
ジョンは小熊達を驚かせないよう、抱えていた枝木を足元にゆっくりと下ろし、そっと立ち去ろうとした。
その瞬間であった。
小熊達が遊んでいる倒木の先の藪の中から、大きなハイイロクマが猛然とジョンに襲いかかって来た。
ジョンが『はっ!』と身構えた時には、熊は既にジョンに飛び掛かろうとしていた。
ジョンは咄嗟に持っていた斧を熊に目掛けて投げた。
斧は熊の胸元辺りに吸い込まれるように命中したが、熊の突進は止まらず、ジョンは熊に押し倒された。
ジョンは無意識に両腕で顔を防御したが、熊の鋭い爪が両腕に食い込んだ。
ジョンは夢中で熊の胸元を蹴り上げると、熊は唸りながら仁王立ちとなり、今度はジョンの左足の大腿部に噛みついた。
ジョンは熊の顔を右足で何度も何度も蹴り上げると、熊はやっとジョンの足から口を離した。
熊はもう一度仁王立ちをし、唸り声を上げた。
ジョンは足を引き摺るよう這いつくばって逃げようとした。
しかし、熊は獰猛な唸り声を上げ、ジョンの足を咥えた。
ジョンはまた熊の顔を蹴り上げた。
ジョンは段々意識が朦朧として行くのを感じながらも熊を睨みつけた。
すると急に熊も胸元を気にするよう胸元を舐めながら、ゆっくりと後退りした。
そして、一定の距離を保つとジョンに向かい仁王立ちし、雄叫びを上げた。
熊の胸元には斧が突き刺さっていた。
熊は、懸命に前脚で斧を取ろうとしたが、斧の刃は胸元深く突き刺さっており、取れなかった。
熊はよろよろと歩きながら藪の中に消えて行った。
既に小熊達の姿もなかった。
「何?あの声は?」
山小屋に居る浩子にも最後の熊の雄叫びが聞こえて来た。
浩子が慌てて山小屋を出ると、炊事場に居る馬がいななき、何度も躓き上がり暴れ出していた。
浩子は叫んだ。
「ジョン!何処にいるの?ジョン!」と
ジョンの返事はなかった。
浩子は無我夢中で森の中に駆け込んだ。
ぬかるんだ地面に足を取られながらも何とか斜面を登り切ると、前方に枝木の束が散らばっているのが見えた。
浩子は急いで駆け寄った。
『ひっ!』と浩子の身体中に戦慄が走った。
枯木の束の辺りに大量の血痕が落ちていた。
「ジョン~!ジョン~!」と浩子は泣きながら叫び、血痕の跡を辿った。
そして、浩子の視界に血塗れで杉の木にもたれかかっているジョンの姿が入った。
『あぁ~!ジョン!』
浩子は両手で顔を覆い、声にならない声を上げながら、ジョンに近寄った。
ジョンの左太腿からはどくどくと血が吹き出し、顔や腕も泥と血に塗れていた。
浩子は瞬時にジョンが熊に襲われたことを悟った。
浩子が「ジョン!大丈夫!ジョン!」と呼びかけるが、ジョンの意識は既になかった。
浩子は『早く此処から出ないと』と冷静さを取り戻し、ジョンの両肩に腕を回し、引き摺るように引っ張った。
そして、何とか山小屋まで運び、ジョンを床に寝かせ、出血の酷い太腿の傷口の上をロープで止血し、泥と血で塗れた顔と腕を水で拭いた。
ジョンの呼吸があることを確認し、何度も「ジョン!しっかりして!ジョン!」と声を掛けるが、ジョンの意識は戻らなかった。
『助けを呼ばないと、このままじゃぁ、死んでしまう。』
そう思った浩子は馬に乗って助けを呼びに行こうかとも考えたが、
『ジョンを1人にしておくと、また、熊が襲ってくるかも知れない。』と思い躊躇した。
『時間がない!早くしないと…、出血多量で…』と焦る気持ちを抑え、浩子は頭を巡らした。
『そうだ、森林保安官!』と浩子は閃き、
ライフルと銃弾一箱を持って小屋の外に出ると、
映画やテレビの見様見真似でライフルに弾を装填した。
そして、空中に向かって発砲した。
『ドギュンー』と銃声が森林や渓谷に響き渡った。
『神様、お願いします。ジョンを助けてください。銃声が誰かに届きますようお願いします。』
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