『愛の霊感』〜風と共に祈りを〜

ジョン・グレイディー

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第八章

『神様なんて嫌いです…』

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 8月の終わり超大型台風が九州北部に接近して来た。
 中心気圧は910hPa、最大瞬間風速は60m/sと予想され、現在、長崎県壱岐市に上陸し今夜未明には九州北部を通過するとのことであった。

 6年前に九州北部に上陸し甚大な被害を出した台風17号を遥かに上回る勢力を維持し、刻々とこの久住の地にも近づいていた。

 浩子と祖母は午後7時の台風情報のニュースを見ていた。 

 「運命の階段をほんのちょっと踏み違えたばっかりに…

 あの時…、

 私の直感に自信があれば…、

 この子の両親も死なずに済んだのに…」
 
 祖母は、台風情報を見ながら、心の中でそう悔やんでいた。

 6年前の台風17号

 浩子の両親の命を奪った台風

 浩子の家は、集落から離れた場所にあり、周りを防風林の役目を果たす雑木林に囲まれ、家そのものは暴風雨の影響をまともに受けることはなかった。

 しかし、浩子の両親は、台風通過直後、山林から県道に倒れた倒木を撤去する最中、土砂崩れに飲み込まれ生き埋めとなり命を落とした。

 祖母は浩子の横顔を見つめ、こう思った。

 『この子が一緒なら、2人は助かったんだよ。

 この子が一緒なら…』と

 そして、祖母は6年前の悲劇の序幕を朧げに思い浮かべていた。

・・・・・・・・・・・・・・・

「私も一緒に行くの!お父さん!」

「お父さんとお母さんはね、大きな木を退けに行くんだ。浩子ねぇ、まだ、小さいからね。おばあちゃんと一緒に居なさい。」

「そうよ、浩子。お父さんとお母さん、直ぐに戻って来るからね。おばあちゃんと待っててね。」

「うん…、でも、まだ、悪い大人の風がたくさん集まってるから…、私、お父さんとお母さんが心配なの!」

「大丈夫だよ。台風はもう行ってしまったからね。」

「いやだ!私も一緒に行くの!

 私がねぇ、悪い大人の風を叱るの!」

「浩子、大丈夫だよ。直ぐに戻るから!」

「ダメなの!悪い大人の風は、お父さんとお母さんに悪いことをするの!
 私が叱らないと!」

「お袋!浩子を頼むよ。直ぐに戻るから!」

「うん。浩子は私が見てるから大丈夫よ。

お前達も気をつけるんだよ!」

「わかった。じゃあ、行って来るわ!」

「私も行くのぉ!私も行く!おばあちゃん、離して!私も行くのぉ!」

 その時、

 必死で両親に着いて行こうとする浩子の身体を押さえていた祖母の身体に、

 言い様もない震え、

 例えるなら、ジンジンとする電流のような感覚が伝わっていた。

「この子、何かを感じているわ…」と

 その時、祖母は浩子の見えない力を感じ取っていた。

・・・・・・・・・・・・・・

 祖母は、今になって、浩子の見えない力が何であるかが、やっと分かってきていた。

『浩子は、動物が感じるような感性を持っている。』

『浩子には分かる。自然の仕業が分かる。』

『あの時、この子を行かせておけば…、この子なら…、自然の危険から2人を救えた、必ず救えたと思う…』と、

 そう、祖母は自身が感じた直感を行動に移せなかった自分自身を悔やんでいた。

『仕方がなかった。あの時は、分からなかったもの…、この子の力が何か分からなかった…、仕方がなかったんだよ…』と、

 祖母はこう自分自身に言い聞かせ、現実に向き合った。

 そして、敢えて平静を装いながら、浩子に何気ない振りをし、声をかけた。
 
「あん時の台風より大きいみたいだね。」

「うん、あん時より大きいみたいよ、おばあちゃん!」

「私、心配なんだあー」

「何が?」

「牛舎!」

「牛舎?」

「そう!お父さんが亡くなって牛舎の手入れしてないから…」

「そうだねえ~、保つかしらねぇ~」

 その時、玄関のチャイムが鳴った。

「誰かしら?」

 祖母はこんな日に訪ねて来る人は誰だろうと不思議に思いながら玄関に出て行った。

 すると玄関にはずぶ濡れのジョンが立っていた。

「神父様、どうなされたんですか?」

「3時間後には台風が最接近します。
 牛舎の扉の閂を調べておこうかと思いまして。」

「今こそ、浩子と牛舎のこと心配してたんですよ。」

 浩子も玄関に行き、ジョンを見て、

「どうしたんですか?神父様、危ないですよ。もう直ぐ、台風が来ますのに。」と挨拶抜きに驚いて言った。

 ジョンは浩子に言った。

「今から牛舎の扉だけ調べておくよ。道具は揃っているかな?」

「はい、全て納屋にありますけど…」

「OK、納屋の鍵だけ貸してくれないかい。」

「私も行きます。」

 浩子は納屋の鍵を持ち、ジョンを案内した。

 ジョンは納屋に入り、工具とベニア板を持ち、牛舎に向かった。

 牛舎の扉は早くも強風に耐えきれそうもなく、ギシギシと悲鳴を上げていた。

 ジョンと浩子は強風の中、牛舎の扉にベニア板を打ち付け補強し、裏扉から牛舎に入り、閂を内から補強するためワイヤーで固く留め金に固定した。

 牛達は、この何時間後に自然の脅威が襲いかかって来ることを既に察知しているかのように各柵内の中で忙しく動き回っていた。

 ジョンと浩子は牛舎内の各柵を点検して周り、それと同時に牛達に安心するよう話しかけた。

「これで大丈夫だ。馬の厩舎も見ておこう!」

 ジョンと浩子は厩舎に行き、牛舎と同じように、一枚のベニア板を扉に打ち付け、そして、厩舎の裏から回り扉の閂を補強した。

 午後8時、周辺は豪雨と強風が強まり、防風林の竹は、恰も柳のようにぐにゃぐにゃと曲がり出していた。

 ジョンは浩子と祖母に何かあったら教会に電話するように言い、車で戻ろうとした。

 その時、浩子は6年前の悪夢を思い起こした。

「神父様、今夜はもう教会に戻らず、ここにお泊まりください。この辺りは土砂崩れが多いですので心配です。」

「まだ大丈夫だよ。」

「私も一緒に行きます。」

「いや、僕なら大丈夫さ!」

「いえ、私も一緒に行きます!」

 その時、祖母が口を挟んだ。
 
「浩子、神父様について行ってあげて!
ここは大丈夫!
教会の方が風が強いから、早目に行って神父様を手伝ってあげるのよ!」と、

 まるで、祖母が浩子の感覚を代弁するかのように。

「分かった!おばあちゃん!」と浩子は言い、ジョンの車に乗り込んだ。

 浩子の家から教会まで通常であれば車で10分足らずで着くが、今日は里道を通るのが危険であったため、一旦、上の県道に出て、迂回するため、30分はかかる行程であった。

 浩子はジョンに言った。

「風達が居なくなってるの。皆んな隠れてるの。怖がってる。」と

 ジョンも頷き、こう言った。

「朝から風達が居なくなってる。誰も近寄って来なかったよ。」と

「あの日もそうだった…、風の子達が言っていたの。

『悪魔の風が来るんだ。

僕たちをさらって行くんだ。

隠れておかないと…、

皆んな連れて行かれたら、悪魔の風の子ばかりになるんだ。

そして、汚い臭い土埃と一緒に森を壊すんだ。早く隠れないと…』

ってね。」と浩子が言った。

 その時、ジョンは初めて生まれ故郷のナバホ族の居留地を訪れた時を思い出していた。

 バーハム神父に聞かされた自然の面影はなく、近代的な観光施設が立ち並び、モニュメント・バレーの一本道も観光客を乗せたバスが排気ガスを撒き散らし、砂埃と共に穢れた臭気が漂っていた。

 ビュートの谷底にあるはずの母親の墓標は消え去っており、代わりに、巨巌の説明板が建てられていた。

 そして、ジョンは聞こえた。谷底の風達の怒りに満ちた悲しみの声が。

『ジョン、白人は悪魔だ!

ビュートもメサも泣いてる!

俺達の遊び場はもうないよ!

ジョン!神に聞いてくれ!

どうしてあんな悪魔を造ったのか!

ジョン!神に聞いてくれ!』

 ジョンと浩子はなんとか教会に到着した。

 2人は教会の裏口から中に入り、祭壇に灯していた蝋燭の火を消し、雨戸を閉めた。

 ジョンが言った。

「教会は大丈夫だよ。問題は僕の家の方さ。」と

 新築の平家は、内装は完備されていたが、外堀の側溝などはまだ行き届いておらず、水が浸水する恐れがあったのだ。

 浩子が言った。

「裏の倉庫に土嚢があります。それを運びましょう。」と

 ジョンと浩子は倉庫に行き、重さ10kgの土嚢を平家の玄関口に並べた。

 既に強風は暴風に変わりつつあった。

 作業を終えた2人はびしょ濡れであった。

 2人は平家の勝手口から中に入り、ジョンは床に座り込んだ。

 浩子は、座り込んだジョンに顔を近づけ、目を合わせようとした。

 ジョンは、浩子の仕草の意図が分からず、何気に目を合わせると、浩子は悪戯っぽく、ウインクをした。

 そして、飄々と祖母に電話を掛け、

「おばあちゃん、今日は教会に泊まるからね!何かあったら、直ぐに電話してよ。」と

 ジョンが聞いた。

「おばあちゃん、何て言ってた?」

 浩子は嬉しそうに言った。

「神父様の側にいなさいって!」

 そう言うと、浩子は、この家の勝手を知っているかのように、

「神父様、お風呂入れます~!」と言いながら浴室に向かって行った。

 ジョンも心が踊った。

 寝室に行き、浩子には少し大きいかもしれないと思いながらも、ポロシャツとタオルを掴むと浴室に行き、

「浩子、先にシャワー浴びて良いよ!そして、これを着てね。」と言い、ポロシャツを浩子に渡し、

 そして、タオルで浩子の濡れた髪を優しく拭いてあげた。

 浩子は少し恥ずかしかったが、嬉しく堪らなかった。

「それじゃ…、神父様、遠慮なくシャワーを浴びさせて貰います。」

「うん!ゆっくり浴びるんだよ!」

 ジョンはそう言うと、浴室のドアをそっと閉めた。

 2人はシャワーを浴びた後、携帯食のカップラーメンを一緒に食べた。

 その頃、外は、悪魔の風が大軍で襲来していた。

 弓を弾くようにギリギリと木々を揺らし、鉄の矢を放つように雨と風の矢を射る。

 何度も何度も平家の窓ガラスを打ち鳴らした。

 一瞬、休戦したかのように静まりかえると、次の瞬間、戦車の突撃の如く、平家全体をミシミシと浮き上がらすように揺さぶった。

 ジョンと浩子はソファーで肩を寄せ合い、神妙な顔付きで台風情報を見ていた。

 すると、プツッとテレビが消え、部屋の電気も消えてしまった。

 ジョンは家のブレーカーを見に行ったが正常であった。

 この辺りの電線が切れて、停電になったようであった。

 ジョンは携帯用のカンテラを灯して、ソファーの前のテーブルに置き、また、浩子を安心させるように肩を抱き寄せた。

 浩子も目を閉じて、ジョンの肩に顔を乗せ、6年前の台風の一夜を思い出していた。

 そして、浩子はいつの間にか寝てしまい、夢の中にいた。

 浩子は倒木が道を塞いでいる峠に降り立ち、山々を虐めまくる悪魔の風と対峙していた。

『どうして、あなた達はこんなことをするのよ!お父さんとお母さんを返して!』

 悪魔の風が笑いながら叫ぶ。

『お前は運が悪いんだよ。

今更、そんなこと言ってどうするんだ。

文句を言うなら、お前らが慕っている『神様』とやらに言えよ。

祈っても祈っても、何も叶えてくれませんってな!』

 浩子も叫ぶ。

『もうこれ以上、森を壊さないで!

皆んな泣いているじゃない!

もう、いいでしょ?

これ以上、何を私から奪うのよ? 

もう消えてちょうだい!』と

 悪魔の風がさらに笑いながら言った。

『うん?「これ以上、何を奪う?」、

そんなこと知るもんか!

お前は過去と現実だけを承知すれば良いのだ。

お前の両親が死んだこと。

森の半分の木が倒れたこと。

先のこと、未来のこと、そんなもん、俺ら悪魔の知ったことか!

 お前らの大好きな『神様』に聞いてみろよ。

 今度は、どの大事な人を失うのか?  
 
 まぁ、『神様』とやらは、決して教えてくれないと思うがな。』と

 すると、浩子は打ちひしがれたようにその場に崩れ落ち、泣き通した。

 自分の無力さ、そして、神の無加護を恨んだ。

『神様、あんなにあんなに祈ってもどうして助けてくれないのですか?

私が一体どんな悪事を働いたのですか?

教えてください?

どうして、助けてくれないのですか?

教えてください…』

 浩子は「はっ」と目を覚まし、隣を見遣った。

 そこには、浩子の肩を力強く抱き寄せ、瞼は閉じているが、その閉じた瞼の内には、

 『愛する者を護る』

 そう神に誓う勇敢な戦士の強く燃えたぎる眼孔を携えた、

 ジョンの凛々しい寝顔があった。

 浩子は、ジョンの髪をそっと撫で、そして、ジョンの頬に唇を這わせた。

 すると、浩子の瞳から一雫の涙が流れた。

 浩子は、涙を拭おうともせず、ジョンの厚い胸に顔を潜り込ませ、子鹿のように震えながら泣いた。

 そして、浩子は心の声で囁いでいた。

『神様…

どうして、私の愛する両親を助けてくれなかったのですか…

どうして、私の愛する人は神父なんですか…

神様なんて…、嫌いです…』と
 
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