負け犬様

ジョン・グレイディー

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第八章

2人の分岐点

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「もしもし、小野です。浩子さん、いらっしゃいますか?」

「はい、お待ちください。」

 母が駆け足で部屋にやって来る。

「浩子!大介君!」

 私も電話まで駆け足になる。

「あのぉ、中川です…」

「あっ、小野です。」

「………………」

「ごめんね。友達が変な手紙出して…」

「いえ…、大丈夫です…」

「あのぉ…、今度、逢ってください…」

「はい。」

「えっ!」

「えっ!」

「いや、ありがどう!」

「うん!」

「そしたら、来週、実家に帰るので、逢えるかなぁ!」

「うん!」

「若草公園…、噴水前…、午前10時…、大丈夫かな?」

「うん!大丈夫!」

「では…、待ってるから…」

「はい!行きます。」

「では…」

「うん…」
………………………………………
 彼は多くを語らず、要件だけで電話を切った。

 彼らしい。

 私の記憶が蘇る。

 いつも友達と話している時はお喋りな癖に、私が近くにいると、口数少な目に、チラッ、チラッと、私を覗きながら、話し出す。

 私はあの頃の大介君を思い出しながら、微笑んだ。
………………………………………
 俺は慌てて電話を切った。

 もう少し話すべきだったか…

 いや、あれで良いんだ。

 彼女が応えてくれるだけで良いんだ。

 負け犬様は言っていた。

『逢えば分かる。』と

 そうだ。逢えば全てが分かるんだ。

 俺は居ても立っても居られなくなり、今すぐ逢いに行きたくなった。

 焦るな…

 俺は自分にそう言いかせ、踊る心を落ち着かせた。
………………………………………
 再会の日

 夏休みの最後の週末

 俺は1時間も早く噴水前に着いた。

 当然、彼女はなかなか現れない。

 どうだろうか?その間、煙草10本は吸っただろうか?

 時計ばかり覗き込むが、2つの針は形を変えない。

「彼女に逢ったら、何て言う?」

『付き合ってください!、そう言え!』

「負け犬様!昼間っから現れたのか?」

『いつも居るよ。お前の耳元にな。』

「そっか!

 あっ、そう言うんだね。」

『そう言えば、全て通ずる。

 ほら、来たぞ。』

 俺は多くの人影の中に彼女を一瞬にして見出した。

 真っ白な肌、黒い髪の毛、大きな黒い瞳、長い手脚…

 俺は言葉を出す事も忘れ、彼女を見つめていた。

「笑ってる…、手を振ってる…」

 俺は呆然としながらも彼女と同じように手を振った。

 目の前に近づいた彼女は何も言わず、微笑んでいる。

 俺も照れ隠しに作り笑顔となる。

 目と目が合う。

 負け犬様の言う通り。

 彼女も分かっている。

 彼女は俺の口から発せられる言葉を待つかのように、俺の目だけを見つめ、口を結んだ。

「付き合ってください。」

 俺は唐突にそう言った。

 「はい。」
………………………………………
 私が待っていた言葉を…

 私がずっと待っていた言葉を彼が言ってる。

 私の目を見て、彼が言ってる。

 過去は全て綺麗に流れた。

 あるのは今だけ…

 彼は私の手を握り、「歩こう!」と言った。

 彼は私が次にして欲しいことを全て承知している。

 一緒に歩きたかった…、こうして手を繋いで…
………………………………………
「夢じゃない、決して夢じゃない」

 俺は無意識に呟く。

 ちょっと後ろを歩く彼女から「くすくす」と笑い声が漏れる。

「どうしたの?」と俺が聞くと、

「可笑しいの、一緒の事、私も考えていたから、可笑しいの。」

 彼女は満面の笑みでそう言った。

 2人で喫茶店に入った。

 俺は彼女がトイレに行っている間、耳元に囁いた。

「心配するなよ。彼女を追い詰めたりなんかしないから。

 過去は聞かないよ。」

 すると耳元で負け犬様がこう言った。

『そうだ。楽しくやれ!

 今が楽しければ、今を話せ!

 楽しくない過去など不必要だ。』と

 俺は珍しく負け犬様の言う事に納得した。

 俺は喋った。

 予備校のこと、手紙を書いた友人のこと、パチンコで負けていること…

 あの日と同じだった。

 俺は彼女をしきりに笑わせようと喋り続けた。
………………………………………
 あの日と同じ…

 彼は私を笑わそうと一生懸命に喋ってくれた。

 何も聞かない…、私の過去も何も聞かない…、今の私の事も聞いて来ない…、

 彼は分かってるんだ。

 私が今が辛いことを…、

 彼は分かっている…

    私は彼の変わらぬ優しさを瞬時の間に感じ取った。
………………………………………
 あっという間に時間が過ぎた。

 俺は電車に乗り込み、ドアの前に立っている。

「もう帰るのね。」と

 彼女が呟いた。

「また、連絡する。」

「うん!今度、私が逢いに行くから、待っててね。」

「うん!」

 電車のドアが閉まり、彼女がゆっくりと手を振り出した。

 それに合わせて電車がゆっくりと走り出した。

 俺は手を振ることなく、彼女の目を見つめていた。

「アイツ、泣いてる…」

 彼女の大きな瞳が潤んでいた。

 泣きながら手を振ってやがる。

 俺の心にあの気持ちが湧き上がった。

「結婚する。絶対、結婚する。」

 俺は何度も何度もそう呟いた。

 ……………………………………

 季節は変わり、秋となった。

 彼女は約束通り、俺の街に遊びに来てくれた。

 2人で街中を歩き回った。

 俺は彼女に『十字架のネックレス』を買ってあげた。

 彼女は喜びこう言った。

「私、十字架、好きなの。大切にする。」と
………………………………………
 彼は私が今一番欲しいもの知っているように、無造作に『十字架のネックレス』を取り上げて、「これ、浩子に似合うよ。」と言ってくれた。

 私の宝物、これは絶対に外さないの…

………………………………………
 季節は変わり冬となった。

 俺と浩子はお互いの居住地を行ったり来たりしながら、デートを重ねって行った。

 その間、負け犬様は現れなかった。

 そう、上手くいってる時は現れないのだ。

 でも、少し気になる事がある。

 時折見せる浩子の哀しい表情…

   俺はそれを知りたかったが、我慢した。

『彼女を追い込むな』

 負け犬様のお告げだ。

 聞いてどうする?

 今の俺に何が出来るのか?

 浪人の身

 金もない…

 彼女に逢って、大きな事ばかり言ってやがる。

 一流大学に入る、シルクロードに一緒に行こう、森の中の小屋で過ごそう…

 夢ばかり言ってやがる。

 この浪人野郎は…

 俺は無性に今ある自分が情けなくなった。

 俺はどうしたい?

 アイツと結婚したい。

 ならばどうする?

 俺にも彼女の気持ちが伝染したように、一つ心に暗い影ができちまった。

 負け犬様は今夜も来ない…


 

 

 
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