負け犬様

ジョン・グレイディー

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第六章

『逢えば分かる。』

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「大介!大介!」

 朝っぱらから長野が部屋に飛び込んで来た。

「どうしたんだ?」

「大介!手紙…、手紙、出したけん!中川浩子に!」

「えっ!お前ぇ~、本当に出したのかよぉ~」

 俺はこの日を密かに待ちに待っていたのであるが、取り敢えず、長野に猿芝居を打った。

「大介!良いか!こう書いたんだ!

【小野大介の友人の長野です。

 突然の手紙で失礼します。

 大介は今でも貴方のことを想っています。

 大介と会ってあげてください。】

 こんな感じだ!

 どうだい?」

「シンプルイズベスト!

 それで良いよ!」

「大介!明日には着くと思う!

 電話をするんだ!」

「分かった。

 恩に着るかどうかは結果次第だ。」

「大丈夫!

 必ず会えるよ。」

 長野は自己陶酔のように軽く言った。

 俺は猿芝居を終え、既に運命として再会できるようになっている中川浩子という女性の像を仕切りに頭に思い浮かべた。

 忘れかけている…

 俺は突然、焦った…

「あんなに恋焦がれていた相手を思い出せないなんて…」

 人間の記憶とはこんなもんである。

 画像として浮かぶのは卒業アルバムの写真の表情だけであった。

 声色も思い出せない…

「当然だ…、話したことないもんな…」

 いざ会うとなった段階で俺は怖気ついてしまった。

「本当に逢うのかよ…、中川と…、

 俺は本当に逢いたいのか…、どうなんだ?」

 暫し、俺は愚問を自問自答し続けた。

「俺は何のために中川と会うのか?

 結婚するため…

 いや…、あの頃の思いとは違う…

 そうだ、確かめたいんだった。

 何を…

 何故、俺を振って、奴と付き合ったのか?

 それだけ…

 それだけを確かめるため、俺は中川と会うのかよ…

    確かめた後…、どうすんだ…」

 俺は急にトーンが下がって行った。

 「会ってどうするのか?」

 この問いが俺に重くのしかかって行った。

 その夜、やはり、負け犬様が現れた。

【『かなり迷っているみたいだな、大介。』

「あぁ~、仰る通りだよ。」

『何を迷ってる?』

「会った後どうなるか、迷ってるんだ。」

『くだらん。』

「そうさ、くだらない愚問だよ。」

『怖気ついたか?』

「………………」

『結婚するんじゃなかったのか?』

「………………」

 俺は負け犬様の説教がウザく感じられ耳を塞いだ。

『耳を塞いでも無駄だ。』

「クソォ!

 俺はアンタと違うんだよ!

 俺は今の俺、アンタは過去の俺だ!

 根本的に違うんだよ!」

『逢えば分かる。』

「えっ!」

『逢えば分かると言ったんだ。』

「何が分かるんだよ!

 俺を振った理由、俺より悪魔を選んだ理由を今更聞いて、どうなるんだよ!

 意味がないんだ!

 あの頃みたいにトキメかないんだよ!

 結婚したいなんて、全く思わないんだよ!

 過去のちっぽけな理由さえ、分かれば良いんだよ!

 そんな事で会ってどうする?

 なんか、面倒臭くなってしまったよ!」

『もう一度言う。逢えば分かる。』

「だからさ!何が分かるんだよ!」

『お前の本当の気持ちが分かる。』

「俺の…、本当の気持ち…」

『そうだ。』

「中川への想いか…」

『そうだ。』

「顔も忘れている…、声も想い浮かべることができない…、

 想いなんて…、何もないよ…」

『大切な想いは、大切に閉まって置くもの。

 そして、大切な時に引き出しの中から取り出す。』

「引き出し?」

『想いを終う、心の引き出しだ。』

「心の引き出し…」

『逢えば分かる。』】

 夢から覚めた俺はそっと胸に掌を当ててみた。

 心臓の鼓動が頼もしく脈を打ち続けている。

 生まれてから今まで、休むことなく打ち続けている。

 俺は思った。

「胸の鼓動は忘れてない。あの日のトキメキを忘れてない。

 あの、時間が止まった静寂の中、高まる胸の鼓動…

 緊張と喜びを交互に打ち続けた胸の鼓動…」

 俺はあの日を思い浮かべた。

 高校一年の2月14日午後4時、渡り廊下の隅での出来事

 あの子の背後に夕陽が眩しく輝いていた。

 全てがスローモーションだった。

 音声の無い画像

 俺は何も考えず、その画像のみを脳裏に映しながら、

 寮前の公衆電話BOXを目指して行った。
 
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