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第三十章
家族愛と自己愛
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「初恋の人?」
「そんなんです、お互いの初恋の人だったんです。」
「小野さん、いいですか、あの女は貴方の母親と同じ位の年齢なのです。
現実的には一致しません。」
「現実的には…、」
「『夢』の観念、『夢』に時間は存在しない。
あの女は貴方の『夢』を遡及し、貴方の大切な思い出を探し当てたのです。」
「私の思い出…」
「そう、貴方はその初恋の思い出を大切に閉まって置いた。心の底、脳裏の淵に…
それはあの女が司る意識裏の事実ではなかったはずです。」
「はい、忘れることはない思い出です。」
「何故、その初恋の思い出をあの女が知るに及ぶことが出来たのか?」
「………………」
「それは、貴方自身に問題があるかも知れません。」
「私自身に?」
「そうです。その大切な思い出は、貴方の意識から次第に離れて行き、忘却の世界に移動しようとしているのかも知れません。
それが故に、意識裏の貴方を掌握するあの女の目に止まったのです。」
「何となく分かります…、
本当に忘れかけていました…、
私が一番大切にしている思い出を…」
「あの女は一途に貴方を想っていることは間違いありません。
貴方に嫌われたくないのです。
だからこそ、貴方に姿を見せない。」
「どうして?」
「酷い容姿を貴方に見せる訳には行かないのです。
眼球もなく、顎が割れ、舌が千切れてしまった悍ましい顔を…」
「………………」
「あの女は貴方に愛して欲しいのです。
貴方が一番大切に想っている『初恋の人』になり、笑顔の元で貴方を迎えたいのです。」
「それも分かる気がします…
あの女はこう言いました。
『病気にさえならなければ、私は貴方から離れることは決してなかった。』と
私も…、ずっと、あの幼少期の頃のまま、人生を歩みたかった…」
「私にも見えました。あの女が病院服で公園のブランコに座っている姿。
綺麗な少女でした。
あの女は、自身の最も麗しかった病気を患う前の姿を貴方に現したいと願っているのです。
小野さん…、
最早、私がとやかく言うことはありません。
ただ、貴方は意識ある世界で家族を築いて居る。
そのことを忘れてはなりません。」
「はい…」
「明日、引っ越すのですね。」
「そうです。」
「引っ越しには、いろいろと邪魔が入って来るでしょう。」
「あの女が…」
「そうです。あの女は、貴方はこの社宅、203号室、北部屋、押入れ、四隅北、その一角に永遠に居て欲しいと願っています。
必ず邪魔します。」
「分かりました。」
「小野さん、いいですか!」
「分かっています。私は家族を守らなければならない。分かっています。」
こう答えると俺は多幸との電話を終え、俺は明日の引っ越しの荷造りを始めた。
しかし、頭の中は2つの思いが錯綜していた。
家族愛と自己愛
そして、俺は振り返った。
俺のしたい事、俺自身が楽になる事、俺自身の…、本当のアイデンティティとは何か…
すると俺の今ある記憶は、俺の生き様を明確に2つに分かちた。
虚しい現在・過去・未来、愉しさだけが存在したあの頃とに…
【20代後半、惰性で結婚した。子供も産まれた。仕事も順調に成し遂げて行った。
しかし、この間、俺が心から笑ったことなどあっただろうか?
ないかもしれない。
仮面を被って生きて来た。
いつも何か、先を考えていた。
楽しいことではない。
少しの不安、ちっぽけな不満、この先どうなるのか…、決して良い事など起こらないだろうと
いつもいつもお金の事
子供のための教育ローン、親と同居するために建てた二世帯住宅のローン、
それは、普通の家庭、家族が人生の半ばに背負うありきたりの重荷ではあるが…
何故か…、全てが惰性に見える。
生き物として仕方がないのか…
後世への石杖として、その重荷は仕方がないのか…
全てが惰性、加えて付着する少しの不安、ちっぽけな不満、
いつもいつも、それしか見えなかった。
何のために生きているのか?
運命とは生と死
人生は山と谷
皆んな一緒なのか…
こんな風に、ネガティブな思いと共に年を重ねて来た。
そして、その途中で必ず思うことがある。
『あの時、あの頃に戻りたい』と
楽しかった…
いつもいつも、明日が来るのを待ち望んで眠りに着いていた…
明日も絶対に楽しいはず!
疑う余地は全くなかった。
明日も逢える。
相棒に逢える。
何して遊ぼう?
何をしても一緒に居れば楽しかった。
いつまでも、いつまでも、この愉しさが続くものと思っていた。
不安などない。
不満もない。
過去も今も未来も全てが一緒に見えた。
少年時代、初恋の人】
俺の気持ちは次第に過去への谷を降り始めた。
谷へ谷へと
先ある山はもう登る必要はないと…
谷底にひっそりと潜む、清水の産卵場、湧水の川底を探し始めていた。
「そんなんです、お互いの初恋の人だったんです。」
「小野さん、いいですか、あの女は貴方の母親と同じ位の年齢なのです。
現実的には一致しません。」
「現実的には…、」
「『夢』の観念、『夢』に時間は存在しない。
あの女は貴方の『夢』を遡及し、貴方の大切な思い出を探し当てたのです。」
「私の思い出…」
「そう、貴方はその初恋の思い出を大切に閉まって置いた。心の底、脳裏の淵に…
それはあの女が司る意識裏の事実ではなかったはずです。」
「はい、忘れることはない思い出です。」
「何故、その初恋の思い出をあの女が知るに及ぶことが出来たのか?」
「………………」
「それは、貴方自身に問題があるかも知れません。」
「私自身に?」
「そうです。その大切な思い出は、貴方の意識から次第に離れて行き、忘却の世界に移動しようとしているのかも知れません。
それが故に、意識裏の貴方を掌握するあの女の目に止まったのです。」
「何となく分かります…、
本当に忘れかけていました…、
私が一番大切にしている思い出を…」
「あの女は一途に貴方を想っていることは間違いありません。
貴方に嫌われたくないのです。
だからこそ、貴方に姿を見せない。」
「どうして?」
「酷い容姿を貴方に見せる訳には行かないのです。
眼球もなく、顎が割れ、舌が千切れてしまった悍ましい顔を…」
「………………」
「あの女は貴方に愛して欲しいのです。
貴方が一番大切に想っている『初恋の人』になり、笑顔の元で貴方を迎えたいのです。」
「それも分かる気がします…
あの女はこう言いました。
『病気にさえならなければ、私は貴方から離れることは決してなかった。』と
私も…、ずっと、あの幼少期の頃のまま、人生を歩みたかった…」
「私にも見えました。あの女が病院服で公園のブランコに座っている姿。
綺麗な少女でした。
あの女は、自身の最も麗しかった病気を患う前の姿を貴方に現したいと願っているのです。
小野さん…、
最早、私がとやかく言うことはありません。
ただ、貴方は意識ある世界で家族を築いて居る。
そのことを忘れてはなりません。」
「はい…」
「明日、引っ越すのですね。」
「そうです。」
「引っ越しには、いろいろと邪魔が入って来るでしょう。」
「あの女が…」
「そうです。あの女は、貴方はこの社宅、203号室、北部屋、押入れ、四隅北、その一角に永遠に居て欲しいと願っています。
必ず邪魔します。」
「分かりました。」
「小野さん、いいですか!」
「分かっています。私は家族を守らなければならない。分かっています。」
こう答えると俺は多幸との電話を終え、俺は明日の引っ越しの荷造りを始めた。
しかし、頭の中は2つの思いが錯綜していた。
家族愛と自己愛
そして、俺は振り返った。
俺のしたい事、俺自身が楽になる事、俺自身の…、本当のアイデンティティとは何か…
すると俺の今ある記憶は、俺の生き様を明確に2つに分かちた。
虚しい現在・過去・未来、愉しさだけが存在したあの頃とに…
【20代後半、惰性で結婚した。子供も産まれた。仕事も順調に成し遂げて行った。
しかし、この間、俺が心から笑ったことなどあっただろうか?
ないかもしれない。
仮面を被って生きて来た。
いつも何か、先を考えていた。
楽しいことではない。
少しの不安、ちっぽけな不満、この先どうなるのか…、決して良い事など起こらないだろうと
いつもいつもお金の事
子供のための教育ローン、親と同居するために建てた二世帯住宅のローン、
それは、普通の家庭、家族が人生の半ばに背負うありきたりの重荷ではあるが…
何故か…、全てが惰性に見える。
生き物として仕方がないのか…
後世への石杖として、その重荷は仕方がないのか…
全てが惰性、加えて付着する少しの不安、ちっぽけな不満、
いつもいつも、それしか見えなかった。
何のために生きているのか?
運命とは生と死
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皆んな一緒なのか…
こんな風に、ネガティブな思いと共に年を重ねて来た。
そして、その途中で必ず思うことがある。
『あの時、あの頃に戻りたい』と
楽しかった…
いつもいつも、明日が来るのを待ち望んで眠りに着いていた…
明日も絶対に楽しいはず!
疑う余地は全くなかった。
明日も逢える。
相棒に逢える。
何して遊ぼう?
何をしても一緒に居れば楽しかった。
いつまでも、いつまでも、この愉しさが続くものと思っていた。
不安などない。
不満もない。
過去も今も未来も全てが一緒に見えた。
少年時代、初恋の人】
俺の気持ちは次第に過去への谷を降り始めた。
谷へ谷へと
先ある山はもう登る必要はないと…
谷底にひっそりと潜む、清水の産卵場、湧水の川底を探し始めていた。
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