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第二十八章
送り道
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深々と底冷えする早春の昼下がり、俺は多幸のマンションに来ている。
この2、3日見続けた夢
突然表出して来た悪夢
全て多幸に話した。
多幸はひたすら沈黙を保ち、俺の話を聞き続けていた。
話を終えた俺の額からは場違いな脂汗が滲んでいた。
多幸はゆっくりと口を開き始めた。
「貴方にいろいろ質問する事はありません。
これから申す事は私の霊媒師としての感覚で申す事です。
信じるか信じないかは貴方の判断に委ねます。」
「分かりました。」
「前にも言った通り、夢は意識裏にある過去の事実の積み重ねが表出されるものです。
貴方が見た夢…
それは、残念ながら全て事実裏として起こった事柄になります。」
「事実裏?」
「そうです。意識の無い事実です。」
「意識の無い事実?」
「そうです。
貴方が元恋人夫婦を殺した事実然り、恐らく、貴方にはその意思はなかったものであると思います。」
「そうなんです…、確かに恨んではいましたが…、恋人もその夫も…、
ただ…、殺そうとまでは…
そして、諦めたんです!
滝壺にネックレスを投げ捨てた時、吹っ切れたんです!未練なく!」
「………………」
「どうして、殺すまで思ったのか?そこまでの思いの経緯が全く分からない…」
「……………」
多幸は何も言わず、俺の目をじっと見つめている。
俺は藁をも掴む気持ちでこう聞いた。
「多幸さん、貴女は分かっているんですか?
その訳を!」
「…………………」
「分かっているんでした教えてください!
どんな理由であろうとも覚悟します…
教えてください!」
多幸は目を閉じ、ゆっくりとこう言った。
「何も変わりません。
それを知ったとしても何も変わりません。
それでも宜しいか?」
「構いません!」
多幸は形相鋭く目を見開くと、単刀直入、こう言い切った。
「貴方はあの女に憑依されたのです。」
「憑依………」
「そうです。
貴方はあの女の怨念の使徒に過ぎなかったのです。」
「怨念の使徒……、あの女があの夫婦を殺したかったとでも?
全く関係がない人間なのに、どうして…」
「全ては貴方が滝壺にネックレスを投げ捨てた時から宿命付けられた因果なのです。
あの女は『愛の無い結婚』に苦悶し、この世から身を引いたのです。
その間際、運命の悪戯か、貴方が同じ境遇者として登場した。
しかし…
男と女の違い
立場は決して同じではなかった。
あの女は早急過ぎたのです。
時間がなかった、死に急いでいましたから…
勇気もなかった、夫にも貴方にもその心想を重ね問うことができなかった…
女はネックレス、十字架のネックレスに自身を重ね、滝壺の底深く生き絶える中、貴方の恋人に自分を置き換えたのです。」
「そんな…、愛の無い結婚の犠牲者と思ったのですか…、恋人のことを…」
「そうです。自身と同様、夫の娼婦であり家政婦であり、そして寄生虫である哀れな女になると思い込んでしまったのです。」
「そんな思い過ごしで…」
「死に方が酷過ぎたのです。苦痛、苦悶などと言葉で表すのが不可能な死に方だったのです。
恨みは拡幅し、怨念に浮上したのです。」
「それで俺に憑依…」
「そうです。貴方の僅かな恨みを乗っ取り、生前に成し得なかった夫への恨みを爆発させたのです。」
「俺の恨みを…、自分の夫を殺せば済むんじゃないんですか!」
「男と女、両性の夫婦関係が必須であったのです。
自身は死んだ身、最早、夫婦、結婚という怨念の必要要素が夫には存在していなかった。
よって…」
「………………」
「よって、貴方に憑依し、自身と同じ境遇となるであろう元恋人を救うべく、貴方を向かわせた。」
「………………」
「しかし、そこには、全てが一致しなかった。
女は了知した。
貴方が殺した夫婦は決して愛の無い結婚ではなかったことを。
殺された夫婦の営み、それを見れば女には自ずと分かったんです。
娼婦として抱かれているか、愛する妻として抱かれているかが…」
「それで、女まで殺した…」
「そう、貴方の言い分全てが正確ではなかったと分かったのです。
金と名誉のみを求めて貴方から去ったのではない、少なからず、そこには愛があった。
そう感じた女は…」
「どうしたんですか?」
「貴方に同情し、そして、『私なら』貴方を裏切ったりはしないのに…と気持ちを寄せて行ったのです。」
「そんな…、全て、その女の身勝手な想いじゃないですか!」
「悔恨、憎悪、憤慨、激怒等々、人間の負の感情が怨念となる時は、主観が客観を凌駕するものなのです。
それが因果です。」
「………………」
ここで多幸は硬かった表情を緩ませ、切なそうに語った。
「私には、あの女の生前の苦悶、苦痛、悔恨の念が見えたのです。
私はあの女を助けたいとも思った。
それが同時に貴方達を救うことにもなると」と
「どうしたんですか…、救えないんですか…」
多幸はごくりと唾を飲み込み、呟くようにこう言った。
「あの女は最早救えません…、あの女は死界の者となってしまった。」
「死界の者?」
「そうです。死界と生界を彷徨う霊ではなく、死という暗黒の闇から現出した怨霊そのものなのです。」
「怨霊………」
「強い強い怨霊、貴方を…」
「俺を?」
「貴方を死界に連れて行こうとしている!」
「………………」
「夫婦を残酷に殺害した貴方を同じ怨念の同士として、死界へ連れて行こうとしているのです。」
「『愛の溢れた2人だけの世界』」
「いや、そこは何も産まれない暗闇だけの死の世界なのです。」
「縁日の続く道、綺麗な灯り、囃子太鼓の音色…」
「送り道、それは死者の送り道なのです。」
「………………」
「その先には…」
「何が…………」
「死界、結界の隅、そう社宅の北部屋の押入れの四隅」
「社宅…」
「死界の強固な1点、比叡という幾億もの生き血を吸ったあの土地」
「社宅…、そもそもがあの女の棲む場所だったんですか」
「そうです。貴方と一緒にね。」
「俺と…」
「貴方の奥さんに乗り移り、憑依し、身体全体、意識全体を占領した上で、貴方の伴侶として、あの社宅の北部屋の押入れの四隅1角の死界で永遠に存在するために…」
「もう、手遅れなんですか?
全て…」
「あの女は貴方を連れて行きます。
貴方が送り道で契りを交わした以上、貴方はあの女から逃げられません。」
「妻と娘は…」
「それは分かりませんが、貴方と一緒に居ない方が良いでしょう。
そして、死界の入口である社宅からは、早く離れるべきです。」
「分かりました。」
「最後に…
貴方が今日私に話してくれた事は奥様には何も言わない方が良いと思います。」
「分かりました…」
「言っても何も変わりませんから…、言わずに済むことです。」
「あの…、私は…、いや、いいです…」
「殺害の件ですか?」
「はぁ、罪は罪ですから…、警察に…」
「その必要はありません。
正確に言うならば、そうはさせてくれないでしょう。」
「あの女が…」
「そう、貴方の意識裏は全てあの女に主導権がありますから。
最早、罪を罰で補うことは不可能なのです。」
「全ては送り道の契り…」
「そう言うことです。」
俺は夕暮れ時に多幸のマンションを出た。
「信じるか信じないかは貴方次第」と多幸は言った。
信じるしかないじゃないか!
また、送り道の夢が今夜も待っているのに…
この2、3日見続けた夢
突然表出して来た悪夢
全て多幸に話した。
多幸はひたすら沈黙を保ち、俺の話を聞き続けていた。
話を終えた俺の額からは場違いな脂汗が滲んでいた。
多幸はゆっくりと口を開き始めた。
「貴方にいろいろ質問する事はありません。
これから申す事は私の霊媒師としての感覚で申す事です。
信じるか信じないかは貴方の判断に委ねます。」
「分かりました。」
「前にも言った通り、夢は意識裏にある過去の事実の積み重ねが表出されるものです。
貴方が見た夢…
それは、残念ながら全て事実裏として起こった事柄になります。」
「事実裏?」
「そうです。意識の無い事実です。」
「意識の無い事実?」
「そうです。
貴方が元恋人夫婦を殺した事実然り、恐らく、貴方にはその意思はなかったものであると思います。」
「そうなんです…、確かに恨んではいましたが…、恋人もその夫も…、
ただ…、殺そうとまでは…
そして、諦めたんです!
滝壺にネックレスを投げ捨てた時、吹っ切れたんです!未練なく!」
「………………」
「どうして、殺すまで思ったのか?そこまでの思いの経緯が全く分からない…」
「……………」
多幸は何も言わず、俺の目をじっと見つめている。
俺は藁をも掴む気持ちでこう聞いた。
「多幸さん、貴女は分かっているんですか?
その訳を!」
「…………………」
「分かっているんでした教えてください!
どんな理由であろうとも覚悟します…
教えてください!」
多幸は目を閉じ、ゆっくりとこう言った。
「何も変わりません。
それを知ったとしても何も変わりません。
それでも宜しいか?」
「構いません!」
多幸は形相鋭く目を見開くと、単刀直入、こう言い切った。
「貴方はあの女に憑依されたのです。」
「憑依………」
「そうです。
貴方はあの女の怨念の使徒に過ぎなかったのです。」
「怨念の使徒……、あの女があの夫婦を殺したかったとでも?
全く関係がない人間なのに、どうして…」
「全ては貴方が滝壺にネックレスを投げ捨てた時から宿命付けられた因果なのです。
あの女は『愛の無い結婚』に苦悶し、この世から身を引いたのです。
その間際、運命の悪戯か、貴方が同じ境遇者として登場した。
しかし…
男と女の違い
立場は決して同じではなかった。
あの女は早急過ぎたのです。
時間がなかった、死に急いでいましたから…
勇気もなかった、夫にも貴方にもその心想を重ね問うことができなかった…
女はネックレス、十字架のネックレスに自身を重ね、滝壺の底深く生き絶える中、貴方の恋人に自分を置き換えたのです。」
「そんな…、愛の無い結婚の犠牲者と思ったのですか…、恋人のことを…」
「そうです。自身と同様、夫の娼婦であり家政婦であり、そして寄生虫である哀れな女になると思い込んでしまったのです。」
「そんな思い過ごしで…」
「死に方が酷過ぎたのです。苦痛、苦悶などと言葉で表すのが不可能な死に方だったのです。
恨みは拡幅し、怨念に浮上したのです。」
「それで俺に憑依…」
「そうです。貴方の僅かな恨みを乗っ取り、生前に成し得なかった夫への恨みを爆発させたのです。」
「俺の恨みを…、自分の夫を殺せば済むんじゃないんですか!」
「男と女、両性の夫婦関係が必須であったのです。
自身は死んだ身、最早、夫婦、結婚という怨念の必要要素が夫には存在していなかった。
よって…」
「………………」
「よって、貴方に憑依し、自身と同じ境遇となるであろう元恋人を救うべく、貴方を向かわせた。」
「………………」
「しかし、そこには、全てが一致しなかった。
女は了知した。
貴方が殺した夫婦は決して愛の無い結婚ではなかったことを。
殺された夫婦の営み、それを見れば女には自ずと分かったんです。
娼婦として抱かれているか、愛する妻として抱かれているかが…」
「それで、女まで殺した…」
「そう、貴方の言い分全てが正確ではなかったと分かったのです。
金と名誉のみを求めて貴方から去ったのではない、少なからず、そこには愛があった。
そう感じた女は…」
「どうしたんですか?」
「貴方に同情し、そして、『私なら』貴方を裏切ったりはしないのに…と気持ちを寄せて行ったのです。」
「そんな…、全て、その女の身勝手な想いじゃないですか!」
「悔恨、憎悪、憤慨、激怒等々、人間の負の感情が怨念となる時は、主観が客観を凌駕するものなのです。
それが因果です。」
「………………」
ここで多幸は硬かった表情を緩ませ、切なそうに語った。
「私には、あの女の生前の苦悶、苦痛、悔恨の念が見えたのです。
私はあの女を助けたいとも思った。
それが同時に貴方達を救うことにもなると」と
「どうしたんですか…、救えないんですか…」
多幸はごくりと唾を飲み込み、呟くようにこう言った。
「あの女は最早救えません…、あの女は死界の者となってしまった。」
「死界の者?」
「そうです。死界と生界を彷徨う霊ではなく、死という暗黒の闇から現出した怨霊そのものなのです。」
「怨霊………」
「強い強い怨霊、貴方を…」
「俺を?」
「貴方を死界に連れて行こうとしている!」
「………………」
「夫婦を残酷に殺害した貴方を同じ怨念の同士として、死界へ連れて行こうとしているのです。」
「『愛の溢れた2人だけの世界』」
「いや、そこは何も産まれない暗闇だけの死の世界なのです。」
「縁日の続く道、綺麗な灯り、囃子太鼓の音色…」
「送り道、それは死者の送り道なのです。」
「………………」
「その先には…」
「何が…………」
「死界、結界の隅、そう社宅の北部屋の押入れの四隅」
「社宅…」
「死界の強固な1点、比叡という幾億もの生き血を吸ったあの土地」
「社宅…、そもそもがあの女の棲む場所だったんですか」
「そうです。貴方と一緒にね。」
「俺と…」
「貴方の奥さんに乗り移り、憑依し、身体全体、意識全体を占領した上で、貴方の伴侶として、あの社宅の北部屋の押入れの四隅1角の死界で永遠に存在するために…」
「もう、手遅れなんですか?
全て…」
「あの女は貴方を連れて行きます。
貴方が送り道で契りを交わした以上、貴方はあの女から逃げられません。」
「妻と娘は…」
「それは分かりませんが、貴方と一緒に居ない方が良いでしょう。
そして、死界の入口である社宅からは、早く離れるべきです。」
「分かりました。」
「最後に…
貴方が今日私に話してくれた事は奥様には何も言わない方が良いと思います。」
「分かりました…」
「言っても何も変わりませんから…、言わずに済むことです。」
「あの…、私は…、いや、いいです…」
「殺害の件ですか?」
「はぁ、罪は罪ですから…、警察に…」
「その必要はありません。
正確に言うならば、そうはさせてくれないでしょう。」
「あの女が…」
「そう、貴方の意識裏は全てあの女に主導権がありますから。
最早、罪を罰で補うことは不可能なのです。」
「全ては送り道の契り…」
「そう言うことです。」
俺は夕暮れ時に多幸のマンションを出た。
「信じるか信じないかは貴方次第」と多幸は言った。
信じるしかないじゃないか!
また、送り道の夢が今夜も待っているのに…
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