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本編

最終話 冒険女王アーニャの求婚

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 高らかに哄笑こうしょうするグリューンドルフ公爵をバルドゥールが恨めし気に睨む。
 すると公爵の頭上高く、蒼穹そうきゅうの彼方で何かが光った。

 バルドゥールはハッと目を見張る。
 眉を顰め目を凝らし額に手を当て、小さな点にしか見えぬ何か。見極めようとするバルドゥール。
 グリューンドルフ公爵はバルドゥールの振る舞いを見るや否や、後方に振り返った。
 そして側に控えていた自身の侍従に、大声で命じる。


「遠眼鏡を寄越せ! なんでもいい! 早く!」 


 切羽詰まったように声を荒げ、緊急を命じる主人に、侍従は慌てふためいた。
 近頃生気に乏しい様子を見せていた主人の活気溢れる姿は喜ばしいものの、グリューンドルフ公爵は元来、非常に厳しい武人なのである。
 主の命を今すぐに叶えられなければ、一体どのような叱責が飛ぶことやら。


「はっ! こちらに……」


 庭園の散策では、野鳥観測に興じることも多いグリューンドルフ公爵。
 侍従は携帯していた遠眼鏡を急いで主に献上した。

 斜め後ろに控える侍従を振り返りもせず、その手から引っ手繰るように遠眼鏡を奪うも、針の先しかなかったような点は、今やその形をありありとグリューンドルフ公爵の眼前、つまびらかにさせていた。


「まさか……!」


 グリューンドルフ公爵は息を呑み、侍従の手から荒々しく奪った遠眼鏡を、その手から取り落した。
 バルドゥールは相好を崩し、両手を空に大きく広げる。
 胸いっぱいに深く息を吸い込み、口を開く。

 そして愛しい人の名を呼ぶ。


「アーニャ!」


 その瞬間、美しい姫君が空から舞い降り、バルドゥールの胸の中に勢いよく飛び込んだ。

 バルドゥールは衝撃に耐えかねて庭園の芝生に尻餅をついたが、アンナの背に回した腕は決して離さず。
 バルドゥールの頬を掠めるのは、美しい黒髪が一房。腰から背、頭までべったりと身を芝生に倒し。しかしアンナの温かく柔らかな身体を、力いっぱい抱きしめる。

 バルドゥールとアンナ。どちらからともなく声を挙げて笑い出す。

 唖然とするグリューンドルフ公爵のすぐ横で、巨大な海蛇シーサーペントが地に降りた。
 銀色に輝く巨大な一角を頂きに掲げ、鈍色のたてがみは硬度を保って空を指し。長い口髭は、公爵の足元から庭園の噴水まで長く伸びる。
 海蛇の背には神話の中でしかお目にかかれないような美しい娘が一人、ちょこんと跨っている。

 その娘を置いたまま、一人の男が鋼のように固い海蛇の鬣を掴み、地に降り立つ。
 男はグリューンドルフ公爵の後方で膝を折った。


「父上。只今戻りました」


 グリューンドルフ公爵がゆっくりと振り返ると、そこには浅黒く日焼けをし、二年半前より一回り大きくなった、公爵によく似た顔立ちの青年。
 子は炯炯たる瞳で、父を見上げていた。


「……ブラントか」


 低い声で子を呼ぶ父。フルトブラントは白い歯を覗かせ、頷く。
 ブラントのすぐ傍には地に身を置く海蛇。
 蒼穹には、赤黒い鱗で陽の光を弾く巨大なドラゴン。
 グリューンドルフ公爵は自身の大きな手で顔を覆うと、「神よ……」と呻いた。
 すると頭上のドラゴンが青白い炎を吐く。


『誰ぞ我を呼ぶ』


 その場にいる者全ての脳に直接響き渡る、不可思議な声。
 低くもなく高くもなく。厳かであり穏やかであり。畏怖を伴い安堵を齎す。

 地を転がって抱擁を交わしていたバルドゥールとアンナは、互いから離れて立ち上がる。
 アンナが天空のドラゴンへ向かって呼びかけた。


「偉大なる火の神スヴァローグ様! 我が最愛、我が永遠の伴侶をこちらに!」


 アンナがバルドゥールへ振り返り、微笑んで手を差し伸べる。
 バルドゥールも微笑みを絶やさず、アンナの手を取る。二人は手を取り合って、頭上のドラゴンに頭を垂れた。


『人間よ。名を名乗るがよい』


 バルドゥールは頭を垂れたまま、口上を述べる。


「有り難き幸せ。御前にお目にかかりますは、ゲルプ王国第三王子、バルドゥール・プリンツ・フォン・ゲルプ=ジツィーリエンに御座います」


 バルドゥールの手に載るアンナの細く小さな手に、きゅっと力が籠る。
 バルドゥールは視線だけアンナに向けた。同じく視線だけバルドゥールに向けていたアンナと、互いの視線が交わう。
 二人は微笑みあった。


『バルドゥール……。アース神族、光の神の名を持つ者よ。汝を我が愛し子、ツァレーヴナ・アンナ・ガルボーイの伴侶と認める』


 蒼穹に青白い炎が、ガルボーイ王国へとどこまでも長く長く、一筋の縄のように伸びていった。














 アンナは火の神スヴァローグの化身である、ドラゴンの背に乗り。フルトブラントは水の精ウンディーネを片手に抱いて、海蛇シーサーペントに跨り。
 二人は帰ってきた。


「バル。わたしは貴方に求婚するために旅に出たの」


 ガルボーイ王国の王女が女王になるための条件。
 それは冒険に出て、古代より伝説の種族達から認められること。そして友人の証として彼等から国を治めるに役立つ贈り物を受け取ること。
 最後に古代の神、スヴァローグより、ガルボーイ王国の女王として立つに相応しいと、その絶大なる加護を授かること。

 けれどそういった伝説の生物や神といった、諸々から授けられる贈り物より。何より一番大事なことがある。

 冒険を経て女王たる覚悟と絶対的な自信を胸に、最愛の人へ求婚すること。
 それがガルボーイ王国女王になるための条件。

 ツァレーヴナ・アンナ・ガルボーイが初代女王ツァーリ・アンナ・ガルボーイに課せられた掟。
 冒険女王アーニャの求婚は、ドラゴンの背に跨がって。



 グリューンドルフ公爵家図書室にて、大切に保管されていた絵本『海を渡ったアーニャ』。
 経年によって、ややくたびれた絵本を読み終えたバルドゥールは、彼の腕の中で寝息を立てる、勇猛果敢にして可憐な女王の額に口づける。

 女王の手からは、バルドゥールの贈った黄色い魔石の煌めく魔剣が転げ落ち、柔らかなソファに沈んだ。


「お疲れ様、アーニャ。僕の愛しい女王様」


 そらを渡ったアーニャは、ようやく辿り着いた愛するバルの胸で夢を見る。

 冒険女王の旅は終わらない。
 絵本に描かれないその先を、女王と王配が紡いでいく。
 それはきっと、後世、絵本には遺されない。けれど海を渡ったアーニャは、いつまでも幸せに笑うのだ。

 初代女王がかつてそうであったように。






(本編 了)
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