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本編
第三話 海を渡ったアーニャ
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「まあ! 本当になんてお心の広いお方なのでしょう! バル様と仰るの? わたしはグリューンドルフ公爵家が長女、アンナと申します。どうぞ不逞の兄をよろしくお願いいたします」
王弟である、グリューンドルフ公爵が嫡男であるフルトブラント。その主となれるのは、直系王族しかいない。
つまりバルドゥールが王族であると、アンナが察したことは間違いない。
それにも関わらず、アンナはバルドゥールに対し、臣下としてではなく、まるで対等であるかのような態度で応じた。
むしろ第三王子とはいえ自国の王子の顔すら覚えていないなど、対等であるどころかバルドゥールを格下であると言っているようなものだ。
兄妹揃って王子たるバルドゥールに不遜であった。
だがバルドゥールは、アンナの愛称と、またグリューンドルフ公爵の長女たるアンナは養女であることが頭にあった。
それから、アンナの出自を予測する。
バルドゥールは気位の高い少女に微笑みかけた。
「ええ。アンナ様。フルトブラントのことはお任せください。私はゲルプ王国第三王子、バルドゥール・プリンツ・フォン・ゲルプ=ジツィーリエンと申します」
アンナの名に略式であるものの敬称をつけ、胸に手を当て正式名称を名乗るバルドゥール。
フルトブラントは驚愕に刮目した。
「バル、お前……」
腐っても公爵令息であるフルトブラントが、その意味をわからぬはずがない。
フルトブラントは自身の愛妹アンナを見た。
「丁寧なご挨拶をありがとうございます。第三王子殿下。どうぞわたしのことはアーニャとお呼びくださいませ」
目を細めて微笑むアンナは輝かんばかりに眩く、天上の女神のようだった。
バルドゥールはアンナの差し伸べた手を取り、その指先を額に抱く。
フルトブラントは第三王子であるバルドゥールが、アンナに騎士の礼をとる様子に目を剥いた。
「では、私のことはバルと」
「はい、バル様」
「様はいりませんよ」
「あら。ではバルも敬語はよしてくださいな」
「わかったよ、アーニャ」
屈託なく笑いあうバルドゥールとアンナを前に、フルトブラントは混乱の極みにあった。
「えっ。ちょっ……。え? 何? どういうことだ?」
戸惑い常になく取り乱した様子のフルトブラントに、バルドゥールは首を振った。
「ブラント、君は長くアーニャと過ごしてきたくせに、気がつかなかったのかい?」
「だから何を……?」
今にも泣き出しそうな顔をして、弱弱しく問いかけるフルトブラント。
バルドゥールは肩を竦めてアンナを見た。アンナは首を振って困ったように微笑む。
「わたしの口から述べるのは憚られるのです、お兄様。察してくださいませ」
フルトブラントは語学が不得意であった。というより、彼は武に偏っていた。
王立学園では、勉学において、なんとか落第しないようにしがみつくのが精一杯。
それを知っているバルドゥールは、フルトブラントにヒントをあげた。
「アーニャなんて響き、どこかの国で聞いたことがあるなあ。ねえ、アーニャ?」
アンナは困ったように眉尻を下げ、バルドゥールを見つめる。
「……そうですわね。グリューンドルフ公爵家図書室にある絵本にもありましたっけ」
幼いアンナに与えられた絵本の数々。
それはゲルプ王国のものもあれば、アンナの生国ガルボーイ王国のものも多々あった。
そしてその絵本の中に、アーニャという名のお姫様が主人公の物語があった。
幼いアンナの一番のお気に入りであった絵本。アンナに乞われて、フルトブラントが繰り返し読み聞かせた絵本。
「『海を渡ったアーニャ』……」
フルトブラントが絵本のタイトルを口にする。アンナはにっこりと笑みかけた。
「そうですわ。お兄様。わたしは海を渡ってはおりませんが、森を渡りました」
ゲルプ王国とガルボーイ王国の国境は広大な森林にある。
フルトブラントはようやくそこで、アンナの出自を悟った。
バルドゥールはフルトブラントの肩を叩くと、小声で囁いた。
「そういうわけだから、アーニャの相手は君ではなく、僕に任せてね」
フルトブラントがアンナを妹として可愛がっていることはわかっていた。だが、バルドゥールは念のため釘を刺す。
こんなに美しい少女なのだ。
いつフルトブラントがアンナを女性として愛するようになるか、わかったものではない。
フルトブラントはしかめっつらでバルドゥールを睨む。
「……絶対に守りきることを約束しろよ」
「当然」
バルドゥールはにっこりと笑う。
アンナはバルドゥールとフルトブラントとの間で交わされる小声のやり取りを、聞こえないフリをした。
母国の成り行きによって自身の立ち位置が変わるアンナにとって、ゲルプ王国第三王子との縁をどのような方向性に導くべきか、判断しかねたからだ。
しかし見目麗しく穏やかで、聡明そうなバルドゥールからここまであからさまな好意を向けられ、一人の少女としてのアンナの胸は喜びに高鳴った。
「さあバルにお兄様。今日はこれからご予定がおありなの? もしないのであれば、わたしもお二人に混ぜてくださいませ!」
満面の笑みで手を広げるアンナに、二人はもちろん大歓迎だと応じた。
王弟である、グリューンドルフ公爵が嫡男であるフルトブラント。その主となれるのは、直系王族しかいない。
つまりバルドゥールが王族であると、アンナが察したことは間違いない。
それにも関わらず、アンナはバルドゥールに対し、臣下としてではなく、まるで対等であるかのような態度で応じた。
むしろ第三王子とはいえ自国の王子の顔すら覚えていないなど、対等であるどころかバルドゥールを格下であると言っているようなものだ。
兄妹揃って王子たるバルドゥールに不遜であった。
だがバルドゥールは、アンナの愛称と、またグリューンドルフ公爵の長女たるアンナは養女であることが頭にあった。
それから、アンナの出自を予測する。
バルドゥールは気位の高い少女に微笑みかけた。
「ええ。アンナ様。フルトブラントのことはお任せください。私はゲルプ王国第三王子、バルドゥール・プリンツ・フォン・ゲルプ=ジツィーリエンと申します」
アンナの名に略式であるものの敬称をつけ、胸に手を当て正式名称を名乗るバルドゥール。
フルトブラントは驚愕に刮目した。
「バル、お前……」
腐っても公爵令息であるフルトブラントが、その意味をわからぬはずがない。
フルトブラントは自身の愛妹アンナを見た。
「丁寧なご挨拶をありがとうございます。第三王子殿下。どうぞわたしのことはアーニャとお呼びくださいませ」
目を細めて微笑むアンナは輝かんばかりに眩く、天上の女神のようだった。
バルドゥールはアンナの差し伸べた手を取り、その指先を額に抱く。
フルトブラントは第三王子であるバルドゥールが、アンナに騎士の礼をとる様子に目を剥いた。
「では、私のことはバルと」
「はい、バル様」
「様はいりませんよ」
「あら。ではバルも敬語はよしてくださいな」
「わかったよ、アーニャ」
屈託なく笑いあうバルドゥールとアンナを前に、フルトブラントは混乱の極みにあった。
「えっ。ちょっ……。え? 何? どういうことだ?」
戸惑い常になく取り乱した様子のフルトブラントに、バルドゥールは首を振った。
「ブラント、君は長くアーニャと過ごしてきたくせに、気がつかなかったのかい?」
「だから何を……?」
今にも泣き出しそうな顔をして、弱弱しく問いかけるフルトブラント。
バルドゥールは肩を竦めてアンナを見た。アンナは首を振って困ったように微笑む。
「わたしの口から述べるのは憚られるのです、お兄様。察してくださいませ」
フルトブラントは語学が不得意であった。というより、彼は武に偏っていた。
王立学園では、勉学において、なんとか落第しないようにしがみつくのが精一杯。
それを知っているバルドゥールは、フルトブラントにヒントをあげた。
「アーニャなんて響き、どこかの国で聞いたことがあるなあ。ねえ、アーニャ?」
アンナは困ったように眉尻を下げ、バルドゥールを見つめる。
「……そうですわね。グリューンドルフ公爵家図書室にある絵本にもありましたっけ」
幼いアンナに与えられた絵本の数々。
それはゲルプ王国のものもあれば、アンナの生国ガルボーイ王国のものも多々あった。
そしてその絵本の中に、アーニャという名のお姫様が主人公の物語があった。
幼いアンナの一番のお気に入りであった絵本。アンナに乞われて、フルトブラントが繰り返し読み聞かせた絵本。
「『海を渡ったアーニャ』……」
フルトブラントが絵本のタイトルを口にする。アンナはにっこりと笑みかけた。
「そうですわ。お兄様。わたしは海を渡ってはおりませんが、森を渡りました」
ゲルプ王国とガルボーイ王国の国境は広大な森林にある。
フルトブラントはようやくそこで、アンナの出自を悟った。
バルドゥールはフルトブラントの肩を叩くと、小声で囁いた。
「そういうわけだから、アーニャの相手は君ではなく、僕に任せてね」
フルトブラントがアンナを妹として可愛がっていることはわかっていた。だが、バルドゥールは念のため釘を刺す。
こんなに美しい少女なのだ。
いつフルトブラントがアンナを女性として愛するようになるか、わかったものではない。
フルトブラントはしかめっつらでバルドゥールを睨む。
「……絶対に守りきることを約束しろよ」
「当然」
バルドゥールはにっこりと笑う。
アンナはバルドゥールとフルトブラントとの間で交わされる小声のやり取りを、聞こえないフリをした。
母国の成り行きによって自身の立ち位置が変わるアンナにとって、ゲルプ王国第三王子との縁をどのような方向性に導くべきか、判断しかねたからだ。
しかし見目麗しく穏やかで、聡明そうなバルドゥールからここまであからさまな好意を向けられ、一人の少女としてのアンナの胸は喜びに高鳴った。
「さあバルにお兄様。今日はこれからご予定がおありなの? もしないのであれば、わたしもお二人に混ぜてくださいませ!」
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