上 下
2 / 21
本編

第二話 親友兼、従弟兼、臣下の妹君

しおりを挟む
「ブラント、学期末試験の結果はどうだった?」


 廊下に張り出された上位成績者に名を連ねていなかったことから、推して知るべし。というものなのだが。
 従弟であり、将来の側近となるフルトブラントの成績向上に発破をかけるのは、バルドゥールの役目だ。


「……聞かないでくれ」


 フルトブラントは苦虫を噛み潰したような顔を、ふいと背けた。
 バルドゥールはやっぱり、と眉を顰める。


「ブラント……。君は次期グリューンドルフ公爵なんだよ? その自覚はあるのかい?」

「父上とまるきり同じことを言うな」


 ぶすっと不機嫌に不貞腐れるフルトブラント。
 バルドゥールは世話のやける親友にやれやれ、と嘆息する。

 どうもバルドゥールがここグリューンドルフ公爵王都屋敷を訪れるより前に、フルトブラントは父公爵から大目玉を食らっているらしい。
 それならば、とバルドゥールは追及をやめた。
 既に指摘されていることにわざわざ重ねて叱責するほど、バルドゥールは底意地悪くない。

 バルドゥールはすっかり機嫌を損ねたフルトブラントを横目に、ガゼボからぐるりと見渡せる庭園に視線を走らせた。
 一貴族の王都屋敷とは思えぬ規模の広大な庭。
 元は王家の離宮の一つであった。
 それをグリューンドルフ公爵が臣籍降下した際に譲り受け、公爵家王都屋敷としたものだ。広くて当然である。

 サークル状の人口池には、黄金の女神の装飾が中央に施されたアーチ橋が架かり。池から引かれた水路は、石畳の下を伝って中央の噴水へと辿り着く。
 池と噴水を取り囲む四季折々の花々。

 バルドゥールは庭園を駆ける心地よい風を頬に受け、のんびりと休暇を楽しんでいた。


「ブラントお兄様」


 凛とした響きに振り返ると、そこには勝ち気な表情で佇む少女がいた。

 年の頃は十二、三といったところだろうか。
 豊かな波打つ黒髪。長くけぶるような睫毛はくるんと美しいカーブを描き、神秘的なグリーンアイズを縁取る。鼻梁は細くツンと尖った鼻尖まで真っすぐに伸び、ふっくらとした唇は暖かなオレンジブラウンで、口角がきゅっと引き締まり。滑らかでほっそりとした稜線が、こめかみから顎へと繋ぐ。

 バルドゥールは吸い込まれるように少女を見つめた。
 こんなに美しい少女は見たことがない。


「やあ、アーニャ。どうしたんだ?」


 フルトブラントは普段、女性に極めて冷徹な少年だった。だが、その氷のような態度は見る影もなく、デレっと相好を崩している。
 その上、少女にかけた声は、砂糖菓子のように甘ったるい。

 バルドゥールは少女から目が離せないものの、親友の気色悪い猫なで声に鳥肌が立った。
 そしてフルトブラントが少女に呼びかけた、その愛称に引っ掛かりを覚える。


 ――アーニャだって?


 その響きはゲルプ語にはない。
 友好国でありながらも現在内戦が勃発し、国家間のあらゆる流通が差し止められているガルボーイ王国。その言語である、ガルボーイ語の響きだ。


「お兄様が珍しくご友人をお連れだと耳にしまして。お兄様のような偏屈な方とお付き合いくださる、お心の広いお方には、是非今後もお兄様のことをお頼みしなくては、と。挨拶に伺った次第ですわ」


 少女のあんまりな言い様にフルトブラントは情けなさそうに眉尻を下げる。


「アーニャから見た私は、そんなにへそ曲がりに見えるのか?」

「ええ。わたしにはお優しいですけれど、お兄様の他者への振る舞いは目に余ります」

「それは仕方がない。私にとってアーニャが一等大切なのだからな。アーニャ以外の人間は利を齎すか否かでしかない」


 バルドゥールは隣でとんでもないことを言い出す親友兼、従弟兼、臣下の脇を肘で突いた。


「おい、ブラント。僕は一応、君の主になるはずなんだけど?」


 するとフルトブラントはようやくその存在を思い出した、というようにバルドゥールを見た。


「いや、バル。私の忠誠は既にアーニャにあるんだ。悪いな」


 悪びれもなく言い放つフルトブラントに、バルドゥールは額に手を当てた。


「それを他で言ってくれるなよ。僕は君を不敬罪で捕えたくはない」


 苦々しく告げると、アーニャと呼ばれた少女は、目を輝かせてバルドゥールの手を取った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...