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第三章 ゥオットゥォウスゥワァーン、ドワヨッ!

04 未来の家族

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「聞き分けのいい子でした。ほとんど手のかからないような。年齢の割に大人びていましたね。わたしが全く構わなかったせいでしょう。放任主義なんて聞こえのいい言葉もありますが、それには当てはまらず。
「当時の仕事柄、海外へ赴くことも多かったのですが、日本に残して留守をさせることもありましたし、連れていくこともありました。いずれにせよ、たいてい放ってそのままで、子供好きな元同僚が、時折気にかけてくれていたようです。
「現地の子供たちに混じってサッカーをしている姿を見かけたときは、逞しいな、と。まったくもって、勝手な感想ですね」

「……サッカーじゃねぇ。バスケだった」


 隣に座るお義母かあさんから顔を背けたたかしさんが、ボソボソと低い声で反論する。
 すると、まっすぐ美しい姿勢で、あたしの両親へ視線を向けていたお義母さんは、姿勢は崩さず、けれど口調を崩した。


「そうだった? オーストリアだった気がするけど」

「ザルツブルクだったけど、バスケ教えてくれってチビどもが集まってきた」


 充さんは個室の出入り口付近へと視線を投げたまま。
 入口付近には衝立。
 そこから先、正面には、半円型にくりぬかれた山鳩やまばと色の塗り壁。扇仕上げの漆喰しっくい壁が一枚、廊下と隔てている。


「なんでまたアンタに」

「俺の顔がに似てたんだとよ。っつったって、ドイツ語だったから、ホントのところ、何言ってたんだかわかんねぇけど。
「まぁ、ならバスケも得意だって思われたんじゃねーの。お国柄ってやつで」

「なるほど」


 ぼうっと幻想的に浮かび上がる、間接照明のオレンジ色。その光によって生み出される、高級そうな陶器から伸びる影。
 充さんは、その影をじっと見つめている。
 そしてため息をついた。


「……『母』がサッカーだと勘違いしても、仕方ありません。子供たちは結局、バスケットボールを蹴ってばかりでしたから。ボールが重くて手が痛いと」


 充さんは、お義母さんに目をることなく、あたしの両親に弁明した。





 両家顔合わせの食事会。
 するべきか否か。迷いながらも、ケジメは必要だと、たかしさんとあたし、二人で決めた。

 あたしの親族席は、ぎこちなく距離を縮め始めた父と、一向に近づくことのできない母と。両親二人。

 充さんは、連絡のとれる親族はお義母さんひとり。お義母さんの恋人は叔父さん。
 二人は、籍は入れていないけど、一緒に暮らしている。
 まだ年若い頃に、結婚を前提に交際して破局し、後にまた復縁した二人。
 だから充さんの親族席は、叔父さんとお義母さん。

 そういうわけで、あたしの血族が三人に対し、たかしさんの血族は一人という、不思議な顔ぶれになった。

 はじめは叔父さんも謝絶したけど、充さんは「お願いします」と何度も叔父さんに頭を下げ、あたしも同じ。
 あたしは叔父さんに幼い頃から、そして高校を卒業してからも。あたしに関心を寄せない両親に代わって、たびたび面倒を見てもらった。
 あたしの親族席に座るのが、叔父さんと亡くなった伯母さんではなく、父と母なのが不思議なくらいだったけど、それは仕方ない。
 そういうものだ。

 ちなみに叔父さんの名前はみつるたかしさんと漢字が同じ。
 叔父さんは仁科にしな みつるで、たかしさんは結城ゆうき たかし
 あたしは仁科にしな 君江きみえ
 もしたかしさんが婿入りしたら、仁科にしな たかしになってしまう。

 ややこしい。
 たかしさんは当初、あたしが一人娘だからと、婿入りしようとしていたけど。当然却下した。



 簡単な自己紹介。天気の話。結婚式、披露宴は行わないこと。婚約記念品の交換はナシ。

 まったく盛り上がらない会話。
 あたしは話しやすい叔父さんへ、つい水を向けてしまう。
 充さんはあたしの両親に話を振るも、すぐに話が途絶える。
 両親はあたしの昔話のひとつもすることなく。

 気まずい沈黙を破るように、叔父さんがエピソードをいくつか披露した。

 たとえば、病院食の炒飯チャーハンが水っぽくて塩気がないのを嘆いていた入院患者さんに、あたしがうっかり漏らした、余計な一言。


「だってそれが炒飯でしょ?」

「キミちゃんはわかってない! ツヤっとテカっと油をまとった米はな、卵で油と水分が乳化されてパラっとするんだ! ベチャッとしたら、もうそれはチャーハンじゃないんだ!
「そんでもって味がするのかしないのかわからん病人食はな、そもそもチャーハンなんかじゃないんだ……」


 あたしは、大演説をくらったらしい。もう覚えていない。
 だけどあたしは当時、それをしつこく覚えていて、中学校の定期試験後に叔父さんに炒飯を食べに連れてってくれるよう、ねだったそうだ。
 これはなんとなく、覚えている。

 叔父さんの話を受けたお義母さんも、充さんのエピソードをポツリポツリと口にした。
 すると充さんはぎょっとしたような顔で、隣に座るお義母さんから身を引いた。

 三歳児なのに軟骨のから揚げだったり、イカゲソを焼いたのだったり、白子ポン酢や、カワハギの刺し身を肝醤油で食べるのが好きで、「こいつは将来、酒飲みになる」と思ったことだとか。
 保育園でお義母さんと充さんの並んだ絵を描いてきて、それを自慢げに見せびらかし、お義母さんに「上手だね」と褒めてもらうと、その日から毎日繰り返し、似たような絵を描き、部屋中にセロハンテープで張り付けていたことだとか。
 そのほとんどが、充さん自身の姿が画用紙いっぱいに描かれていて、その余白にトミカや怪獣やらと同じ扱いで、お義母さんの顔が申し訳程度に描き足されることだとか。

 そんな話を、充さんは驚愕に目を見開いて、呆然と聞いていた。
 そのうち顔を背けた。父が締めの挨拶をするまでずっと。
 父に続いて、二人で最後にお礼の挨拶を述べるとき。充さんは心ここにあらずといった、ふわふわとした様子だった。



 食事会では、叔父さんとお義母さんが、互いにエピソードを交わし合うという、よくわからないことになっていたけど、あたしは嬉しかった。
 きっと充さんも嬉しかったはず。

 その日は会食後、アパートに帰って、お風呂に入って、ベッドに入って。
 あたし達はただお互いを抱きしめ合って、ほとんど言葉を交わさずに。
 そうして眠りについた。





 そう。
 だから。
 偽善だったし、傲慢だった。

 充さんが逆毛を立て続けるのを、「ねえ、もう許しているんでしょ? 悲しみは思い出されても、恨みはないのでしょ?」となだめたくなってしまった。
 わかったようなふり。
 充さんの傷を抉っているのかも、とも思った。充さんを深く傷つけるのは嫌だった。
 だから、妊娠中に何度も何度も二人で話し合った。


『産後にお義母さんに手伝ってもらってもいい?』


 その答えは、なかなか出なくて、産後にバタバタとお義母さんに頼み込むことになった。
 何度も話し合った結果、わかったこと。充さんが一番怖がっていたのは、充さんとあたしと未来みくという家族を、お義母さんが壊すこと。

 お義母さんが一度だけ、あたしに暴力をふるったことがあった。
 それが充さんはどうしても許せなくて、忘れられなくて、恐怖だった。

 それがもう二度と起こらないと、充さんは納得できていなかったけれど、結局こうなった。
 だって助けが必要だったから。



 そして明日は、充さんとあたし。共通の友人がLAから来日する。

 その間、お義母さんと叔父さんが未来を見てくれることになった。
 未来はもう八か月で、離乳食もそれなりに進んでいる。
 今では、お義母さんに手伝いにきてもらうことは、日常ではなくなった。
 だけど。
 離乳食を進めていくのに、お義母さんがいなければ、カーペットの上にひっくり返され、こびりついたおかゆや、投げ散らかされ、壁にスプレーアートされた、舌で潰せるくらい柔らかな野菜ステイックに、あたしは泣きたくなっていただろう。
 それだけでなく、もしかしたら、トイレを我慢し過ぎて、膀胱炎になっていたかも。

 つまりは、そういうことになったんじゃないかな? どうだろう。
 まだ結末はこうだと決めるのは早い?
 まだ疑っていたほうがいい?

 充さんとあたしと未来。

 あの両家の顔合わせの食事会で、エピソードを交わしあった叔父さんとお義母さんが、未来の祖父母で、家族。
 そう考えるのには、まだ時間が必要だって思う?
 どう思う?


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