【完結】ダフネはアポロンに恋をした

空原海

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第一章 ダフネはアポロンに恋をした

16 ダディは踊る

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「……どういうことかな?」

 にっこりと微笑む叔父さんの背後からなにかどす黒いオーラが立ち上っているような幻覚が見えた気がした。
 とんでもないことに巻き込まれた。あたしは愛憎入り乱れる兄弟喧嘩の激流に投げ込まれてしまったのだ。誰か船とオールと、いえそれよりも救命具を!
 そんなふうに助けを呼びたくてたまらないのに、伯母さんはいない。体調が悪いのだろうから仕方がない。仕方がないけれど、この状況であたし一人、荒波にもまれろというのは酷すぎる。
 父は叔父に向かって頷くと、深呼吸して唇を濡らした。

「私は昔から人の機微を読むことが不得手だ。そして若い頃は今より自惚れやの高慢ちきでもあった」
「そうだね」

 叔父さんがあっさりと頷く。あたしはそうだろうな、と思いながらも肯定も否定もせず、神妙な表情をつくる。

「だから両親を始め親族の者達に交際を反対され、駆け落ちという手段を選択したみつるより、私の方が蘭くんを幸せにできると考えた。私は既に研修医期間も終えていた上、家族を説得してみせるという気概において、みつるより優っているとも考えた。男としての責任を果たすに、私がより優れているだろうと」
「それは――。その通りだと思うよ。僕は安易に逃げてしまった。賢治兄さんのように正面から向き合って同意を得ようとすることは、早々に諦めてしまった。ぼくに責任感など皆無だ。だから蘭さんも頼りなく思い、失望したのだろう」
「それはみつるが心優しいからだ。責任感のない男が、姪の親代わりなどするものか」
「親代わりといっても、ぼくはちゃんを甘やかすだけで、現実的な保護者としての責任は賢治兄さん達にお願いしながら、優しい叔父の姿だけを見せて、いいところだけを享受していただけで――……」
「私は」

 苛立ったような強い口調で父が叔父さんを遮った。あたしはただ目を瞬かせていることしかできない。
 いったいなんの話だ。この奔流はなんだ。押し流されてしまう。溺れそうだ。

みつるを弟として、家族として、人間として尊敬している。むやみに卑下されては不愉快だ」
「ああ……うん。ありがとう」
「娘についても、感謝している」
「うん、まあ。それは、そうかもしれないね」

 そうかも、ではない。叔父さんがいなければ、あたしはきっと、もっと完全にやさぐれていただろう。
 父に気がつかれないように、叔父さんの目を見て、小さく頷いてみせる。叔父さんは柔らかく微笑み返してくれた。

「娘もこのように感謝している」

 バレてた。

 おそるおそる父を見れば、やはり恐ろしい顔つきでこちらを睨んでいる。何も変わらない。魔王は魔王だ。
 だけどいつもよりは恐怖が薄れている。萎縮してカチコチに固まっていた手足がほぐれていく。

「――話が逸れてしまったな。私は前述のような理由を根拠とし、意気揚々と蘭くんを迎えに行った」
「はい?」

 叔父さんの声が裏返る。
 うん。まあそれ、迎えに行ったというより、奪いに行ったんだよね。叔父さんの恋人の蘭さんを。略奪だよね、弟から。
 けれど堂々たる口ぶりの父はまったく悪びれず、悪意のかけらすら見えない。胸を張ってさえいる。

みつるの足取りは姉から聞いた。姉に相談していたのだろう? 私にはすこしもそのような素振りは見せなかったが」

 そりゃ見せないでしょうね。なんたって邪気なく弟の恋人を略奪しようとするような兄ですからね。
 不満そうな口ぶりの父に、思わずつっこみたくなる。
 なんなんだ。父はこんなに愉快で、頭のネジの一本や二本飛んだ人だったのだろうか。ひたすら恐怖の象徴であった魔王が。まさか。

「姉さん……あの人はまったく……」

 叔父さんはがっくりと肩を落として項垂れてしまった。両手で顔を覆っている。とても気の毒だ。

「蘭くんは映画の『カサブランカ』が好きだったろう。これは姉ではなく、蘭くん本人から聞いていた」

 父はそんな叔父さんの様子に気遣うでもなく、淡々とマイペースに続ける。この人、ちょっとおかしな人だったんだな。怖いの意味が違ったのかもしれない。

「…………うん。『カサブランカ』はね……。蘭さんと僕とで、リヴァイヴァル上映を観たんだ。初デートだったかな。まあ、その前から好きな映画ではあったようだけど」
「そうだったのか」

 力なく答える叔父さんに、父が目を丸くする。そしてここにきて初めて、気まずそうに口ごもる。

「そうか……。では私は自分が予想していた以上に蘭くんの思いを踏みにじってしまったのだな」
「いったい何をしたの。もう、ここまできたら何も驚かないよ」

 すっかり諦念の境地に至った叔父さんはから笑いしながら、手のひらで額をなで上げた。

「蘭くんを迎えに行って連れ帰ろうと『カサブランカ』の台詞を真似たんだ。『We’ll always have Paris.』と」

 ――ぼくたちには素晴らしい思い出があるだろう。

「すると蘭くんは顔を真っ赤にして私に怒鳴り散らした」





『ばっかじゃないの? わたしがいつあなたとパリに行ったの? 妄想も大概になさいよ! そもそもどうやってここに辿り着いたの? みつるね? あの人があなたにここを教えたのね? 自分一人じゃわたしに帰りたいって、別れようって告げる自信がないから! 意気地なし! 無責任な軟弱男! 最低だわ! あんた達みたいなボンボン兄弟に、これ以上つきあっていられるもんですか!』





 うん。これは酷い。
 本来は面会時間外。しかも個室。病室内が静まり返る。
 叔父さんが細くゆっくりと息を吐きだす音。

「ぼく、今、ものすごく蘭さんの気持ちがわかるよ」

 おそろしいことを言わないでほしい。

「負傷したに言うことじゃないってわかってる。不謹慎だ。暴力は許されない。蘭さんのしたことは許されるべきじゃない。同調するなんてことはあってはならない。罪を擁護してはならない。ぼくはひどい人間だ。本当に申し訳ない。だけど、なんというか、きみたち、親子なんだなあって……」

 まさかあたしのしたことは、この父と同レベルなのだろうか。


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