6 / 53
第一章 ダフネはアポロンに恋をした
04 チョロインここに極まれり
しおりを挟む「ここだったんですね」
「っそ。覚えてたんだな」
翌日の就業後。夜学のない今日は降りる予定のない駅に降り立ち、改札を抜けた。
男はギターケースを放り出していまにも路上ライブ始めますよ、という態で駅前の一角に立っていた。
あの日と同じ場所で、同じようにギターケースを広げて。だけどギターを弾くこともなく、歌ってもいなかった。
男の容姿のよさと手にしたギターとを比べ見たり、なにか始まるのかと振り返ったりしながら人が通り過ぎていく。
「いえ。忘れてました。雑誌を読んで思い出して」
「インタビューも読んだんだ?」
「はい」
「律儀だな」
路上に広げたあれやこれやをさっさと仕舞うと、男は手を差し出してきた。
「行こうぜ。待ちくたびれた」
もしかして、昨日からずっと待っていたんだろうか。
手を取ろうとしないあたしの肩をぐいと持つと、男は歩き出す。
「ずっと待ってたわけじゃねぇよ。俺だってそこまで暇じゃない。あんたがこの時間、この駅を使うのを見かけたことがあるだけだ」
夜学に向かうのに、この駅を利用するのだ。それを見られていたらしい。
大股でズンズン進む足は速くて、抱かれた肩は強く引き寄せられ、あたしの足はつま先が地面を引きずるようにほとんど宙に浮いていた。
頭のてっぺんに高い鼻を埋めてくる。温かい息がじんわりと広がっていく。
「ガチガチだな。このままホテル連れてっても、あんた、抵抗しなそうだ」
喉の奥を鳴らして笑う振動が直接脳天に響く。とんでもないことを抜け抜けと悪びれなく言う男。
なんてチョロいんだ。またもや自分に失望して浮かれ上がった。
連れていかれたのはホテルではなくてタリーズだった。
「なに飲む? 食いもんもいる?」
「コールドのモカマキアート。ショートで。他はいりません」
男はモカマキアートのショートを二つ買うと、そのうちの一つをあたしに渡そうとしてやめた。
「近くの公園に行こうぜ。いま、バラが咲いてる。それとも森林浴みてぇな公園がいいか? ちょっと歩くし、日も沈みそうだけど」
「森林浴でお願いします」
「わかった。んじゃ行くか」
ギターケースを背中に、片手にタリーズの紙袋。白いタンクトップに、ラフに羽織ったカーキのミリタリーシャツ。黒いスラックスのベルトループにはシルバーのウォレットチェーンがひっかけられ、お尻のポケットには財布が捻じ込まれている。足元は黒のジャーマントレーナー。
背が高くて体がぶ厚くて、手足が長くて首が太くて、顔が小さくて、とんでもなくかっこいい。いい匂いまでする。そんな男が隣に並んでいる。どころか、がっしり肩を抱かれて連行されている。
なんだこれ。どきどきが止まらない。
「聞かれれば、なんでも答えるぜ。質問は?」
日の沈みかけた公園。男は木陰の下を選んでギターケースを芝生の上に置くと、その中からキリムを抜き取った。鮮やかな朱赤に青に辛子色に白。伝統的な文様が鮮やかに織られたキリム。夕焼けの茜色に照らされ、ところどころが木陰の落とす紫に染まっている。
すすめられるままにキリムに腰を下ろすと、男はタリーズの紙袋からモカマキアートを取り出した。プラスティックの器は汗をかいていて、男はそれをペーパータオルでぬぐってから手渡してくれた。
「ありがとうございます。紳士的ですね」
「ホストやってるからな」
男の言葉に反応して、一気に吸い込む。ずびっとストーローから聞き苦しい音がした。
「げほっ。……ホストですか?」
「そ。そんな見た目してるだろ?」
ずびーっと勢いよくストローで吸い込んでから、男はニヤリと笑った。
「いえ。全然」
「そうか? 昼職っぽくねぇし、チャラチャラしてるし、顔もいいだろ?」
確かに顔はいい。とびきりいい。美の女神に愛された、彫刻のような顔をして自覚していないふりをされるのも白けるけど。堂々とされるのも、このうぬぼれ屋め、と毒づきたくなる。
「ホストクラブはお邪魔したことがないので、先入観によるイメージしかありませんが、あなたのように体を鍛えた男らしい方より、細身で髪の毛尖ってて眉毛細くてジャニーズっぽい可愛い感じのスーツ着た男性がそうかなと」
「すげぇ偏見。てか、古っ。あんたのイメージ、いつの時代? まぁ、そういうのもいるし、そういうのが好きな客もいるけどさ。どっちかっていや、今はK-POPスターっぽいのじゃね?」
「そうですか」
「つっても、あんたはこっちの世界詳しくならねぇ方がいいから。めんどくせぇし、客で呼ぶつもりもねぇよ」
「お店を聞いてもいいんですか?」
「別にいいけど、絶対に来るなよ」
「どうしてですか?」
「女がこえーから。守ってやれる自信はゼロ」
「人気なんですね?」
「いや? 底辺だぜ? レギュラーじゃねぇし。そんでもエースはヤバい」
「レギュラー? エース?」
「レギュラーはホスト本業のやつ。エースは一番金落としてくれる客」
見てきた世界が違う。確かに。叔父さんの言う通り。高鳴って浮かれあがっていた気分が急降下した。
「あんたみてぇなお嬢さんから見たら、俺は腐ってるよな。腐ってんなら腐った女で我慢しろってあんたも思う?」
「わあ。ずるい人ですね。どう答えても、あなたの優位に話が進みます」
「お。あんたも口が回るようになってきたじゃん」
陽がだいぶ落ちた。空はほとんどもう紫色。じめっとした風。モカマキアートの最後の方はチョコレートが濃すぎる。溶けた氷をストローでくるくるとかき回した。
男が近づいてきて、頬をなでた。大きな手。ぶ厚い手。かさかさとした感触。熱い体温。
「キスする? それとも俺の話を聞く?」
「脈絡がなさすぎる……」
「順番が変わるだけだ。俺の話を聞いたら、あんたは俺に落ちる。だいたい、もう惚れてるだろ?」
「惚れてません」
「へえ。じゃあ先にキスしとくか」
鼻先に男のなまぬるい息がかかったのに嫌じゃない。チョロい。チョロすぎる。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
姫騎士様と二人旅、何も起きないはずもなく……
踊りまんぼう
ファンタジー
主人公であるセイは異世界転生者であるが、地味な生活を送っていた。 そんな中、昔パーティを組んだことのある仲間に誘われてとある依頼に参加したのだが……。 *表題の二人旅は第09話からです
(カクヨム、小説家になろうでも公開中です)
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。

十年間片思いしていた幼馴染に告白したら、完膚なきまでに振られた俺が、昔イジメから助けた美少女にアプローチを受けてる。
味のないお茶
恋愛
中学三年の終わり、俺。桜井霧都(さくらいきりと)は十年間片思いしていた幼馴染。南野凛音(みなみのりんね)に告白した。
十分以上に勝算がある。と思っていたが、
「アンタを男として見たことなんか一度も無いから無理!!」
と完膚なきまでに振られた俺。
失意のまま、十年目にして初めて一人で登校すると、小学生の頃にいじめから助けた女の子。北島永久(きたじまとわ)が目の前に居た。
彼女は俺を見て涙を流しながら、今までずっと俺のことを想い続けていたと言ってきた。
そして、
「北島永久は桜井霧都くんを心から愛しています。私をあなたの彼女にしてください」
と、告白をされ、抱きしめられる。
突然の出来事に困惑する俺。
そんな俺を追撃するように、
「な、な、な、な……何してんのよアンタ……」
「………………凛音、なんでここに」
その現場を見ていたのは、朝が苦手なはずの、置いてきた幼なじみだった。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
最強の異世界やりすぎ旅行記
萩場ぬし
ファンタジー
主人公こと小鳥遊 綾人(たかなし あやと)はある理由から毎日のように体を鍛えていた。
そんなある日、突然知らない真っ白な場所で目を覚ます。そこで綾人が目撃したものは幼い少年の容姿をした何か。そこで彼は告げられる。
「なんと! 君に異世界へ行く権利を与えようと思います!」
バトルあり!笑いあり!ハーレムもあり!?
最強が無双する異世界ファンタジー開幕!
契約結婚のはずが、幼馴染の御曹司は溺愛婚をお望みです
紬 祥子(まつやちかこ)
恋愛
旧題:幼なじみと契約結婚しましたが、いつの間にか溺愛婚になっています。
夢破れて帰ってきた故郷で、再会した彼との契約婚の日々。
★第17回恋愛小説大賞(2024年)にて、奨励賞を受賞いたしました!★
☆改題&加筆修正ののち、単行本として刊行されることになりました!☆
※作品のレンタル開始に伴い、旧題で掲載していた本文は2025年2月13日に非公開となりました。
お楽しみくださっていた方々には申し訳ありませんが、何卒ご了承くださいませ。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる