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第一章 ダフネはアポロンに恋をした
04 チョロインここに極まれり
しおりを挟む「ここだったんですね」
「っそ。覚えてたんだな」
翌日の就業後。夜学のない今日は降りる予定のない駅に降り立ち、改札を抜けた。
男はギターケースを放り出していまにも路上ライブ始めますよ、という態で駅前の一角に立っていた。
あの日と同じ場所で、同じようにギターケースを広げて。だけどギターを弾くこともなく、歌ってもいなかった。
男の容姿のよさと手にしたギターとを比べ見たり、なにか始まるのかと振り返ったりしながら人が通り過ぎていく。
「いえ。忘れてました。雑誌を読んで思い出して」
「インタビューも読んだんだ?」
「はい」
「律儀だな」
路上に広げたあれやこれやをさっさと仕舞うと、男は手を差し出してきた。
「行こうぜ。待ちくたびれた」
もしかして、昨日からずっと待っていたんだろうか。
手を取ろうとしないあたしの肩をぐいと持つと、男は歩き出す。
「ずっと待ってたわけじゃねぇよ。俺だってそこまで暇じゃない。あんたがこの時間、この駅を使うのを見かけたことがあるだけだ」
夜学に向かうのに、この駅を利用するのだ。それを見られていたらしい。
大股でズンズン進む足は速くて、抱かれた肩は強く引き寄せられ、あたしの足はつま先が地面を引きずるようにほとんど宙に浮いていた。
頭のてっぺんに高い鼻を埋めてくる。温かい息がじんわりと広がっていく。
「ガチガチだな。このままホテル連れてっても、あんた、抵抗しなそうだ」
喉の奥を鳴らして笑う振動が直接脳天に響く。とんでもないことを抜け抜けと悪びれなく言う男。
なんてチョロいんだ。またもや自分に失望して浮かれ上がった。
連れていかれたのはホテルではなくてタリーズだった。
「なに飲む? 食いもんもいる?」
「コールドのモカマキアート。ショートで。他はいりません」
男はモカマキアートのショートを二つ買うと、そのうちの一つをあたしに渡そうとしてやめた。
「近くの公園に行こうぜ。いま、バラが咲いてる。それとも森林浴みてぇな公園がいいか? ちょっと歩くし、日も沈みそうだけど」
「森林浴でお願いします」
「わかった。んじゃ行くか」
ギターケースを背中に、片手にタリーズの紙袋。白いタンクトップに、ラフに羽織ったカーキのミリタリーシャツ。黒いスラックスのベルトループにはシルバーのウォレットチェーンがひっかけられ、お尻のポケットには財布が捻じ込まれている。足元は黒のジャーマントレーナー。
背が高くて体がぶ厚くて、手足が長くて首が太くて、顔が小さくて、とんでもなくかっこいい。いい匂いまでする。そんな男が隣に並んでいる。どころか、がっしり肩を抱かれて連行されている。
なんだこれ。どきどきが止まらない。
「聞かれれば、なんでも答えるぜ。質問は?」
日の沈みかけた公園。男は木陰の下を選んでギターケースを芝生の上に置くと、その中からキリムを抜き取った。鮮やかな朱赤に青に辛子色に白。伝統的な文様が鮮やかに織られたキリム。夕焼けの茜色に照らされ、ところどころが木陰の落とす紫に染まっている。
すすめられるままにキリムに腰を下ろすと、男はタリーズの紙袋からモカマキアートを取り出した。プラスティックの器は汗をかいていて、男はそれをペーパータオルでぬぐってから手渡してくれた。
「ありがとうございます。紳士的ですね」
「ホストやってるからな」
男の言葉に反応して、一気に吸い込む。ずびっとストーローから聞き苦しい音がした。
「げほっ。……ホストですか?」
「そ。そんな見た目してるだろ?」
ずびーっと勢いよくストローで吸い込んでから、男はニヤリと笑った。
「いえ。全然」
「そうか? 昼職っぽくねぇし、チャラチャラしてるし、顔もいいだろ?」
確かに顔はいい。とびきりいい。美の女神に愛された、彫刻のような顔をして自覚していないふりをされるのも白けるけど。堂々とされるのも、このうぬぼれ屋め、と毒づきたくなる。
「ホストクラブはお邪魔したことがないので、先入観によるイメージしかありませんが、あなたのように体を鍛えた男らしい方より、細身で髪の毛尖ってて眉毛細くてジャニーズっぽい可愛い感じのスーツ着た男性がそうかなと」
「すげぇ偏見。てか、古っ。あんたのイメージ、いつの時代? まぁ、そういうのもいるし、そういうのが好きな客もいるけどさ。どっちかっていや、今はK-POPスターっぽいのじゃね?」
「そうですか」
「つっても、あんたはこっちの世界詳しくならねぇ方がいいから。めんどくせぇし、客で呼ぶつもりもねぇよ」
「お店を聞いてもいいんですか?」
「別にいいけど、絶対に来るなよ」
「どうしてですか?」
「女がこえーから。守ってやれる自信はゼロ」
「人気なんですね?」
「いや? 底辺だぜ? レギュラーじゃねぇし。そんでもエースはヤバい」
「レギュラー? エース?」
「レギュラーはホスト本業のやつ。エースは一番金落としてくれる客」
見てきた世界が違う。確かに。叔父さんの言う通り。高鳴って浮かれあがっていた気分が急降下した。
「あんたみてぇなお嬢さんから見たら、俺は腐ってるよな。腐ってんなら腐った女で我慢しろってあんたも思う?」
「わあ。ずるい人ですね。どう答えても、あなたの優位に話が進みます」
「お。あんたも口が回るようになってきたじゃん」
陽がだいぶ落ちた。空はほとんどもう紫色。じめっとした風。モカマキアートの最後の方はチョコレートが濃すぎる。溶けた氷をストローでくるくるとかき回した。
男が近づいてきて、頬をなでた。大きな手。ぶ厚い手。かさかさとした感触。熱い体温。
「キスする? それとも俺の話を聞く?」
「脈絡がなさすぎる……」
「順番が変わるだけだ。俺の話を聞いたら、あんたは俺に落ちる。だいたい、もう惚れてるだろ?」
「惚れてません」
「へえ。じゃあ先にキスしとくか」
鼻先に男のなまぬるい息がかかったのに嫌じゃない。チョロい。チョロすぎる。
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