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第2部
38 ふたたびダンスホールへ
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ダンスホールに戻ると、ざわりと動揺が広がった。
前カドガン伯爵に真珠姫。アスコット子爵にオルグレン婦人。アラン様にわたし。勢ぞろいで会場に戻ったからだ。
ダンスホールに集う招待客達にとって、愛憎渦巻くおそろしい劇を見せられたことは記憶に新しい。
彼らは、またもや新たな劇が幕を開けるのかと怪訝そうに、しかしながら好奇に満ちた目を向けてきた。
まるで子供の残酷な手で欲の赴くがままに捕らえられ、虫かごへと雑に放り込まれた幾頭もの蝶。その一頭になった気分だ。
あちらこちらから遠慮のない視線が飛んでくるし、静かにひっそりやっていれば、死んでいるんじゃないかと虫かごを揺すられたりつつかれたり。
ばたばたと見苦しく羽ばたいて、ぶつかり合ってみせれば、ああおかしい、みっともないやと意地の悪い声で笑われる。そんな具合に。
「もう帰りたい」
アラン様は胃のあたりを手でおさえていた。
紳士の微笑みを取り繕いながら、繕いきれていないところがアラン様らしい。
弱弱しいアラン様のつぶやきに同意して、そのまま出口へまっすぐ向かいたい気持ちをどうにかこうにか胸の奥底に沈めた。
「そうおっしゃらないで」
アラン様の手にそっと手を重ねる。
「もう一度、アラン様とのダンスを楽しみたいですわ」
目と目が合い、微笑みを交わす。
胃痛に耐えていたアラン様の青い顔に血色が戻り、きつく寄せられた眉が解放された。
訓練施設にて家族から離され、徹底的に厳しい訓練を立て続けに課されていたワンちゃんが、ようやく飼い主に会えたときのような喜びよう。ちぎれんばかりに、しっぽがブンブン振られている幻まで見えてくる。
まあ。なんてお可愛らしい。
「その通り」
声を張ったようではなく、愛らしく軽やかでいながら、それでいて空気を切り裂くような一声。
仰ぎ見れば、そこにはにんまりとご満悦顔のアンジーがいた。
「大団円はダンスでしまいにしなくてはな。華やかな物語の彩りにダンスはかかせぬじゃろう」
はてさてこれまた新しい物語のモデルにされるのか、とアラン様の顔が引きつる。
そこでエインズワース様が、ひょっこりとアンジーの後ろから顔を出した。
「君たち、結局何も飲んじゃいないだろう。陰鬱な顔をつき合わせては、深刻に話し合ってばかりだったに違いない。それじゃ喉も乾くってものさ。舞踏会で招いた客の喉が渇くだなんて、アボット侯爵の沽券に関わるじゃないか。さあ一杯やろう」
エインズワース様はそう言って、近くの給仕を呼んだ。
「ご婦人方はワインがよろしいでしょうか。今日の白はフルーティーでとても口当たりがよいですよ」
麗しのエルフの君らしく流麗な仕草でエインズワース様がオルグレン婦人にグラスを手渡し、礼を返され、さて次は、というところで真珠姫が前カドガン伯爵を見上げて言った。
「ギル、あたくしにあちらを取ってきてくださる?」
前カドガン伯爵は頷き、少し遠くにいる給仕のもとへ足を向けた。トレイの上にあるのは、美しくカットされたオレンジがグラスの縁に差し込まれた炭酸水。
差し出される直前で止まったエインズワース様の手が、ぎこちなく方向を変える。そうしてわたしに向けられた。
「フラれてしまったみたいだ。メアリー嬢、哀れな僕のためと想って、どうか次代が真珠姫の名を継ぐ君に受け取ってもらいたい。どうかな?」
「ええ。もちろん。ありがたくいただきますわ」
にっこりと笑って受け取ると、エインズワース様はイタズラ少年の顔つきでニヤリと笑った。
『次代が真珠姫の名を継ぐ君』という言葉を強調しながら、真珠姫とわたしの顔をちらり、交互に視線をやるので、アラン様が顔をしかめた。アスコット子爵も同じく気に障ったようで、アラン様より目に見えてというほどではなかったけれど、少しばかり表情を曇らせた。
「紳士方はどうぞ、各々ご自分でお取りください。僕が奉仕するのは美しいレイディのみと決めているので」
エインズワース様が言うが早いか、アラン様とアスコット子爵はすでに給仕からグラスを取った。
「はい。アンジーもね」
「うむ」
アンジーとエインズワース様の手に新しいグラスが手に渡ると、ちょうど前カドガン伯爵が戻ってきて、その場の全員にグラスが行き渡った。
アンジーがグラスを掲げた。泡黄色のゆらゆら揺れる液体超しに、美しいストロベリーブロンドが透けて見えた。
「さて諸君。大団円に向けて、はなむけの一杯としよう」
アンジーの音頭でグラスを掲げると、紳士方との談話に興じていただろうアボット侯爵が、シガールームから飛び出し、慌ててこちらへと向かう様子が目に入った。
前カドガン伯爵に真珠姫。アスコット子爵にオルグレン婦人。アラン様にわたし。勢ぞろいで会場に戻ったからだ。
ダンスホールに集う招待客達にとって、愛憎渦巻くおそろしい劇を見せられたことは記憶に新しい。
彼らは、またもや新たな劇が幕を開けるのかと怪訝そうに、しかしながら好奇に満ちた目を向けてきた。
まるで子供の残酷な手で欲の赴くがままに捕らえられ、虫かごへと雑に放り込まれた幾頭もの蝶。その一頭になった気分だ。
あちらこちらから遠慮のない視線が飛んでくるし、静かにひっそりやっていれば、死んでいるんじゃないかと虫かごを揺すられたりつつかれたり。
ばたばたと見苦しく羽ばたいて、ぶつかり合ってみせれば、ああおかしい、みっともないやと意地の悪い声で笑われる。そんな具合に。
「もう帰りたい」
アラン様は胃のあたりを手でおさえていた。
紳士の微笑みを取り繕いながら、繕いきれていないところがアラン様らしい。
弱弱しいアラン様のつぶやきに同意して、そのまま出口へまっすぐ向かいたい気持ちをどうにかこうにか胸の奥底に沈めた。
「そうおっしゃらないで」
アラン様の手にそっと手を重ねる。
「もう一度、アラン様とのダンスを楽しみたいですわ」
目と目が合い、微笑みを交わす。
胃痛に耐えていたアラン様の青い顔に血色が戻り、きつく寄せられた眉が解放された。
訓練施設にて家族から離され、徹底的に厳しい訓練を立て続けに課されていたワンちゃんが、ようやく飼い主に会えたときのような喜びよう。ちぎれんばかりに、しっぽがブンブン振られている幻まで見えてくる。
まあ。なんてお可愛らしい。
「その通り」
声を張ったようではなく、愛らしく軽やかでいながら、それでいて空気を切り裂くような一声。
仰ぎ見れば、そこにはにんまりとご満悦顔のアンジーがいた。
「大団円はダンスでしまいにしなくてはな。華やかな物語の彩りにダンスはかかせぬじゃろう」
はてさてこれまた新しい物語のモデルにされるのか、とアラン様の顔が引きつる。
そこでエインズワース様が、ひょっこりとアンジーの後ろから顔を出した。
「君たち、結局何も飲んじゃいないだろう。陰鬱な顔をつき合わせては、深刻に話し合ってばかりだったに違いない。それじゃ喉も乾くってものさ。舞踏会で招いた客の喉が渇くだなんて、アボット侯爵の沽券に関わるじゃないか。さあ一杯やろう」
エインズワース様はそう言って、近くの給仕を呼んだ。
「ご婦人方はワインがよろしいでしょうか。今日の白はフルーティーでとても口当たりがよいですよ」
麗しのエルフの君らしく流麗な仕草でエインズワース様がオルグレン婦人にグラスを手渡し、礼を返され、さて次は、というところで真珠姫が前カドガン伯爵を見上げて言った。
「ギル、あたくしにあちらを取ってきてくださる?」
前カドガン伯爵は頷き、少し遠くにいる給仕のもとへ足を向けた。トレイの上にあるのは、美しくカットされたオレンジがグラスの縁に差し込まれた炭酸水。
差し出される直前で止まったエインズワース様の手が、ぎこちなく方向を変える。そうしてわたしに向けられた。
「フラれてしまったみたいだ。メアリー嬢、哀れな僕のためと想って、どうか次代が真珠姫の名を継ぐ君に受け取ってもらいたい。どうかな?」
「ええ。もちろん。ありがたくいただきますわ」
にっこりと笑って受け取ると、エインズワース様はイタズラ少年の顔つきでニヤリと笑った。
『次代が真珠姫の名を継ぐ君』という言葉を強調しながら、真珠姫とわたしの顔をちらり、交互に視線をやるので、アラン様が顔をしかめた。アスコット子爵も同じく気に障ったようで、アラン様より目に見えてというほどではなかったけれど、少しばかり表情を曇らせた。
「紳士方はどうぞ、各々ご自分でお取りください。僕が奉仕するのは美しいレイディのみと決めているので」
エインズワース様が言うが早いか、アラン様とアスコット子爵はすでに給仕からグラスを取った。
「はい。アンジーもね」
「うむ」
アンジーとエインズワース様の手に新しいグラスが手に渡ると、ちょうど前カドガン伯爵が戻ってきて、その場の全員にグラスが行き渡った。
アンジーがグラスを掲げた。泡黄色のゆらゆら揺れる液体超しに、美しいストロベリーブロンドが透けて見えた。
「さて諸君。大団円に向けて、はなむけの一杯としよう」
アンジーの音頭でグラスを掲げると、紳士方との談話に興じていただろうアボット侯爵が、シガールームから飛び出し、慌ててこちらへと向かう様子が目に入った。
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