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第2部
36 尻尾を巻いて逃げる
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「オルグレン一族が衰退した理由のひとつだな」
ジャケットの内側から時計を取り出し、もてあそびながらアボット侯爵が言った。
オルグレン婦人が小さく頷く。
「イーサンはオルグレン一族きっての変わり者だから、それなりの交友関係を築いたけれど」
「それなりなぁ。言ってくれるな、レティ」
「何を言うの。他家と縁を繋げば、一族の興隆にもっと効率がよかったはずなのに、イーサンが奥方に迎えたのも、結局はオルグレンの人間だったじゃないの」
責めるようなオルグレン婦人の口ぶりに、アボット侯爵は「おっと」と手を挙げた。
「藪をつついちまったな。俺のことはいいよ。俺はそろそろ会場に戻る」
アボット侯爵は手にした懐中時計を反対の手で指差し、その文字盤を周囲にぐるりと見せつけた。中指から垂れる鎖がしゃらりと音を立てた。
「まったく、今夜ほど静かで穏やかな夜はないな。素晴らしいデビュタントボールだ。俺のホストぶりが冴え渡ってる」
慇懃な礼とともにアボット侯爵が部屋から出ていく。ぱたりと閉まった扉に向かって、オルグレン婦人は「逃げたわね」とこぼした。
「僕もイーサンのあとを追いたい」
ぽつりと呟くアスコット子爵を、オルグレン婦人がきっと睨めつける。
「私が帰らせてと頼んだときには、引き留めて、散々好き勝手、昔のことを話し始めたというのに。セシル! あなたまで!」
「いや。僕は引き留めていない。姉さんと一緒に帰ろうとしていたよ」
アスコット子爵は慌てて否定し、オルグレン婦人をなだめにかかった。
「レティを引き留めたのは先生――アボット侯爵だったな」
「加えてスカーレット様生涯の天敵、憎らしいあたくしの登場でしたわね」
のんびりと頷き合う前カドガン伯爵と真珠姫をしり目に、アスコット子爵は歯噛みした。
「イーサンめ。やつがお膳立てして勝手に始めたくせ、尻尾を巻いて逃げやがった。とっつかまえてぶん殴ってやる」
「まあまあ。それはあとで存分になさいませ」
アスコット子爵が手のひらに拳を打ち付ける、乾いた破裂音。真珠姫の機嫌よさげなコロコロとした笑い声。
舞台で演じられていた風刺喜劇は、道化芝居へ。これまで張りつめていた重く陰鬱な深刻さに代わって、室内が温かく和らいだ熱に包まれた。
そこへ落されたオルグレン婦人の声は氷のようだった。
「あなただって同じことよ、セシル」
もっとも、ワインクーラーの中でほとんど溶けかけているような、丸まって小さな氷だけれど。
オルグレン婦人は目を細めて続けた。
「アランとギルの茶番劇のせいで、会場では落ち着いて話もできないからと。そう言って、メアリーさんをこちらにお誘いしたのは、どうぞこれからもよろしくと改めて手を取り合うためだったのに。セシル、あなたが言ったのでしょう。今後は親族つき合いをよくしたいから、その挨拶のためだって。それなのに」
なるほど、そういうことだったのか。
アスコット子爵とオルグレン婦人に呼び止められたときは、どんなお話だろうかと覚悟を決めていたけれど。当初、オルグレン婦人の予定としては、とても平和なものであったらしい。
いつの間にやら、ここまで複雑に入り乱れた告白劇となってしまった。
アラン様が疲れの滲む声で、「まぎらわしい」と小さくつぶやいた。
「アスコット子爵とオルグレン婦人も共にいる」という、わたしからの言付けを使用人から聞き、アラン様はきっと、ずいぶん心配してくれたのだろう。
少しばかり申し訳ない気持ちになった。
ジャケットの内側から時計を取り出し、もてあそびながらアボット侯爵が言った。
オルグレン婦人が小さく頷く。
「イーサンはオルグレン一族きっての変わり者だから、それなりの交友関係を築いたけれど」
「それなりなぁ。言ってくれるな、レティ」
「何を言うの。他家と縁を繋げば、一族の興隆にもっと効率がよかったはずなのに、イーサンが奥方に迎えたのも、結局はオルグレンの人間だったじゃないの」
責めるようなオルグレン婦人の口ぶりに、アボット侯爵は「おっと」と手を挙げた。
「藪をつついちまったな。俺のことはいいよ。俺はそろそろ会場に戻る」
アボット侯爵は手にした懐中時計を反対の手で指差し、その文字盤を周囲にぐるりと見せつけた。中指から垂れる鎖がしゃらりと音を立てた。
「まったく、今夜ほど静かで穏やかな夜はないな。素晴らしいデビュタントボールだ。俺のホストぶりが冴え渡ってる」
慇懃な礼とともにアボット侯爵が部屋から出ていく。ぱたりと閉まった扉に向かって、オルグレン婦人は「逃げたわね」とこぼした。
「僕もイーサンのあとを追いたい」
ぽつりと呟くアスコット子爵を、オルグレン婦人がきっと睨めつける。
「私が帰らせてと頼んだときには、引き留めて、散々好き勝手、昔のことを話し始めたというのに。セシル! あなたまで!」
「いや。僕は引き留めていない。姉さんと一緒に帰ろうとしていたよ」
アスコット子爵は慌てて否定し、オルグレン婦人をなだめにかかった。
「レティを引き留めたのは先生――アボット侯爵だったな」
「加えてスカーレット様生涯の天敵、憎らしいあたくしの登場でしたわね」
のんびりと頷き合う前カドガン伯爵と真珠姫をしり目に、アスコット子爵は歯噛みした。
「イーサンめ。やつがお膳立てして勝手に始めたくせ、尻尾を巻いて逃げやがった。とっつかまえてぶん殴ってやる」
「まあまあ。それはあとで存分になさいませ」
アスコット子爵が手のひらに拳を打ち付ける、乾いた破裂音。真珠姫の機嫌よさげなコロコロとした笑い声。
舞台で演じられていた風刺喜劇は、道化芝居へ。これまで張りつめていた重く陰鬱な深刻さに代わって、室内が温かく和らいだ熱に包まれた。
そこへ落されたオルグレン婦人の声は氷のようだった。
「あなただって同じことよ、セシル」
もっとも、ワインクーラーの中でほとんど溶けかけているような、丸まって小さな氷だけれど。
オルグレン婦人は目を細めて続けた。
「アランとギルの茶番劇のせいで、会場では落ち着いて話もできないからと。そう言って、メアリーさんをこちらにお誘いしたのは、どうぞこれからもよろしくと改めて手を取り合うためだったのに。セシル、あなたが言ったのでしょう。今後は親族つき合いをよくしたいから、その挨拶のためだって。それなのに」
なるほど、そういうことだったのか。
アスコット子爵とオルグレン婦人に呼び止められたときは、どんなお話だろうかと覚悟を決めていたけれど。当初、オルグレン婦人の予定としては、とても平和なものであったらしい。
いつの間にやら、ここまで複雑に入り乱れた告白劇となってしまった。
アラン様が疲れの滲む声で、「まぎらわしい」と小さくつぶやいた。
「アスコット子爵とオルグレン婦人も共にいる」という、わたしからの言付けを使用人から聞き、アラン様はきっと、ずいぶん心配してくれたのだろう。
少しばかり申し訳ない気持ちになった。
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