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第2部
ポリーの失敗 2
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いっとき気をやった友人は、馬車に乗り込んでしばらくすると、意識を取り戻した。
目を覚まして辺りを見渡し、セシルの膝の上に上半身をのせていることを悟るやいなや、またもや気を失いそうになっていたが、馬車はちょうど、彼女の屋敷の前へ。
出迎えた使用人と共に屋敷へと足を進める友人は、名残惜しそうにいくどかこちらを振り返った。
「後日、かならずお礼をいたしますわ」と必死の形相で、挨拶を交わしたのちに。
「オルグレン様」
「はい。なんでしょうか?」
「あなた、いつもああやってご令嬢方から巻き上げていらっしゃるの?」
「いやだな、人聞きの悪い」
美しく胡散臭い微笑みを浮かべ、否定するセシル。
ため息をついて口を開こうとすると、セシルの仮面が外れた。驚きの表情へと変わる。馬車が大きく揺れたのだ。
馬のいななきと御者の罵声。
対面に座るセシルが「なにごとかな」と窓から顔を出した。
「これは旦那、失礼いたしました」
慌てて取り繕う御者の声は卑屈で、こびりつくような厭らしさが滲んでいた。
ウォールデンの人間は、使用人の扱いがあまりよいとは言えない。あたくしも含めて。
それだから使用人たちは皆、へつらってご機嫌取りする者たちばかり。
物心ついたときからそうだった。
テーブルマナーを学び始めた頃。
カトラリーを使い分けただけで、上擦って心にもない調子で、天才だと褒めたたえられる。
その目には己を引き立ててほしいという欲望に塗れ。
右も左もわからぬ幼児相手ならば、おだててさえやれば、容易に心に入り込めるだろうと。保身と出世欲と嘲りと。
彼らのべっとりとした声色と目が、あたくしは嫌いだ。
彼らからは腐った臭いまで放たれているようにすら思える。
そんな相手に、優しく丁寧に接してやろうなど、心を傾けることはできない。
狭量だとわかっている。もっとうまく立ち回るべきだとも。目の前の男のように。
セシルは快活な調子で御者に問うた。
「やあ、どうしたんだい」
「飛び出してきた子供が――」
「それはいけない」
慌てて馬車から飛び降りるセシル。
ジャケットの裾が二手に分かれ、ひらりと舞う。
あっという間にセシルは視界から消えた。
タッセルでまとめられたカーテンを押し上げ、外の様子を窺えば、セシルが子供を抱きかかえている。その顔は青ざめ、鬼気迫っていた。
意外だった。
軽薄なふるまいの通り、中身も軽薄そのものなのかと。
「メアリー嬢!」
「なんでしょう」
だらりと動かない女児を抱えたセシルの、まっすぐなまなざし。
銀色の瞳に、揺るぎない使命と正義を宿し、セシルは言った。
「この子の手当てを」
「ええそうね」
再び車内に乗り込むと、セシルは気づかわし気に女児の額をなでた。
揺れる馬車で、できるだけ頭部が揺り動かされないよう、抱え込み。
その表情にはつくろった親切さではなく、心配でたまらないといった様子だった。
まったく驚くほどに。先ほどまでの詐欺師のような振る舞いなど嘘だったかのように。
女児の口元に手のひらをかかげ、それで安心できなかったのか、頬を寄せて頼りなげな呼吸を確認し。
その仕草もいちいち気づかいに満ちていて、女児の負担にならぬよう、ゆっくり丁寧に。
屋敷へ馬車がたどり着くなり、あたくしを待たずにセシルは速足で屋敷内へと入り込もうとし、ウォールデンの使用人たちを大いに慌てさせた。
紳士の役割を放棄したセシルに代わって、降車のエスコートをする使用人の手を取り馬車から降りると、目の前で繰り広げられる喜劇。
あたくしの紹介もなく屋敷に踏み入ろうとしたセシルは、「お待ちください」と足止めを食らっている。
よほど女児が気がかりなのか、セシルの対応は要領をえず、不審者そのもの。
使用人たちはますます警戒を強める。
あたくしはため息をついた。
「いいのよ。こちらはアスコット子爵令息。オルグレン様よ。あたくしのお友達。お通しして」
相手が貴族と知ると、追い出しにかかろうとしていた使用人たちは青ざめた。だがセシルは使用人たちの狼狽を気にすることなく――まったく目にも入っていなかったのだろう――「この子の手当を! どうか!」と叫んだ。
急ぎやってきた家令が戸惑い顔をあたくしに向ける。あたくしは頷くと、医者の手配をさせた。
「では、こちらへ」
ベッドを備えた客室へと執事がセシルを先導する。セシルは振り返りもしなかった。
あたくしは簡単な着替えをしに、自室へと引き上げ、それからセシルと女児の通された客室へ向かった。
セシルはこの日より、ウォールデン屋敷へ出入りするようになった。
父と弟と親交を深め、信頼を勝ち取っていった。
あたくしの信頼も、当然のように。
目を覚まして辺りを見渡し、セシルの膝の上に上半身をのせていることを悟るやいなや、またもや気を失いそうになっていたが、馬車はちょうど、彼女の屋敷の前へ。
出迎えた使用人と共に屋敷へと足を進める友人は、名残惜しそうにいくどかこちらを振り返った。
「後日、かならずお礼をいたしますわ」と必死の形相で、挨拶を交わしたのちに。
「オルグレン様」
「はい。なんでしょうか?」
「あなた、いつもああやってご令嬢方から巻き上げていらっしゃるの?」
「いやだな、人聞きの悪い」
美しく胡散臭い微笑みを浮かべ、否定するセシル。
ため息をついて口を開こうとすると、セシルの仮面が外れた。驚きの表情へと変わる。馬車が大きく揺れたのだ。
馬のいななきと御者の罵声。
対面に座るセシルが「なにごとかな」と窓から顔を出した。
「これは旦那、失礼いたしました」
慌てて取り繕う御者の声は卑屈で、こびりつくような厭らしさが滲んでいた。
ウォールデンの人間は、使用人の扱いがあまりよいとは言えない。あたくしも含めて。
それだから使用人たちは皆、へつらってご機嫌取りする者たちばかり。
物心ついたときからそうだった。
テーブルマナーを学び始めた頃。
カトラリーを使い分けただけで、上擦って心にもない調子で、天才だと褒めたたえられる。
その目には己を引き立ててほしいという欲望に塗れ。
右も左もわからぬ幼児相手ならば、おだててさえやれば、容易に心に入り込めるだろうと。保身と出世欲と嘲りと。
彼らのべっとりとした声色と目が、あたくしは嫌いだ。
彼らからは腐った臭いまで放たれているようにすら思える。
そんな相手に、優しく丁寧に接してやろうなど、心を傾けることはできない。
狭量だとわかっている。もっとうまく立ち回るべきだとも。目の前の男のように。
セシルは快活な調子で御者に問うた。
「やあ、どうしたんだい」
「飛び出してきた子供が――」
「それはいけない」
慌てて馬車から飛び降りるセシル。
ジャケットの裾が二手に分かれ、ひらりと舞う。
あっという間にセシルは視界から消えた。
タッセルでまとめられたカーテンを押し上げ、外の様子を窺えば、セシルが子供を抱きかかえている。その顔は青ざめ、鬼気迫っていた。
意外だった。
軽薄なふるまいの通り、中身も軽薄そのものなのかと。
「メアリー嬢!」
「なんでしょう」
だらりと動かない女児を抱えたセシルの、まっすぐなまなざし。
銀色の瞳に、揺るぎない使命と正義を宿し、セシルは言った。
「この子の手当てを」
「ええそうね」
再び車内に乗り込むと、セシルは気づかわし気に女児の額をなでた。
揺れる馬車で、できるだけ頭部が揺り動かされないよう、抱え込み。
その表情にはつくろった親切さではなく、心配でたまらないといった様子だった。
まったく驚くほどに。先ほどまでの詐欺師のような振る舞いなど嘘だったかのように。
女児の口元に手のひらをかかげ、それで安心できなかったのか、頬を寄せて頼りなげな呼吸を確認し。
その仕草もいちいち気づかいに満ちていて、女児の負担にならぬよう、ゆっくり丁寧に。
屋敷へ馬車がたどり着くなり、あたくしを待たずにセシルは速足で屋敷内へと入り込もうとし、ウォールデンの使用人たちを大いに慌てさせた。
紳士の役割を放棄したセシルに代わって、降車のエスコートをする使用人の手を取り馬車から降りると、目の前で繰り広げられる喜劇。
あたくしの紹介もなく屋敷に踏み入ろうとしたセシルは、「お待ちください」と足止めを食らっている。
よほど女児が気がかりなのか、セシルの対応は要領をえず、不審者そのもの。
使用人たちはますます警戒を強める。
あたくしはため息をついた。
「いいのよ。こちらはアスコット子爵令息。オルグレン様よ。あたくしのお友達。お通しして」
相手が貴族と知ると、追い出しにかかろうとしていた使用人たちは青ざめた。だがセシルは使用人たちの狼狽を気にすることなく――まったく目にも入っていなかったのだろう――「この子の手当を! どうか!」と叫んだ。
急ぎやってきた家令が戸惑い顔をあたくしに向ける。あたくしは頷くと、医者の手配をさせた。
「では、こちらへ」
ベッドを備えた客室へと執事がセシルを先導する。セシルは振り返りもしなかった。
あたくしは簡単な着替えをしに、自室へと引き上げ、それからセシルと女児の通された客室へ向かった。
セシルはこの日より、ウォールデン屋敷へ出入りするようになった。
父と弟と親交を深め、信頼を勝ち取っていった。
あたくしの信頼も、当然のように。
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