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第2部
セシル・オルグレンの回顧録 3
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「様々な思想に触れるのは大切だと僕も思います。ですから先生も民に混じって、彼等の意に耳を傾けてはいかがですか? 勿論爵位を持たず王城の文官にもなれなかったアボット侯爵家の四男だなんて明かすのはナシですよ。自らも平民だと彼等に混じって、その身を貶めなくては、彼等は心を明かしませんから」
強張った教師の顔を目にして、結局コイツも偉そうなことを口にしながら、己が貴族の末端だというくだらない選民思想にしがみついた小物なのだと呆れる。
だいたい貴族としての義務を主張するなら、カドガン伯爵家に媚を売る前にアスコット子爵家の寄親であるアボット侯爵家がどうにかするべきだ。
「セシル! 先生に失礼だ!」
真面目で礼節を弁えたギルが立ち上がる。
「何が? 様々な思想に触れるのが大事なんだろう? それなら先生だって様々な思想に触れるべきだ。僕という気に入らない寄子の生徒だとしたって、耳障りのいい意見だけ聞いていたら、学びも発展もないんだろ? これは必要な気づきさ」
鼻で笑い、それらしく聞こえるように屁理屈を口にすると、教師が空咳をした。
「……セシル様の仰ることもまた、民の側に寄り添った一つの真理です。ですがそれを民のために語るのではなく、他者を攻撃するがために口先だけで論じることは互いの益になりません」
教師のくれる一瞥に睨み返す。
――裏切り者め。
口先だけなのは、お前じゃないか。
「セシル様の理想とされる領主になられるためにも、やはり学問に通じあらゆる思想、派閥に触れ人脈を築く必要があるでしょう。理想論に燃え猪突猛進したところで、現実を知り敵味方を見極め策を練らねば、どれほど高尚な志も実現はしないのです。――セシル様は失敗例をよくご存知でしょう」
寂しそうに目を伏せる教師――かつての兄貴分が諭すように噛みしめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「理想を掲げることは大切です。理想を持たず私利私欲に走る下劣な領主になってはいけません。ですが、理想のためには弛まぬ努力と、また時には意に沿わない言動を己に課すことも必要です」
ギルはキラキラとした蒼い目を真っ直ぐ教師に向けている。
この教師は僕達に教えを諭す体を装って、無責任にも、かつて敗れた夢を僕達に託しているだけに過ぎないのに。
「さてお二人はどのような領主になりたいですか? 領地において、何を重要視し何を優先させ何を切り捨てますか?」
ギルと僕それぞれの目を見て教師が問う。
ギルは眉根を寄せて顎に手を当てる。教師がふっと笑みを零した。
「今すぐに答えが出ずとも構いません。ただこれから常に意識してほしいのです。貴方方が領主となられたときに目指す姿を胸に抱いていただきたいのです」
「はい。私は民が安心して暮らせる地を守りたいです。活気に溢れ、安全で暮らしやすく、病に倒れれば誰もが医師にかかれるように。領民の誰もが衣食住の保証される地を目指します」
「素晴らしいお考えです。カドガン伯爵領の現状に沿う指針でもあるでしょう。理想は高ければ高いほどいいというものでもありません」
教師がまたもや僕を見る。思わず唇を噛む。
わかってる。そんなことはわかっているんだ。
民の自由意志を問い議会を起こして議題にのせ、それらを民自身の力で決裁し領地を運営していく迄の道のりが果てしなく遠いことなんて。よくわかっている。
そこまで辿り着くには、単純に学問が必要なだけじゃない。
それらを許す土壌を作らなければいけない。そしてそんなことはほとんど不可能だ。
この国が絶対王政を敷いている限り、これらは国家転覆を謀る反逆罪に結び付く。
人脈を築こうとすれば謀反を企てたとして忽ち牢獄入りだ。
だから僕は記号としての領主の役割を担う覚悟はある。
だけど王族に歯牙にもかけられないどころか寄親からも見捨てられる貧しいアスコット子爵領だ。
領地内で僕がどう振舞おうが、領民が台頭しようが、誰も気にも留めないだろう。
僕はただ、領地で領民と肩を並べ意を交わし笑い合い、身分など忘れ共に歩んで生きていきたいんだ。
領主一人が民の上に立ち、民から尊敬という名の差別をされ、孤独に責と義務を負い私を滅するなんて真っ平だ。
ああそうだよ。僕は無責任なんだ。
領民に甘え貴族としての義務を放棄している。その通りだ。
「そうですね。ギルが伯爵位を継げば、ますますカドガン伯爵領は栄えるでしょう」
この男は領主の孤独に耐えうる男だろうから。
馬鹿みたいに生真面目で誠実で実直。そのくせ柔軟で容易に折れることもない。
頭の出来なんてものは領主にとって一番に求められるものじゃない。
記憶力や理解力が高いとか博識であるとか頭の回転が早いとか倫理的思考が出来るとか。
あればいいものだけど、なくても潰れるわけじゃない。優秀な参謀がいれば足りることだ。
領主であるために必要なことは、孤独に耐え、意志を貫き、自我の折れない強さ。揺るがない自信と矜持。
そういったものが領主自身を守り、そしてまた人を従える。
ギルは憎らしいくらい出来すぎた男だ。
「姉を人身御供に資金援助なんてしてもらうくらいなら、情け深く領主の器に適したギルバート様に、アスコット子爵領の領主になってもらえばいいんじゃないですか? 領地も隣なんだし」
ギルが領主になってくれるなら、アスコット子爵領だって今よりずっと住みやすくなる。
僕なんかよりずっと。
強張った教師の顔を目にして、結局コイツも偉そうなことを口にしながら、己が貴族の末端だというくだらない選民思想にしがみついた小物なのだと呆れる。
だいたい貴族としての義務を主張するなら、カドガン伯爵家に媚を売る前にアスコット子爵家の寄親であるアボット侯爵家がどうにかするべきだ。
「セシル! 先生に失礼だ!」
真面目で礼節を弁えたギルが立ち上がる。
「何が? 様々な思想に触れるのが大事なんだろう? それなら先生だって様々な思想に触れるべきだ。僕という気に入らない寄子の生徒だとしたって、耳障りのいい意見だけ聞いていたら、学びも発展もないんだろ? これは必要な気づきさ」
鼻で笑い、それらしく聞こえるように屁理屈を口にすると、教師が空咳をした。
「……セシル様の仰ることもまた、民の側に寄り添った一つの真理です。ですがそれを民のために語るのではなく、他者を攻撃するがために口先だけで論じることは互いの益になりません」
教師のくれる一瞥に睨み返す。
――裏切り者め。
口先だけなのは、お前じゃないか。
「セシル様の理想とされる領主になられるためにも、やはり学問に通じあらゆる思想、派閥に触れ人脈を築く必要があるでしょう。理想論に燃え猪突猛進したところで、現実を知り敵味方を見極め策を練らねば、どれほど高尚な志も実現はしないのです。――セシル様は失敗例をよくご存知でしょう」
寂しそうに目を伏せる教師――かつての兄貴分が諭すように噛みしめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「理想を掲げることは大切です。理想を持たず私利私欲に走る下劣な領主になってはいけません。ですが、理想のためには弛まぬ努力と、また時には意に沿わない言動を己に課すことも必要です」
ギルはキラキラとした蒼い目を真っ直ぐ教師に向けている。
この教師は僕達に教えを諭す体を装って、無責任にも、かつて敗れた夢を僕達に託しているだけに過ぎないのに。
「さてお二人はどのような領主になりたいですか? 領地において、何を重要視し何を優先させ何を切り捨てますか?」
ギルと僕それぞれの目を見て教師が問う。
ギルは眉根を寄せて顎に手を当てる。教師がふっと笑みを零した。
「今すぐに答えが出ずとも構いません。ただこれから常に意識してほしいのです。貴方方が領主となられたときに目指す姿を胸に抱いていただきたいのです」
「はい。私は民が安心して暮らせる地を守りたいです。活気に溢れ、安全で暮らしやすく、病に倒れれば誰もが医師にかかれるように。領民の誰もが衣食住の保証される地を目指します」
「素晴らしいお考えです。カドガン伯爵領の現状に沿う指針でもあるでしょう。理想は高ければ高いほどいいというものでもありません」
教師がまたもや僕を見る。思わず唇を噛む。
わかってる。そんなことはわかっているんだ。
民の自由意志を問い議会を起こして議題にのせ、それらを民自身の力で決裁し領地を運営していく迄の道のりが果てしなく遠いことなんて。よくわかっている。
そこまで辿り着くには、単純に学問が必要なだけじゃない。
それらを許す土壌を作らなければいけない。そしてそんなことはほとんど不可能だ。
この国が絶対王政を敷いている限り、これらは国家転覆を謀る反逆罪に結び付く。
人脈を築こうとすれば謀反を企てたとして忽ち牢獄入りだ。
だから僕は記号としての領主の役割を担う覚悟はある。
だけど王族に歯牙にもかけられないどころか寄親からも見捨てられる貧しいアスコット子爵領だ。
領地内で僕がどう振舞おうが、領民が台頭しようが、誰も気にも留めないだろう。
僕はただ、領地で領民と肩を並べ意を交わし笑い合い、身分など忘れ共に歩んで生きていきたいんだ。
領主一人が民の上に立ち、民から尊敬という名の差別をされ、孤独に責と義務を負い私を滅するなんて真っ平だ。
ああそうだよ。僕は無責任なんだ。
領民に甘え貴族としての義務を放棄している。その通りだ。
「そうですね。ギルが伯爵位を継げば、ますますカドガン伯爵領は栄えるでしょう」
この男は領主の孤独に耐えうる男だろうから。
馬鹿みたいに生真面目で誠実で実直。そのくせ柔軟で容易に折れることもない。
頭の出来なんてものは領主にとって一番に求められるものじゃない。
記憶力や理解力が高いとか博識であるとか頭の回転が早いとか倫理的思考が出来るとか。
あればいいものだけど、なくても潰れるわけじゃない。優秀な参謀がいれば足りることだ。
領主であるために必要なことは、孤独に耐え、意志を貫き、自我の折れない強さ。揺るがない自信と矜持。
そういったものが領主自身を守り、そしてまた人を従える。
ギルは憎らしいくらい出来すぎた男だ。
「姉を人身御供に資金援助なんてしてもらうくらいなら、情け深く領主の器に適したギルバート様に、アスコット子爵領の領主になってもらえばいいんじゃないですか? 領地も隣なんだし」
ギルが領主になってくれるなら、アスコット子爵領だって今よりずっと住みやすくなる。
僕なんかよりずっと。
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