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第2部
セシル・オルグレンの回顧録 2
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教師を睨みつけて黙る僕に、机を並べたギルが代わりに口を開く。
「しかし先生。少なくともセシルはアスコット子爵領の次期領主として正しく振る舞っていると、私には見えます」
教師はギルを見て眦を下げる。
ギルは出来のいいお気に入りの生徒。
そして教師の雇い主であるカドガン伯爵の嫡男。
カドガン伯爵のおこぼれに預かって食い繋いでいるだけの惨めな貧乏貴族の子息なんかとは違う。ギルの言葉は教師にとって聞く価値がある。
「そうですね。領地内ではそれでもいいのでしょう」
それでもって。いちいち癇に障る。
お前にアスコット子爵領の何がわかるっていうんだ。
「ですが領地から出て他の貴族の面々と渡り合うとき、あって然るべき教養に作法が身に付いておられなければ、軽んじられることは必須です。
対話をし社交でもって家を盛り立てること。これは確実に領地へと還元されていくことです。
カドガン伯爵とアスコット子爵のご関係を思い出してください。カドガン伯爵がアスコット子爵へ手を差し出されたのは、アスコット子爵を信頼したからでしょう。
このように信を得るためには、対話をしなくてはなりません。しかしその席には、礼節のなっていない者がつくことはできません。また席についたとして、教養や学のない者は信が置けません。故に貴族としての礼節や教養は必要なのです」
教師がギルの目を見て滔々と説く。
彼の教えは決して僕のためではない。
カドガン伯爵がいかに親切であるか寛容であるかを言の葉に滲ませて、僕がいかに短慮であるかをギルに説く。
「よくわかりました」
ギルが教師の目を見て頷くと、教師は慈愛に満ちた穏やかな微笑をギルに向ける。
「ギルバート様はカドガン伯爵領における養蚕業から織物業において、商人と渡り合っていくことになります。
商人達は抜け目なく狡猾です。公の利を求める高潔な貴族とは異なり、己の私利私欲を追い求めるのが商人です。そんな彼等に足元を掬われぬよう、しっかりと学び、また商人達の思考をも理解する必要があります。その上で、彼等の行動結果を最終的に公の利へと導くことが求められるのです。
領主としての矜持や立場を保ち、商人達をうまく扇動し領地を盛り立て領民を守ること。領内の商売を保護し、商人の権利を護ること。ギルバート様に求められる水準はとても高いものです」
教師がちらりと僕に視線を向ける。
僕に求められる水準は低いとでも言いたいんだろう。それなのにその低い水準にすら達しないと。
馬鹿馬鹿しい。
僕は領民の一人として役割を果たす覚悟はあるけれど、領民を従えるお偉い領主様になんてなるつもりはない。
口を引き結んで睨みつけると、教師は嘆息した。
「セシル様は既に子爵領の現状把握が出来ていることでしょう。次期アスコット子爵として求められることは、先の天災による負債や人的流出の回復が急務です。これらは既に先代アスコット子爵や現アスコット子爵が事に当たっておられますが、多角的アプローチを試みるためにも、セシル様が学ぶべき事柄は多いのです。
あらゆる学問、人々に触れ、様々な思考思想を知り、それらをご自身に取り込まれ咀嚼し、セシル様ご自身の解を出す。その過程はとても重要です。それまでにセシル様がご納得のいかない考えにも多々出会うことでしょう――私の述べることのように」
教師が首を振る。
「しかしながら己に耳障りのよく馴染みのよい事柄のみを受け入れているようでは、学びも発展もないのです。取捨選択というものは、様々なことに通じ、しっかりとした判断基準に価値観が築かれてこそできるものです。ギルバート様もセシル様も、まだその道半ばにおられます」
「はい。学び励むことの理由とその重要性がわかりました」
素直で実直なギル。貴族として次期カドガン伯爵として誇り高くあろうとするギル。
反吐が出る。
お貴族様と領民が同じ土俵に立つことはないと無意識に驕り高ぶって。無学の平民を導くことが使命だと、選民思想を掲げる貴族。
それが領民のためだと信じている。領主様を讃える領民の本心など知らないくせに。
領民は導かれなくたって知っている。何が己にとって利になり不利になるのか。
誰だって学べばわかることなのに、特権階級だけがその学びの場を独占して、都合のいいように領民を丸め込んでいる。
生まれ持った才やその差は確かに存在するけど、貴族だから優秀で平民だから劣っているのではない。
平民に学ばせず、貴族だけが甘い汁を吸えるように都合のいい制度を設けているのは、尊敬されるべきお貴族様に他ならない。
優れた統率者たる貴族が民の上に立ってこそ豊饒が齎され秩序と平和が保たれるだなんて、クソッタレだ。
民に思考能力がないんじゃない。お貴族様が民を縛り制限しているだけだ。
「しかし先生。少なくともセシルはアスコット子爵領の次期領主として正しく振る舞っていると、私には見えます」
教師はギルを見て眦を下げる。
ギルは出来のいいお気に入りの生徒。
そして教師の雇い主であるカドガン伯爵の嫡男。
カドガン伯爵のおこぼれに預かって食い繋いでいるだけの惨めな貧乏貴族の子息なんかとは違う。ギルの言葉は教師にとって聞く価値がある。
「そうですね。領地内ではそれでもいいのでしょう」
それでもって。いちいち癇に障る。
お前にアスコット子爵領の何がわかるっていうんだ。
「ですが領地から出て他の貴族の面々と渡り合うとき、あって然るべき教養に作法が身に付いておられなければ、軽んじられることは必須です。
対話をし社交でもって家を盛り立てること。これは確実に領地へと還元されていくことです。
カドガン伯爵とアスコット子爵のご関係を思い出してください。カドガン伯爵がアスコット子爵へ手を差し出されたのは、アスコット子爵を信頼したからでしょう。
このように信を得るためには、対話をしなくてはなりません。しかしその席には、礼節のなっていない者がつくことはできません。また席についたとして、教養や学のない者は信が置けません。故に貴族としての礼節や教養は必要なのです」
教師がギルの目を見て滔々と説く。
彼の教えは決して僕のためではない。
カドガン伯爵がいかに親切であるか寛容であるかを言の葉に滲ませて、僕がいかに短慮であるかをギルに説く。
「よくわかりました」
ギルが教師の目を見て頷くと、教師は慈愛に満ちた穏やかな微笑をギルに向ける。
「ギルバート様はカドガン伯爵領における養蚕業から織物業において、商人と渡り合っていくことになります。
商人達は抜け目なく狡猾です。公の利を求める高潔な貴族とは異なり、己の私利私欲を追い求めるのが商人です。そんな彼等に足元を掬われぬよう、しっかりと学び、また商人達の思考をも理解する必要があります。その上で、彼等の行動結果を最終的に公の利へと導くことが求められるのです。
領主としての矜持や立場を保ち、商人達をうまく扇動し領地を盛り立て領民を守ること。領内の商売を保護し、商人の権利を護ること。ギルバート様に求められる水準はとても高いものです」
教師がちらりと僕に視線を向ける。
僕に求められる水準は低いとでも言いたいんだろう。それなのにその低い水準にすら達しないと。
馬鹿馬鹿しい。
僕は領民の一人として役割を果たす覚悟はあるけれど、領民を従えるお偉い領主様になんてなるつもりはない。
口を引き結んで睨みつけると、教師は嘆息した。
「セシル様は既に子爵領の現状把握が出来ていることでしょう。次期アスコット子爵として求められることは、先の天災による負債や人的流出の回復が急務です。これらは既に先代アスコット子爵や現アスコット子爵が事に当たっておられますが、多角的アプローチを試みるためにも、セシル様が学ぶべき事柄は多いのです。
あらゆる学問、人々に触れ、様々な思考思想を知り、それらをご自身に取り込まれ咀嚼し、セシル様ご自身の解を出す。その過程はとても重要です。それまでにセシル様がご納得のいかない考えにも多々出会うことでしょう――私の述べることのように」
教師が首を振る。
「しかしながら己に耳障りのよく馴染みのよい事柄のみを受け入れているようでは、学びも発展もないのです。取捨選択というものは、様々なことに通じ、しっかりとした判断基準に価値観が築かれてこそできるものです。ギルバート様もセシル様も、まだその道半ばにおられます」
「はい。学び励むことの理由とその重要性がわかりました」
素直で実直なギル。貴族として次期カドガン伯爵として誇り高くあろうとするギル。
反吐が出る。
お貴族様と領民が同じ土俵に立つことはないと無意識に驕り高ぶって。無学の平民を導くことが使命だと、選民思想を掲げる貴族。
それが領民のためだと信じている。領主様を讃える領民の本心など知らないくせに。
領民は導かれなくたって知っている。何が己にとって利になり不利になるのか。
誰だって学べばわかることなのに、特権階級だけがその学びの場を独占して、都合のいいように領民を丸め込んでいる。
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平民に学ばせず、貴族だけが甘い汁を吸えるように都合のいい制度を設けているのは、尊敬されるべきお貴族様に他ならない。
優れた統率者たる貴族が民の上に立ってこそ豊饒が齎され秩序と平和が保たれるだなんて、クソッタレだ。
民に思考能力がないんじゃない。お貴族様が民を縛り制限しているだけだ。
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