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第2部
22 それはそれで、やぶさかでない
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「……君はこれまで散々傷ついてきたのに、まだ彼等を庇おうとするのか……」
なんのことだろうとエインズワース様に視線を戻すと、痛ましげに眉根を寄せてわたしを見下ろしていらした。
「あの……?」
エインズワース様は幼子を慈しみ慰めるような、憐憫と労りの色を滲ませてゆっくりと口を開かれた。
「君にとって衝撃的な話を耳にしたばかりだけど、おそらく君はまた悲しい思いをすることになるだろう」
不穏な予告に身が強張る。けれどエインズワース様ご自身はわたしを傷つけようとするご意思はないようだ。
「……それはわたしがアラン様に相応しくないということでしょうか」
おそるおそる口にした言葉にエインズワース様が目を瞬かせた。
「まあそんなことを言い出す輩が出ないとは言わないけど、君はそんな有象無象に負けるような女性じゃないだろう?」
頷いて見せるものの、どうやらエインズワース様がわたしを買ってくださっているご様子に内心驚く。
「ああ……でもそうか。彼等がそこを突く可能性もあるのか。婦人はともかく。いや、そうだな。メアリー嬢の先読み通り、その方が彼にとっては自分の優位性を示すことができると考えるかもしれない。彼は自分が切り捨てられるなど、微塵も疑っていないようだしね」
ご自分の中で答えを導き出されたエインズワース様は何かに納得されたようで満足気に微笑まれる。
いえでも、わたしの先読みとはなんでしょうか。
エインズワース様に「さすがだね」と褒めていただく理由が全くわからない。
エインズワース様の推定されている――ことがなんなのかわからないけれど――ような意図はなかったのですが。
怪訝に思いつつも表情を崩さずエインズワース様の言葉を待つと、エインズワース様はまるで「わかっているよ」とわたしを励ますように眉尻を下げて優しく微笑まれた。
えっ。全然わからない。
「コールリッジや前カドガン伯爵に真珠姫の様子を目の当たりにしてようやく、これまでの誤った思い込みや疑問が解消されたのだけど、君はもっと前から知っていたんだね」
いえ、まったく知りませんでしたが。
前カドガン伯爵や真珠姫の噂される悪行に何らかの意図があったのかもしれない、という程度の感想を今は抱いているくらい。
それだって確信は持てないし、そう思いたいだけなのではないかとも疑っている。
アラン様が断罪劇を目論んでいたことも知らなかったし、その理由もまだ知らない。
それにアラン様はやはりまだ前カドガン伯爵を疎んでいるご様子だった。
「それならば僕があえて忠告することでもないだろうけど、まあそれでも君にとって気持ちの良い話ではないからね。心構えができているとはいってもね」
「いえ、心構えどころか心当たりがございません」
さすがにこれ以上理解したような振りをするのは無理だ。
無知や察しの悪さに失望されるより、下手に立ち回ってみっともない姿を晒すことのほうがよっぽどおそろしい。
きっぱりと異を口にすると、エインズワース様は驚いたように刮目された。
「知らなかった? 少しも?」
「はい。なんのことなのかもお察しできず、お恥ずかしい限りです」
「それはまた……」
エインズワース様は眉を顰められ、小さく首を振られた。
「つまりコールリッジは僕の予想通り、君になんの相談もしていなかったのだね」
どうもエインズワース様のお声が低い。アラン様にとって分が悪そうで同意することに迷う。
「いや、頷かなくていい。だいたいわかった。あの男はまたもや独善的な思い込みで突っ走ったんだな。君のことを無視して僕達に相談することもなく」
エインズワース様のお顔は笑っていらっしゃるものの、どこか仄暗い。
「あの……」
アラン様のフォローをしなくては、と口を開こうとしたとき、エインズワース様はさっぱりとした笑顔で言われた。
「メアリー嬢、あいつに一泡吹かせてやらないかい?」
まあそれはそれで、やぶさかではないかな、とも思う。
「……お手柔らかにお願いします」
「うん。僕達の愛をこめて、コールリッジが感動して涙するようなお説教をしようね」
悪戯っぽくウィンクされるエインズワース様に「はい」と返したところで音楽が終わった。
同じくダンスを終えたアンジーとアラン様の元へ向かう前に、わたしは化粧直しに寄るとエインズワース様に断わりを入れる。
エインズワース様は先の騒動からわたしに対して不埒なことを目論む者がいないか心配してくださった。途中まで送ろうとまで提言してくださる。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。けれど大丈夫ですわ。夜会が初めてとはいえ、そう迂闊なことは致しません。周囲には気をつけますもの。エインズワース様こそ、ご婚約発表の前に妙な噂を立てられては困りますでしょう?」
女性が化粧直しに向かうことに男性が付き添うなど、親密な婚約者であってさえ下世話な憶測を立てられてしまうもの。
そしてその当人が下劣な出自の平民であるわたしと、社交界で浮名を流すエインズワース様とあっては、一体どれほど尾鰭をつけられた流言蜚語をまき散らされるのか。空恐ろしい。
エインズワース様もそれはわかっていらっしゃるはず。
「くれぐれも気をつけるんだよ」
眉根を顰められると、エインズワーズ様は小声で再度忠告してくださる。
エインズワース様のお心配りに感謝して礼をすると、わたしは廊下へと足を向けた。
なんのことだろうとエインズワース様に視線を戻すと、痛ましげに眉根を寄せてわたしを見下ろしていらした。
「あの……?」
エインズワース様は幼子を慈しみ慰めるような、憐憫と労りの色を滲ませてゆっくりと口を開かれた。
「君にとって衝撃的な話を耳にしたばかりだけど、おそらく君はまた悲しい思いをすることになるだろう」
不穏な予告に身が強張る。けれどエインズワース様ご自身はわたしを傷つけようとするご意思はないようだ。
「……それはわたしがアラン様に相応しくないということでしょうか」
おそるおそる口にした言葉にエインズワース様が目を瞬かせた。
「まあそんなことを言い出す輩が出ないとは言わないけど、君はそんな有象無象に負けるような女性じゃないだろう?」
頷いて見せるものの、どうやらエインズワース様がわたしを買ってくださっているご様子に内心驚く。
「ああ……でもそうか。彼等がそこを突く可能性もあるのか。婦人はともかく。いや、そうだな。メアリー嬢の先読み通り、その方が彼にとっては自分の優位性を示すことができると考えるかもしれない。彼は自分が切り捨てられるなど、微塵も疑っていないようだしね」
ご自分の中で答えを導き出されたエインズワース様は何かに納得されたようで満足気に微笑まれる。
いえでも、わたしの先読みとはなんでしょうか。
エインズワース様に「さすがだね」と褒めていただく理由が全くわからない。
エインズワース様の推定されている――ことがなんなのかわからないけれど――ような意図はなかったのですが。
怪訝に思いつつも表情を崩さずエインズワース様の言葉を待つと、エインズワース様はまるで「わかっているよ」とわたしを励ますように眉尻を下げて優しく微笑まれた。
えっ。全然わからない。
「コールリッジや前カドガン伯爵に真珠姫の様子を目の当たりにしてようやく、これまでの誤った思い込みや疑問が解消されたのだけど、君はもっと前から知っていたんだね」
いえ、まったく知りませんでしたが。
前カドガン伯爵や真珠姫の噂される悪行に何らかの意図があったのかもしれない、という程度の感想を今は抱いているくらい。
それだって確信は持てないし、そう思いたいだけなのではないかとも疑っている。
アラン様が断罪劇を目論んでいたことも知らなかったし、その理由もまだ知らない。
それにアラン様はやはりまだ前カドガン伯爵を疎んでいるご様子だった。
「それならば僕があえて忠告することでもないだろうけど、まあそれでも君にとって気持ちの良い話ではないからね。心構えができているとはいってもね」
「いえ、心構えどころか心当たりがございません」
さすがにこれ以上理解したような振りをするのは無理だ。
無知や察しの悪さに失望されるより、下手に立ち回ってみっともない姿を晒すことのほうがよっぽどおそろしい。
きっぱりと異を口にすると、エインズワース様は驚いたように刮目された。
「知らなかった? 少しも?」
「はい。なんのことなのかもお察しできず、お恥ずかしい限りです」
「それはまた……」
エインズワース様は眉を顰められ、小さく首を振られた。
「つまりコールリッジは僕の予想通り、君になんの相談もしていなかったのだね」
どうもエインズワース様のお声が低い。アラン様にとって分が悪そうで同意することに迷う。
「いや、頷かなくていい。だいたいわかった。あの男はまたもや独善的な思い込みで突っ走ったんだな。君のことを無視して僕達に相談することもなく」
エインズワース様のお顔は笑っていらっしゃるものの、どこか仄暗い。
「あの……」
アラン様のフォローをしなくては、と口を開こうとしたとき、エインズワース様はさっぱりとした笑顔で言われた。
「メアリー嬢、あいつに一泡吹かせてやらないかい?」
まあそれはそれで、やぶさかではないかな、とも思う。
「……お手柔らかにお願いします」
「うん。僕達の愛をこめて、コールリッジが感動して涙するようなお説教をしようね」
悪戯っぽくウィンクされるエインズワース様に「はい」と返したところで音楽が終わった。
同じくダンスを終えたアンジーとアラン様の元へ向かう前に、わたしは化粧直しに寄るとエインズワース様に断わりを入れる。
エインズワース様は先の騒動からわたしに対して不埒なことを目論む者がいないか心配してくださった。途中まで送ろうとまで提言してくださる。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。けれど大丈夫ですわ。夜会が初めてとはいえ、そう迂闊なことは致しません。周囲には気をつけますもの。エインズワース様こそ、ご婚約発表の前に妙な噂を立てられては困りますでしょう?」
女性が化粧直しに向かうことに男性が付き添うなど、親密な婚約者であってさえ下世話な憶測を立てられてしまうもの。
そしてその当人が下劣な出自の平民であるわたしと、社交界で浮名を流すエインズワース様とあっては、一体どれほど尾鰭をつけられた流言蜚語をまき散らされるのか。空恐ろしい。
エインズワース様もそれはわかっていらっしゃるはず。
「くれぐれも気をつけるんだよ」
眉根を顰められると、エインズワーズ様は小声で再度忠告してくださる。
エインズワース様のお心配りに感謝して礼をすると、わたしは廊下へと足を向けた。
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