【完結】愛してるなんて言うから

空原海

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第2部

スカーレット・オルグレンの独白 2

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 祖父からも父からも、カドガン伯爵への敬意を忘れぬよう言い聞かせられ育った。
 いずれアスコット子爵を継ぐ弟も同様だった。
 弟と私は仲の良い姉弟だった。

 貧しいながらもオルグレン=アスコット家は互いを思いやり、愛に溢れた家で、およそ貴族らしくはない。
 貧しいため、使用人といっても近隣農家の夫人に、日帰りで手伝いにきてもらっているだけ。基本的に、自分のことは自分で済ますことがほとんどだ。

 使用人達との身分の差を感じることはなく、平民の家と大して変わらない過ごしようだった。
 手伝いの婦人方に交じって、母と私で料理をしたし、家族皆、それぞれの持ち場をもって掃除もした。
 手が荒れると厭われる洗濯も、勿論自分達でした。

 領民は「領主様、奥様、お嬢様、おぼっちゃま」と呼称は繕うものの、気軽に声をかけてくれるし、私達家族もそれに応じた。
 領民全てが家族のような、それがアスコット子爵領だった。

 とはいえ、王家の血を引く、オルグレン一族としての矜持を忘れたことはない。
 それは祖父が私達に忘れることのないよう、常に言い含めていたからだ。

 貴族子息令嬢として持つべき教養や礼儀作法は、カドガン伯爵領のマナーハウスへ弟と共に上がり、学んだ。
 カドガン伯爵がいくつか持つカントリーハウスの一つ。たいていは、アスコット子爵領に最も近い屋敷で。

 弟はカドガン伯爵子息と同じ家庭教師につき、机を並べた。
 ダンスや音楽、国内貴族の系譜、男女で共通する礼儀作法については、私も、カドガン伯爵子息と弟と同室で学んだ。

 しかし学問においては、男子ほど深く追及することをよしとされない女子の身。
 また女子として必須となる教養である刺繍、レース編み、茶会での作法、淑女の社交術、女主人としての家政の取り仕切り方などは、彼らとは別室で学ぶこととなった。

 カドガン伯爵子息と弟もまた、剣術に体術、乗馬に狩り、領地経営に複数の他国言語、紳士の社交術といった男子として必要な事柄を習得していった。

 カドガン伯爵子息と私達姉弟は、学びの場を同じくする幼馴染だった。

 私より二つ年下で、弟と年を同じくするカドガン伯爵子息、ギルバート・コールリッジ。
 彼こそが、祖父の代の約束により、生まれたときより定められた、私の婚約者だった。

 彼はとても優秀な人だった。
 学問、剣術、体術、礼儀作法にダンス、その他教養の全てを教師達から称賛され、次々に身に着けていく。
 弟はそんなギルバートに劣等感を抱いていた。
 同じ年で、さらに学びにつく教師も同じ。

 私はカドガン伯爵領へは日帰りで参じていたが、弟は社交シーズンにコールリッジ=カドガン家の人間が王都に出向く時期以外、ほとんどアスコット子爵領に帰らず。
 カドガン伯爵の客人として留まり、ギルバートと共に教育を受けていた。

 同等の環境を与えられているにも関わらず、ギルバートと弟の差は歴然としていた。
 さらにオルグレン=アスコット家はコールリッジ=カドガン家の多大なる施しを受けている。
 弟がギルバートに向ける鬱屈は仕方のないものだった。

 祖父や父は私達姉弟に、決してカドガン伯爵への恩義を忘れるなと言ったが、私達には、重荷であるとしか感じられなかったのだ。

 いくつもあるカドガン伯爵のカントリーハウスは、全てがまるで夢のように広く美しく。
 パレスのようなパワーハウスだけでなく、主に私達姉弟が学びの場として訪れるマナーハウスも、私達の目から見れば、豪華絢爛なお城のようだった。
 そこに仕える使用人達は皆、教育が行き届いていて、彼等もまた見目麗しく所作も洗練され、農民とそう変わらない生活を送る私達より、よっぽど貴族然としていた。

 だからそう。
 弟だけではない。
 生まれる前から決まっていたこの婚約に。そして見目麗しく優秀な婚約者殿に。
 私、スカーレット・オルグレンは、非常に屈折した思いを抱いていた。

 ギルバートは優秀なだけではなく、とても美しい少年だった。

 婚約者であると初めて紹介されたのがいつだったのかはわからない。
 共に成長したようなもので、常に側にいたのだから。

 けれど、ギルバートの美しさに、物心ついた頃には既に惹かれ、彼を生涯に渡って独占できる婚約者という立場を誇らしく思っていた。
 たとえそれが、ギルバート自身の望んだことではなく、祖父の代に決められた逃れられない定めであっても。

 けれど一方で、美しく優秀で、財も富も名もあるギルバートの相手が、貧乏貴族で大した才のない血筋しか取り柄のない私でいいのか。という不安も、次第に大きくなっていく。

 顔立ちはそう悪くないと自負していたが、凛々しいギルバートの隣に立つには貧相だった。

 カドガン伯爵邸でたまに催される茶会。
 私がギルバートの婚約者としてその場に出席するのは、王都ではなく領地に招いての茶会なので、ほとんどがコールリッジ家親族の者であり、皆私に親切だ。
 誰も貧乏貴族の娘である私を嘲ったりはしない。

 けれど、目の当たりにする他の貴族令嬢達は、皆私とは世界を異とするお姫様達だった。
 丁寧に手入れされた艶やかな髪や、水仕事などしたこともないだろう美しい手。
 外出にはきっと常に日傘を差し、つばの広い帽子を被って、長時間外にいることもない、日に焼けたことのない白い肌。

 惨めだった。
 私にあるのは、オルグレン=アスコット家の持つ、王家の血筋であるという誇り。それも遠く薄れた血だけ。

 ギルバートに心惹かれながらも、なぜ私がこんな思いをしなくてはならないのか。とその恨みつらみをギルバートへ向けるようになった。
 八つ当たりだということは、自分でもわかっていた。

 ギルバートは何も悪くない。
 彼は婚約者として、私に丁寧に親切に接してくれていた。
 いつも優しく穏やかで、私がどんなに理不尽なことを言っても、カドガン伯爵への恩義を忘れ礼儀を弁えず、彼を罵っても。ギルバートは困った顔をしつつも、受け止めてくれた。
 だからこそ、ますます私はギルバートに憎しみを募らせていった。

 ギルバートが私に恋をしていないことは、明らかだった。
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