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第1部
15 玄関ホールまで迎えに来たのは
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デビュタントボールとなる侯爵家の舞踏会当日。
ウォールデン分家屋敷の玄関ホールには数か月前にカドガン伯爵となられたアラン様が、きっちり正装なさって、お父様と家令の前にお立ちになっていた。
アラン様の立派な体躯をタイトに包む濃紺色の艶やかな朱子織ウールのフラックは、大きな襟元に白金色の刺繍糸でびっしりと綿密な刺繍が施されている。
肩口からは、アラン様のインタリオを彫った大振りの金釦が前身頃の端まで左右並び、そのうち右三つの金釦がしっかりと留め合わされ、短い前端からは漆黒の剣帯ベルトが覗く。
アラン様のご愛刀をよけるかのように、フラックの前身身頃はそのまま斜めに、背割りのある膝裏までの長さの後見頃へと繋がっている。
優雅でありながら、カドガン伯爵としての威厳を感じされる威風堂々たるお姿に圧倒される。
アラン様の正装姿を拝見するのは、初めてではない。
けれど、アラン様元来の男らしい美貌に加え、コールリッジ一族当主として。またカドガン伯爵として。
これまでにない自信に満ち溢れたアラン様のお姿は、どうしようもなくこのさもしい胸を騒がせる。
「アラン様……」
もう二度と個としてお会いすることはないだろうと思っていたのに。
次にお会いするときは、アラン様がご婚約者を新たに迎え入れ、その贈り物を選ばれるときだろうと。
そのときはきっと、誠心誠意尽くし、アラン様のお役に立とうと、そう思っていたのに。
螺旋階段の中程で足を止めると、アラン様は蕩けるような微笑みを浮かべ、目を細められた。
疑いようもなく熱を孕んだアラン様の眼差し。アラン様に包み込まれるかのような心地に、この身は熱く火照る。
「綺麗だ、メアリー」
その吐息まで届きそうな、うっとりとしたアラン様の低い声に、芯から震えてしまう。
わたしは、アラン様のお手を取っていいのだろうか。
このままデビュタントボールへ、アラン様のエスコートで向かうことが許されるの?
わたしは階段上で立ち止まったまま、足が動かなくなってしまった。
お父様がアラン様の後ろで、困ったように眉尻を下げている。
アラン様はお父様に振り返り、何か小さく囁かれた。そしてお父様は虚を突かれたように目を丸くすると、すぐに微笑んで頷き返した。
アラン様がゆっくりと階段を上ってくる。わたしは胸元で両の手を合わせ、立ち尽くしていた。
デビュタントであることが明らかな真っ白な装いに身を包み。
とうとうわたしの立つ階段の一つ下まで登ってこられた、アラン様の一挙手一投足を、じっと見つめる。
「ああ……。本当に綺麗だ」
熱に浮かされたようなアラン様の口ぶりを耳にし、もうこれが夢でも構わないと思う。
この幸せな夢はすぐに醒めて泡沫となって消え去り、現実はアラン様と二度とお会いすることもなく。二度と誰かを慕うことも連れ添うこともなく、独りで生きてゆくのだとしても構わない。
わたしは差し伸べられたアラン様の手に、自身の手を重ねた。
ウォールデン分家屋敷の玄関ホールには数か月前にカドガン伯爵となられたアラン様が、きっちり正装なさって、お父様と家令の前にお立ちになっていた。
アラン様の立派な体躯をタイトに包む濃紺色の艶やかな朱子織ウールのフラックは、大きな襟元に白金色の刺繍糸でびっしりと綿密な刺繍が施されている。
肩口からは、アラン様のインタリオを彫った大振りの金釦が前身頃の端まで左右並び、そのうち右三つの金釦がしっかりと留め合わされ、短い前端からは漆黒の剣帯ベルトが覗く。
アラン様のご愛刀をよけるかのように、フラックの前身身頃はそのまま斜めに、背割りのある膝裏までの長さの後見頃へと繋がっている。
優雅でありながら、カドガン伯爵としての威厳を感じされる威風堂々たるお姿に圧倒される。
アラン様の正装姿を拝見するのは、初めてではない。
けれど、アラン様元来の男らしい美貌に加え、コールリッジ一族当主として。またカドガン伯爵として。
これまでにない自信に満ち溢れたアラン様のお姿は、どうしようもなくこのさもしい胸を騒がせる。
「アラン様……」
もう二度と個としてお会いすることはないだろうと思っていたのに。
次にお会いするときは、アラン様がご婚約者を新たに迎え入れ、その贈り物を選ばれるときだろうと。
そのときはきっと、誠心誠意尽くし、アラン様のお役に立とうと、そう思っていたのに。
螺旋階段の中程で足を止めると、アラン様は蕩けるような微笑みを浮かべ、目を細められた。
疑いようもなく熱を孕んだアラン様の眼差し。アラン様に包み込まれるかのような心地に、この身は熱く火照る。
「綺麗だ、メアリー」
その吐息まで届きそうな、うっとりとしたアラン様の低い声に、芯から震えてしまう。
わたしは、アラン様のお手を取っていいのだろうか。
このままデビュタントボールへ、アラン様のエスコートで向かうことが許されるの?
わたしは階段上で立ち止まったまま、足が動かなくなってしまった。
お父様がアラン様の後ろで、困ったように眉尻を下げている。
アラン様はお父様に振り返り、何か小さく囁かれた。そしてお父様は虚を突かれたように目を丸くすると、すぐに微笑んで頷き返した。
アラン様がゆっくりと階段を上ってくる。わたしは胸元で両の手を合わせ、立ち尽くしていた。
デビュタントであることが明らかな真っ白な装いに身を包み。
とうとうわたしの立つ階段の一つ下まで登ってこられた、アラン様の一挙手一投足を、じっと見つめる。
「ああ……。本当に綺麗だ」
熱に浮かされたようなアラン様の口ぶりを耳にし、もうこれが夢でも構わないと思う。
この幸せな夢はすぐに醒めて泡沫となって消え去り、現実はアラン様と二度とお会いすることもなく。二度と誰かを慕うことも連れ添うこともなく、独りで生きてゆくのだとしても構わない。
わたしは差し伸べられたアラン様の手に、自身の手を重ねた。
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