【完結】愛してるなんて言うから

空原海

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第1部

5 レモンケーキ作りと婚約解消宣言

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 それからわたし達は仲睦まじく振舞い、熱心に勉学に打ち込み、互いを高めあい、理想的な婚約関係を演じ続けた。

 はじめのうちは、お母様クズに似た顔など見たくもないだろう、とアラン様のお母様の前にはあまり出ないようにしていた。
 しかし、アラン様のお母様のご趣味がお菓子作りだと知り。そしてその腕前が相当なものだと知ってからは、わたしから積極的にアプローチしていった。
 アラン様のお母様は婚約締結当初こそ、わたしを倦厭なさっていたようだった。
 けれど、もともと人の好いアラン様のお母様は、次第にお母様クズと私とを別の人間として見てくださるようになった。



「お菓子作りなんて、良家の子女がするものじゃないわね」

 焼きあがったばかりのレモンケーキの粗熱を取るため、一つずつゆっくり丁寧にケーキクーラーの上にのせていく。
 アラン様のお母様はわたしの慣れない手つきを見守りながら、おっとりと言った。

 わたしは目の前のレモンケーキだけに意識を注いで移動させた後、アラン様のお母様のお言葉を反芻する。そして首を振った。

「わたしは貴族ではないので。カドガン伯爵夫人とお菓子作りが出来るなんて、夢にも思いませんでしたけれど、とても嬉しいですわ。だって、とっても楽しいのですもの」

 アラン様のお母様はまるで夢見る乙女のように、うっとりと可憐に微笑む。

「私こそ。実はね、娘と一緒にお菓子作りすることが夢だったのよ。でも生まれたのは息子だったでしょう。だからその夢は叶わないと諦めていたの」

 うふふ、と口元に手を当てるアラン様のお母様は本当に愛らしくて、とても子供のいるようには見えない。

「それにね。貴族のお嬢さん方は、厨房に立つなど卑しいことだと口を揃えるでしょう。だからメアリーさんがアランのお嫁さんになってくれること、とても嬉しいのよ」

 幸せそうに微笑むアラン様のお母様に、なんと応えればよいのかわからず、眉尻を下げる。すると、アラン様のお母様が焦ったように手を振った。

「あら違うのよ。メアリーさんのような大店のお嬢さんも、やはりお料理はされないのでしょう?」

 慌てるアラン様のお母様がお可愛らしくて、思わず笑みが零れる。
 アラン様のお母様が身分に拘る方ではないことも、平民であるわたしを見下していないことも、ちゃんとわかっている。

「はい。厨房に立つと、家の者からは眉を顰められます。使用人は何かと理由をつけて立ち入らせないようにしてきますし、親族はあからさまに馬鹿にしてきます」
「そうよね……」

 アラン様のお母様は、悲しそうに、そしてわたしを労わるように頷かれた。

「ええ。本家の者ほど、酷い言葉をかけてきます。ですが……」

 わたしはにっこりと微笑む。

「己のことも己で出来ないような人間に、わたしはなりたくありません。貴族の方々は民を導くことがお務めで、身の回りのことを自らなさる必要はないでしょう。人を使うこともまた、必要なことです。
 ですがわたしは平民で、商家の娘です。様々なお立場の方が何を感じ、何を求めているのか。それを知らずして商売などできません」

 アラン様のお母様は呆気にとられたようなお顔をなさった。

「カドガン伯爵夫人にお詫び申し上げます。わたしは、アラン様との婚約を、いずれ解消するつもりでおります。アラン様もご承知のことです」
「それは……」

 アラン様のお母様の顔色が青くなる。わたしはアラン様のお母様のお手をそっと取った。

「アラン様のことを厭うているわけでも、カドガン伯爵夫人をお恨みしているわけでも。勿論ございません」

 「母とカドガン伯爵に、多少思うところはありますが」と苦笑すると、アラン様のお母様はこれまでになく、冷え冷えと表情を無くされた。

「わたしは職業婦人になりたいのです。そしてアラン様は最短で伯爵位をお継ぎになられ、現カドガン伯爵からカドガン伯爵夫人をお守りするでしょう」
「……アランが言い出したのね?」

 アラン様のお母様が目を吊り上げる。とても珍しいお顔だ。

「ええ。ですが、これはわたしにとっても都合がよいのです。カドガン伯爵夫人の身では、働くことは叶いませんから」

 アラン様のお母様はわたしの手をやんわりと押しのけると、額に手を当てた。

「メアリーさんは……それでいいの?」

 気がついていらっしゃるのだ、とわかった。
 アラン様のお母様は、わたしの恋慕を知っている。

 ああ、とわたしは胸の内で膝をつき、懺悔する。

 アラン様のお母様に、わたしは母の姿を見立ておりました。
 アラン様のお母様に、娘と呼んでいただきたかった。
 アラン様とアラン様のお母様と。そしてわたしのお父様と。寄り添うように生きられたら。
 わたしの夢想する物語が叶うのならば。

 けれどそれは、幼子が枕元で織りなす夢物語となんら変わらない。

「はい。わたしは父と共に、近くウォールデン商店から暖簾分けを願い出ます。必ず認めさせます。そしてその折には、どうか贔屓にしてくださいませ」

 悪戯っぽく笑みかけると、アラン様のお母様は眉尻を下げたまま、微笑み返して下さった。

「成功なさったら、私の作る焼き菓子も店頭に並べてくれるかしら?」

 アラン様のお母様のお手を再び取って、わたしは飛び上がった。

「成功したら、などと仰らないでください。主力商品として取り扱いたいですわ!」

 アラン様のお母様のお作りになるお菓子は絶品だ。
 商家の娘として、目利きは誤らない。それに。この婚約が解消され、アラン様との縁が途絶えても。

 アラン様のお母様と繋がることで、カドガン伯爵家を後援していきたい。
 そう願うことだけは、どうか許してほしい。
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