【完結】カミツレの首飾り

空原海

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4 カミツレの首飾り

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「王太子殿下とあらせられるお方が、軽佻浮薄けいちょうふはくというものではございませんかな」


 でっぷりと脂ののった太い指が、たるんだ顎を撫でさする。
 その指には神殿長の証であるシンプルな純金のシグネットリングだけでなく、大粒のダイヤやエメラルドなどが嵌め込まれた、重そうな指輪が食い込んでいた。

 王子とメイベル。幼い少年少女を一段下に立たせ、自身は玉座にどっかりと腰掛ける。豪華な深紅の絹が張られたひじ掛けに神殿長が腕を下すと、金の房が揺れた。

 目をすがめ、「それともこれは、我が一族の『恥ずべき者』のよからぬ誘惑でしょうかな」とわざとらしくため息をつく神殿長。王子ははっとして顔を上げた。だが、王子が口を開く間もなくメイベルがコロコロと笑った。


「だって猊下。女神様だって女性でしてよ? 着飾りたいに決まっておりますわ!」

「……メイベル」


 神殿長の後ろに控えていた、プレナ家当主が低く唸る。メイベルの父親。メイベルを見る目には、温かな情愛どころか、一かけらの親しみも見当たらない。
 メイベルは両手を広げた。


「猊下もお父様も、男性ですからおわかりにならないのですわ! 乙女はいつだって美しくありたいものなのです。乙女心を解さぬ殿方は、無粋だと女人から厭われますわよ」


 メイベルが茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせると、プレナ家当主の顔が赤黒く染まった。


「小娘が!」


 ツバを飛ばして噛みついてきそうなプレナ家当主を、神殿長がでっぷりとした手で押しとどめる。


「まぁまぁ。『恥ずべき者』のさえずり程度、プレナ家の人間として流してやりなさい」


 メイベルを見下ろし、ニタリと口を歪める。「天下人は寛大であらねば」と。細められた目には、好色な慈しみと許しがあった。
 王子がメイベルの前に進み出る。びくびくと怯えたような表情は隠せぬまま。


「おや。失礼いたしました。この国の太陽。王太子殿下。これはこれは、私としたことが。『恥ずべき者』の傲慢な穢れにつられたようです。貴方様の御前で我らプレナを天下人と嘯くなど」


 神殿長はねっとりとした視線を這わせる。王子とメイベル。二人の幼い身体を舐めるように。


「偉大なる王太子殿下。どうかその寛容なお心でもって不敬を問わずにくださいますかな」

「……許すよ」


 実を伴わない形式ばかりの主従。許し許される。舞台と脚本を用意され、役割を演じるだけの道化。
 王子はくちびるを噛んだ。


「その代わり」


 おや、というように神殿長が脂肪に埋もれた、豚のような小さい目を瞬かせる。王子は吐き気をこらえて睨めあげた。
 チュニックシャツの中にしまいこんだカミツレのペンダントトップを手でおさえる。


「『恥ずべき者』にを仕掛ける『おぞましき者』は許さない。決して」

「――そのような悪魔が現れましたら、私ももちろん、許しはしませぬぞ。女神様に誓って」


 神殿長は一瞬鼻白んだ。だがおそらく王子の疑惑に衝動的な怒りを覚えたのだろう。驕り高ぶって自尊心が高い者ほど、事実を指摘されて憎悪を燃やす。神殿長は彼の崇める女神まで持ち出した。

 薄汚い二枚舌の男の誓いに、どれほどの効力があるのかはわからない。なかったことにされるだけかもしれないが、それでも言質を取ったことに王子はひとまず溜飲を下げた。


「では、僕とメイベルが女神様に謝罪し、あなたが女神様に宣誓する。それでよいでしょうか」

「そうですな」


 平時と変わらず、だぶだぶと肉の垂れた神殿長の顔は白い。だが落ち着き払っているように見えて、実のところ相当に憤っているのだろう。神殿長は王子の言葉に即答する。
 プレナ家当主は呆れたように、眉をひそめて神殿長を一瞥した。


「では祭壇へ」


 王子はメイベルの手を引いた。

 神殿長は曲がりなりにも聖職者だ。その裏で何をしていようとも。彼の根拠となるだろう女神に誓うと口に出したのだ。ぜひとも誓ってもらおう。

 祭壇奥にそびえたつ女神像。王子たちがイタズラに飾った色とりどりの小石は、すっかり取り払われている。
 王子は首から下げた革紐を引っ張り上げた。チュニックの下にしまい込んでいたカミツレのペンダントトップを握りしめる。それから目を閉じ、胸の前で手を組み合わせた。


 ――敬愛なる女神様。
 美しく彩ったこと。僕たちからの女神様への感謝と真心です。お気に召しましたか?
 今日は女神様にお願いがあります。 
 どうか。どうか、僕に力をください。
 メイベルを守りぬける力を。
 最愛の人を幸せにできる力を。
 王太子として。後の王として。きっとこの国をよくすると誓いますから。女神様の慈しまれるこの国を、きっときっとよくしますから。


 祈りを終え、王子は目を開けた。女神像をじっと見つめる。女神はきっと、真摯な願いを聞き届けてくれるだろう。
 袖を引かれ、王子は振り返る。


「クリス。大好きよ。わたくしが必ず、あなたを幸せにしてさしあげますわ!」


 メイベルの手にはカミツレの首飾りが握られていた。





(了)
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