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2 カミツレの花畑
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見渡す限り一面の白い花。風が吹くたびに香る甘いカミツレ。
メイベルは両手を広げてくるくると舞った。
「クリス! ほら、こちらにおいでになって!」
白い小花が咲き乱れる中、アイボリーのドレスの裾を翻すメイベル。
彼女の母が編んだというレースのサッシュが光を透かし、淡い青紫の影がドレスの上で踊る。
アイボリーに落ちる青空。アイボリーを浚う光。
メイベルは光と影を身に纏って、風と一緒に踊る。
「手を繋ぎましょう!」
差し出されたメイベルの手。
王子は自身の手をおずおずと差し出した。
メイベルが屈託なく笑う。ぐんと強く引っ張られ、王子はよろけた。
「クリスったら、やっぱりか弱いのだから!」
「メイベルが強いだけだよ」
ムッとしたように口を尖らせるも、王子はすぐに笑い声をあげた。
二人、両手を繋いで上に下に振り回しながら、めちゃくちゃなステップで踊る。足を踏んで、蹴って、躓いて。カミツレの花畑に顔から飛び込んでいく。
「いいにおい!」
手を繋いだまま地面に転がり、メイベルは大きく息を吸う。王子も一緒にカミツレの香りで鼻の穴いっぱいにした。
「ねぇ、クリス。カミツレの冠をつくりましょ」
リンゴのような蜜たっぷりの甘い香りの中、ウトウトしかけていたところだった。王子の隣りで、メイベルが突然身を起こす。
途端に、ふわふわキラキラとした夢の世界が霧散する。王子はぱちぱちと目を瞬いた。
「今、寝ていらしたわね?」
「寝てないよ!」
「うそおっしゃい」
「メイベルと一緒にいるときに、僕が寝るわけないじゃないか!」
悔し紛れに言い張ると、見上げたメイベルの顔がじんわりと赤く染まった。
「クリスは、わたくしといる時間を楽しく思ってくださるの?」
メイベルのいつになく、か細い声。王子は驚いた。慌てて身を起こし、メイベルの顔を覗き込む。
常に自信に満ち溢れているように見えたメイベル。王子の前で、幼い少女が不安そうに眉尻を下げている。
「当たり前じゃないか! 僕はメイベルが好きなんだ! メイベルと一緒にいられる時間が誰といるときより、何より好きだよ!」
メイベルの目尻に涙がうっすらと浮かぶ。王子は手を握った。
「わたくし、プレナ家の人間ですのよ? 王家に圧力をかけて、無理やりに婚約を迫った――」
「メイベルはメイベルだ」
きっぱりと断言する王子に、メイベルはくしゃりと顔を歪めた。笑おうとして失敗し、結局泣き出した。年相応の幼子のままで。
「ねぇ。メイベル。僕は物知らずだけど、少しは知っているんだ」
声をあげて泣く、いつもは強気な少女の背中に腕を回す。幼い二人はお互いをよすがにギュウと抱きしめ合う。
「メイベルはプレナ家で疎んじられているんでしょう?」
メイベルは泣きじゃくりながらも、こくりと頷いた。
父親であるプレナ家当主は、寵愛している身分の低い女を囲っていた。メイベルの母親は、愛人を一人と定めず、取り替え引き替えしては遊び渡る、身持ちの悪い女だった。
プレナ家当主が本妻に生ませた娘。それがメイベル。
メイベルが男子でなかったことに、父親は喜んだそうだ。プレナ家を継がせずに済むと。
女ならば年の近い王太子と婚約させることができる。王家に押し付けることで厄介払いができる上に、王家掌握の足掛かりを掴める。
父親にとってメイベルは、王子の婚約者であることだけが、肯定される価値だった。
「僕に取り入れって。そう言われていた?」
メイベルが王子のチュニックにぎゅうとしがみつく。若草色のチュニックはメイベルの涙で、ところどころ濃い緑色に変わっていた。
「ええ。クリスは自信のあまりない、優しくて気弱な王子様だから、わたくしが支えて差し上げなさいと」
メイベルの言い分より、ずっと露骨な指示をされていただろう。王子は思った。だが、追及はしない。
王子が臆病で情けないことは事実だったし、メイベルは王子の弱みにつけ入って煽てたりおもねったりするような。そんな卑怯なやり方を取らなかった。
いつでもまっすぐに王子の目を見て、ダメなものはダメだとはっきり口にした。よいものはよいと根拠を明らかにさせた上で認めた。手放しに称賛したり媚びへつらったりはしなかった。
それになにより。
「うん。メイベルは僕を支えてくれている。だってメイベルは僕のことが好きでしょう?」
メイベルは飾らない好意と敬意を王子にくれた。出会ったその日から。
「ええ! わたくしはクリスが好き!」
満面の笑みを浮かべたメイベルに、王子は見惚れた。
赤くした鼻からは鼻水が垂れ、真っ赤に充血した目と涙で腫れぼったい瞼。頬には涙の線がかぴかぴしている。
そんなメイベルがたまらなく可愛く見えた。
その後はカミツレの冠を編んで、互いに贈りあった。
いずれ王子とメイベルが戴冠するだろうクラウンとティアラ。
カミツレで編むティアラはリボンを先端に結んで、メイベルの髪にくくりつけた。クラウンはすっぽりと王子の頭におさまり、前髪の巻き毛が額に押しつけられた。
「メイベル。大きくなったら僕と結婚してください」
「ええ、もちろん。わたくしがクリスを守ると誓うわ」
「僕だって」
メイベルはにっこりと笑った。
たくさん摘んだカミツレは、その晩、従僕に頼んでお茶を淹れてもらった。
リンゴのような、南国の果物のような甘酸っぱい香りが鼻腔をかすめ、王子はその晩、とても素敵な夢を見た。
見渡す限り白い小花、カミツレで埋め尽くされた花畑。そこで、メイベルと手を繋ぎ、笑い合い、踊り続ける夢。
王子は後日、メイベルに贈り物をした。
焦げ茶色の革紐に、銀製のペンダントトップを通しただけの、素朴な首飾り。ペンダントトップのモチーフはカミツレの花。
揃いでしつらえさせたそれを、王子とメイベルの二人は、肌身離さず首から下げるようになった。
メイベルは両手を広げてくるくると舞った。
「クリス! ほら、こちらにおいでになって!」
白い小花が咲き乱れる中、アイボリーのドレスの裾を翻すメイベル。
彼女の母が編んだというレースのサッシュが光を透かし、淡い青紫の影がドレスの上で踊る。
アイボリーに落ちる青空。アイボリーを浚う光。
メイベルは光と影を身に纏って、風と一緒に踊る。
「手を繋ぎましょう!」
差し出されたメイベルの手。
王子は自身の手をおずおずと差し出した。
メイベルが屈託なく笑う。ぐんと強く引っ張られ、王子はよろけた。
「クリスったら、やっぱりか弱いのだから!」
「メイベルが強いだけだよ」
ムッとしたように口を尖らせるも、王子はすぐに笑い声をあげた。
二人、両手を繋いで上に下に振り回しながら、めちゃくちゃなステップで踊る。足を踏んで、蹴って、躓いて。カミツレの花畑に顔から飛び込んでいく。
「いいにおい!」
手を繋いだまま地面に転がり、メイベルは大きく息を吸う。王子も一緒にカミツレの香りで鼻の穴いっぱいにした。
「ねぇ、クリス。カミツレの冠をつくりましょ」
リンゴのような蜜たっぷりの甘い香りの中、ウトウトしかけていたところだった。王子の隣りで、メイベルが突然身を起こす。
途端に、ふわふわキラキラとした夢の世界が霧散する。王子はぱちぱちと目を瞬いた。
「今、寝ていらしたわね?」
「寝てないよ!」
「うそおっしゃい」
「メイベルと一緒にいるときに、僕が寝るわけないじゃないか!」
悔し紛れに言い張ると、見上げたメイベルの顔がじんわりと赤く染まった。
「クリスは、わたくしといる時間を楽しく思ってくださるの?」
メイベルのいつになく、か細い声。王子は驚いた。慌てて身を起こし、メイベルの顔を覗き込む。
常に自信に満ち溢れているように見えたメイベル。王子の前で、幼い少女が不安そうに眉尻を下げている。
「当たり前じゃないか! 僕はメイベルが好きなんだ! メイベルと一緒にいられる時間が誰といるときより、何より好きだよ!」
メイベルの目尻に涙がうっすらと浮かぶ。王子は手を握った。
「わたくし、プレナ家の人間ですのよ? 王家に圧力をかけて、無理やりに婚約を迫った――」
「メイベルはメイベルだ」
きっぱりと断言する王子に、メイベルはくしゃりと顔を歪めた。笑おうとして失敗し、結局泣き出した。年相応の幼子のままで。
「ねぇ。メイベル。僕は物知らずだけど、少しは知っているんだ」
声をあげて泣く、いつもは強気な少女の背中に腕を回す。幼い二人はお互いをよすがにギュウと抱きしめ合う。
「メイベルはプレナ家で疎んじられているんでしょう?」
メイベルは泣きじゃくりながらも、こくりと頷いた。
父親であるプレナ家当主は、寵愛している身分の低い女を囲っていた。メイベルの母親は、愛人を一人と定めず、取り替え引き替えしては遊び渡る、身持ちの悪い女だった。
プレナ家当主が本妻に生ませた娘。それがメイベル。
メイベルが男子でなかったことに、父親は喜んだそうだ。プレナ家を継がせずに済むと。
女ならば年の近い王太子と婚約させることができる。王家に押し付けることで厄介払いができる上に、王家掌握の足掛かりを掴める。
父親にとってメイベルは、王子の婚約者であることだけが、肯定される価値だった。
「僕に取り入れって。そう言われていた?」
メイベルが王子のチュニックにぎゅうとしがみつく。若草色のチュニックはメイベルの涙で、ところどころ濃い緑色に変わっていた。
「ええ。クリスは自信のあまりない、優しくて気弱な王子様だから、わたくしが支えて差し上げなさいと」
メイベルの言い分より、ずっと露骨な指示をされていただろう。王子は思った。だが、追及はしない。
王子が臆病で情けないことは事実だったし、メイベルは王子の弱みにつけ入って煽てたりおもねったりするような。そんな卑怯なやり方を取らなかった。
いつでもまっすぐに王子の目を見て、ダメなものはダメだとはっきり口にした。よいものはよいと根拠を明らかにさせた上で認めた。手放しに称賛したり媚びへつらったりはしなかった。
それになにより。
「うん。メイベルは僕を支えてくれている。だってメイベルは僕のことが好きでしょう?」
メイベルは飾らない好意と敬意を王子にくれた。出会ったその日から。
「ええ! わたくしはクリスが好き!」
満面の笑みを浮かべたメイベルに、王子は見惚れた。
赤くした鼻からは鼻水が垂れ、真っ赤に充血した目と涙で腫れぼったい瞼。頬には涙の線がかぴかぴしている。
そんなメイベルがたまらなく可愛く見えた。
その後はカミツレの冠を編んで、互いに贈りあった。
いずれ王子とメイベルが戴冠するだろうクラウンとティアラ。
カミツレで編むティアラはリボンを先端に結んで、メイベルの髪にくくりつけた。クラウンはすっぽりと王子の頭におさまり、前髪の巻き毛が額に押しつけられた。
「メイベル。大きくなったら僕と結婚してください」
「ええ、もちろん。わたくしがクリスを守ると誓うわ」
「僕だって」
メイベルはにっこりと笑った。
たくさん摘んだカミツレは、その晩、従僕に頼んでお茶を淹れてもらった。
リンゴのような、南国の果物のような甘酸っぱい香りが鼻腔をかすめ、王子はその晩、とても素敵な夢を見た。
見渡す限り白い小花、カミツレで埋め尽くされた花畑。そこで、メイベルと手を繋ぎ、笑い合い、踊り続ける夢。
王子は後日、メイベルに贈り物をした。
焦げ茶色の革紐に、銀製のペンダントトップを通しただけの、素朴な首飾り。ペンダントトップのモチーフはカミツレの花。
揃いでしつらえさせたそれを、王子とメイベルの二人は、肌身離さず首から下げるようになった。
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