【完結】好色王子の悪巧みは魔女とともに

空原海

文字の大きさ
上 下
36 / 45
第二章

第六話 嫉妬と不仲、不貞のいざない(3)

しおりを挟む



「おかえりなさいませ」

「…………ニヒト。おまえ、俺がいるのをわかって、ヘクセに手を出そうとしたな?」

「さて。なんのことやら」


 ずかずかと苛立ちをあらわに足音を立て、コーエンはヘクセのすぐそばまで来ると、テーブルに頬をべったりとつけて寝息を立てるヘクセの横顔を覗き込む。
 すうすうと呑気な寝息をたてるも、眉間に皺を寄せている。コーエンはヘクセの滑らかな頬を撫で、額に口づけを落とすと、そっと膝裏と背に腕を回し抱き上げた。


「これはエーベルの寄越した酒だな」

「はい。南の半島での特産品だとか」

「知っている。俺も飲んだことがある。残りはおまえが飲むか、他のやつらに回せ」


 ニヒトは肩を竦ませる。


「そこまでされなくてもよろしいのでは?」


 ニヒトに背を向け、コーエンは寝台へとヘクセを運んだ。脚からゆっくりとおろし、柔らかな体を横たえさせる。額から顎にかけて斜めに被さった髪を手で梳いてやり、コーエンはもう一度瞼に口を寄せた。酒精の匂いと涙のしょっぱい味がする。
 小さく息をついて振り返ったコーエンは残された夕食の並ぶテーブルへと戻り、ニヒトが椅子を引いた。


「エーベルは駄目だ。他の夫人やら令嬢やらはまあ、王子妃として最低限付き合いもあるだろ。くだらねぇ中傷もあるだろうが、ニヒトが守ってくれんだろうから、そこは目を瞑る。女の戦場に俺が出張っていいことなんざねぇからな」

「それならばなおのこと、第一王女殿下と親しくするのは、奥様をお守りする上で心強いことではないのですか? 私めはしょせん奴隷あがりの側仕えに過ぎませんよ」

「何言ってやがる。おまえがその面で微笑みかけてやりゃあ、たいていのご婦人方は腰抜かすだろ。……いろんな意味で」


 渋面をつくって答えていたのを、コーエンは何かを思い出したかのように目を見開き、それからにやりと口の端を歪める。


「エーベルから聞いたぞ? おまえ過去に相当、怖がらせたらしいな? なんでここまでニヒトを避けるのか問い詰めたら、ようやく口を割ったが、怯えるのと感謝するのとで、よくわからねぇことになってやがった」


 そこで区切ると、コーエンは「そういえば」と話を切り替える。深く息を吸い、裏声を張り、妙に高い声色を作った。


「『遅くなったけど、あのときはアドバイスありがとう。おかげでうまくいっている。でも二度と同じ空間に居合わせたくないから顔を見せないで』と」


 どうやらエーベルの口調を真似ていたらしい。双子のくせにちっとも似ていなかったが。


「そう伝えろと言われた。一体何やらかしたんだ?」

「はて。なにかしましたでしょうか。第一王女殿下に」


 頑是がんぜない悪戯小僧のような顔つきで、わくわくと好奇を隠さないコーエンに、ニヒトは小首を傾げた。


「そうですねえ……。余計な口出しはいたしました。詩を綴るようにと」

「詩?」

「はい」


 コーエンは眉根を寄せて不思議そうに首をひねる。


「エーベルの詩っていやぁ、なんかこう、文学的センスが壊滅的なんだが……。詩だと?」

「はい。第一王女殿下の文通のお相手が詩を好むお方でしたので」

「それは余計にまずくないか? エーベルの詩だろ? あれはちょっと……いや、おもしれぇけど」

「しかしそれで順調なご様子ですし」

「まあ。そうだな」


 そこで納得できないながらも矛を収めたコーエンは、脱線した話を元に戻す。

「まあさ。あの無駄に自信過剰なエーベルですらそんなもんなんだ。ニヒトの脅迫があってそれ以上に不和をもちかけようなんざ、よっぽどの猛者しかいねぇよ」

「脅迫……。私め、そのように空恐ろしいことはいたしませんが」


 悲しそうに眉尻を下げるニヒトをコーエンは無視した。
 ニヒトの立ち居振る舞いや発言の裏に含ませる暗示など、一応は王族であるコーエンのそれより上回っていることなど、コーエンとてよく知っている。
 腹芸というより腹黒というべきか、とにかくニヒトの陰湿な誘導の手口といったら、悪魔的なのだ。
 コーエンが扉の前で立ち聞きしていた折も、ニヒトはヘクセを丸め込もうとしていた。それについてはあとで釘を刺さねばならない。


「そんな気概のあるやつなら、その先仕掛けようものなら徒労に過ぎねぇことくらい誰だってわかりそうなもんだ。その手の判断もできねぇはずがねぇよ。だいたい、ヘクセだってそうそうさえずり程度でしょげる女じゃねぇだろ」

「奥様は向けられる敵意にはお強いお方ですからね」

「そうだ。だが好意には弱い。すぐにほだされちまう。あの糞野郎の呪縛がいつまでも解けねぇのもそのせいだ。一瞬の気まぐれ程度の情けに、心底入れ込んじまう」


 ヘクセが父親である元公爵に向ける思慕については、元公爵邸に勤めていた古参の使用人から聞き及んでいる。
 元使用人達は口々にコーエンに対し、本来敬ってしかるべき嫡子であったヘクセを匿うこともしなかったことについて、慈悲を乞うばかりだったが、中には悔恨の意を口にし、ヘクセの幸福を願いコーエンに託す者も、僅かながら居た。
 その者らが口にするには、たった一度だけ元公爵が父親らしくヘクセを領地の景観の美しい公園に連れていき、親子らしい時間を過ごしたことがあるのだという。そしてヘクセは元公爵に何かを求めることはなかったが、視界に入る度に元公爵を目で追っていたと。

 コーエンは苦り切った様子で嘆息した。テーブルの上にあった夕食の残りは、いつのまにか綺麗に片付けられ、コーエンはニヒトに食後酒を用意させる。「その酒はやめてくれ。今は気分がわりぃ」とグラッパの波打つボトルを指して言うので、ニヒトは棚に手を伸ばしてカルヴァドスを取り出した。


「ありがとな」


  グラスをニヒトに向けて揺らし、礼を言う。黄金色の液体がたぷんと揺らいだ。


「エーベルは駄目だ。あれは気まぐれじゃねぇ。あいつは裏表なくヘクセによくしようなんて思ってやがる。偽善を為そうなんて思っちゃいねぇ。そういう性分なんだ。だから質が悪い。エーベルに入れ込んだら、ボロボロになるのはヘクセの方だ。エーベルの嫁ぎ先は…………わかってるだろ?」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

【完結】公爵家の妾腹の子ですが、義母となった公爵夫人が優しすぎます!

ましゅぺちーの
恋愛
リデルはヴォルシュタイン王国の名門貴族ベルクォーツ公爵の血を引いている。 しかし彼女は正妻の子ではなく愛人の子だった。 父は自分に無関心で母は父の寵愛を失ったことで荒れていた。 そんな中、母が亡くなりリデルは父公爵に引き取られ本邸へと行くことになる そこで出会ったのが父公爵の正妻であり、義母となった公爵夫人シルフィーラだった。 彼女は愛人の子だというのにリデルを冷遇することなく、母の愛というものを教えてくれた。 リデルは虐げられているシルフィーラを守り抜き、幸せにすることを決意する。 しかし本邸にはリデルの他にも父公爵の愛人の子がいて――? 「愛するお義母様を幸せにします!」 愛する義母を守るために奮闘するリデル。そうしているうちに腹違いの兄弟たちの、公爵の愛人だった実母の、そして父公爵の知られざる秘密が次々と明らかになって――!? ヒロインが愛する義母のために強く逞しい女となり、結果的には皆に愛されるようになる物語です! 完結まで執筆済みです! 小説家になろう様にも投稿しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】悪役令嬢の反撃の日々

くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。 「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。 お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。 「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

処理中です...