【完結】好色王子の悪巧みは魔女とともに

空原海

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第二章

第二話 勃たない(2)

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「ふっざけんな!」


 立ち上がったコーエンが大股で歩き寄ってきたかと思うと、ヘクセはニヒトの華奢な腕に絡めていた腕を取られ、そのままコーエンの腕の中に閉じ込められた。
 後頭部と背中にコーエンの大きくて温かな手が押し当てられる。
 頭上には生暖かい吐息と、鼻先がつぶれるほど強く胸元にぎゅうぎゅうと押しつけられる。甘い汗の匂い。

 婚約者の顔合わせとして出会ったばかりのときは年相応の筋肉はついているものの、少年と青年の狭間らしく細身だったコーエン。
 今ではすっかり逞しく、分厚く大きく恵まれた体躯をしている。武人といって遜色ない。
 軍を率いるわけではないのだから、そこそこの鍛錬でいいのに、武に長けた美しい弟王子バルドゥールに負けるわけにはいかない、兄としての矜持が許さない。と、執務の合間に稽古を欠かさない。

 おそらくそれは建前で、年の離れた可愛い弟王子との交流が欲しいのだろう。
 第三王子バルドゥールは外征を担う第三師団の師団長に就いている。
 コーエンは寂しがり屋で度を越えた家族思いで、きょうだい王子王女が大好きなのだ。

 それにしても。これでは苦しくて息もできない。
 コーエンの広い背中でニヒトの姿も見えない。困ってしまった。


「あの? コーエン?」


 おずおずと手をのばし、コーエンの背中をさすってみる。するとコーエンがぴくりと肩を震わせた。


「どうなさいましたの? あっ。もしかして、ニヒトが女性になれることに驚きましたの?」


 そういえば抱く抱かない、の前にニヒトが悪魔だということ、女性になれるということをヘクセはコーエンに説明していなかった。
 ヘクセにとってそれはすっかり当たり前だったので、当然コーエンも知っている気でいたのだ。

 だってコーエンはヘクセが何の説明もしていないのに、父との忌まわしい因縁を察しているようだった。それらは既に父や継母、異母姉の記憶からも消え去っていることのはずのなのに。
 だからてっきりニヒトがコーエンに打ち明けたのだろうと早合点していた。

 もし知らなかったのなら。それは驚いただろう。

 ヘクセは申し訳なくなって「あの…。コーエン?」とコーエンの腕の中でもぞもぞと身動ぎする。コーエンはそんなヘクセを一度ぎゅっと強く抱きしめると、腕の力をゆるめた。
 ほっと一息ついてコーエンを見上げると、疲れきった顔ではぁーっと大きく嘆息する夫の顔がすぐ目の前にあった。
 生ぬるい吐息がヘクセの鼻先にかかる。


「……ニヒトは変装の達人……いやちげぇな。骨格が変わってやがる。ニヒトは、人間じゃねえのか?」


 あっ。やっぱりご存知でなかった。

 灰青色の瞳の胡乱な眼差しにとらえられたヘクセは、黒い瞳を揺らした。
 口を開こうとしたところで、コーエンが力なく首を振る。


「……いやいい。それはあとで聞く」


 コーエンの乾いた唇がヘクセの目の上に押しあてられ、ヘクセは片目を瞑った。
 コーエンの大きな手が額から頬にかけて優しく撫でる。
 ヘクセの胸がぽかぽかと温まり、口元がほころぶのを見て、コーエンは眉尻を下げた。


「なあ。俺はまたヘクセを不安にさせてたのか?」
「なぜですの?」


 小首を傾げるヘクセの腰に回している腕にぐっと力を入れ、ついでにヘクセの小さな手を取る。


「男だからニヒトを抱く気にならねぇって。俺の言い方が悪かった」


 コーエンに導かれるままに手をそこに置く。
 ヘクセは戸惑った。粗野なことを口にするものの、常にヘクセを気遣いそれなりにムードも大事にするコーエンらしくなく、露骨なやり方で示されている。


「あの……」


 どうしたらよいのかわからずヘクセが情けなくコーエンを見上げると、目元を赤らめたコーエンが「……あんまり力いれんな。置くだけにしとけ」と言う。

 意味が分からない。

 「あと可愛く上目遣いすんのもやめとけ。証明できなくなっちまうから」とも。まったく意味が分からない。


「ヘクセ。今の状態はわかるな?」


 いえ。全然。ちっともわかりません。

 そう思ったが、何やらコーエンが剣呑な顔つきをしているので、ヘクセは首を傾げるだけにとどめる。
 コーエンは眉を顰めた。


「ヘクセは言葉と匂いだけじゃ納得しねぇかもしんねぇから。これが一番わかりやすいかと思ってよ」


 ヘクセの頭には疑問符が飛び交っているのだが、とりあえず夫の奇行を見守ろうと頷いた。コーエンはどこかほっとしたようにふにゃりと笑った。その気の抜けた顔がヘクセは愛しくてたまらない。
 コーエンも同様に愛しさを顔いっぱいに表してヘクセの額に口づけをくれる。そして眉を顰めた。


「やべえ。証明できなくなっちまう……」


 ぶつぶつと呟いたかと思うと、コーエンはヘクセから身を離した。
 ヘクセもそれに倣ってコーエンから身を離そうとするも、そこに置いていた手首をコーエンに掴まれてしまう。


「いや。だからちゃんと証明するから。そこに置いとけ。な?」


 なぜか焦った様子のコーエンに、ヘクセはとりあえず「はい」と言って、そっと手を戻す。「……ん」と艶っぽい声を出す夫に、ヘクセはどうしたらよいのかさっぱりわからなかった。
 最近ではお互い、言葉に出さずとも、嗅ぎ回らずとも、目を凝らさずとも。なんとなく相手の心情がわかるようになっていたのに。

 いや。証明したい、の意味はわかる。なんとなく。
 コーエンが何をしようとしているのか、こうじゃないかな、というのは。
 しかしわからないのは、なぜそこまでしてヘクセにわからせようとしているのか。
 きっとコーエンだって、ヘクセの反応を見てわかっているはずなのに。ヘクセが不安がっていたわけではないと。それなのになぜ――。


「おい。ニヒト……だよな? くそ。調子狂うな……」


 がりがりと乱雑に頭を掻くとコーエンは、たおやかでエキゾチックな魅力を放つ褐色の美女姿のニヒトを睨みつけた。
 はちきれんばかりの豊満な胸が禁欲的なお仕着せによって窮屈そうに押し込められ、男物の直線的で味気ない衣服とのコントラストが、一層淫靡で官能的だ。


「ニヒト。おまえ、適当に俺に触ってみろ」

「よろしいのですか?」


 ニヒトはぱっと顔を輝かせる。薄い唇に細い指を押し当て、妖艶に笑うニヒト。


「なんておいしそうな……。私め、ずっと殿下ともまぐわってみたかったのです」


 噎せ返るような色欲の匂いに、ヘクセは苦笑いする。これはずっとたまっていたのだろうなあ、と。
 ニヒトは適当に遊んでいる様子ではあるのだが、それでもニヒトはコーエンとヘクセが特別なのだ。
 大切な二人のため、と他の者に対しては皆無といっていい良心を頑張って捻り出し、コーエンとヘクセとの間に乱れた関係を囁かずにいた。


「おい。俺はお前と契るつもりはねぇからな」


 コーエンは眉を顰めるも「まあいいや。どうせできねぇってだけだし」と言う。
 それには色欲の悪魔たるアスモデウス。いや、ニヒトは自尊心を刺激されたようで、不敵に微笑んだ。


「さてさて……。いつまで澄ましたお顔でいられることでしょう。本当によろしいので? お嬢様に呆れられても、私めは知りませんよ? まあそうなれば、私めがお二人の間に入って差し上げますけれど……。ええ。ちゃんと間に、」

「うるせぇ。さっさとしろ」

「わたくしはコーエンが欲に負けても呆れませんわよ」


 うっとりと紡がれるニヒトの言葉を、コーエンとヘクセが同時に遮る。ニヒトは肩を竦ませた。
 コーエンはなるべく隣に寄り添うヘクセを見ないように意識して「あとアレには触んなよ。そこはヘクセにしか許してねぇし、俺はニヒトが女の姿していようが、その気にならねぇってことを示すだけだからな。あっ。後ろも当然ナシだからな」と言う。
 ニヒトはにいっと、しかし艶然として笑う。


「そういう強がり、好きですよ。私めがゆっくりと崩してさしあげます。どうぞ狂わないでくださいね。殿下にはまだ私めを楽しませていただかなくては――」


 ニヒトのしなやかな腕がそっと伸ばされた。


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