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閑話1 耳年増王女の文通

3 文通は成功のようです

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「――……え?」

 呆然と動けないエーベルの視界の片隅で、小麦色の髪がさらりと揺れた。

「ああ。申し訳ございません。第一王女殿下。ついうっかり」

 固まった体はそのままに、優し気な声色の方へ視線だけ向けると、薄い唇を微かに持ち上げ、美しい笑みを口元に湛えた美貌の異邦人がエーベルを冷たく睥睨へいげいしていた。

「どうぞ。私めを俎上そじょうに載せていただいて構いませんよ」

 とろりと揺れる琥珀色の瞳が剣呑に光り、エーベルは息を呑む。脈が早い。どくどくと血潮が激しく鼓動を刻むのをこめかみに感じる。
 エーベルはごくりと喉を上下させ、拳をぎゅっと握りしめた。

 ――大丈夫。

 震えの止まらない足はドレスで隠れている。大丈夫だ。喉がひきつれないよう、舌がもつれないよう、今一度つばを飲み込み、口腔内で舌を転がす。それから王女らしく顎をそびやかした。

「……いいえ。この者はあなたの主人を不当に侮辱した。この者の主として、謝罪するわ」
「さようにございますか。では恐れながら、主の名において、殿下の謝罪を賜ります」

 歯がカチカチ鳴りそうになるのを、奥歯を噛みしめることで耐える。
 目の前のこの男はなんだ。
 この怪しく光る琥珀色の――いや、黄金色の瞳。瞳孔の開ききった魔性の瞳が細められ、薄い唇は酷薄に弧を描く。褐色の肌はビロードのように滑らかで、まるで荒事など向かなそうな細身の体はしかし、しなやかな獣のよう。

 まったくわからなかった。

 エーベルの目には、この魔性の異邦人の動きがさっぱりわからず、いつの間にか頑強な体つきの護衛騎士が床に転がり昏倒していた。

「では私めはこれにて」

 固まるエーベルの脇を抜けて、扉へと向かう魔性の者。エーベルはいつも通りぼやーっと呑気な顔をした侍女と向かい合ったまま。





「ああ、そうでした」

 背中でくるりとこちらを向く魔性の気配を感じる。エーベルの体は否応なしに強張る。

「そちらのお手紙。返信なさるのでしたら、詩をお書きになるとよろしいですよ。その者は昔、才ある詩人を特に贔屓にしておりましたから」

 では失礼、という甘やかな声を残し、扉が音もなく静かに閉まった。背後から微かにそよいできた微風を最後に、魔性の気配が途絶える。
 エーベルは脱力した。
 みっともなく床に手をつき、汗が滝のように流れ落ちる。心臓はどくどくと痛いほど。

「大丈夫ですかぁ?」

 いつも通り、間伸びした声でのんびりエーベルの元にやってくる侍女。そのふっくらと柔らかく温かい手に触れ、エーベルはようやく息を吐き出した。

「……あなた、よく平然としてられるわね」

 侍女の手に支えられながら椅子に座ると、エーベルはゆっくりと息を吸った。そして恨みがましい目でじっとりと侍女を見上げる。
 侍女はキョトン、と目を丸くしてふっくらとした瑞々しい唇に指を押し当てる。

「ええー。だってめっちゃ美人さんですしー。イケメンっていうより美しい? ですよねぇ。異国情緒あふれるミステリアスな感じも素敵ですし。なんかこう、危険な悪の香り漂う謎のヒトって感じで、私、タイプですー」

 お前は顔がよければ、なんでもいいんだろ。

 エーベルはしかし、いつも通りの侍女の様子にほっと安堵した。
 手にはじっとりと汗が握られ、背中もぐっしょりとかいた汗で冷たい。額と頬にはりついた髪を解し、エーベルは放り投げていた手紙に一瞥をくれた。

「………………詩作、ねぇ……」

 ふう、と溜息をつくと、侍女が「エーベル様の詩、読む人を必ず笑わせてくれるから、絶対喜ばれると思いますよー」と励まされる。
 エーベルはギロリと睨んだ。

「それ。どういう意味?」
「エーベル様の詩集、城内で大人気なんですよー」
「は?」

 目を見開くエーベルの鼻先に、「ほらこちらですー」と侍女が丁寧に紐で綴じられた、淡い灰青色の表紙の本を突き出してくる。

「コーエン殿下が試作品として編集、製本されたのが爆発的人気になりましてぇー。今後本格的に活版印刷して城下でも売り出していくって聞きましたぁー」
「………………コォォォォォォォエェェンンンン~!」

 握り拳にふるふると怒りに震えるエーベルは、ガタン! と椅子から立ち上がり、扉目掛けて走り出す。その際、誤って床に転がる護衛騎士を踏んでしまい、騎士は「ぐえっ」と言って息を吹き返した。
 エーベルはハッとして振り返る。

「あなた! いくらアレが不審者だったとはいえ、ヘクセを侮辱するのは、あたしも許さないからね! あたしの護衛なら、流言蜚語に踊らされないで! わかった?」
「はっ! かしこまりました!」

 騎士は慌てて立ち上がり、エーベルに礼をする。

「よろしい」

 エーベルは満足げに頷くと、扉の取っ手に手をかけた。その様子に護衛騎士が慌てる。

「どちらに行かれるので?」
「コーエンよ! あいつ、とっちめてやる!!!」

 髪を振り乱し、憤怒の恐ろしい表情で騎士へと振り返るエーベルの姿に、騎士は戸惑った。

「第二王子殿下でございますか?」
「そうよ! あいつ、あたしの知らないところで、勝手に詩集なんかばら撒いて……!」

 その言葉に護衛騎士が目を丸くする。

「なんと! あちらは殿下がお許しになられていたのではなかったのですか?」
「詩作の講義でけちょんけちょんに貶されて、机の奥底に仕舞ってたのよ! あとで燃やそうと思って……」

 悔しそうに唇を噛みしめるエーベル。あれ? そう言えば、あのあと侍女に始末しておくように命じたような……?

「あーそれ。私がコーエン殿下におねだりされたんで、渡しましたぁー」
「はぁああああああ?」

 「はぁーい!」と手を挙げる侍女に、護衛騎士が「やっぱりそうだよな。お前が第二王子殿下の御手に渡す姿は記憶している」などと、呑気な会話を交わしている。
 エーベルは頭の血管がブチ切れそうだ。

「裏切り者っ! 犯人はお前かぁああああああ!」

 真っ赤な顔で地獄の鬼もかくや、という形相のエーベルに、侍女ほのほほんと答える。

「えぇー。だってコーエン殿下、カッコイイじゃないですかぁー。なんかこう、母性本能をくすぐられるっていうかぁ。いたずらっ子だけど実は真面目! みたいなとこ、クラっときますしー。エーベル様とお顔立ちが似てらっしゃるから、可愛いところもあってー。そんなコーエン殿下に頼まれたら嫌なんて言えないっていうかー」

 エーベルはニッコリと美しいプリンセススマイルを浮かべると、侍女のふっくらとした手を取った。侍女はエーベルにへらっと笑い返す。

「あなたの婚約者ね。あとであたしから直々にじぃいいいいいいっくりと。お話ししとくからね」

 ニッコリ。

 侍女の顔がさっと青ざめる。

「やっ! や、やだぁああああああっ! エーベル様ぁあああああ! あの蛇男にはっ! 蛇男だけには、何も言わないでぇええええっ!」

 侍女の大絶叫が響く中、エーベルは護衛騎士を引き連れて廊下に出て行った。
 とりあえずコーエンをとっちめよう。そのあと文官として王城に詰めている蛇男を呼び出さなくては。保護者懇談会開催だ。












 そしてその日の夕暮れ時に、エーベルは婚約者相手に手紙をしたためた。少し悩んだものの、やはり詩を綴ることにした。護衛騎士に「エーベル様の詩には、エーベル様の温かなお人柄が表れ、大変素晴らしいと思います」と褒められたので。
 そして後日婚約者から返ってきた手紙は、初めて送られた手紙とは打って変わって、非常に温かな言葉が並んでいた。






『エーベル様

 春の陽気を思わせる朗らかな詩に、大変心温まりました。
 私の失礼な態度を許してくださってありがとう。これからもあなたの手紙を、詩を楽しみにしています。

ヴォーダン』




(閑話1 「耳年増王女の文通」 了)
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