【完結】好色王子の悪巧みは魔女とともに

空原海

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外伝 そして令嬢は悪魔の戯れに堕ちた

第五話 狂信者

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 継母に新しい情夫をあてがったとニヒトは言ったが、その日からニヒトは夜、継母の寝室へは行かなくなり、わたくしの部屋へ就寝前の挨拶に訪れるようになった。
 そのとき、ついでとばかりに護身術を教えてほしいと乞うた。優美で繊細で、とても武力を行使できなさそうなニヒトを揶揄う意もあった。

 けれどニヒトは首を縦に振らない。


「やはりニヒトは荒事には向かないものね」


 仕方がない、と嘆く素振りで小さく溜息をつくと、ニヒトが片方の眉をぴくりと持ち上げる。あまり感情の起伏を示さないニヒトにしては、とても珍しい。
 彼はとても誇り高く、他人に揶揄されてもそのほとんどが薄っすらと酷薄で美しい微笑を浮かべるだけで終わる。
 ニヒトが感情を乱す様を見てみたくて、わざと怒らせようと揶揄ってみたこともあるけれど、なんの手応えもなく、軽くいなされてしまう。

 今の言葉の何かが、ニヒトの自尊心に引っ掛かったのだろうか。
 どう返ってくるだろうか。好奇の目でニヒトを見つめていると、ニヒトは結局にっこりと微笑んだだけだった。


「お嬢様ご自身が立ち向かわれる必要はございません。お嬢様が害される前に私めが全て駆逐して差し上げます」


 美しい顔でぞっとするようなことを言う。駆逐だなんて、まるで害獣に対する言いようだ。そして実際にその通りにしてしまう。


「……ニヒトはやり過ぎなのです。使用人達の半数以上が屋敷から去ってしまったけれど、彼等に一体何をしましたの?」

「私めは破壊と復讐も得意なのです。ご安心ください。お嬢様の怨みつらみは果たされました」

「怖いことを言わないで。使用人達は母と姉に理不尽に虐げられ従っていただけなの。あの方達にも立場と生活があるの。そしてあの方達の怒りがわたくしに向かうのもまた道理。わたくしは公爵家の嫡子なのですから。さあ今すぐ彼等を解放なさい」


 するとニヒトは困ったようにくちびるに人差し指を押し当て眉を下げる。
 仕草の一つ一つが色香に溢れ、悪魔と自称するのもさもありなん、と頷きそうになる。


「ですがもう彼等の肉体も魂も、我が下僕が喰らい尽くしてしまったあとでして……。今後は始末の手段と結果について、お嬢様のご意向を伺うことにいたしますので、どうぞお赦しを」

「わたくしの『ご意向』は全て『破壊も復讐もするな』です」

「ああ……。なんと慈悲深い。これだから私めはお嬢様を敬愛してやまないのです」


 うっとりとした目を向けてくるニヒトにげんなりする。


「あなた自称悪魔なのでしょう? 慈悲深いだとか何だとか。そういったものはお嫌いなのではなくて?」

「何を仰せになりますか。悪魔だからこそ、気高く高潔な魂に惹かれ欲するのです。醜く穢れきった魂など、我が身だけで十分ですから」

「それならばなぜオーディン様を厭うの?」

「お嬢様…。まさかお嬢様は神々が真に気高く高潔であると?」


 心底驚いた、とでもいうように琥珀色の美しい瞳をまん丸に見開くニヒトに、こちらこそ驚いてしまう。神が気高く高潔でないならば、一体他の何者が高潔であるというのか。


「当然でしょう。オーディン様こそ、この世で最も尊く気高いお方ですもの」

「お嬢様……」


 可哀想なものを見るような、その憐れみの微笑みを今すぐやめてほしい。


「純粋で穢れなき美しい魂をお持ちのお嬢様に、真実を告げるのはいささか胸が痛みます」

「ならばやめて。わたくしに余計な入れ知恵をしないでくださる? いくらニヒトが異邦人で信仰を違えるとはいえ、わたくしはオーディン様に祈りを捧げているのです」

「左様にございますか…。ああ、お嬢様の敬愛を一身に受けるオーディンが恨めしい。死してさえいなければ、私めが地獄から七十二の軍団を率いて魂まで貶めてやるところを。魂のみとなったオーディンなど、青二才めが匿うのみで退屈で仕方がない」

「……あなたの言っていることが、わたくしには何一つわからないわ……」


 目元に手を当て嘆息すると、ニヒトがもう片方の手を取り、その美しく整った冷たい指でわたくしの手を爪から手首までそっとなぞった。


「私めの主はオーディンではないのです。とはいえ、私めは主に信仰を捧げているわけではありませんが……。強いて言うのならば、現在私めが恭順を捧げるのはお嬢様です。その敬愛するお嬢様が私めの主とは反目する存在、オーディンに信仰を捧げるというのは、いささか気分が芳しくない、ということです」

「わかるようなわからないような……。いえとにかく、わたくしはそんな大層な人物ではありませんし、オーディン様を貶めるような言葉は謹んでちょうだい。わたくしもニヒトの主様を否定いたしませんから」


 跪いて手を撫で続けるニヒトを見下ろし、あえて高慢に顎をそらすと、ニヒトは体を震わせた。その褐色の肌がうっすらと高潮し、琥珀色の瞳が黄金に輝く。
 そしてまるで甘熟した南国の果物のような濃厚で芳醇な香りがニヒトから漂う。


「ああ……ああ……! なんと気高く美しいお嬢様……! ええ、かしこまりました。お嬢様のご命令とあらば、私め、どのようなことでも恭順致します」


 うっとりと狂信者の瞳で見つめてくるニヒトから、そっと身を引く。
 たいしたことなど口にしていないのに、ニヒトはこうしてわたくしを大層な人物であるかのように扱うのだから、どうにも座りが悪い。


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