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外伝 そして令嬢は悪魔の戯れに堕ちた
第一話 ニヒトという奴隷
しおりを挟むそれでは私めが、お可哀想なお嬢様に、たくさん気持ちのよいことを教えて差し上げますね――……。
細くて長い指先をこちらに伸ばし、林檎酒を注いだような瞳を細めて嗤う、悪魔。
この大陸の人間とは違う色の肌。褐色の肌に小麦色の髪。薄いのに官能的なくちびる。長い首。すらりとしなやかな手足。
厚くはないけれど薄くもない体は美しい獣のようで、均整がとれている。
どこか造り物めいた、理想を形にした神話の登場人物の彫刻のような、この大陸の人間とも異なる体型。異邦人。
甘い死臭を漂わせる、信仰を違える、異端の者。
そのおぞましい手を、取った。
◇
とても寒い日だった。
鈍色の空を見上げれば、はらはらと白い粉雪が舞う。
かじかむ手を擦り合わせ、はあっと息を吹きかけると、少しだけ指先に感覚が戻る。それでも突き刺すような痛みと痺れは、もうあまり感じない。
「もどりたくないなぁ……」
ポツリと呟くも、このまま路地でやり過ごすことも叶わない。してもいいが、翌朝には凍死体が一つ道端に転がってカラスに啄かれている。
まだ夕方前だというのに既に薄暗く、このあたりに住まう者は皆、家にひっこんでいるのだろう。しんと静まり返っていた。
足元をじっと見つめると、はたり、はたり、と軽やかに揺れて落ちる雪の粒が薄汚れて磨かれていないブーツに当たって消えていく。
はらはら。ひらひら。
空中で踊る小さな、白い雪の粒。まだ軽くて湿り気のない雪は、時々起こる風によって舞い上がったり、渦を巻いたり。
雪は自由に、空を舞う。
しかし空を覆い尽くす不穏な雲は厚く、陽の差す余地はない。この可愛らしい雪の舞いは、いずれ強くうねり吹き荒ぶ、荒々しい暴力へと変貌するのだろう。
継母がしならせ、打ちつける鞭のように。
はあっと息を吐くと、目の前に真っ白な靄。仕方がない。帰らなくては。
今日は市場に送り出す奴隷の選別の日だと今朝、使用人が噂しているのを耳にしていた。
おそらくもう終わっているはずだ。
何もできず、ただこうして逃げているだけの無力な自分。見ないふりをしたところで、売買される奴隷がいなくなるわけではない。
知らなかったことにして、自分に咎はないと思い込みたいだけだ。
こんなに卑怯で薄汚い考えをする醜悪な存在だから、大陸を統べる唯一神オーディン様はわたくしをお見捨てになられたのだろう。
魔女の名を持つ者に、神も情けなどかけない。
帰宅すると案の定、奴隷選別は終わっていた。
けれど売りに出されなかった一人の奴隷が屋敷に残されていて、継母がその奴隷にニヒトという名を付けていた。
ニヒト。
褐色の肌に小麦色の髪。蜂蜜を溶かし込んだような甘い琥珀色の瞳。
何より、あの匂い。
何かが腐ったような、甘ったるい腐臭。それでいて芳しく、不思議と心が高揚する刺激的な香り。
異邦人の奴隷がまとう匂いは、魂の根源を震わせるような、抗えない何かを漂わせていた。
「お嬢様。私めはニヒト。どうぞ仲良くしてくださいね」
継母と異母姉が愉しそうに、新しく買った奴隷の話に興じていたとき。その隙を見てニヒトがそっと近寄り、耳元で囁いた。
ふわりと香る匂い。頭が痺れるような。甘く芳醇な、朽ちてゆく前の花の匂い。
「え……。わたくしと……?」
振り返るとニヒトは美しい顔に甘美な微笑を浮かべ、わたくしから離れた。
継母と異母姉が揃って顎をツンとそらしてニヒトを呼ぶ。
従順に侍るニヒトは、側に呼ばれたことが心からの歓びだと言わんばかりの満面の笑みを浮かべ、歓喜に打ち震えんばかりだとでもいうように、継母と異母姉をうっとりと見つめた。
その熱っぽい眼差しと仕草に継母と異母姉は虚栄心を満たされたようだった。
継母と異母姉は奴隷のニヒトにエスコートさせ、部屋を出ていく。
通りざま、偶然を装い手にした扇でわたくしの頬をぶって笑う継母。
そこにはいつもの敵意や嫌悪の他に、何かベットリとこびりつくような嫌な匂いがあった。そしてその匂いは、ニヒトに向けられているような気がした。
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