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第一章
第十話 色欲の塔
しおりを挟む「さすがにもう、受け入れられないんじゃないですかねえ……」
「やっぱもう無理かー」
離宮の平面図を各階分テーブルいっぱい溢れんばかりに全て広げ、埋まっている部屋にバッテンをつけていたコーエンの背後から、おっとりとニヒトが率直な感想を口にする。机に載りきらないではみ出ている図面を拾って、空き部屋がないか目を走らせるも、どこもかしこも赤いインクでバッテンが記されている。
ニヒトはコーエンの好むファーストフラッシュを淹れたものの、どこを見渡しても書類に溢れて置き場所がないため、ポットもカップも茶菓子もトレーに載せたままコーエンの背後で控えていた。コーエンはニヒトの支えるトレーの上からカップを取って紅茶を含む。
確かにもう、空き部屋はない。
「殿下とお嬢様……いえ奥様の」
「お嬢様でいいから。言い直さねえでも」
「いえ、先日第一王女殿下がお見えになられた際、ついお嬢様と口走ってしまいまして……」
「ああ……。意外とエーベル、そういうのうるせえからな……」
ヘクセとエーベルはいつの間にか親交を深めていた。
コーエンの知らぬ間に私達親友よね、のノリになっていた。どうもこの離宮と王城におけるエーベルの部屋とを行き来しているらしい。
ヘクセと結婚して以降、最近では何か公務が被らなければほとんど顔も合わせない双子の姉。今ではコーエンよりヘクセの方がよっぽど親しくしている。
嫁と小姑の仲がいいなら何も言うことはない。だからといって夫婦間の情事まで明け透けにバラさないでほしい、という思いもあったが、コーエンはもう開き直ることにした。
ぶっ飛んだ夫婦生活について話を盛ったり胡麻化したり、大袈裟に笑って話せばエーベルは大爆笑した。
コーエンが道化になることでヘクセとエーベルが仲良くやれるならそれでいい。
ヘクセ自身もエーベルにかなりの変人と認識されていそうだが、ヘクセが気にならないのならばコーエンも気にしない。
「王女殿下の私めにお向けになる眼差しがこう、とても冷たいと申しますか……」
「うん。悪い。それは仕方ねえ。だってニヒト間男だし」
「……ですよね……」
がっくりと項垂れるニヒトだが器用にも、トレー上のポットやカップの紅茶は波打たせずに保っている。
コーエンは苦笑してニヒトの頭を撫でた。そうするとニヒトが琥珀色の目を細めて嬉しそうにするのだ。
おそらくコーエンよりいくつも年を重ねているだろうに。
「……それはよいのですが、殿下と奥様のこちらのお部屋も既に手狭でしょう」
「まあなあ。寝室と執務室と化粧室と衣装室その他諸々全部兼ねてるからなあ」
「第二王子殿下の部屋とは思えない狭さになっておりますよね。私めの知る下位貴族邸の遊戯室でももっと空間があったように記憶しておりますが……」
「その遊戯室ってぇのは、アレか」
「アレでございます」
「そうか……」
思わず渋面になってしまう。
ニヒトの人生とは暗い過去を切り貼りして出来ているようなものだ。今だってヘクセの情夫だ。これについてニヒトはさほど積極的に解放されたがっているわけではなさそうだが、かといってこのままでいたいわけでもないらしい。
幾度となく、コーエンに謝罪してくるし、時折コーエンに苦言を呈したりもする。
だがコーエンとしては、ヘクセとニヒトを無理に離してしまうことが怖いのだ。ヘクセもニヒトも壊れてしまいそうで。
そんなことを口にするとニヒトはいつも呆れ顔で「もうこんなにも殿下のもとで幸せをいただいているのに、いまさら壊れませんよ」と言うのだが、コーエンとヘクセとニヒトと、三人で均衡を保っているのに、崩すのが怖い。
この離宮の始まりはコーエンとヘクセとニヒトの三人。コーエンの聖域だ。
ここがあるからこそ戦えるし、ここを突かれれば弱い。どうしようもないほどに、依存しきっている自覚がある。かつて兄リヒャードと姉エーベルに対してそうであったように。
ああそうか、とコーエンは気がつく。
だからヘクセとニヒトを離したくないのだ。
兄妹ではない二人が強い絆を解かずにいられる何かを残しておきたくて。だからニヒトが苦言を呈しても、ヘクセが罪悪感に悩んでも、コーエンはまるで理解があるかのように二人の仲を許している。維持させている。
寛容なんじゃない。傲慢で醜悪で、ただ臆病なだけなのだ。
離宮には人が増えた。
コーエンとヘクセとニヒトと。あとは数名の侍従に使用人。必要最低限ギリギリだったのが今では部屋が足りない。この馬鹿みたいにだだっ広い離宮が。譲り受けた当初はこんなに部屋数あってどうすんだ。先祖はバカじゃねえのか。王族の離宮いくつ持ってんだ。維持費いくらすんだ。アホじゃねえのか。と散々罵っていた離宮の部屋数が、足りない。
客室はさすがに一室は空室のままにしてあるが、他は全て埋まっている。
コーエンが目を凝らして知ったり、ヘクセとニヒトが城下に降りた際に風の噂で耳にしたり。
何らかの事情を抱えている者。
コーエンやヘクセ同様、異質な力を持て余していたり、かつてのヘクセのように生家から疎んじられていたり、婚家で虐げられていたり、帰る家がなかったり、親族から見放された一族であったり。
誰でも彼でも同情して回ってはきりがないが、最終的にはコーエンが家族になりたいと思う者を目を凝らして決めた。
一家まるごと、親族ごと受け入れることもあった。その分離宮の豪奢な装飾品は日に日に減っていった。
譲り受けたばかりのときは、まさしく王族の離宮に値する、芸術的で贅を凝らした華やかな離宮だったが、今では税収の乏しい寂れた地方領主の館でもこうはみすぼらしくあるまい、という有様だ。
兄リヒャードがこの離宮に足を踏み入れたらどれくらい説教されるだろう。怖いような楽しみなような。いつか招かなくてはと思いつつ、第一子に続き王太子妃バチルダが第二子を懐妊したこともあり、のらりくらりと躱し続け、未だ招き入れていない。
「なあニヒト」
「はい」
「俺は弱虫だからさあ。家族がいねえと立ってらんねえんだ」
いつでも、蜂蜜を溶かし込んだように、とろんとした眼差しの男が小首を傾げる。コーエンはニヒトの持つトレイから再びカップを取った。
「こんなに集めちまって。我ながら馬鹿じゃねえかと思うよ」
コーエンとヘクセとニヒト。
三人だけの秘密の隠れ家は大所帯になっていた。今では『色欲の塔』などと呼ばれている。虐げられる者というのは社会的弱者で、弱者は老人女子供が多く、コーエンの手が及ぶ範囲で救える者に女性が多かった。ただそれだけのこと。
愛妾という名目で囲った女性には夫君や親族も全て離宮に入れたこともあるのだが、それよりも好色王子が新婚早々、やはり愛妾を囲ったと噂する方が楽しいらしい。そういうものだ。
「そんなコーエンだから救われた者がたくさんおりますわ。たとえばわたくしとか」
「ヘクセ。戻ったのか」
「はい。ただいま戻りました」
艶やかな黒髪を揺らして、にっこりと赤い紅をひいた唇で微笑むヘクセ。コーエンも微笑み返して手を取って引き寄せ、額に口づけする。ふわっと漂ういつもとは違う香りに気がついて、思わず眉を顰めてしまう。
「楽しんだか?」
「ええ。エーベル様にご案内していただきましたの」
エーベルと共に城下におりるという話は聞いていた。エーベルがニヒトを疎んじるため、ヘクセは離宮で世話するようになった侍女と護衛をつけて外出した。
離宮に住まわせている者達は皆信用しているが、ニヒトと同等かといえばそうではない。こうしていつもとは違う香水を纏って帰ってくれば、さらにコーエンの心は不穏にざらつく。攻撃的にならないように。苛立たないように。こんなに狭量だったのかと呆れるが、ヘクセはそんなコーエンを嗅ぎ分ける。
ヘクセは絹の手袋をするりと抜き取ると、コーエンの頬をその細い手でそっと撫でた。
「どうしましたの? 何がそんなにコーエンの心を乱すの?」
眉根を寄せて心配げにこちらを見つめるヘクセにコーエンは苦笑して「においだよ」と答える。自分は目を凝らすのをやめたくせに、ヘクセにはこうして頼っている。
「ああ……。これはエーベル様がお勧めしてくださったの。フリージアの香りなのですって。今とても人気なのだそうですわ」
「そうかい。でも俺はいつものヘクセの香りが好きだ」
「まあ。エーベル様とお揃いで購入してしまったわ。どうしましょう」
頬に手を当て眉根を寄せ、小首を傾げるヘクセの腰を抱くとその頭のてっぺんに鼻先を押し付けてにおいを嗅ぐ。ふんふんと鼻を鳴らすとヘクセがくすぐったそうに身を捩った。
「……やっぱりいつもの方がいい。俺の我儘で申し訳ねえが、その香水は誰か他の者にやってくれねえか。違う女抱いてるみてえで落ち着かねえ」
せっかく城下に降り、楽しい時間を過ごして選んだ品に帰宮早々けちをつけられて、さぞ不愉快だろう。自分の我儘でヘクセを縛りつけるのを申し訳なく思いながら、そっと身を離してヘクセの顔を覗き込む。
だがそこには輝くばかりの笑顔でコーエンを包み込むヘクセがいた。
「わかりましたわ。コーエンの隣に並ぶのはわたくしだけですものね」
自分と同じだけ、とは言わない。だけどヘクセにもコーエンに依存していてほしい、と思うのは勝手だろうか。
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