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第一章
第三話 好色王子のはじまり
しおりを挟むリヒャードとは気まずい期間を経たものの、いつの間にか蟠りは消え失せていた。
それがリヒャードの婚約者である神聖アース帝国の第二皇女バチルダのお陰であることに、コーエンは気がついた。
だって目を凝らすと、バチルダと共にいるときのリヒャードは温かい橙色だけでなく、艶めかしい薔薇色の光をまるで燃え上がるように全身に纏わせていたから。
コーエンと対峙するときに見せていた青い靄は今ではすっかり霧散して、双子の姉エーベルと同じように橙色の光をコーエンに示している。
だからコーエンはホッとして、リヒャードに目を凝らすことは、もうしない。する必要はなくなった。
だからお礼代わりにバチルダに耳打ちした。
「あのさあ、皇女サマ。兄貴の秘密知ってる?」
「リヒャードの秘密とはなんだ」
眉を顰めるバチルダ。
コーエンはニヤリと片方の口の端を吊り上げた。バチルダはますます怪訝そうにコーエンを一瞥する。
バチルダの亜麻色の髪を飾るいくつもの八方星のダイヤの髪飾りが、壁にかけられたクリスタルの燭台の炎を受けてキラキラゆらゆらと光った。
ゲルプ王国建国記念祭に訪れた神聖アース帝国の数名の皇族のうち、第二皇女バチルダはゲルプ王国王太子リヒャードの婚約者として参列していた。
夜も更けた今、大人達はまだまだ夜会で社交に勤しむ。王太子であるリヒャードもまだ夜会会場に残っている。一方で年は一つしか変わらない第二王子コーエンと第一王女エーベルは夜会会場を後にした。
神聖アース帝国第二皇女バチルダは婚約者リヒャードに付き添おうとしたが、リヒャードが「体を休めるように」と指示したため、その言葉に素直に従うことにした。だが神聖アース帝国の皇族はバチルダ以外全員成人しており、夜会会場に残っている。もちろんバチルダの侍女や護衛騎士はバチルダに付き従うが、ここはゲルプ王国王宮。バチルダにとって馴染み深い場所ではない。
リヒャードは妹王女エーベルに皇女バチルダを任せた。エーベルは喜んで了承する。
「お義姉さまと仲良くしたいと思ってたんだ!」
にこにこと無邪気に笑うエーベルにバチルダも笑顔を見せる。
「うむ。リヒャードからお主らについて聞き及んでおる。わらわも親しくしたいと願っておった」
そう。おぬしら。
リヒャードが指名したのはエーベルだけだったが、コーエンは当然のようにくっついてきた。
ひょこひょこと頭を突き出して、エーベルとバチルダのやり取りを覗き見るコーエン。バチルダがコーエンの動作を、やや鬱陶しそうに見やると、コーエンがニタリ、という表現がピッタリくる、どこか嫌な予感を抱かせる顔でバチルダに笑いかける。
「なんだ。ゲルプ王国第二王子殿」
「ええー。なんかめっちゃ他人行儀! コーエンって呼んで!」
「……コーエン殿、わらわに何か用か」
バチルダが言い換えると、コーエンは嬉しそうに笑った。そしてバチルダの耳に片手で覆った口元を寄せる。
「あのさあ、皇女サマ。兄貴の秘密知ってる?」
「リヒャードの秘密とはなんだ」
コーエンの囁く不穏な言葉。バチルダはサファイアのように蒼い瞳に剣呑な光をのせてコーエンを睨みつける。
コーエンは厭らしく舌なめずりをした。
「……兄貴と俺。実は愛し合ってるんだ」
「は?」
バチルダはコーエンから飛び退くと、目を見開いてコーエンを凝視する。
コーエンは呆れ顔のエーベルの肩を組み、ニヤニヤと笑う。
「え? 知らなかった? 俺、好色王子なんて呼ばれてるけどさぁ。実は本命は兄貴なの。ほら、叶わぬ恋心? 禁断の愛? 血の繋がった兄弟だし、男同士だし。でもそーいうのって燃えるんだよなぁ。兄貴も満更じゃなさそうだし。皇女サマって兄貴に手ぇ出されたことすらねぇだろ? カッワイそー」
「……失礼する」
眉根をギュッと寄せて、バチルダが身を翻す。慌ててバチルダの侍女と護衛騎士がその後を追うが、侍女は振り返りざまにコーエンを睨んでいた。
ズンズンと肩を怒らせて夜会会場へと元来た廊下を戻っていく皇女バチルダに側仕え達。
天井から下がるシャンデリアと壁の燭台を光源とした廊下は、やがてしんと静まり返る。
ユラユラと揺れる燭台の炎にコーエンとエーベルの頬が照らされ、エーベルがふうと息をついた。
「……あんた、好色王子なんて呼ばれてたっけ?」
「明日から、うんにゃ。今夜から呼ばれるんじゃねぇか?」
「ああ……。あの侍女、怒ってたもんねぇ……」
エーベルはやれやれ、と首を振る。
「怖かったなー。皇女サマ、人望あるんだなぁ」
呑気に返すコーエンの頭をエーベルはポカリ、と軽く殴る。
「イテッ」
「国際問題になったらどーすんの!」
コーエンはヘラヘラと笑った。
「んなわけねーじゃん。あのお姫様、兄貴のこと全然疑ってねーもん。皇女サマが心配してたのは、俺のことだよ。この弟、王族としてヤベーんじゃねーのってとこかな?」
「……違うわよ。バチルダ皇女殿下がお兄様の元に戻る口実をコーエンがくれたんだって、皇女殿下だって察していらっしゃるよ」
「ま。そーだろな。あの二人、嫌になるくれぇお似合いだもん。なのに兄貴、皇女サマを貴族達に見せたくねぇからって、早々にエーベルに託しやがって」
エーベルがキョトンとする。
「えっ。そんな理由?」
「そーだよ。あの兄貴が、そんな理由で皇女サマを皇女としての義務から開放してやったんだ。兄貴らしくねぇよな」
肩を竦めるコーエンにエーベルは首を傾げる。
「うーん。それだけかなぁ。さっき皇女殿下の手に触れたけど、手袋越しなのに、すごく熱かった。熱出されてるんじゃない? 帝国からうちの国まで、迂回しても山を越えなきゃならないじゃない? 今の時期、もの凄く冷えるだろうし。いくら帝国式の最新鋭の馬車に乗ってくるとはいえ、寒いものは寒いでしょ」
「は!?」
それまで軽薄な笑みを浮かべていたコーエンは、目を見開いて真顔になった。そしてわかりやすく焦りだす。
エーベルは目を眇めた。
「……『見えて』なかったの? て言うかコーエン、皇女殿下に耳打ちまでしてたじゃん。それで気がつかなかった?」
コーエンは頭を抱える。
「だって……。目ぇ凝らしたら、あの皇女サマと夜会会場が一本の光の線で繋がってて……っていうか、兄貴が戻れって言ったとき、皇女サマが青い靄出してて、兄貴もおんなじで……。ええ? 熱出してんの?」
グシャグシャと頭を搔き回すコーエンにエーベルは大きく溜息をついた。
「ホントにコーエンって頭はよくないよね……。これ、明日お兄様にめちゃくちゃ叱られると思うよ……」
「ううっ……。兄貴もだけど……そりゃあの侍女も怒るよなぁ……」
「うん。皇女殿下の侍女はきっと、お兄様の気遣いに気がついて感謝してただろうからね」
「……やっちまった……」
そして案の定、コーエンは翌早朝リヒャードから呼び出しをくらい、雷を落とされた。
この夜会以降、コーエンは好色王子と呼ばれることになる。
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