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第二章 愚かな兄妹

第十五話 不気味な力

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 見つめ合うだけの沈黙の後、リヒャード殿下は片方の眉を上げた。


「恋は盲目だとでも言いたげだな」

「おそれながら」


 同意すれば、リヒャード殿下は笑い声をあげた。無邪気な顔だった。額に手を当て、腰を折り、上半身をかがめすらした。


「確かにな。おまえの話に耳を傾けながら、感情的な反発が、理性で思考せんとするより優りそうになったことを、否定はしない」


 少年らしい屈託のなさで、リヒャード殿下は笑った。その楽し気な笑い声は、なかなかやまなかった。


「だが、どうだ。おまえの言う通り、帝国の企てがあったとしよう」


 笑い声をどうにか胸におさめ、リヒャード殿下は笑い声の代わりに、胸元から何かを取り出した。首から下げた細い鎖。その先には鍵がついていた。


「バチルダが魔女であったとしよう」


 鍵付きの鎖を首から外し、リヒャード殿下は私の背後に回った。詰襟が下げられた。金属の合わさる、カチリという小さな音がした。


「おまえが帝国へと飛び立つことに、目をつむったとしよう」
 隷従の首輪が膝の上に音もなく落ちた。
「おまえは自由になった。それで」
 正面に回ったリヒャード殿下は、落ちた隷従の首輪を拾った。
「次は私がかせを贈られる番だな。バチルダという回りくどく、体温があり、穏やかな枷ではなく。直接的で、体温はなく、冷たい枷を」


 彼は片方の手で、隷従の首輪を自らの首に当てた。逆の手が肩より上にあがった。宙から吊られたマリオネットのように、ぷらぷらと手首が揺すられる。


「私はあらゆる思考を奪われ、本物の操り人形へと成り果てる。そうして私はこの国の玉座に座り続けるだろう。おまえを失って」


 隷従の首輪が再び私の首に回された。ひやりと冷たかった。首の後ろで鍵が回った。


「私が失敗するというのですか」

「『うまくやる』ことは不可能だろうよ」

「あなた様は私を認めてくださっているのかと思っていた。私は思いあがっていたようだ」


 恥辱と不名誉と怒りが頭の中を真っ赤に染め上げた。

 リヒャード殿下は私の能を買っていたからこそ、この世に留めたのではなかったか?
 私を生かすためがだけの、口先だけの方便だったのか?
 謀叛人むほんにんの不名誉の上に、奴隷の不名誉にまで甘んじたのは、彼の情けを受けるためだけだったのか?


「いいや。私はおまえの能を買っている。おまえが自身を判ずるより、きっとな」
 鍵のついた鎖を手渡される。
「おまえが私を、私以上に認めているように」

「でしたら、なぜ」


 鍵を握りしめると、先端が手のひらに食い込んだ。
 リヒャード殿下は椅子に座り、微笑んだ。親指を立て、「まず第一に」と始めた。


「これまでの企てが為されたというならば、帝国は我が国の内情をつぶさに把握している。一人ひとりの性質に至るまで」
 肘掛にリヒャード殿下の手がおろされる。
「私はもちろん、おまえのことも当然。つまり隷従の首輪より放たれたおまえが、バチルダを狙うだろうことは、想定内に違いない」

「だとしても――」

「第二に」


 反論を遮られ、立てた親指と人差し指を示される。


「おまえの言う通り、帝国には数多あまたの聖人がいるという」
 リヒャード殿下はニヤリと笑った。
「おまえの言う『不気味な力』を持つ人間がわんさかいる。そしてその『不気味な力』の詳細は、何もわからん」


 そこまで言うと、リヒャード殿下は「ああ」と声をあげた。


「バチルダ曰く、コーエンは聖人候補だそうだぞ。『聖人としての能力がある』と。そう言っていた」

「なんだって! 第二王子殿下が?」

「ああ。コーエンがだ」
 私の叫喚きょうかんに、リヒャード殿下はすまし顔で応じた。
「あやつの人より抜きんでて、対象、もしくは近い未来を見抜く能力。それがおそらく、値するのだろう」


 第二王子殿下と対峙したことを思い返す。彼との会話を。彼の言葉を。彼の細めたまなざしを。審判の目を。
 動揺が体中の血液をドクドクと駆け巡った。


「コーエンはおまえについて、いくらか当てたのではないか?」


 リヒャード殿下が探るように私を見た。彼は「違うか?」と私に追い打ちをかけた。私は頷くほかなかった。


「コーエンより優れているだろう聖人の能――いや、『不気味な力』だったな。その力を持つバチルダが、この国に長く滞在した。彼女はおまえを知った。それ以上に私を」
 リヒャード殿下は道化のように肩をすくめた。
「私はおまえの言う通り、恋に溺れた愚かな男だったろうからな。彼女はたやすく私の気質など、暴いたろう」


 リヒャード殿下が、親指、人差し指に続いて中指を立てる。


「第三に。顔を合わせて間もなく、『この身を斬って捨てるような隠匿いんとくのかなわぬ著しい狼藉ろうぜきでもない限り、なんの咎もない』とまで、バチルダは言った」


 怖気おぞけが走った。


「それは、また。なんという……」

「おまえの言う通り、帝国の企てがあり、かつバチルダが魔女であるならば。これは警告、もしくは罠だな」
 リヒャード殿下が首を振る。
「バチルダ曰く、聖人とは『オーディン神の贄』だそうだ。結局のところ、言葉の意味することは、はぐらかされたが」


 オーディン神の贄。
 神聖アース帝国という一つの国。その思惑に留まるのではなく。


「おまえが『うまくやる』ことはできない」


 喉がカラカラに乾いた。声に出そうとした言葉が喉にはりついた。カップを掴んだが、水は飲み干していた。気がついたリヒャード殿下が、水を注いだ。
 彼は壁にかけられたボードを見た。ボードには大陸の地図が描かれていた。その隣りには、オーディン神とフェンリルの、激しい戦いを描いた絵があった。

 ラグナロク。世界の終末。オーディン神が死んだ日。


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