27 / 36
第二章 愚かな兄妹
第十三話 兄の糾弾
しおりを挟む酒を注ぎ、再び煽る。灼けつくような熱さなど、既に感じない。
口の端から酒がこぼれ落ちるのがわかった。軽い目眩があり、身体は火照り、視界は滲んでいる。酔いが回り、腕は重い。
「あなた様には、悔いてほしかった」
像が歪み、ふらふらと踊り、幾重にも重なる世界で、リヒャード殿下は揺るがず私の正面にいた。
腹の底に潜むマグマが湧き出る。熱い血のようなそれは言葉へと変わり、酒臭いだろう熱い息とともに、私の口から吐き出される。
「妹――これから咲き誇ろうとする、瑞々しい少女であった、可愛いあの子から始まり、我が一族の命と引き換えに得た安寧の中で。あなた様には、決して取り戻せぬ幸福と平和を悔い、絶望に嘆いてほしかった」
首切り役人の振りかぶった斧。転がった首。吹き出した鮮血。
我が妹。父、母、一族の血を引く者たち。仕えた者たち。親しかった友。世話になった同派閥の恩人。
犠牲となった人間の血を盥で集めてこの部屋に注げば、吸うべき空気の入り込む余地はあるだろうか。
「あなた様のために、お役に立つために、己を犠牲にして散っていった妹を思い、打ちひしがれ、どうしようもなく、妹の面影に縋り、記憶の中のあの子を激しく求め続けてほしかった」
酒瓶をつかみ損ね、酒がこぼれ落ちた。流れる酒を手のひらで掬い、嘗めた。リヒャード殿下が立ち上がり、私の手にカップを握らせた。彼はそこに酒ではなく、水を注いだ。
「酒を」
「酔いが醒めれば、また飲むがいい」
リヒャード殿下が飲み干せずにいたワイン。そのゴブレットを奪い、煽る。ゴブレットが私の手から落ち、音を立てて転がった。リヒャード殿下がそれを拾う。
「バチルダ皇女殿下など」
リヒャード殿下のガウンが翻った。彼のゴブレットを掴む手に、力が入る。
「あの魔女に心を譲り渡さずに。妹が。妹こそが、リヒャード殿下の生涯唯一、心を捧げた女性であったと。そのように悔いてほしかった」
「魔女か」
リヒャード殿下が膝を折った。彼の琥珀色の目が私に注がれた。
「あなた様は、魔女のためなら、奴隷にすら膝を折るのか」
「友のために膝を折った」
「友?」
酔いに任せ、リヒャード殿下のガウンを掴みあげた。滑らかな天鵞絨が、酒でべとつく手に張りついた。
「友は家族を殺さない」
リヒャード殿下のガウンは大きくはだけ、白い絹のネグリジェが露わになった。
「友は語り合うものだ。何も問わず、語らず、独断する者を友とは呼ばない!」
少年の手が私の手を覆った。
「ああ。私は独断した。友の声を聞かなかった」
この暖かな部屋で、ワインを飲んでいたとは思えぬ、冷たい手。憎悪に熱く燃える私の手を包み、リヒャード殿下は強く握った。
「私は間違えた」
ガウンから手を離すと、リヒャード殿下の手もまた離れた。
「懺悔はしないと、あなた様はおおせになられたはずだ」
「そうだな」
ガウンの襟を正し、リヒャード殿下は立ち上がった。暖炉へと歩み去り、彼は火掻き棒を手に取った。燃えがらが取り出され、暖炉の中の火が立ち上った。
0
お気に入りに追加
262
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり(苦手な方はご注意下さい)。ハピエン🩷
※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

叶えられた前世の願い
レクフル
ファンタジー
「私が貴女を愛することはない」初めて会った日にリュシアンにそう告げられたシオン。生まれる前からの婚約者であるリュシアンは、前世で支え合うようにして共に生きた人だった。しかしシオンは悪女と名高く、しかもリュシアンが憎む相手の娘として生まれ変わってしまったのだ。想う人を守る為に強くなったリュシアン。想う人を守る為に自らが代わりとなる事を望んだシオン。前世の願いは叶ったのに、思うようにいかない二人の想いはーーー

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです
古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。
皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。
他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。
救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。
セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。
だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。
「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」
今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人
白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。
だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。
罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。
そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。
切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる