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第二章 愚かな兄妹

第九話 王族の傲慢

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 木と木のぶつかり合う、乾いた音。
 加減をしてはいるものの、第二王子殿下はすでに幾度も転び、おそらく厚着した衣服の下は痣だらけだろう。
 立っているのもやっとだといわんばかりの姿と激しい息遣いによって、彼の体力に限界が近づいていると知れた。


「剣劇がしたかっただけですか」


 第二王子殿下の打撃を横に払いのける。彼は私の棒さばきに促されるがままに倒れこんだ。地に転がる第二王子殿下。


「ぶざまですね」


 見下ろすと、彼は陶器のような肌や赤みがかった金の髪、豪奢な衣服に、いくつもの枯れ葉や土ぼこりをまとい、嘔吐えずいていた。
 酸素を求めて開いた口。おそらく喉奥は張りついたように乾いているのだろう。唾液が一筋、こぼれ落ちる。


「我が妹は、愚かでした。認めましょう」


 ひゅうひゅうと息を吐く第二王子殿下のわきに腕を入れる。
 無理やり上半身を起こされた第二王子殿下は、苦しそうに咳き込んだ。彼を抱え上げ、木の幹にその背をもたれかけさせる。
 第二王子殿下は、目の前に立ちふさがる私を睨みつけた。彼は汗でへばりついた髪をかきあげ、苦しげな呼吸の合間、「それで?」と声を振り絞る。
 歯と歯の間から息を漏らし、なんとか呼吸を整えようとする、か弱い姿に怒りがこみあげた。


「だが、あの子の真摯しんしな愛を、清廉せいれんな祈りを、あなた方王族が、愚弄ぐろうするな! 高みに立って、何もかも知っているかのような顔で! あなた方の思いつきで采配を下すのは勝手だ! しかしそれによって失われる命も、想いも、あなた方が犯し、または呼び起こした罪や犠牲の何もかもを、その結末を! あなた方は受け止めるべきだ! 否定するな! 嘲笑うな! 決して忘れるな! あなた方は罪深い!」


 第二王子殿下は幹に手をかけ、立ち上がった。よろめき、肩を幹にもたれかけ、しかし私を睨めつける眼差しはギラギラとしている。


「真摯? 清廉? 笑わせる」
 第二王子殿下は大きく肩で息をした。
「あなたの妹の愛のどこが、真摯なんだ? あなたの妹の祈りのどこが、清廉なんだ?」

「この……っ!」


 憎々し気に吐き捨てる第二王子殿下の胸倉を掴み、背後の幹に叩きつける。衝撃で彼は嘔吐し、私の腕に吐瀉物がかかった。


「……何度だって否定してやらぁ。真摯でも、清廉でもねぇ」
 吐瀉物と唾液でくぐもった声。
「あなたの妹は、兄貴に当てつけの腹いせをしただけだ。一生消えない傷を残すことで、兄貴の中に自分の存在を刻み込みたかっただけだ。献身と自己犠牲を一緒にすんな」


 第二王子殿下は、彼の胸倉を掴む私の腕を引き剥がした。袖に付着した吐瀉物が、地に落ちた。


「失恋の復讐に、自分の命をかけてヒステリックに暴走することの、どこが真摯で清廉なんだよ。なぁ?」
 第二王子殿下が手の甲で口元をぬぐう。
「兄貴を大事に思うんだったら。なんで生きて、支えてやらなかったんだ?」


 そんなこともわからないのか。

 あれだけ、未来を見通せるかのように振る舞い、何もかもわかったような傲慢な顔つきをして、狭い世界で生きているだけの怖いもの知らずが、神々の法を啓示されたかのように、人を裁きながら。

 歯噛みすると、喉の奥が鳴った。第二王子殿下が「言えよ! あなたもまた、兄貴なんだろ! 哀れな妹をかばってやれよ!」と叫ぶ。


「リヒャード殿下があの子を拒んだからだ。初恋の相手に、唯一の愛を捧げんとする潔癖な乙女心がおわかりにならないのか? 受け入れられぬばかりか、他の男との婚姻を薦められるなど。好いた男に追い立てられ、嘆かぬ娘がいるものか! ましてや妹は、まだ十三の少女だった!」


 そうだ。
 妹はまだ十三の少女だった。
 口やかましく勝気であっても、まだ恋に夢見る乙女であった。

 だのに私は、受け入れよと。あの子の恋心を踏みにじった。
 妹は、胸に咲く一輪の花が散らされぬよう、汚されぬよう。ただそれを美しいままに守り通そうとしたのだ。


「それが当てつけだって言ってんだよ!」


 幹に叩きつけられた第二王子殿下の拳で、枝にしがみついていた葉の残りが一枚、散っていく。


「兄貴の婚約者になりたかった? 王太子妃になりたかった? ふざけんじゃねぇよ!」
 私の元へ歩み寄る、第二王子殿下のおぼつかない足取り。
「兄貴の隣で、同じ高さで、その目線で、見ようともしなかったくせに。兄貴にぶら下がって、ギャアギャアわめいて、保護されるだけの立場で」


 第二王子殿下の手が私の肩にかけられ、彼の体重がのしかかってくる。目が合った。


「それを妹は是としなかったのだ。あなた様だって、ご存じではないですか。『かよわいお姫様みたいに護られるのが』などと。そのよく回る口で、リヒャード殿下を痛めつけたのは、あなた様だ」

「守られるのが嫌だなんて、よくもそんな厚かましいことを思えるよなって感心してただけだよ」


 肩に食い込む細い指に、力が増す。


「本当に兄貴の支えになりたかったんなら、八つ当たりなんかするかよ! 兄貴の右腕になれるくらい信頼を得ようとか、実績を重ねていずれ並び立とうとか。なんでそう思わなかったんだよ! 一緒に生きて、どうにか道を見つけようと足掻くこともしねぇやつが! 責任を負わず、結末を見届けず、受け止めず。誰に示されたわけでもねぇのに、自ら死に逃げるようなやつが! 王太子妃になんかなれるわけねぇだろ!」


 第二王子殿下の金切り声が、耳に突き刺さる。胃液の酸っぱい匂いと、汗に濡れたウールの、獣臭。
 彼がしゃべり、身じろぎする度に臭ってくる。


「あなたが言った通り、王族は逃げたらダメだ。よりにもよって王太子になんかなってみろ。自分が下した決断はもちろん、それ以外だって全部。王国中の罪を背負って、見届けて、受け止めて。それでも前を向いて歩いていかなくちゃなんねぇんだよ」


 窓辺に立ち、逆光で黒く塗りつぶされたリヒャード殿下の姿。
 まだ成人していない、成長過程にある少年の姿形。
 ぐっと握りしめられた拳。静かに抑えられた声色。

 リヒャード殿下は言った。「信頼している」と。


「あなた達兄妹を愛した兄貴は、手持ちのカードをかき集めて、あなた達を救おうとしたのに! 犯した罪を背負って、犯すだろう罪を覚悟して、優しいままの心に傷を負い続けながら、あなた達だけはどうにか守ろうとしたのに! あなたの妹は、そんな兄貴を裏切り、ツバを吐きかけたんだ!」


 第二王子殿下はずるずると崩れ落ち、私の腹を殴りつけた。
 次第に拳から力が抜けていく。鼻を啜る音が風の音と混じり合うようになった。

 そして彼は言った。「あなたは、兄貴を裏切らないで」と。

 繋がれた馬は、乏しい草を鼻先で探って食んでいた。


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